風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第411回  角館線(現 秋田内陸縦貫鉄道)・羽後長戸呂駅

『路線の思い出』   第411回  角館線(現 秋田内陸縦貫鉄道)・羽後長戸呂駅 〔秋田県〕

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斜陽を浴びる
黄昏の羽後長戸呂駅

《路線データ》
角館線
      営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’83)
      角館~松葉 19.2km              183    /   1035      
 
       移管年月日        転換処置         移管時運行本数
        ’86/11/ 1          秋田内陸縦貫鉄道         3往復

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僅か3往復しか停車しなかったこの駅も
秋田内陸線に転換されてから
上下6本づつ停車するようになった

 秋田内陸縦貫鉄道
営業区間と営業キロ
  鷹ノ巣~角館 94.2km  鷹ノ巣~比立内は旧国鉄・阿仁合線、松葉~角館は旧国鉄・角館線
                からの第三セクター移管線 比立内~松葉は移管後の開業線
        
運行本数(’20)
      鷹ノ巣~角館   下り4本(内 1本急行、1本快速)・上り7本(内 1本急行、2本快速)
      鷹ノ巣~阿仁合  下り4本・上り2本
      阿仁合~角館   下り5本(内 1本急行、1本快速)・上り3本(内 1本 快速)
      鷹ノ巣~比立内  下り2本・上り1本

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秋田内陸縦貫鉄道転換後の
羽後長戸呂駅と駅名標
※ 秋田内陸縦貫鉄道のウェブサイトより

羽後長戸呂駅(うごながとろえき)は秋田県仙北市西木町桧木内字長戸呂にある秋田内陸縦貫鉄道・秋田内陸線の駅である。 単式ホーム1面1線を有する駅で、無人駅で駅舎はないが待合所が設置されている。 2017年度の1日平均乗降人員は、12人との事である。

国鉄・角館線が松葉まで開業した1970年11月に設置された駅で、歴史は浅い。 その後の1986年11月1日に、第三セクター運営の秋田内陸縦貫鉄道に経営移管されて現在に至る。 国鉄時代は運行列車が僅か3往復で、朝の1往復と夕方2往復以外に列車はなかったが、経営移管されて秋田内陸線となってからは、当駅には1日上下6本づつ停車している。



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国鉄時代の角館線を訪ねた旅は
「3往復の思い出」の旅だった
白糠線『3往復』の2番列車

この駅のメインの思い出は、やはり第三セクターへの経営移管前の旧国鉄・角館線での「3往復の思い出」である。 この角館線を訪れた時は、北海道の白糠線の廃止日が迫っていた1983年10月で、この白糠線を惜別撮影旅行した帰りに「同じ3往復路線」として立ち寄ったのである。

でも、当時は車も持たない高校生で、しかも学校サボってド平日にやってきたのである。 それで、『乗り鉄&撮り鉄』を僅か3往復でこなすとするなら、それはもう厳しい「ミッション」が課せられるのである。
その厳しい「ミッション」とは、1日3往復しかない路線にその路線をゆく列車に乗って『乗り鉄&撮り鉄』という離れ業をするとしたなら、当然撮影地と決めた場所まで乗ってきた列車は撮影不能になる訳である。

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『3往復』路線を攻略するとしたなら
始発の上下1往復を撮る事が必須事項となる

となると、3往復の内の貴重な「明るい内に走っている列車を撮る事が不能」となって、降りたら2番列車の往復が行き交う夕方まで何もする事なく、無人荒野に放り出される訳である。 それを防ぎ、朝日に照らされて最も撮影条件のいい朝の1往復をゲットする手立てと言えば、前日に撮影地最寄りとなる駅で駅寝して、翌朝の1往復を上下ともせしめる(撮る)以外にないのである。

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駅寝に適した駅舎がある分だけ
『3往復対決』は白糠線に軍配!

・・で、白糠線は、唯一駅舎があった上茶路駅で駅寝して、朝の1往復を撮って、幸運な事に2番列車までの7時間に及ぶ待ち時間を、優しい地元のおばあさんの好意で暖かいごはんと昼寝という楽園生活で過ごし、最終列車のまでの4時間の空白時間は上茶路まで再び8kmを歩く事でやりすごしたのである。

それは上述で書いた手法の通り、初日は『アプローチ』&『乗り鉄』、2日目は白糠線の朝の1往復を撮る『撮り鉄』と、2日間の日程をかけたのである。

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角館線の全ての駅が
駅寝に不利な
カプセル型の待合所のみの駅だった

そして、次の『3往復路線』である角館線は、全線に渡って駅舎のある駅がなく、全て待合室であった。 駅寝を視点に考えると、この待合室オンリーはかなり不利なのである。 なぜなら、この駅でもあったように、寝転がる事ができずに駅寝に著しく不利な「プラッスチック椅子」の可能性が高いからである。
また、先にリンクした駅のように、待合所が締め切り不能である可能性もあるからだ。

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でもこれなら
「駅ナカテント」で駅寝可能だね

また、如何に学校をサボってきたとはいえ、角館線でも日数を費やしてサボリ日数を増やすのはどうかという『ビビリ心』が出てしまって(こういう所が、まだ『ロクデナシ道』免許皆伝に非ず)、朝の1往復は終点の松葉で『駅撮り』としたのである。

そういう訳で前夜は、角館線の始発列車に接続する朝5時前に発車する田沢湖線列車に乗るべく、大曲の待合室で寝たよ。 でも、大曲駅の待合室を追い出されなくて良かったよ。 今なら確実に、午前0時で待合室が閉鎖となって追い出されるだろうけど。

・・で、駅の営業時間中に暖房がついていたその暖気で暖かかった大曲駅待合室で仮眠して、朝5時前と異様に早い田沢湖線の始発列車に乗り込む。 何故に田沢湖線の始発がこんなに早いかというと、一つはこの列車が盛岡近郊区間で朝7時台のラッシュ時対応列車であったのと、最後尾の車両が角館で切り離されて角館線運用に就く、『角館線車両の回送』運用だったのである。

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大曲始発の田沢湖線列車の最後尾車両が
切り離されて角館線の運用に入る

角館に着くと、列車に乗って眠りこけたワテを「角館線に乗りにきた小僧だな」と見切った車掌さんが起こしてくれて、眠気まなこで角館のホームに立つ。 すると、この列車の運用通りに3両の内の最後尾1両が切り離され、到着ホームの2番線から3番線に転線して車両ボディ横の『行先サボ』を『角館⇔松葉』に差し替えて、角館線の列車に仕立てられたよ。

列車はワテ一人を乗せたまま松葉へ。 松葉では、ホームに溢れんばかりの同世代(高校生)が列車待ちでタムロっていたよ。 その数は百人近く。 松葉に着くと下車するワテと交代でタムロっていたジェネレーションズが殺到するが如く列車に乗り込む。

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遅刻しかけの野郎も無事!?飛び乗って
発車間際の角館線・満員列車

もう、ワテは駅ホームから出る事も敵わない。 なので、ホームから線路に飛び降りて、線路脇の農道に出て『撮り鉄』をスタンばる。 逆に、農道を掛けてきた遅刻気味のガクラン野郎が、ワテと交代で農道から線路に飛び移って、線路からホームによじ登って列車に乗り込んでいたよ。 まぁ、遅れたら後のない『1日3往復』では、こういう事は日常茶飯事なのだろうね。

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駅から数歩歩いた所で
角館線『3往復』の駅間撮りゲット!

・・で、秋の絶好の日和で、松葉駅の『駅撮り』と出発直後の列車の『駅間撮り』をゲットできたよ。
でも、角館線唯一の「かき入れ時」が済むと、夕方の2番列車まで延々8時間あまりの「何もする事のない時間」をやりすごす、『3往復路線』を『乗り鉄&撮り鉄』するべくの『必然』がやってくる。

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今の秋田内陸線の様に急行・快速を含めて
下り9本・上り10本も列車があれば
こんな時間潰しはする必要はないのだが

そして、白糠線のように幸せいっぱいの『楽園生活』もなく、しかも白糠線の縫別でさえあった『商店』も見当たらなかったのである。 なお、この時代は35年以上前で、コンビニとかは普及する以前の事なので念の為。 ・・で、いっぺんに干上がったのである。

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田沢湖への往復9kmの
トレッキングで8時間を潰す

取り敢えず、食糧は昨日の残りのパンで凌ぐとして、8時間という壮大な時間潰しの重い『ミッション』をこなさねばならない。 仕方ないので、「歩いて時間を潰す」を選択する。 それは、駅を出た国道に『田沢湖 4.5km』との表示があり、これで田沢湖まで行けば、往復9kmで、田沢湖での滞在時間を含めて4~5時間潰す事ができるだろうと踏んだのである。

・・で、それを実行して、田沢湖を往復して戻ってきたのが14時前後。 2番列車まであと2時間程の絶好の時間潰しができたよ。 でも、若いって素晴らしい。 カメラバックと荷物の軽ザック担いで9km歩くなんざ、今は到底ムリだからね。

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周囲は純朴な農村風景が広がっていた

残る後の2時間は、線路上を歩いて隣駅の羽後長戸呂に行く事にする。 線路上の高台からは、そろそろに斜陽がかった日差しで輝く稲穂など、純朴な農村風景が広がる。 角館線があと2本多い5往復だったなら、ここは絶好の撮影背景になっただろうね。 やがて、羽後長戸呂の駅に着く。 駅をひと通り見学してから、2番列車の撮影場所を探す。

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田沢湖への時間潰しが効を奏して
羽後長戸呂駅に着いたのは
2番列車の時刻の1時間前だった

駅周囲を見渡すと、駅より少し角館寄りに桧木内川を渡る鉄橋があり、ここを撮影地と決めて16時台の下り2番列車を待つ。

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思ったより陽が山に隠れるのが早く
16時ちょっと過ぎに橋を通った
2番列車は影ってしまったよ

でも、山間地ゆえに予想よりヤマに陽が隠れるのが早く、下りの2番列車が鉄橋を渡った時はもう陽が陰って、更に松葉からの折り返し列車が通った17時前はもう完全に日没の様相を呈していて、露光不足で黒潰れの掲載見合わせとなってしまったよ。 こうして、『我が青春のローカル線 国鉄・角館線編』は、終わりを迎えたのである。

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時が経ち中年になってからこの地に赴いたのは
『撮り鉄』ではなくヤマの紅葉や
秋田駒ヶ岳・男女(おなめ)岳

・・そして時が経ち、歳食って中年となったある日、拠所ない事情があって、高校来の時と同じ時期にこの辺をうろつく機会ができた。 でも、その時の目的は鉄道ではなく、秋の紅葉に彩られたヤマや滝だった。

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滝王国・秋田の名瀑を訪ねての事だった
幸兵衛ノ滝・下段の段暴

それがなぜ、秋田内陸線へと転換された旧国鉄・角館線のこの辺りをうろついたかというと、この辺りは車での宿泊場所となる『道の駅』が多くあったからである。

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今夢中になっているモノ
それはヤマが秋に魅せる絢爛絵巻の情景や

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名瀑を訪ねる旅だった
百名滝・安ノ滝(やすのたき)

でも、メインがヤマや滝になったとはいえ、移動時に近くに『鉄』の香りのする所では、適当に『撮り鉄』していたのだった。 まぁ、車での移動なので、あの頃のような壮大な時間潰しの『ミッション』などなかったけど。

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田圃の中にポツンとある
この駅への進入路は判りにくい

だけど、この羽後長戸呂という駅は、車で行くと判りにくい位置にあるね。 駅への入口をみつけるだけで、車を行ったり来たりさせてしまったよ。

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カラフルな車両って
ワテの抱くローカル線の概念から外れて
写欲が湧かないんだよね~

そして、かつての『撮り鉄』への情熱も消え失せ、本当に『適当』に、カラフルな・・見ようによってはケバい秋田内陸線の列車を撮って、粘らず早々に立ち去ったよ。

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粘りも気力もなくなった今
同じ場所で対向列車1本撮って
早々に引き上げる

何か、『撮り鉄』の手法一つ取っても、時の流れと歳を喰う毎に冷めていく粘りや、失っていく気概を感じるよ。


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まだ最終的な結果は出てないけど
米国民は世界にとって最悪の結果を・・
そして自らの祖国・アメリカを衰退させる
アホ過ぎる選択をしましたねェ

これほどメリケンがアホだとは
思いませんでした
ホントアメリカは国力・経済ともに
大きく衰退しかねないよ

我が国・日本もシナに慮る
バイデン&米民主党によって
シーレーンがシナの手に落ち
経済がズタズタになりかねないし

シナ共産党にやりたい放題を許し
世界秩序が崩壊しかねないよ
またバイデンが在韓米軍の撤退も中止を
示唆してるのでまたチョンがつけ上がるよ

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シナからの賄賂の見返りに尖閣の無法を
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