2020-12-31 (Thu)✎
200000アクセス・・。 来年中ごろの突破だと思っていたのが、よりにもよって『残念』の摘出手術4日後の入院中に突破しちまったよ。 恐らく、10/16~20の『スーパー・オチャメ』やら、今回の『残念』の摘出手術が話題性に富んだみたい。 要するに、「身を削ると、話題性だけは確保できますね」って事で。
でも、このブログが人気があるかというと、そうでもないんだな・・ってこれが。 なぜなら、コメントは計算してないけど、恐らく1記事2コメ(ワテの返コメ含む)の普通のブログ運営者なら、心が折れてブログをやめたくなっちゃう「デットライン」ギリギリなんだよねぇ。
まぁ、事実とはいえ、ランキングバナー下の濃過ぎて敬遠される事を書かずにはいられない性格もあるけど・・ね。 でも、安穏に逃げていたら、いつまでたっても状況は改善しないよ。 チョンによる我が国の侮辱や『武漢ウイルス』の終息、そしてシナ共産党によって揺るいでいる地球の平和と安寧なんかも・・。 ワテの『残念』と同じく、その害を引き起こす原因となるモノ(チョンに関しては天皇で、『武漢ウイルス』はシナ共産党)は取り除かないといけないのですね。
あぁ・・、閲覧者が退くような事をまた書いちまったね。 なので、誰も祝う事のない、祝い文言があったとしても「良いお年を・・」のオマケというこのブログのミレニアムを一人寂しく祝いましょ。
ワテって、こういう誰にも祝福を受けない事を、一人で達成の喜びをかみしめるって事がワリと好きだしィ。 それでは、正月前の祝いの宴を始めましょ。
なお、掲載順は筆者の拠所ない都合で、地域別ではなくて「あいうえお」順で・・
。

岩泉線 いわいずみせん
二次廃止線に指定されたが、国道340号の押角峠にバスを走らせる事ができるような代替道路がなく廃止が回避されていたが、2010年7月に法面の土砂が崩れてそれに列車が乗り上げる事故が発生し、以来運行休止と代替バスの処置が取られていた。
結局、復旧せぬまま運行休止が続き、2014年4月1日の期日をもって正式に路線廃止となった。
なお、狭隘道路区間だった押角峠は、旧JR岩泉線の押角トンネルを道路用に拡幅してバイパス道らに供する工事が行われていたが、このほど2020年12月13日に開通した。
♪この駅で年越ししたのは
いつの~日かぁ・・
:
(童謡『赤とんぼ』の
「負われてみたのはいつの日か」のノリで)
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’13) / 営業係数(’09)
茂市~岩泉 38.4km 23 / 758
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
2014年3月31日 東日本交通バス 茂市~岩泉 3往復
茂市~岩手和井内 1往復
コレ撮ったの高校出たその年・・
:
車もなく全て歩きと駅寝で追っかけたローカル線
やはり気合いが入ってる分だけ「いい仕事」してますね~
大隅線 おおすみせん
かつて鹿児島県曽於郡志布志町(現・志布志市)の志布志から同県国分市(現・霧島市)の国分までを結んでいた国鉄の鉄道路線である。 大隅半島の付け根より中ほどを馬蹄形に大回りしていた100km近い長大路線だった。 国鉄再建法の施行により1984年6月に第2次特定地方交通線に指定され、1987年3月14日に全線廃止となった。
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
志布志~国分 98.3km 702 / 1082
廃止年月日 転換処置
’87/ 3/14 鹿児島交通バス
廃止時運行本数
志布志~国分 5往復【内 下り1本 鹿屋~国分、上り1本 全区間 快速】
志布志~大隅境 上り1本
志布志~垂水 下り2本・上り1本
志布志~垂水 下り2本・上り1本
志布志~古江 1往復
志布志~鹿屋 下り2本・上り4本【内 快速1往復】
垂水~国分 下り1本
垂水~国分 下り1本
大隅境~国分 上り1本
廃止となって撮れなくなってからいつも思う事
「もうちょっと工夫して撮ってれば・・」
「逆光処理の知識があれば・・」って悔いる思い
:
でも足跡を残せただけでも
幸運だったのだろうね
上山田線 かみやまだせん
福岡県飯塚市の飯塚駅から、田川郡川崎町の豊前川崎駅までを結んでいたJR九州の鉄道路線である。 1980年の国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の1988年9月1日に廃止された。
元々は筑豊本線として敷設され、山田(現在は嘉麻市)・飯塚などの市街地を通っていた飯塚~上山田と、運炭路線計画として挙げられていた『油須原線』構想によって敷設されたが、開通した時には既に石炭産業は斜陽化しており、まったくもって石炭輸送の経歴のない上山田~豊前川崎と大いに性質の異なる区間が存在していた。
その為、差して長くない路線でありながら上山田で運転系統が分かれ、飯塚~上山田は日に13~14本の列車がありラッシュ時は列車の増結も行われたが、上山田より先は朝夕のみ4往復で同じく閑散区間の漆生線・漆生~下山田を行く列車との共通運用が成されていた
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
飯塚~豊前川崎 25.9km 688 / 2061
廃止年月日 転換処置
’88/ 9/ 1 西鉄バス
廃止時運行本数
飯塚~豊前川崎 下り2本・上り1本
飯塚~上山田 下り11本・上り13本
上山田~豊前川崎 下り2本・上り3本
人気のなかった
キハ30形を絵にしてみました
原野の中を地形に逆らわず乗り越えてくる
標津線 しべつせん
標津線(しべつせん)は、国鉄及びJR北海道が運営していた鉄道路線である。 北海道川上郡標茶町の標茶駅で釧網本線から分岐し、標津郡標津町の根室標津駅に至る本線と同郡中標津町の中標津駅で本線から分岐し、根室市の厚床駅で根室本線に接続する支線から成り立っていた。
単行列車が倒れそうな位の
急勾配&急カーブを往来していた
国鉄再建法の施行により、1985年8月に第2次特定地方交通線に指定された。 その後、JR北海道へ承継されたが、1989年4月30日に全線廃止となった。
開拓鉄道は開拓が終わると
運ぶべきモノは何もなくなった
:
でも確かにこの線路を
必要とした時代があったのだ
廃止直前の末期は標茶~根室標津が本線格で、中標津~厚床は支線格であったが、路線建設目的は別海町を含む根釧原野の開拓及び農作物の根室及び釧路港への輸送が目的で、路線建設が始まったのも厚床線と呼ばれる厚床~中標津~根室標津が先だった。
光進のアップダウンを
力行する単行気動車
その後、計根別まで開業した時に「標茶経由の方がより釧路港に近い」という事で、開拓期の真っただ中だった事もあり、早急に釧網本線の標茶より路線建設が開始され、厚床線開通の3年後に全線開業となった経緯がある。
このような空色になると
翌日は吹雪く「招かざる」空模様だが
当時のワテにはこの美しき
空色を魅れた事が嬉しかった
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
標茶~根室標津・厚床~中標津 116.9km 391 / 1366
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’89/ 4/30 阿寒バス・根室交通バス 〔西春別線〕 標茶~根室標津 6往復
標茶~中標津 下り1本
中標津~根室標津 上り1本
ワテは開拓路線の最後を見る事ができた
今はこんな状況に鉄道を走らせる事は
想像もつかない事だろうから
廃止時運行本数
〔厚床線〕 厚床~中標津 4往復
テレプラス装着の手持ちで画質は今一ですが
プレミアム性でそんな事を凌駕しています
これよりアップダウンに挑む
エンジンの唸りを上げて上下する様に
人生の機微を見てるかの様な・・
大雪の奥懐に入っていくと
白樺の原野が広がっていた
士幌線 しほろせん
北海道帯広市の根室本線・帯広から分岐し、十勝平野を北上して河東郡上士幌町の十勝三股までを結んでいた国鉄の鉄道路線である。 国鉄再建法の制定に伴い、1984年に第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化直前の1987年3月23日に全線が廃止された。
森林資源産業の最盛期には人口1500人を擁した十勝三股も、衰退し始めた林業からの相次ぐ撤退で1977年には5世帯・14人まで人口が落ち込み、糠平~十勝三股の乗客数も一日平均約6人となり、当該区間の営業係数も22,500まで上昇した(士幌線全体では1,497)。
路線往時の代行バスは
何と『白ナンバー』だった
その為、国鉄はこの不採算区間の列車運行を1978年に休止し、上士幌タクシーによるバス代行輸送へと切り替えた。 もともと利用客が少なかった為、住民による大きな混乱もなく、バス代行輸送へは短期間で移行が実現した。 しかし、その時点で前述の改正鉄道敷設法別表第141号で定められた計画は有効であったため、鉄路が上川まで延伸される場合に備え、同区間の廃止手続きをしなかったが、以後は線路、駅舎等の施設は一切放置された。
詩情あふれる白樺林と・・
:
一番決まったのがコレ
利用客が回復すれば、列車の運行を再開する建前だったので、解体撤去はされなかったが、特に保守点検もされなかった。 こうした経緯から、代行バスは列車と同等に取り扱われ、運賃計算では通常の鉄道路線として扱われた経緯がある。
コレ・・ホンモノの
幌加駅駅名標です
上士幌タクシーによるバス代行輸送は非常に特異で、乗客が少ない場合にはジャンボハイヤーや中型乗用車のタクシーがバスの代わりに運行された事もあった。それでも市販の時刻表には《バス》として掲載されていた。 その同区間を運行していた代行バスも、路線廃止後の2003年に撤退している。
なお、現在の十勝三股地区は、観光客相手の喫茶店が1軒あるのみの完全無人地帯となっている。
射した弱い日差しが
神秘のオーラを醸し出す
路線廃止後に、周囲の情景と調和されたアーチ橋群が観光客の注目を浴び、中でも額平ダム建設で水没した旧路線に架けられたタウシュベツ橋梁は、ダム渇水期のみ姿を現わし湛水期には水没して姿を隠す事から『まぼろしの橋』として注目を集めるに至った。
凍結した冬の湖面にされた堤体が得も言えぬ神秘性とオーラを放ち、「カムイミンタラのオーラ放つ橋」として帯広地区有数の観光スポットとなっているが、ダム完成後50年の間を湖面へ入り沈みを繰り返した事から橋堤体の痛みが顕著で、数年先には崩壊してしまう事が懸念されている。
カムイミンタラに架かる神渡しの橋も
厳しい自然条件に抗しきれず
亀裂崩壊の兆しを見せている
その為、「保全処置を加えて橋を守る」考えと「『神に授かりし橋』として手を加えず成すがままに」と考えが持ち上がっているが、財政的に窮乏する地元自治体はどうやら放置する考えのようだ。
乗客数は単行でも十分だったが
大雪裾野の急勾配を行く為に
2両編成が基本だった
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 廃止年月日 転換処置
帯広~十勝三股 78.3km 359 / 1743 ’87/ 3/23 十勝バス
廃止時運行本数
帯広~十勝三股 4往復《糠平~十勝三股 バス代行運転》
帯広~糠平 1往復
帯広~上士幌 下り1本
白樺の影を全面に出すなど
小僧なりに努力したけど
顔が白樺に隠れちまってるね
今年もあと30分足らずとなった。 何とか本年中にアップする為に、お祝いを2回に分けてする事にしました・・、ハイ。 でも、この人気のないブログではできて、100万アクセスのブログや、一つの記事で10以上のコメを獲得するブログでもできない事が1つある。 それは、プレミア写真である廃止ローカル線の写真の使い回しだぁ~。
それと、骨バキバキでも山で徘徊できる無敵さと、ヘリで2回救助・1回捜索されてもモノ怖じしない厚顔無恥さも、たぶんワテの『クオリティ』だろうね。 それでは、『その2』から『あけおめ記事』に続く。
結局今年の年末はどこにも行けず
四半世紀ぶりに自宅待機となる
それでシコシコ年末年始記事を
書いているのが今の状況でっす
でも午前中は15グラム身を切った痛みで
あまり記事を書く手が進まなんだ
だから今ギリギリで昨日上げるべき
このお祝い記事を書いている
記事を書くBGMは四半世紀ぶりの
紅白にしようと思ったけど
チョンの楽隊モドキが出てるのでパスして
『ガンダム・鉄血のオルフェンス』の録画を見てるよ
普通のガンダムと違って
ヤクザ社会や独立運動を描いており
最後は主役が敗れて死ぬなど
ストーリー展開が結構面白いわ
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- あけましておめでとうございます
- 良いお年を・・
- このブログがFC2に移転してから全ての季節に突入できた奇跡を祝って・・
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