風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第416回  下北交通大畑線・大畑駅

『路線の思い出』   第416回  下北交通大畑線・大畑駅 〔青森県〕

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鉄道が在りし頃は
「本州最北端の駅・おおはた」
と掲げられていた
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
      営業区間と営業キロ         廃止年月日        転換処置
      下北~大畑 18.0km        ’01/ 4/ 1       下北交通バス
 (旧国鉄・大畑線からの経営移管線)
廃止時運行本数 
10往復

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大畑駅には国鉄型の
駅名標が残されている
※ ウィキペディア画像を拝借

大畑駅(おおはたえき)は、かつて青森県下北郡大畑町大畑庚申堂(現・むつ市大畑町庚申堂)に存在した下北交通大畑線の駅である。 大畑線の廃止に伴い、2001年4月1日に廃駅となった。

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鉄道駅としては
本州最北端の駅だった大畑駅

大畑線の終着駅であり、本州最北の駅であった。 駅舎は鉄道廃止後、同社の『大畑出張所』として使用されている。

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国鉄より経営移管後に
大畑駅構内に設営された車両保守基地
※ ウィキペディア画像を拝借

片面ホーム1面1線の駅で、その他、引き込み線と留置線がそれぞれ1線の2線と、車庫(保守基地)があった。 この車両基地は、下北交通への経営移管に伴って設営されたものである。 駅舎は、下北交通鉄道部とバス部門の大畑出張所が一緒になっていた。 なお、バス出札窓口と鉄道出札窓口は、別々に設置されていた。 その他、売店があった。

廃止後もバス部門の大畑出張所が残り、バス待合所及びバス出札窓口が使用されている。 鉄道廃止後しばらくは売店も営業を継続していたが、のちに閉店し店舗跡がそのまま残っている。 バス停は『大畑駅』と名称を変更せずそのまま使用されており、大間・佐井方面・むつバスターミナル・下北駅方面等のバスが発着している。 また、奥薬研方面のデマンドタクシーも発着している。

バス出札窓口は9時00分〜11時50分、12時30分〜16時50分の営業で、水・土曜が定休日となっている。 窓口営業時間内に限り、案内放送を行っている。 バス乗務員の出退勤点呼などの労務管理も行っているため、出張所社員(運行管理者)は毎日常駐する。

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路線廃止となった現在も
車両の動態保存に向けて
駅と車庫の設備が活用されている
※ ウィキペディア画像を拝借

ホームや構内の線路・車庫は廃止後も残されており、大畑線で使用されていたキハ85形気動車(旧 国鉄キハ22形)の動態保存に活用されている。 毎年4月から11月までの第3日曜日に、日本航空(旧 日本エアシステム)のパイロットたちで結成された鉄道愛好会「NPO法人 GEMBU:大畑線キハ85動態保存会」が、点検を兼ねてキハ85形の運転会を行っている。



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始めて訪れた当時は
移管されてまだ数年の時で
こんなヘッドマークは掲げてなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

この路線に乗車したのは国鉄がJRに経営移管された頃・・、廃止ローカル線のほぼ全てが廃止・淘汰という帰結となって、鉄道に対する情熱を失いかけていた頃だ。 だから、この大畑線も、一応廃止路線として『撮り鉄』計画を立てていたが、撮影場所を探して車窓を眺めていく内にロクな撮影場所がない事が判って、『撮り鉄』計画をポシャらせて一本早いバスで大間崎に向かう事にしたのである。

それは、廃止ローカル線を扱った鉄道写真集を見ても、大畑線は気を引く写真を載せたモノがなかったのである程度予想はしていたのだが、民家がポツポツとあるがそれだけで、これといった撮影名所が見当たらない中途半端なローカル風景を行く路線だったのだ。

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始めて訪れた時はローカル線の
廃止・淘汰によって鉄道に冷めていた頃で
駅の『本州最北端』には
あまり興味をそそられなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、前述の如く鉄道に対する情熱を失いかけていた頃だったので、この時の旅での次なる目標である滝や岬、そして景勝地めぐりに目を向けたのである。 でも、大畑駅で下りた時の状況は今でも憶えている。

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駅は入場券も買えない位に
降車客でごった返していた
なので乗車の時に使った
硬券乗車券をもらう事にしたよ

それは、廃止対象線であった事がウソのように、ワテの乗った列車が到着すると降車客で駅舎内がごった返していたという事だ。 そして、外は吹雪といかないまでも、「みちのくの春まだ遠し」を思わせるような雪模様で、列車を下りた乗客は皆して駅舎内に設置されたストーブに群がって、駅舎を去る乗客は見当たらなかった。

これらの乗客は経営移管された下北交通の本業であるバスへの乗り継ぎ客で、大畑駅より方々に運行されるバス便を待っていたのである。 ワテの乗るバスは大間・佐井行きの路線バスで、このバスは一番最後に大畑駅を出発する便だったようだ。

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駅は路線バス待ちの客で
ごった返していたが
旅人はワテ一人だった

バスの行先は大間崎周りの佐井行きだったが、バスの乗客は大畑駅から3つ4つ行った大畑町の集落前のバス停で皆下りて、この先の乗客はワテ一人となったよ。 それは「見知らぬバス路線で一人っきり」っていう、エトランゼな孤独感を感じるシチュエーションだったよ。

約1時間ちょっとの乗車で本州最北端の大間崎に着くが、この大間崎が最北端のイメージとは程遠く、港湾保安庁が管轄するような無粋な形状の灯台と、岬を示す石標柱があるだけだったのである。
それも、ドン曇りの中で寒風雪吹き付ける荒涼とした情景の中で・・。

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最果て感を全く感じない
本州最北端の岬にかなりガックリ

これにはさすがにガックリきて、「こんな事なら小吹雪の中で適当に大畑線の『撮り鉄』した方が楽しかったかなぁ」、「往復のバス代もったいなぁ~」と悔いた事を思い出す。

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鉄道に冷めていたとはいえ
こんな情景があるって知ってたら
迷わす『撮り鉄』していただろうね
※ 下北交通のウェブサイトより

こんな情景で岬で撮るようなモノもなく、佐井まで行って折り返すバスを岬のバス停でじっと待つ。
今でこそ岬前にレストハウスなどが建っているが、この当時の大間崎は観光地として確立しておらず、吹きっさらしの囲いがあるだけのバス停だった。 大間崎を外したツケは、バス待ちの1時間半吹きっさらしという過酷な目にあったよ。

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今の大間崎はレストハウスが建てられるなど
観光地として整備されてるから安心して

そして、次に大畑を訪れたのは、もう完全に鉄道から離れてヤマに目が向き始めていた『ファースト放浪旅』の時だ。 この時は北海道から『函館~大間フェリー』で大間に上陸したものの、当時はまだコンビニなどの便利なモノはなく、また大間は元より目的地である仏ヶ浦は日本国内有数の辺境の地で、食糧が調達可能な店屋一件見当たらなかったのである。

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コンビニという便利な店がない時代・・
食糧を調達する為に唯一知っている商店の
大畑駅のキオスクまで車を走らせたのが
2度目の訪問時の思い出だ
※ ウィキペディア画像を拝借

それて食糧を調達する為に、この地で唯一店屋として知っていた大畑駅のキヨスク売店まで往復60kmの無駄をしたのだった。 まぁ、この時はただ往復するだけでは無駄なので、先に尻屋崎に向かう事に計画変更したけど。

この時訪ねた夏の仏ヶ浦
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そっぽを向く孤独なモアイ像
そっぽを向くその理由は?

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ヤレヤレ親子で
大ゲンカしてたのですね

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ケンカの仲裁に入った長老達も
眉間にシワを寄せて困り果ててます
・・ナンチャッて

そして、それから四半世紀ぶりに、大畑を訪れる機会が訪れた。 この地に訪れた旅の目的は、冬の尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)と仏ヶ浦の冬景色の撮影だ。 でも、四半世紀という時を経て、この地も最果ての地からコンビニあり~の、イオンタウンあり~のと旅生活に不自由しない普段住んでる街と何ら変わらない街となっていたよ。

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コンビニ・スーパー・コインランドリー
そして鄙びた温泉旅情・・
旅は随分便利になったけど
旅に車は欠かせずに鉄道は旅に供しない
事実も明らかとなったね
※ じゃらんの掲載写真より

だから、あの時に駅まで食糧の買い出しに走った苦難も消し飛び、夜飯はイオンのパックのカツ重弁当で、その日はむつ市内のコインランドリーで洗濯し、なおかつ風呂は旅に出てこそ味わえる秘湯・下風呂温泉の共同浴場と、普段の暮らしと旅気分の両方を味わえたよ。

この時に車で立ち寄ったのが、旧下北交通・大畑線の大畑駅である。 だが、もう鉄道は20年前に廃止となって駅舎もバス営業所に変わり、掲げられた駅名標も『本州最北端の駅・大畑』から『下北交通(株)大畑出張所』とバス停留所名に変わっていたよ。

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鉄道が廃止となって20年・・
駅はバスターミナルに看板替えされてたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、駅舎の前には自社のタクシーが客待ちで張りついて、駅の雰囲気を損ねているように感じたので、写真を撮らずじまいで引き上げたよ。 でも、今思えば、撮っておけばよかったかな。

それでは、下北の旅の思い出である仏ヶ浦の冬景色にて、ほとんど路線や駅の事を語らない『路線の思い出』を締める事にしようか。

最果て感漂う冬の下北の旅
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夏とは違った
優し気な表情を見せるモアイ達

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モアイ達が優しげな表情を魅せるのは
厳しく過酷な海情景だからかなぁ

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雪が織りなす「おしろい」にも
厳しい中の優しさが見える

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冬は荒波が波涛と化して
モアイには一歩も近づけず


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この所時事の事ばかり書いてたので
違う話題おば

デジタルカメラやってる奴って
100万もするレンズに手を出す為に
コツコツ金を貯めるんだってね
ワテからしたら信じられないよ

それに1万円だろうが100万円だろうが
デジタルの場合は
レンズの価格や性能ではなく
所持しているパソコンの
解析能力次第な気がするけど・・ね

だから「100万もするのにこの写りの拙さ」って
批評は的を外してると思うんだよね

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ワテならそんな100万があれば
どんな高級レンズを使っても結果はパソコン次第
いうバカ臭い事に金をかけるなら
撮影旅やヤマ旅に出向く費用に回すけどね

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それにパソコン次第という事は
相対性理論に背く有り得ない画像を
パソコンを駆使して偽造できるって
裏返しのような気もするしィ







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