風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第39回 鹿島鉄道 その2 (停車場一覧)

廃線鉄道  第39回  鹿島鉄道 その2 (停車場一覧) 〔茨城県〕

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鹿島鉄道は運輸収入の大半を担っていた
航空自衛隊・百里基地への
ジェット燃料輸送の打ち切りで
経営が成り立たなくなり終焉を迎えた
※ ウィキペディア画像を拝借

鹿島鉄道線(かしまてつどうせん)は、かつて茨城県石岡市の石岡駅と茨城県鉾田市の鉾田駅までを結んでいた、鹿島鉄道の鉄道路線である。 2007年4月1日に路線廃止となった。 なお、会社自体は、その後も不動産会社として存続している。

当路線は、関東鉄道から分離された赤字線の鉾田線を継承して、1979年4月1日に営業を開始した路線である。 茨城県内陸部と海沿い(鹿島灘)の地域を、霞ヶ浦北岸を通り横断する形で結んでいた。
地図上では、JR常磐線と鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線を結ぶように見えるが、終点の鉾田駅は大洗鹿島線の新鉾田駅とは道のりで1km以上離れており、大洗鹿島線とは接続していなかった。



今回取り上げる鹿島鉄道では、前回の《その1》の記事が長大となり、駅一覧を同時に載せると記事が間延びとなって崩壊しかねないので、記事を二つに分ける事にした。 それでは、駅一覧を記載していこう。

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現在は橋上駅化されている石岡駅
※ ウィキペディア画像を拝借

石岡駅(いしおかえき)は、茨城県石岡市国府(こくふ)一丁目にあるJR東日本・常磐線の駅であるが、2007年4月まで鹿島鉄道のホーム(5番線)が隣接し、改札内に鹿島鉄道の中間改札がある方式となっていた。

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鹿島鉄道があった頃の旧石岡駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

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石岡駅に停車中の新型気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

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石岡駅構内にあった
鹿島鉄道の車両基地・石岡機関区
※ ウィキペディア画像を拝借

鹿島鉄道線の構内には車両基地の石岡機関区も置かれ、鹿島鉄道のすべての車両が留置(朝晩の1往復のみ鉾田駅まで回送)されていた。 また、貨物・臨時列車用の4番線も存在していたが、2002年の貨物営業の廃止に伴い2005年3月に撤去された。

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石岡駅のBRT専用バスターミナルを発車する
鹿島鉄道代替バスの「かしてつバス」
※ ウィキペディア画像を拝借

鹿島鉄道のホームと施設は、2007年4月の路線廃止後すぐにホームの一部を残して解体され、跡地は駐車場・更地となっていたが、代替バスの「かしてつバス」のBRT(バス高速輸送システム)化に伴い、BRT専用バスターミナルが整備され、2016年9月1日より使用開始となった。 現在、このBRT専用バスターミナルでは南台循環・小川・玉造・鉾田・茨城空港方面のバスが発着している。



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らせん状となった跨線橋が
駅舎と対向ホームをつなぐ
タワー塔のような駅だった石岡南台駅
※ ウィキペディア画像を拝借

石岡南台駅(いしおかみなみだいえき)は、かつて茨城県石岡市南台2丁目1番103にあった鹿島鉄線の駅である。 2007年4月1日に鹿島鉄道線の廃線にともない駅廃止となった後に、鹿島鉄道の代替バスである『関鉄グリーンバス』の〔かしてつバス〕の石岡南台駅停留所として、2010年に再開設された。

住宅都市整備公団(当時)による南台ニュータウンの開発に併せて、1989年6月に開設された駅で、相対式ホーム2面2線を有する駅で無人駅だった。

線路はほぼ東西に走り、出口は南側にあった。 北側の線路が直線となる一線スルーの構造で、北側の線路に鉾田方面、南側の線路に石岡方面の列車が発着していた。 また、ホームの長さは45メートル(2両分の有効長)であり、鹿島鉄道の駅では最もホームの長さが短かった。

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タワー塔のような駅舎より先は
対向ホームへの跨線橋だった
※ ウィキペディア画像を拝借

南側のホームに面して開放的な待合所が設置されており、この脇から北側のホームへの跨線橋が出ていた。 跨線橋は螺旋階段で待合所の上部に至り、そこから線路を渡っていた。 その他、南側のホームの螺旋階段の下と北側のホームの東田中方に、それぞれ一棟ずつ小さな待合所が設置されていた。

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路線廃止後に道床を残して
線路が全て撤去された石岡南台駅
※ ウィキペディア画像を拝借

路線廃止後は、石岡駅から隣駅の東田中駅へ至る中途まで、道床を残して線路の大部分が撤去されており、当駅構内も同様にレールや枕木は残っていなかった。 

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バス専用道路開通直後の旧石岡南台駅
※ ウィキペディア画像を拝借

また、駅名標・時刻表・自動販売機等の設備は撤去され、跨線橋も封鎖されていたが、駅舎や南台2丁目自治会が創立10周年記念で贈った時計は、そのまま残されている。 2010年8月30日の〔かしてつバス〕専用道開通に伴い、同位置にバス停留所が開業した。



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庇付きの待合所のみだった東田中駅
※ ウィキペディア画像を拝借

東田中駅(ひがしたなかえき)は、かつて茨城県石岡市東光台三丁目7番16号にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃止に伴って廃駅となった。 

単式ホーム1面1線を有する駅で、線路はほぼ東西に走りホームはその北側に設けられていた。
無人駅で駅舎はないが、ホーム上には入口と一体化した簡易な屋根付きの待合所があった。
改札の柵も設置され、通学時は改札が行われる事があった。

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駅の周辺に運動公園や高校があり
学生の乗降が多かった東田中駅
※ ウィキペディア画像を拝借

石岡市郊外の住宅街に位置し、駅の南側に石岡市石岡運動公園が隣接。駅の北西200メートル足らずの国道355号手前に茨城県立石岡商業高等学校があり、当駅も高校生に利用された。 国道355号線沿いにはロードサイド型店舗が立地する。

駅ホーム等の鉄道軌道施設は全て撤去され、BRT(バス高速輸送システム)化に伴うバス専用道化工事が施行され、2010年8月30日に〔かしてつバス〕専用道が開通した。 それに伴って駅跡地は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。



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列車交換はできたが
駅舎はなく待合室があるだけだった玉里駅
※ ウィキペディア画像を拝借

玉里駅(たまりえき)は、かつて茨城県小美玉市栗又四ケ2460番地3にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴い廃駅となった。 現在は、関鉄グリーンバス(かしてつバス)のバス停留所となっている。 当駅は、旧玉里村の外れに位置していた。 

相対式ホーム2面2線を有する駅で、線路はほぼ東西に走り、ホームがその南北に設置されていた。
ホームは北側が1番線・南側が2番線と割り振られ、1番線側が直線となる一線スルーの構造を持っていた。 早朝や夜間など、石岡駅から当駅までの区間列車が設定されていた。 その場合の折り返し列車は、当初はホームの入れ替えを行っていたが、末期はホームを変えずに発車していた。

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玉里駅を発車する朝の増結列車
※ ウィキペディア画像を拝借

無人駅で駅舎はないが、二つのホームの中ほどには、ともにログハウス風の待合所が設置されていた。
当駅では、車両交換や車掌の乗り換えが行われていた。

二つのホームの新高浜方の端にそれぞれ階段があり、この階段を下りた所で二つのホームが構内踏切で結ばれていた。 北側に出る出口が構内踏切から直接出ており、国道に向かって案内板が出ていた。
南側に出る出口が2番線にある待合所の新高浜よりにあるが、こちらには特別な表示は出ていなかった。

当駅と東田中駅との間に市境が走っており、石岡方面から見るとこの駅からが小美玉市域となった。
駅は北を走る国道355号に接して設けられており、付近にはコンビニエンスストアなどがある。
なお、駅前にクリーニング店「Mix Mini」があり、2004年までは乗車券をここで買う事ができた。



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庇の中に長イスを備えただけの
棒線無人駅だった新高浜駅
※ ウィキペディア画像を拝借

新高浜駅(しんたかはまえき)は、かつて茨城県小美玉市栗又四ケ2400番地4にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 現在は、関鉄グリーンバス〔かしてつバス〕のバス停留所となっている。

単式ホーム1面1線のみを有する駅で、ほぼ東西に走る線路の北側にホームを添えた形となっていた。
ホームの中ほどに長イスをそなえた簡単な上屋が設けられており、この上屋の玉里方に北側への出口があった。 元来より無人駅であるが、出口にはラッチが設置され、夕方などの混雑時には集札が行われる事もあった。

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ホームに進入する単行気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

駅を出ると小さな広場があった。 駅の北を鹿島鉄道に並行する形で国道355号が東西に走り、広場を出ると国道355号の『新高浜駅入口』交差点に至る。 国道を挟んだ駅前には玉里B&G海洋センターがあり、北へ進むと100mほどのところに小美玉市玉里運動公園が、300mほどのところに野村田池がある。
また、駅南側には玉里工業団地が広がる。

駅名こそ『新高浜』であるが、JR常磐線の高浜駅とは数キロ離れていて乗り換え等の互換性はなく、互いを結ぶ路線バスもなかった。 また、新高浜駅は小美玉市、高浜駅は石岡市と、別々の行政体に属する。



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ホーム上に設置された
ゴールマウス型の待合所
※ ウィキペディア画像を拝借

四箇村駅(しかむらえき)は、かつて茨城県小美玉市栗又四ケ(くりまたしか)1517番地2にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴い廃駅となった。 現在は、関鉄グリーンバス〔かしてつバス〕のバス停留所となっている。

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駅名標は駅設置時に名乗っていた
『四ヶ村』表記だった
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。 ホームは線路の北側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が設置されていた。 なお、駅名標の表記は『四ヶ村』となっていた。



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線内最大の中間駅で列車運行の
境界駅となっていた常陸小川駅
※ ウィキペディア画像を拝借

常陸小川駅(ひたちおがわえき)は、かつて茨城県小美玉市田木谷93番地2にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴い廃駅となった。 2001年に業務委託駅となり、その状態で廃止を迎えた。

当駅は旧新治郡玉里村に位置していたが、旧東茨城郡小川町の中心市街地の最寄り駅であった為、この駅名となった。 駅前広場正面の道が旧小川町の中心市街地に通じ、駅周辺に小川市街地内の商店を記した図もあるなど、旧東茨城郡小川町の最寄り駅の雰囲気があった。 鉄道駅だった当時は、駅前広場に面してアパートが建ち、駅裏には田園地帯が広がっていた。

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2面3線のホームを持つ
路線の中心駅だった
常陸小川駅の駅構内
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホームと島式ホームの2面3線を有する駅で、ホームとホームの間には構内踏切が設置されていた。 交換可能駅で留置線を有し、また、貨物用ホームも末期まで残存していた。 駅舎は単式ホームのあった北東側に位置し、トイレは改札内外の双方から入れるようになっていた。

路線廃止を控えた末期の列車運行本数は、石岡駅からこの駅までの区間運行もあり、当駅を境に石岡方面は毎時1~3本(日中は概ね2本程度)、鉾田方面は1~2本(日中は概ね1本程度)となっていた。

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当駅構内で静態保存されていた
DD90形ディーゼル機関車
珍しいロッド式(SLと同じ伝達方式)だった
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構内にはDD901形ディーゼル機関車が静態保存されていた。 路線の廃止を控えて他の場所への移転保存が持ち上がったが、車輪部分がかなり腐食しており移転不可能と判明された為に、2007年2月27日に現地で解体された。

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駅舎は廃止後早々に解体され
現在は代替バス〔かしてつバス〕の
バスターミナルとなっている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅舎は路線廃止後すぐの2007年5月に解体され、敷地は更地になった。 駅前は現在も代替バス〔かしてつバス〕のターミナルとして機能している他、茨城空港への路線バスが運行されている。 2014年7月1日に新たなバスターミナルとしてリニューアルされ、トイレや駐輪場などが整備された。



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田圃に囲まれた中にポツンとあった
停留所然の小川高校下駅

小川高校下駅(おがわこうこうしたえき)は、かつて茨城県小美玉市小川189番地にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 当駅は、旧小川町における唯一の鉄道駅であった(常陸小川駅は旧玉里村に位置していた)。

単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームと庇のみの待合所があるだけの停留所規格の駅だった。
線路はほぼ北西から南東に走り、線路の北東側にホームが設置されていた。 無人駅で駅舎は設けられておらず、ホームの桃浦方の端から降りている階段から直接駅に出入りしていた。 ホーム上には上屋と長いすが設けられており、階段を下りた所に小さな自転車置き場があった。 石岡南台駅に次いで新しい駅であった。 当駅の開業と同時に、玉里信号場が玉里駅に昇格している。

常陸小川駅(現:小川駅バス停)、玉造町駅(現:玉造駅バス停)、鉾田駅など、ほとんどの駅は駅舎・ホーム共に取り壊されているが、当駅は現在もホームがそのまま残されている。 存続運動の中核を担った小川高校の生徒により描かれた、駅壁面イラストもそのまま残されている。

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存続運動のサポーターだった
小川高校の生徒がホーム壁面に描いた
『鹿島鉄道応援イラスト』が
駅跡施設と共に撤去されずに残されている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅周辺には田園地帯が広がる。 駅の北側を路線跡にほぼ並行する形で国道355号が通り、当駅から国道へは田んぼに囲まれた細い道を通って出ていた。

名前のとおり茨城県立小川高等学校の下手にある駅で、小川高校は駅の北東、直線距離で500メートルほどの場所に位置していたが2013年3月31日閉校している。 また、廃線後に当駅付近にある小川南病院の院長が、鹿島鉄道キハ432形気動車を買い取って保存している。 その保存車両は、当駅側から望む事ができる。



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かつてはこの駅舎で
有人駅だったそうである
駅舎が半分化されて
駅務室部分が取っ払われたとか?
※ ウィキペディア画像を拝借

桃浦駅(ももうらえき)は、かつて茨城県行方市羽生56番地1にあった鹿島鉄道線の駅である。
2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 島式ホーム1面2線を有する駅で、列車交換が可能な駅だった。 駅舎は線路の北東側に設置されており、駅舎からホームへの移動には、構内踏切を利用していた。 かつては駅員がいたが、末期は無人駅であった。

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駅半分化されたと思ったけど
駅の裏側の写真を見ると
駅員の詰所があったみたい
※ ウィキペディア画像を拝借

駅は霞ヶ浦にほど近く、徒歩で霞ヶ浦の畔まで出る事ができた。 かつては桃浦水泳場があって、観光客で賑わっていた。



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駅のすぐ近くに平行していた
国道355号線は駅の切通しに隠されて
秘境駅の雰囲気を醸し出していた
※ ウィキペディア画像を拝借

八木蒔駅(やきまきえき)は、茨城県行方市八木蒔504番地4にあった鹿島鉄道線の駅である。
2007年4月1日に、鹿島鉄道の営業廃止に伴って廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。 ホームは線路の北東側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が置かれていた。

この辺りの鹿島鉄道線は霞ヶ浦に沿って敷設されていたので、桃浦駅同様に徒歩で霞ケ浦の湖畔に出る事ができた。



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霞ヶ浦に最も近くかつては
霞ヶ浦を下って鹿島神宮に至る
自社航路の船着き場の最寄駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借

浜駅(はまえき)は、かつて茨城県行方市浜272番地にあった鹿島鉄道線の駅である。
2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 路線廃止を控えた末期は、単式ホーム1面1線の停留所規格の駅であったが、それ以前は島式ホーム1面2線を有する列車交換可能駅であった。

ホームは線路の東側(霞ヶ浦とは反対側)に設置されており、ホーム上に待合室が設置されていた。 1963年に無人駅となった。 ホーム上にある待合室内には、運賃表・時刻表等の他、駅至近に群落があるアサザの写真などが展示されていた。 この待合室は廃止後、行方市にある『道の駅・たまつくり』に移設されている。

当駅は湖岸に最も近くに位置し、踏切を渡った側に霞ヶ浦が広がっていた。 湖岸付近にはハス田がある。 まとまった集落からは外れており、駅名となった浜集落へは当駅から南へ700mの所にある。
かつては、鹿島神宮へ向かう自社定期船の発着港に隣接し、その乗継ぎ客など乗降客が多かった。

駅舎はないが駅前広場があり、駅を背にして少し進んだところに国道355号がある。 その道を右へ進んだところに鹿島鉄道線撮影の名所である跨線橋がある。 駅前には商店やトイレ等の施設は全くなく、民家が数軒あるのみである。 ただし跨線橋を渡った所にに小さなイタリア料理店があり、当駅付近で唯一の店となっている。



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かつての玉造町中心駅として
平屋建ての大きな駅舎とバスが転回できる
大きなロータリーを備えていた
※ ウィキペディア画像を拝借

玉造町駅(たまつくりまちえき)は、かつて茨城県行方市玉造甲94番地3にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 1996年に業務委託駅となり、その状態で廃止を迎えた。 路線廃止を控えた末期は平日のみ係員が配置され、駅舎内の出札窓口で切符の販売等が行われていた。

島式ホーム1面2線に加え、南側に側線1本を有する駅で、駅舎は線路の南側に置かれ、ホームとの間を構内踏切(遮断機・警報機あり)が結んでいた。 路線廃止時まて側線の南側に接して貨物用のホームが残存し、その上に倉庫と消防団の建物が建てられている。 なお、ホーム上には、待合所が設置されていた。

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玉造町駅での列車交換風景
※ ウィキペディア画像を拝借

駅舎の横に置かれた男女共用の汲み取り式便所は改札内外の双方から入る事のできる構造であり、個室には大きな穴の和式便器が置かれていた。 また、駅前広場にも男女別の水洗式便所が設置され、バリアフリートイレも完成した。

路線廃止後は程なく駅舎及びホームは取り壊されたが、前述のバリアフリートイレは現在もある。
また駅跡は、現在は関鉄グリーンバスが運行する石岡市・鉾田市の各方面への鹿島鉄道代替バス〔かしてつバス〕が駅前広場を経由し、石岡方面を結ぶ当バス停始発着便もある。 このように規模は小さいものの、実質バスターミナルの役割を果たしている。 バス停の名前は、旧駅名から『町』を外した『玉造駅』停留所である。



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かつては路線収入の大半を占めた
百里基地へのジェット燃料
輸送の基点駅だった

榎本駅(えのきもとえき)は、かつて茨城県行方市芹沢1764番地にあった鹿島鉄道線の駅である。
2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 島式ホーム1面2線を有する駅で、路線廃止を控えた末期は無人駅であった。 かつては有人駅であり、航空ジェット燃料輸送が行われていた時代の末期は、貨物列車の運転日のみ駅員が派遣されて、出札業務などの駅務業務が行われていた。

駅舎は北西側に位置し、桃浦駅と同じタイプである。 駅舎からホームへの移動は、構内踏切を利用した。 また、保線用のバラストを、ダンプトラックカーからホッパ車に積載する為の荷役台(スロープ)もあった。

h39-em (2)
航空自衛隊・百里基地への
燃料輸送の基点駅として
構内は広く留置線も有していた
※ ウィキペディア画像を拝借

当駅が、かつて航空自衛隊・百里基地への燃料輸送基地であった為に、構内は広く留置線も有していた。 この駅から基地へパイプラインが敷設されて、自衛隊への燃料輸送に利用されていたが、パイプラインの老朽化により2001年8月に廃止された、 この基地への燃料輸送を失った事が、鹿島鉄道を路線廃止に追い込む主要因となった。



h39-ky (1)
ゴルフのカントリークラブがあるだけで
付近にめぼしい集落も車道がなく
代替バスも立ち寄らない駅となった
※ ウィキペディア画像を拝借

借宿前駅(かりやどまええき)は、かつて茨城県鉾田市半原224番地31にあった鹿島鉄道線の駅である。 2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。 ホームは線路の北東側に設置されており、ホーム上には簡易な待合室が置かれていた。

h39-ky (2)
駅名標と漢数字の時刻表と
ゴールマウス型の待合所があるだけの
線内きっての秘境駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借

鹿島鉄道線で唯一、廃止後に代替バスが補完しない駅となった。 最も近い〔かしてつバス〕の『上山南』停留所からも、直線距離で約1.5km離れている。



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駅としてよりも信号所としての
機能が大きかった駅のようだ
※ ウィキペディア画像を拝借

巴川駅(ともえがわえき)は、茨城県鉾田市借宿368番地3にあった鹿島鉄道線の駅である。 
2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴って廃駅となった。 島式ホーム1面2線を有する駅で、列車交換は可能だったが無人駅であった。 出口はホームの北側に位置し、ホームから出口への移動には構内踏切を利用していた。 駅舎はなく、ホーム上に待合室が設置されているのみだった。

出口側に数軒の住宅からなる集落があり、線路を挟んだ反対側はのどかな田園風景が広がっていた。



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終着・鉾田の1駅手前だというのに
秘境駅感が漂っていた
※ ウィキペディア画像を拝借

坂戸駅(さかどえき)は、茨城県鉾田市当間2295番地6にあった鹿島鉄道線の駅である。 
2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線にともない廃駅となった。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅であった。 ホームは線路の北側に設置されており、ホーム上に丸太小屋風の待合室が設置されていた。



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瓦屋根に不思議な三角の
王冠型オブジェが取り付けられて
『関東の駅百選』にも指定されていた鉾田駅
駅保存の試みはなされたが
老朽化で保存が無理と判断されて
惜しくも撤去された
※ ウィキペディア画像を拝借

鉾田駅(ほこたえき)は、かつて茨城県鉾田市鉾田2457番地2にあった鹿島鉄道線の駅である。
2000年に『関東の駅百選』に選定されたが、2007年4月1日に、鹿島鉄道線の廃線に伴い廃駅となった。 駅舎は撤去されて、ホーム跡だけが残っている。

h39-hk (4)
鉾田駅に隣接する関鉄グリーンバスの
鉾田営業所車庫に駐車している
水戸行の路線バスと鹿島鉄道の気動車
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構内のバスターミナルは、鉄道廃止後も関鉄グリーンバスのターミナルとして引き続き使用されており、停留所名は鉄道が通っていた時代より現在まで『鉾田駅』を名乗っている。 また、関鉄グリーンバス鉾田営業所と、バスターミナル敷地は連続している。

駅構造は1つの線路を2つのホームで挟む突端式の2面1線構造で、降車用と乗車用にホームが使い分けられていた。 また、特徴的な三角形のオブジェが飾られた屋根を持つ駅舎は構内北側に位置しており、駅舎からホームへの移動は構内踏切(ホームと車止めの間にあったので、列車が通る事はなかった)を通る構造になっていた。 駅舎内には、鹿島鉄道直営の立ち食い蕎麦屋とたい焼き屋がテナントとして入っていた。 路線廃止を控えた末期は、業務委託駅であった。

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鉄道往時の鉾田駅構内
突端式の2面1線構造で乗車用と降車用に
ホームが使い分けられていた
※ ウィキペディア画像を拝借

当駅の駅舎は『関東の駅100選』に選定された事もあり、そのまま保存する案もあったが、保存に向けた調査の結果で老朽化が著しかった事が判明して解体された。 2008年2月1日から『鉾田駅保存会』が関東鉄道から駅跡地の一部を借用して、保存会が自費購入した2車両を動態保存し、1か月に1回程度、車内を公開したり、エンジンを稼動させるなどのイベントを行っていた。

同会は旧駅舎の復元や跡地の鉄道公園化を目指していたが、跡地の借用期限が迫った為に公園化計画は頓挫せざるを得なかった。 2車両はその後の2009年12月に、当駅の近くにある鉾田市市営温泉施設『ほっとパーク鉾田』の敷地内に移設された。 車両は市に寄付されたが、保存活動は引き続き保存会が行っている。 また、たい焼き屋はバスターミナル内の建物に移転し、廃線後も継続営業していたが、2011年8月に閉店し現在は店の建物自体が撤去されている。

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東日本大震災により破損した旧駅ホーム
※ ウィキペディア画像を拝借

2011年3月11日に発生した東日本大震災により、残っていた駅のホームが破損した。 付近では液状化現象が見られたという。 その後は修復等の措置はなされず、現在もホームは半壊状態のまま放置されている。

当駅は、旧鉾田町の中心市街地の西端に位置していた。 銀行の支店や旅館、また変わった所では祭り用品店などが徒歩圏内にあった。 鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線の新鉾田駅は、鉾田の市街地を挟んだ東側に位置し、当駅から道のりで約1.4kmある。 鉄道在時は一時期に両駅を結ぶ路線バスが運行されたのみで、ほとんど両駅の連絡は考慮されていなかったが、2012年10月1日より新鉾田駅~茨城空港を結ぶ路線バスが運行され、このバスは鉾田駅のバスターミナルも経由するので移動が楽になった。


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