2020-12-16 (Wed)✎
廃線鉄道 第42回 大分交通・宇佐参宮線 〔大分県〕
駅前商店街に掲げてある
宇佐参宮線・豊後高田駅の冬の情景
※ 『昭和の町』豊後高田市の観光案内ウェブより
大分交通・宇佐参宮線(おおいたこうつう・うささんぐうせん)は、かつて大分県豊後高田市の豊後高田駅から、国鉄・日豊本線の宇佐駅を経て宇佐神宮のある宇佐八幡駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線である。
宇佐神宮・本殿
:
この路線は宇佐神宮への
参拝の為に建設された路線であった
※ ウィキペディア画像を拝借
元々、日豊本線から宇佐神宮へのアクセス路線として建設された路線だが、大分交通の本業であるバス路線と競合する為に、1965年8月21日に廃止された。 東方面へ更に延伸し、国東線と共に国東半島一周鉄道を形成する計画もあったが、実現せず終わっている。
宇佐駅の大分寄りで
日豊本線をオーバークロスする
大分交通・宇佐参宮線
宇佐神宮のある宇佐郡宇佐町と国東半島の玄関口にあたる西国東郡高田町の国鉄宇佐駅を挟んで左右にある町を、この地の主要幹線である日豊本線の宇佐駅へと結ぶ鉄道路線として、地元有志により1911年1月に鉄道敷設申請が提出された。 翌1912年5月に鉄道免許状が下付されたものの、資金調達が捗らす延長申請が繰り返されたが、ようやく1914年3月に宇佐参宮鉄道が設立される。
多くの乗客で溢れ返っていた
豊後高田駅
※ 豊後高田・昭和ロマン館の
案内ウェブより
同年12月工事施工の認可が下りると、1916年3月に豊後高田~宇佐〜宇佐八幡間が開通した。
業績は好調で、車両・施設など増強し、真玉(旧 真玉町 現在は豊後高田市)及び拝田(宇佐神宮の先・宇佐市拝田)への路線延長を計画する。 1924年に豊後高田より中真玉村までの延長敷設免許を取得したが、地元の豊後高田町が中間駅となることに反対の声を上げ、また桂川の架橋費用の問題もあり1928年に免許失効となる。
また、宇佐八幡駅より日出生鉄道(豊州鉄道→大分交通豊州線)拝田駅までの延長敷設免許を1928年に取得すると、用地取得・工事着手と順調に進んだが、終点拝田駅の共同使用について豊州鉄道が不利になるとして難色を示した為に協議とならず、1930年に鉄道大臣へ裁定方を申請するが決着はつかなかった。
そうしている間に不況の影響で収益は悪化し、ついに1935年に計画は放棄され、西国東郡と宇佐郡を結ぶ計画は消滅した。
大分交通・宇佐参宮線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線廃止を控えた1965年3月の状況
路線距離:豊後高田~宇佐八幡間 8.8km
駅数:6 豊後高田・封戸・宇佐・橋津・宇佐高校前・宇佐八幡
軌間:1,067mm、複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(非電化)
運行本数:豊後高田~宇佐八幡間10往復半(他、宇佐八幡~宇佐に上りの区間列車が1本存在)
所要時間:豊後高田~宇佐間11分、宇佐〜宇佐八幡間12~13分
宇佐神宮への広告看板が
掲げられていた宇佐駅と
新たに導入されたディーゼルカー
〔かみばと〕号
年表
1912年(明治45年) 5月 1日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町〜西国東郡高田町)
1914年(大正 3年) 3月25日 宇佐参宮鉄道株式会社設立
1916年(大正 5年) 3月 1日 全線開業
1924年(大正13年) 6月 9日 鉄道免許状下付(西国東郡高田町~同郡中真玉村)
1928年(昭和 3年) 3月 9日 鉄道免許状下付(宇佐郡宇佐町〜同郡豊川町)
5月 4日 鉄道免許失効(西国東郡高田町~同郡中真玉村 指定ノ期限内ニ工事
施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)
1932年(昭和 7年) 2月25日 鉄道免許失効(宇佐八幡起点5492m~終点 指定ノ期限マテニ実施
設計ノ認可申請ヲ為ササルタメ)
1935年(昭和10年) 4月17日 鉄道起業廃止許可(宇佐郡宇佐町〜同郡豊川村)
1945年(昭和20年) 4月20日 交通統制により、県下の鉄道・バス会社と共に大分交通へ統合される
事となる
1965年(昭和40年) 7月16日 営業廃止許可
8月14日 営業廃止公告
8月21日 全線廃止
宇佐八幡駅構内
参拝時の多客時を想定して
1面2線の長いホームだったようだ
輸送実績
終戦前後の1945年が輸送のピークで、年間で約148万人輸送の実績がある。 廃止を控えた末期の1963年は、79.2万人に落ち込んでいた。
宇佐神宮内に静態保存されている
県の有形文化財に指定された
蒸気機関車・クラウス号
※ 宇佐神宮案内のウェブサイトより
車両
機関車は宇佐神宮に静態保存さけているクラウス製(元九州鉄道19→国鉄26)の蒸気機関車の他、大日本軌道製や雨宮製作所製Cタンク機関車を計5機所有していた。 また、戦後は蒸気機関車に代わり、D21・22という型番の L形ディーゼル機関車を2両所有していた。
蒸気機関車よりディーゼルへの
動力転換を受けて導入された
L型デーゼル機関車
旅客車輌は戦前はガソリンカーの運用であったが、戦後にディーゼルカーに置き換えとなる。
それまで保有していたガソリンカーは全て客車化されている。 ディーゼルカーは元国鉄のキハ40000形2両を譲り受け、キハ500形として運用していた。
愛称がつけられた
旅客用のディーゼルカー
2両のディーゼルカーには、キハ502〔みやばと〕・503〔かみばと〕の愛称がつけられていた。
客車は二軸客車・ボギー客車を含めて9両を保有していた。 また貨車は、有蓋貨車と無蓋貨車をそれぞれ1両ずつ保有していた。 これらの車両は、宇佐参宮線の路線廃止前後に廃車となるか、大分交通の耶馬渓線(1975年10月廃止)に転属となっている。
路線廃止後は大分交通が
本業のバス路線で代替輸送している
※ ウィキペディア画像を拝借
路線廃止後
現在は大分交通100%出資の子会社・大分北部交通バスが路線廃止後の代行輸送に当たっているが、バス道は国道213号線などほぼ国道を通り、橋津や封戸の国道より離れていた駅は代行区間扱いからは除外されている。
旧駅舎を再利用している
大分北部交通の豊後高田バスターミナル
※ ウィキペディア画像を拝借
豊後高田駅(ぶんごたかだえき)は、かつて大分県豊後高田市新町にあった大分交通・宇佐参宮線の駅である。 同線の起点駅であった。 1916年3月1日の大分交通・宇佐参宮線の全線開業に伴い、起点駅として開業した。 豊後高田市には国鉄の路線は通っておらず、同市の中心部に位置する当駅は、宇佐参宮線で国鉄日豊本線・宇佐駅に至る為の交通の中心地であった。 1965年8月21日の宇佐参宮線の全線廃止に伴い、駅廃止となった。
宇佐参宮線は当駅からさらに東に延伸し、国東線に接続して国東半島を一周する計画もあったが実現しなかった。
バスターミナルの裏にひっそりと
鉄道駅の残骸が放置されていた
※ 大分県道の旅より
宇佐参宮線の全線廃止とともに鉄道駅としての役目を終えた後は、現在に至るまで大交北部バス(旧・大分交通)のバスターミナルとして使用されている。 駅舎やホームの上屋は当駅当時のものが改修されて用いられており、旧駅舎は待合室、旧ホーム部分は乗客通路および乗り場、旧線路部分はバス通路となっている。 また、バスターミナルから伸びる商店街には、現在も駅通り商店街の名が残っている。
集落から離れた何もない
田圃の中に設置された封戸駅
※ 大分県道の旅より
封戸駅(ふべえき)は、かつて大分県宇佐郡宇佐町(現宇佐市)にあった大分交通・宇佐参宮線の駅である。 1916年3月1日の大分交通・宇佐参宮線の全線開業に伴い開業する。 1920年10月5日にいったん廃止となるが、1952年4月1日に再び開業する。 1965年8月21日の宇佐参宮線の全線廃止に伴い、駅廃止となった。
宇佐神宮を模した宇佐駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
宇佐駅(うさえき)は、大分県宇佐市大字岩崎にあるJR九州・日豊本線の駅であるが、かつて大分交通・宇佐参宮線の駅ホームも隣接していた。 この大分交通・宇佐参宮線は、1916年3月1日より1965年8月21日まで当駅を挟んで宇佐神宮と豊後高田市の間を結んでいた鉄道路線で、宇佐神宮への参拝路線として宇佐参宮鉄道が敷設した路線である。 その使用されていたSLが、宇佐神宮に保存されている。
宇佐駅に隣接していた
大分交通・宇佐参宮線の宇佐駅
手前は国鉄・日豊本線
1965年8月21日に大分交通・宇佐参宮線の全線が廃止となったが、その際に大分交通の自動車路線が、引き続き同区間で当時の国鉄と連絡運輸を行う形で駅の使用契約を継続している。
当駅と西屋敷駅の間が旧豊前国と旧豊後国の境界に当たる。 宇佐神宮の最寄り駅で、駅舎は神宮神殿を模して柱や梁を朱塗りにして、神社風となっている。
宇佐市には突出した商業地がない事から核となる中心市街地も不明確であり、当駅周辺も中心市街地には該当しない。 また、宇佐市役所からも約7km離れている。 だが、駅前は国道10号線に面する為に交通量が多い。 隣接する豊後高田市との境界に近く、『昭和の町』と呼ばれる豊後高田市街地へは車で10分ほどである。
橋津駅は駅舎のある1面1線の
まともな駅だったようだ
※ 宇佐市民図書館より
橋津駅(はしづえき)は、かつて大分県宇佐郡宇佐町(現宇佐市)にあった大分交通・宇佐参宮線の駅である。 1916年3月1日の大分交通・宇佐参宮線の全線開業に伴い開業するが、大分交通の本業であるバス路線と気を羽号する為に、1965年8月21日の宇佐参宮線が全線廃止となり、それに伴い駅廃止となった。
橋津駅跡地
:
建物の間の細い路地が
廃線跡との事
駅の位置が国道より離れている為、廃止代替バスの立ち寄り地とはならず、代行バスの停留所は設けられていない。 なお、この地の公共交通機関は、大分北部交通が宇佐市より受託しているコミュニティバスが運行されている。
宇佐高校前駅跡は
駅の形跡が全くないとの事である
※ 大分県道の旅より
宇佐高校前駅(うさこうこうまええき)は、かつて大分県宇佐郡宇佐町(現宇佐市)にあった大分交通・宇佐参宮線の駅である。 1916年3月1日に全線開業した宇佐参宮線の橋津~宇佐八幡に1958年に開業した駅である。 大分県立宇佐高等学校の最寄駅であった。 1965年8月21日の宇佐参宮線の全線廃止に伴い、駅廃止となった。
宇佐神宮の神殿を模した
豪勢な造りの宇佐八幡駅
※ 40年前の鉄道風景より
宇佐八幡駅(うさはちまんえき)は、かつて大分県宇佐郡宇佐町(現宇佐市)にあった大分交通・宇佐参宮線の駅である。 1916年3月1日の大分交通・宇佐参宮線の全線開業に伴い、同線の終着駅として開業する。
宇佐八幡駅駅名標
※ 宇佐市民図書館より
1935年頃に宇佐神宮の造営に伴い、駅舎は新築移転している。 1965年8月21日の宇佐参宮線の全線廃止に伴い、駅廃止となった。宇佐神宮の最寄り駅であり、駅舎は寺社建築を模したものであった。
宇佐神宮内で静態保存されている
宇佐参宮線26号蒸気機関車・クラウス号
※ ウィキペディア画像を拝借
宇佐八幡駅の跡地は、宇佐神宮の駐車場となっている。 また、宇佐神宮の境内には、宇佐参宮線を走っていた宇佐参宮線26号蒸気機関車(クラウス号)が保存されており、2005年3月29日には大分県の有形文化財に指定されている。
ビル・ゲイツやグーグルなど米大手IT企業の
経営者がトランプさん嫌いなのは
コイツらは雇用主と従業員の関係は
絶対服従の『全体主義』を
理想としてるからだろう
そしてウオール街の大資本家も
トランプさん嫌いの
民主党シンパが多いらしい
それは買収を生業とするコイツらに
トランプさんが靡かないからだ
と云われている
逆に米民主党の面々は
面を金で叩くと簡単に靡いたという
その一人がバイデンとその息子の
ハンター・バイデンとの事である
その資金源はもちろんシナ共産党だ
『ディープ・ステイト』の正体と
噂されるコイツらは
アメリカ・・いや白人を恨む
ユダヤ系で成金屋の帝王と
呼ばれてるヤツラとの事である
- 関連記事
スポンサーサイト