2020-11-22 (Sun)✎
『路線の思い出』 第415回 大井川鉄道井川線・閑蔵駅 〔静岡県〕
列車交換所として設置された駅だが
接阻峡温泉よりの県道が拡張されて
秘境駅ながらも線内の観光の主要駅に
《路線データ》
営業区間と営業キロ ’20年・運行本数
金谷~千頭 39.5km 金谷~千頭 9往復
金谷~家山 1往復
金谷~新金谷 5往復(SL急行の運航日は2~3往復増便)
※ 不定期で新金谷~千頭にSL急行【かわね路】号2往復の運行有
金谷~新金谷 5往復(SL急行の運航日は2~3往復増便)
※ 不定期で新金谷~千頭にSL急行【かわね路】号2往復の運行有
千頭~井川 25.5km 千頭~井川 4往復
千頭~接阻峡温泉 1往復
※ シーズンなど多客時には接阻峡温泉~井川 1往復増便
閑蔵駅駅名標と
沿線の神の使い・タヌキが見護る
関ノ沢橋梁をゆく列車のオブジェ
※ ウィキペディア画像を拝借
閑蔵駅(かんぞうえき)は、静岡県静岡市葵区井川字閑蔵にある大井川鐵道井川線の駅である。
閉塞区間を短くする為に設けられた。 相対式2面2線のホームを持つ駅で、交換可能駅である。
駅舎はなく、井川側に待合室がある。
閑蔵駅に進入する千頭行の列車
駅周辺は山間の地で、建物は少ない。 駅付近には、閑蔵と新接阻大橋の先に海久保の合わせて2集落があるものの、民家の総数は20軒程度と少ない。 近隣の民家がほとんどなく、定期乗降客もほとんどいない為に「秘境駅」と呼ばれる事もある。
だが、井川線列車を補完するべく大鉄バス・閑蔵線が開設されて、千頭~閑蔵の短絡を望む観光客の利用が増加している。 なお、閑蔵線バスの閑蔵駅前バス停留所は、駅出口より50mほど先にある県道沿いのバス転回所と茶屋のあるスペースの隅に設置されている。
当駅と尾盛駅との間に、川底からの高さが70.8mと、鉄道橋では我が国で最も高い『関ノ沢橋梁』がある。 鉄橋上では、列車は観光のため徐行運転を行っている。 かつて、朝9時51分に到着する一日の最初の列車の車掌が新聞配達を委託されており、付近の住民のための新聞が載せられ、駅の小屋に新聞を置いていたが、現在は井川線による閑蔵駅への新聞配達は打ち切られている。
この秋は紅葉の最盛期を見計らって
ここにリベンジしに行く気が満々だった
こんな紅葉の絶景の時に
狙いを定めて
※ 2年前の大白川の紅葉
本来なら、ここもこの秋にリベンジの予定だった。 それは、去年に隣の尾盛駅と共に訪れた時の紅葉が、まだピーク前で色着きが今イチだったからだ。 でも、『ビックオチャメ』をやっちゃったので、「お約束」で安静にしてないといけなくなって今年のリベンジは水泡と消えたのである。 でも、「何でもアリ」なローカル線を追っかけてた小僧の頃なら、出回ってただろうね。
だが暗雲どころか猛烈な嵐が吹き荒れ
身体がズタズタとなって敢えなく断念
まぁ、ほんのちょっと前のアラフォー(40歳台)の時でも、ペテガリで肋骨2本へし折った一ヶ月後に、富士山に登って3000mで路上ゴロ寝するケガに強い(潰されてもなかなか死なないゴキブリ)体質だからねぇ、ワテは。 足さえやられなければなぁ。 折れた肋骨の本数が、ペテガリの時の4倍だからちょっと微妙かなぁ。 それにアラフィフの仲間入りしたしィ。
まぁ、ヨタ話は置いといて、紅葉の最盛期には程遠いけれどそれなりに見れたので、予定通りに水面下からの高さが70.8mと、我が国最高の高さを誇る『関ノ沢橋梁』(高千穂鉄道が台風災害によって廃止になるまでは、同線の高千穂橋梁が105mと最も高かった)で撮る事にしようか。
高千穂線があった時は
この橋梁が水面下より
105mの高さと日本一だった
:
撮ってて良かった高千穂線
でも、ここは『撮り鉄』するなら、間違いなく車(レンタカー)で来るべきシチュエーションだよね。
それは、1日4往復(秋のみ、接阻峡温泉止りの列車が井川まで延長運転されて5往復となる)で、しかも始発列車のこの橋梁通過時刻が10:35と遅すぎる、完全なる観光路線だからである。 なので、『撮り鉄』では、必須事項の「夜討ち朝駆け」を行う必要が全くないからである。
朝の始発列車の通過時刻が10時35分と
芸備線の市岡駅の休日時刻に次ぐ
社長出勤ダイヤだ
云わば、川根本町の観光協会の勧める通り、接阻峡温泉で宿泊して、宿で朝風呂と朝飯食ってからでも十分一番列車の撮影に間に合うのである、 だがこれは、ワテの中にある「フィールドステイラー」(とどのつまり野宿野郎)の性分と、宿に泊る事でワテの『第二の肝臓』(財布の事)が痩せ細る事を許さないのである。 なので、テント一式担いで駅寝する事にしたのである。
尾盛の紅葉はまずまずだったが
この時は井川への完乗(最初に乗った時は接阻峡温泉より先が災害で不通だった)と、尾盛駅にも立ち寄って『撮り鉄』する計画を立てていたので、千頭9:13発の列車で尾盛で下りて、次の列車までの開いた1時間チョイで尾盛駅を探索する。 この時、かつて抱いていた『奇跡の体力』の夢を追って、少しだけ秘めたる峰『風イラズ』への踏み跡を辿ったよ。
尾盛にいる1時間チョット・・
現在よりタイムリープして
『奇跡の体力』在りし時の夢をみたよ
1時間チョイ尾盛で遊んで、次の井川行に乗って井川まで乗り通して、折り返しの列車で閑蔵に着くのが13時前で、この日は14時台と15時台の3本(16時台の千頭行最終列車も撮れるけれど、帰りが暗くなりかねないので見送る)は撮れる計算だ。
上記の計画通りに、井川駅折り返しの12:34の列車に乗って閑蔵に12:52に着いたが、「こんな途中駅で降りるのはワテ一人だけかな~」と思っていたのが、4両の客車の座席をほぼ埋めていた乗客の約半数が、ぞろぞろと閑蔵で下りる。 もう、トイレ棟と民家1軒のみで駅舎もない閑蔵の駅前広場は、ハイキングコースの集合場所のようにごった返していたよ。
・・で、この乗客は、添乗員らしき引率者に連なって、道路の方に向かってゾロゾロと歩いていく。
どうやら、13:00に出る千頭行のバスに乗り換えるようだ。 このバスに乗ると千頭には13:30と、このまま列車に乗っていくより1時間近くも早く千頭に着くのである。
閑蔵駅前で列車に接続するバスに乗ると
1時間近くも早く千頭につけるから
※ 大井川鉄道バスのウェブサイトより
そして、2日間乗り放題の『大井川鉄道周遊きっぷ』では千頭までのバスもフリー区間に入っているので、今乗客の大半がぞろぞろと乗り込んだこの行程が、井川線周遊の基本タイムスケジュールとなっているようだ。
・・で、閑蔵でぞろぞろと降りた乗客の全てがバスに乗り込んで立ち去ると、また静かなる秘境駅に立ち戻ったのである。 ここから、現在日本一の高さの『関ノ沢橋梁』までは、林道を歩いて40~1時間程だ。 でも、何人かの追随がいると思ったけど、誰一人としていなかったよ。
でも、この林道を歩いていくと、「それもそのハズ」である事が解ったよ。 それは林道は舗装されているものの、気象災害でアスファルトがズタズタにめくれ上がり、ガードレールの半分以上が流失・崩壊し、落石がゴロゴロと転がる「通常では通行不能」な道だったのである。
接阻峡も大して紅葉が色着かず
そして、接阻峡も思ったより紅葉の見どころはなく、それどころか林道の路辺が崩れて接阻峡に転がり落ちる危険の方が高そうな遊歩道だったのである。 当然、赤い道路コーンとゼブラバーで『通行止』が示されてたけど、簡単にかいくぐれる「通って事故っても責任持ちませんよ」という『お約束』のような『通行止』表示だったしィ。
で・・、早歩きで約40分で、あずま屋とテーブルの置かれた『関ノ沢橋梁』の展望台に着く。
このテーブルは、明日朝の朝食にいいかもしれないね。 だが、紅葉のピークには1週間ほど早く、まばらの紅葉だった。 下に掲載したこんなのを期待してたのだけれど。
この年の前年の田子倉の秋でっす
風イラズの谷も谷を染める
こんな紅葉を期待したのだけど
※ 只見川源流の谷を染める紅葉風景
こんな紅葉と撮りたかったなぁ
※ 大白川の紅葉風景
この紅葉の状況に呟いた「来年も来ればいいさ」は、冒頭で記した「拠所ない事情」によって「再来年でもいいさ」となりましたとさ。 それでは、やや紅葉は物足りないけれど、取り敢えずごろうじろ。
風イラズと関ノ沢橋梁
:
もうちょっと
紅葉に染まっていたら
山の暮れは早い
14時の列車で橋の全てが
陰る寸前だったよ
ちなみに、この展望台に『撮り鉄』が寄り付かない理由としては、崩壊した道路状況で車では行けない事の他に、林道を通して列車が見れるのがこの展望台だけで、他の区間では全く列車が見れない事もあるだろうね。
この林道はこの展望台以外は
一切の線路が隠されて
全く列車を撮れる場所がないのだよね
要するに、車で行けずに40分も歩いて、あずま屋のある展望台1ヶ所しか撮影場所がないこの『関ノ沢橋梁』は、『撮り鉄』達からは見送られたんだろうね。 まぁ、この橋でなくても、井川線には『レインボーブリッジ』など、車で行けるいい撮影地はたくさんあるしィ。
『通行止』のゼブラバーを
ムリヤリ越えなくとも
『レインボーブリッジ』など
安易に撮れる撮影場所がいっぱいあるし
そしてトドメは、この林道の接阻峡温泉側は、法面崩壊を起こして道路が陥没寸断されているのである。 まぁ、ハシゴと板で何とか陥没部分を渡れるようになっていたが、コレがないと履いていた登山靴が役立つ事(崩壊法面にへばりついてトラバースする離れ業の実行)になってたよ。 まぁ、普通の人なら引き返すか、そもそも『通行止』の表示があれば行かないだろうし・・ね。
ものの見事に法面崩壊を起こして
道路が陥して寸断されてたよ
でも、この陥没寸断された道をなぜに乗り越えたのかというと、この道路陥没現場より200m程で、接岨峡温泉の共同浴場『温泉会館』があり、接阻峡温泉街の街なみが見えていたからだ。 まぁ、温泉も入りたかったしィ。
・・で、温泉入って、夜飯用の水を汲んで、さすがにあの崩壊した林道を通って帰るのは躊躇われたので、近代化されたバス道を通って帰る事にした。 閑蔵へこの道路を通って行くと上り坂となり、また延長1kmの歩道のない道路トンネルがあり、トンネル内の照明は暗く真ん中部分がほぼ真っ暗だったりするので、1.6kmを25分かかったよ。 でも、列車の20分に匹敵する速さで歩いて閑蔵に戻り着いたよ。
ちなみに下りでは19分で、大井川鉄道のトロッコ列車に勝ったしィ。
閑蔵駅の駅前広場
:
ここでテントを張ったの・・
その夜は1℃とよく冷えたよ
この日は閑蔵の駅前広場でテント張って、中で夜飯食って寝る。 テント内は1℃と予想以上に冷え込んだし、トイレも施錠されて使えなくなってた(従って、トイレはバス停前の工事現場用の仮設トイレ)よ。
井川方の駅構内
トイレは水洗ウォシュレットだけど
列車運行時間外は施錠されて使用不可
※ ウィキペディア画像を拝借
翌日も朝(といっても、始発列車の通過時刻は10:35頃)から『関ノ沢橋梁』に出張って、あずま屋のテーブルで早めの昼飯を朝食仕様(熱いミルクティーとパン)で食って、朝の下り1本を撮ってから閑蔵に戻り、閑蔵での11:48の交換風景を撮って、12:52発の列車に乗って尾盛に再び下りて、尾盛で1本撮って15時台の列車で帰る予定だったが、ここでトラブルが発生したよ。
本来は列車交換風景を撮って
尾盛駅の再訪の予定だったが
このゴールマウスのニアサイドに
守護神として立て掛けていた
我がザックが消えて無くなっていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
『関ノ沢橋梁』に行く為に駅のゴールマウス型待合所に立て掛けていた、テント一式を含めたザックが、忘れ物(・・というより不審物)として井川駅に止め置きとなっている旨が書かれた張り紙が、ザックを立て掛けていたゴールマウスの椅子に貼りつけられていたのである。
ゴールマウスに立て掛けた守護神が消えて
尾盛再訪の予定が狂ったよ
:
もしかして全世界に災禍を見舞わせた
チョンの背乗り天皇由来の
『令和2年・Kの法則』の前兆か?
これで尾盛駅再訪は泡と消え、無駄に井川駅に立ち寄らねばならなくなったのだ。 まぁ、『大井川鉄道周遊きっぷ』があるから費用はかからないけど。 ・・で、11:48の井川行に乗って井川に行くも、着いた井川では1本前の列車で千頭に送り返したとの事で、文字通り井川へは「骨折り損のくたびれ儲け」となったのである。 まぁ、この翌年には、本当に骨をバキバキに折っちゃったけど。
・・で、その折り返しで千頭まで出て、ようやく『不審物』じゃなかった『忘れ物』のザックを回収して大阪への帰路に着く。 このトラブルで立ち寄れなかった尾盛駅は3か月後の翌年2月にも訪れたが、年が明けた今年は、日本人の真の仇敵・チョンの背乗りヒロヒトの息子で、面も行動もチョンそのままの天皇アキヒトの我がままで変わった『令和』がもたらした災害が牙を剥いたのである。
そう、このチョンの背乗り由来の『Kの法則』により、日本は元より全世界にも災いをもたらしたものである。 その2月は異常暖冬で温かく、『武漢ウイルス』が猛威を振るう要因の月となったのだ。
それは、ヒロヒトが日本を陥れる為に仕向けた『謝罪ATM国家・日本』から、タカリまくって肥え太ったシナによって、『武漢ウイルス』が全世界に撒き散らされて猛威を振るったのだ。 それに対して、末期の安倍政権の政権維持を慮る政治対応は、『武漢ウイルス』を撒き散らした主犯国のシナと対峙できず、尖閣諸島の領空侵犯のようにやられ放題になってもシナに甘々の対応をして、感染の拡大・感染者数の高止まりという更に悪い結果をもたらしたのである。
確かに、消費税増税までの安倍政権は素晴らしいモノがあったが、政権基盤維持に走ったその末期はワテとしては全く評価できないわ。 それに途中で逃げたしィ。 正直言って、あの状況で『病気逃げ』は通用しないわ。 まぁ、酷かもしれないが、倒れるまでやるか、消費税増税による経済鈍化の責任をとって、オリンピック招致の前に辞任するかすれば評価したけど・・ね。
事の根本原因から目を逸らして
小手先の政策で逃げていたら
いつまでたっても災禍は終わらない
:
下手すると『撮り鉄』さえままならぬ
パヨク支配体制になってしまうかも
それで、『武漢ウイルス』対策で迷走し、旅する事自体が「ウイルス撒き散らし犯」として非難される世の中になり観光業が潰れ、遅ればせに『Go To トラベル』やら『Go To イート』で、更に傷口に塩を塗る対応となったのである。 それは、事が発生した原因を取り除いて糺す事なく、小手先の対策に走ったからに他ならないのだ。
2年前の秋は良かったなぁ
去年はイマイチ・・
そして今年は「終わった」よ
※ 大白川にて
それに個人的にも、身内の不幸+骨バキバキの『ビックオチャメ』+喉のシコリが『残念』の判定となるなど散々だしィ。 もう、今年は諦めた。 早く来年になって欲しいよ。
この年の最大の紅葉は
アプトいちしろ駅の紅葉風景だった
:
今年(2020年)はダメなので
翌年の秋の絶景に期待!
最後は、またもや熱くなって話題とかけ離れてしまったねぇ。 でも、この事実に向き合わずに逃げているから、チョン・シナによる災禍が一向に収まらないのである。
米大統領選挙でシナが介在した
米パヨクによる選挙不正でも判るように
自由主義陣営はシナやパヨクの工作の前に
完全に後れを取っている
でもパヨクの不正に気づいて
パヨクによる不正選挙を追求し始めた
アメリカは幾分マシってモノである
でも日本は日本の領土・竹島を売り
「皇室はチョンと縁(血縁)がある」と
日本人なら口が裂けても言わない言葉を吐く
チョンの背乗りに未だに下賜づいている
この恥ずべき事が日本が延々と
チョンやシナにタカられ侮辱される
原因だと何故に気づかないのか
蔓延する『武漢ウイルス』の感染拡大防止や
経済再生の全てにおいて
事の原因を取り除かずに小手先で逃げても
効果は全くないといっていいだろう
『武漢ウイルス』の蔓延を終わらせる方法
それはウイルスを撒き散らしたシナを
邪悪な国として滅ぼす事なのである
そして日本がチョンからの
災禍を終わらせる為には
チョンを呼び込んだ原因の天皇を
チョンに追放する事なのだ
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No Subject * by 根室大喜
随分素敵なところですね@@;感動!トイレ問題が大変ですね
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
50m先のバス停に工事現場用の仮設トイレがあったので、緊急事態は回避できにましたけど、不便でしたねえ。
関ノ沢展望台より眺める秘峰・風イラズの勇姿に、かつての『奇跡の体力』があった頃の夢を馳せました。 あぁ、若いあの頃に戻りたい!
50m先のバス停に工事現場用の仮設トイレがあったので、緊急事態は回避できにましたけど、不便でしたねえ。
関ノ沢展望台より眺める秘峰・風イラズの勇姿に、かつての『奇跡の体力』があった頃の夢を馳せました。 あぁ、若いあの頃に戻りたい!
風来梨様 こんにちは * by railway99
拙い当駄ブログにいつもお越しくださり本当にありがとうございます。
撮影行、楽しく拝見させていただきました。
秋の風情満載の作品群、その時のエピソード
貴重な思い出ですね
当時一体どうやって架けたのかって思うくらい
高い100メートルの橋等貴重な写真が満載ですね
もっと早く鉄道撮影始めてたらなぁ・・・
と作品拝見するたびに思います。
ナイスです!!
撮影行、楽しく拝見させていただきました。
秋の風情満載の作品群、その時のエピソード
貴重な思い出ですね
当時一体どうやって架けたのかって思うくらい
高い100メートルの橋等貴重な写真が満載ですね
もっと早く鉄道撮影始めてたらなぁ・・・
と作品拝見するたびに思います。
ナイスです!!
Re: 風来梨様 こんにちは * by 風来梨
railway99さん、こんばんは。
高千穂橋梁は、国鉄高千穂線の頃に撮ったもので、この頃は情熱もヤル気もウデも全て今より上でしたね。 だから、いつも過去の栄光として使い回しています。
関ノ沢橋梁は、雪の降った時を狙って行こうかと。 でも、根性を失ったので、上手く撮れるかどうか・・。
高千穂橋梁は、国鉄高千穂線の頃に撮ったもので、この頃は情熱もヤル気もウデも全て今より上でしたね。 だから、いつも過去の栄光として使い回しています。
関ノ沢橋梁は、雪の降った時を狙って行こうかと。 でも、根性を失ったので、上手く撮れるかどうか・・。