風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  日記 >  日記・ドキュメント >  やっちゃいました! その4 10/18・19

やっちゃいました! その4 10/18・19

この日は、沢のほとりに降り着いた時はもうドップリと暗くなっていたので、流れ際のゴツゴツの石が転がる場所に無理矢理テントを張る以外になかった。

「もう、時間は9時を過ぎちゃったかな?」と思って時計を見ようとすると、「時計がない・・」(汗)。 「それなら携帯を・・」と携帯を出すと、「電池がお亡くなりになってた」よ(W汗)。 時計は転んだ時に落としたみたいで、携帯の電池は「さっすが『柔らかい銀行』の携帯はクソ!」と口に出る位に、早々とお亡くなりになってたよ。 だって、出発時に100%充電だったのが、2日持たないしィ。
だがこの事で、夜明けと日没時しか時間が判らなくなったよ。

今日(17日)の『ビックオチャメ』連発で胃がヤられてしまって食欲もなく、またテント床が河原の石でゴツゴツで飯を炊く事はムリだったしィ。 なので、胃の痛みを紛らわす程度に、パンを3~4切れちぎって食う。

ゴツゴツしたテント床をザックや衣類袋で埋めて寝に入り微睡むが、今日の雪で湿気った寝袋では寒さが限界に達して深夜に起こされる。 身体がガタガタ震えて、胃に直撃するシャックリ発作が出てのたうち回りたくなる程の激痛に見舞われる。 なので、ザックで埋めて平らな所にガスを置いて暖を取る。

暖を取って震えが止まるとシャックリ発作も収まってきて、再び寝に入る。 でも、これは1時間程(時計がないので感覚的だが)しか持たず、これを3~4回繰り返して夜明けを迎える。 この事でガスを使い果たして、以降は暖を取れなくなったよ。 こうして、「連絡手段・時・暖を取る」という3つの重要アイテムを失ったワテ。 でも、不思議にそんなに悲壮感はなかったよ。 現に、夜が明けてからは2時間程寝れたしィ。

朝の眠りから覚めると、空は青空の快晴だった。 テントをたたんで、「今日は最低でも人のいる黒部渓谷との出合(内蔵助出合)、勢いで黒部ダムまで行っちゃう?」ってノリだったが、早速足元を掬われる。

昨日道をロスしたが為に、正しいルート上に戻るべく河原の石を登って行ったのだが、「登りすぎてしまった」のである。 登りは捻挫(ホントは骨折)な足でもそれなりに登れたが、下りは昨日の『イベント6発』+右足で段差があれば四つんばい以外では足がすくんで下りれなくなっていたのである。

この時は登りで40分程登り過ぎたのだが、その折り返しの下りとなると4倍以上の時間がかかってしまった(時計ないので感覚的に・・だけど)のである。 これで黒部渓谷との出合まで出る「最低の目標」は泡と消え、「取り敢えず内蔵助平の合流点」が新たな目標額となったよ。

でも、またまた足を掬われる。 次はその『目標』の内蔵助平が見つからないのである。 そう、枯れた河原状の道を行くうちに再び道をロストしてしまったのである。

でも、まだ明るかったし、天気も快晴だったので悲壮感はなかったよ。 この時は「コイツふざけすぎ!」と思われるかもしれないが、「コレって遭難案件?」とオチャラけたり、上空に飛行機が飛ぶのを見るとステッキを振り回して「ヘリ(飛行機)に救助を求めている事を知らせる」練習をしたりしてたのだから。

この河原状の道でのロストは、500メートル程の行き過ぎに留まり、引き返してようやく岩にペンキで『山↔ダム』とある分岐に出る。 普通なら「ここから程なく内蔵助平に出てこの日は終了」となるのだか、またもや『オチャメ』る天然記念物級の『オチャメゲッター』なワテ。

それは、「今度は道をロストしないように道標リボンを見つけながら行こう」と歩いて行ったのだが、本日の最終目的地である内蔵助平への分岐点を見逃して、別の登山コース(ハシゴ谷乗越ルート)にキッチリとオーバーランして登って行っちゃたのである。

なかなか内蔵助平に着かない(道を間違えているので着く訳がないけど)焦りと、身体を傷めていた為に(まぁ、肋骨8本+右足首骨折だしィ)疲れが限界にきて、シャックリ発作が再発し始めたのである。
こうなれば、引き戻すべくの下りに登りの4倍の時間がかかるのが分かっていて、今から引き戻すのは不可能だし、そろそろ陽も傾き始めたしィ・・という事で、戻って内蔵助平への分岐点を探すのを諦めてビバーク地を探す事にした。

今日のビバーク地は、シャックリ発作の出た所から300メートル程先に登った地点にワテのテントのスペース大のまっ平らな大岩があり、その上をビバーク地と決める。 横には内蔵助沢が流れていて、水の入手も楽ないいビバーク地だったよ。 今日の暑い位の好天で湿気っていた寝袋も概ね乾き、シャックリ発作さえ出なければ(此度の遭難で)最っともよく寝れるだろうね。

その夜は数回シャックリ発作に見舞われたものの、シャックリ時に衝撃を和らげる手法(ただ両手で胸を圧迫するだけだけど)を会得してよく寝れたよ。

翌19日は雨が降るかもしれないような曇天で、雨に濡れると命を含めての「ジ・エンド」なので、ここで待機する事にしたよ。 まぁ、待機のこの日はヒマ過ぎる事だし、悪あがきで「上に内蔵助平はないか?」と空身で10分ほど上に登って、戻りの下りで30分位かかって難儀したり、昨日の「遭難救助要請の練習」の実践で、タオルを頭上(テント上)でブン回したけど、肝心のヘリどころか飛行機さえも、ただの1度も上空を飛んできませんでした。(涙)

次回は、大団円の完結編でっす。 退院日と大阪に帰れる日が決まったしィ。


ブログランキング・にほんブログ村へ
この状況に遭って考えてた事・・
それは「戻ってこの遭難を
ブログ記事にする事」だったよ


不謹慎だ・・と思うかもしれないけれど
「助かる事を前提とした」前向きでないと・・
後ろ向きの悲観論となると
たぶん死んでたと思うから




関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可