2020-10-11 (Sun)✎
『日本百景』 秋 第453回 鹿島槍・秋 その2(爺ヶ岳~冷池山荘) 〔長野県・富山県〕
爺ヶ岳稜線より望む
湧き立つ雲海と鹿島槍の絶景
鹿島槍ヶ岳 かしまやりがたけ (中部山岳国立公園)
鹿島槍ヶ岳は、富山県と長野県との国境稜線をおりなす後立山連峰(飛騨山脈)の標高2,889 mの峰で、後立山連峰と共に中部山岳国立公園内に属する。 後立山連峰の中央部に位置し、名実ともに後立山の盟主という存在である。
山頂は南峰(標高2,889 m)と北峰(標高2,842 m)からなる双耳峰で、吊尾根と呼ばれるなだらかな稜線で繋がっている。 山頂部は森林限界を越える高山帯で、1922年10月12日に多くの高山植物が自生する白馬岳や五竜岳を含む周辺の西面は『白馬連山高山植物帯』の特別天然記念物に指定されている。
美しい山容の代名詞として
語り継がれる鹿島槍ヶ岳
また、旧北安曇郡にあった旧美麻村を代表する山として、鹿島槍ヶ岳の眺望が『信州ふるさと120山』の一つに選定されている。 剱岳・立山・唐松岳と並び、日本では数少ない氷河の現存する山である。
その山容は、端麗と表現される南北2つの峰とそれを結ぶ吊尾根で形成され、雲海上に現れる双耳峰を吊尾根で結ぶその姿は、どこから眺めても美しい。
鹿島槍・秋 稜線上の行程図
行程記録 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR信濃大町駅よりバス(0:40)→扇沢(0:10)→扇沢出合(3:40)→種池山荘
《2日目》 種池山荘(0:50)→爺ヶ岳・南峰(1:00)→冷池山荘(2:00)→鹿島槍ヶ岳・南峰
※ 下りは種池山荘まで往路を往復
《3日目》 種池山荘(3:30)→扇沢出合(0:10)→扇沢よりバス(0:35)→JR信濃大町駅
※ 前回の『第452回 鹿島槍・秋 その1』の続き
美しいヤマを望む山旅へ
昨日の台風崩れの低気圧は夜半過ぎには後立山領域を越えて去っていき、翌日はもう昨日の事がウソのような、文字通り「台風一過」の快晴だった。 今日は最高の山日和となりそうだ。 だが、出発は早朝という事で、周囲は昨日の夜露で霧となっていた。
昨日の台風で絶好の山日和でも
計画していた縦走を
断念せざるを得なくなったよ
でも、昨日のうちに《冷池山荘》まで行く事ができていれば、この絶好の天気の下で四半世紀ぶりの念願であった八峰キレットから五竜岳への縦走ができたんだよね~。 ちょっち、悔しいなぁ。
この状況で考える。 それは、今日の行動着の事だ。 昨日の暴風雨で濡れたTシャツなどの肌着は、乾燥室で干しても生乾きだった事を踏まえ、今日はこの肌着は「使えない」と判断して乾燥室に干したままにした。 それなら何を着ていくかというと、中シャツを肌着代わりにして、その上に防寒用にジャンバーを着て、その上に生乾きの合羽を着る事にしたのである。 つまり、Tシャツはハショった訳である。
この日の朝の霧の情景
:
もう願ってもない好天だったよ
また、ズホンとなる下のジャージは、朝の夜露で濡らして潰してしまうと明日の下山で着るモノがなくなるので、生乾きで着ても耐えれて、なおかつこれ以上の持ち下着を昨日の夜露で濡らして潰さない為にも、合羽を生乾きのまま着ていく事にした。
荷物を減らして軽くするリスクとして、こういう事が天候不順時の問題として湧き上がるのだな。
荷を軽くするなら、もっと重いモノであるカメラと交換レンズがあるけど、コレを端折れば「何しにヤマへ行くのかわからなくなるしィ」という事で。 最悪、衣類が全部濡れてしまっても、濡れた合羽を着て下る究極手法があるが、これをすると風邪ひき必至で下手すりゃ凍えて「額縁の人」にもなりかねない荒行だしィ。
秋に夏の名残り・・
ベンケイソウが満開だった
その傍らに燃えるような紅と
玄孫車となったチングルマの実・・
秋真っ只中の情景があった
今日は荷物は山荘にデポという事で、交換レンズ3本とフイルムの入ったカメラ用のDパックに500のペットボトルと財布だけという軽装で、これで鹿島槍の往復でいつものようにヘタレたタイムを叩き出すようだと、「KING of ヘタレ」がダメ押しの動かし難い事実となるなぁ。 まぁ、この次の山行では、伝説の『下り三倍満』を叩き出したけど。
朝の立ち込めた霧はすぐに晴れ
針ノ木や北アの山なみが望める
絶好の山日和となる
さて、《種池山荘》を6時に出る。 数分歩いて爺ヶ岳の登り始めに差し掛かる頃には、霧はどんどん晴れていき、カッコイイ鹿島槍の雄姿がお目見えし、ライチョウさんが朝の食事を求めてうろつき始める。
昨日暴風雨をもたらした雲の残骸が
美しい雲海の絶景となって
ワテをもてなしてくれた
でも、最近のライチョウは、100mは飛べる奴がいるようになったね。 ライチョウを狙ってみたけど、飛んで先に行かれたよ。 でも、あの動きは恐れをなして「逃げた」のではないね。
今どきのライチョウさんは
コレ位のガレなら飛んで移動しやがる
:
少しは野生を取り戻したのか?
あのドン鳥
その証拠に、カメラを取り出すワテをからかうが如く、100m先に飛んではワテがそこまでたどり着くのを待っていたり、中には100m先に飛んだのに歩いて戻ってくるヤツもいた位だから。
《種池山荘》より東へ進路を取って、ピラミタルな山容の爺ヶ岳に向かって登っていく。 ライチョウさんでさえ早足で歩ける緩やかな砂礫地を登っていくと、頂上にケルンの積まれた爺ヶ岳・南峰の分岐に登り着く。
剱は東側から見る
八ッ峰を従えた美しい姿がいいね
ここからは南峰頂上へは一投足だが、爺ヶ岳は何度も踏んでるし、鹿島槍の雄姿や立山・剱を望む情景は「えろう変わらん」という事で、分岐からのバイパス道で鹿島槍の雄姿を撮る。
立山も内蔵助カールを
望める東面がいいね
:
ちなみにこの秋に
内蔵助カールの氷河を通る
山旅を計画中
なお、はっきりした標高は示されていないが、すぐ隣の爺ヶ岳・本峰 2670メートル より南峰の方が高いとの事なので、初めてこのヤマに訪れるなら南峰は踏んでおくべきだろうね。
この絶景にカメラを向ける幸せ・・
ホンモノで撮る喜びと幸運を
ヒシヒシと感じるよ
昨日の荒れ模様の天候が残していった美しく湧き立つ雲海と剱・立山、そして双耳峰が最も優しく見える鹿島槍と雲海のコラボレーションな情景にフイルムが消費されていく。
本当に素晴らしい情景は
パソコンで偽造できるような
ニセモノ画像ではなく
100年経っても原版が残り続ける
本物(フイルム)で・・
やっぱり、本当の素晴らしい情景はニセモノのデジタル画像ではなく、本物のフイルムで撮りたいものであるし、これがワテの写真における信念である。
綿のような雲海の下には
標高差2000mに及ぶ黒部渓谷のV字谷が
また、ガスが貼れると、真下に《黒部渓谷》の深く切れ込んだV字谷が俯瞰できる事だろう。
優雅な稜線の弧を描き、“二ッ耳”の独特の山姿と相俟って素晴らしい情景を魅せる鹿島槍に、これからその高みを目指す幸福がひしひしと湧いてくる。
信濃下ろしの雲海が冷乗越を乗り越える
爺ヶ岳で撮った鹿島槍の一番星
爺ヶ岳直下に付けられたバイパス道を通り、爺ヶ岳の少し離れた北峰とのコルから、赤岩尾根ルートの分岐である『冷乗越』へと急激に下降する。 春はここで日没って真っ暗闇となったんだよね。
冷乗越の崩壊地から望む
鹿島槍の双耳峰
冷乗越で撮った
鹿島槍の一番星はコレかな
『冷乗越』のすぐ下が森林限界点のようで、これより下ると樹林帯の中の最低鞍部を踏んで、『冷乗越』から下った分だけ登り返すと、鹿島槍の山裾が盛り上がっていく“付け根”の部分に乗っかかっている《冷池山荘》に着く。
冷池の最低鞍部から望む鹿島槍は
一時的に双耳峰が目立たなくなる
それはカクネ里に延ばす南峰の支稜が
吊尾根を隠すからなのだろうね
《冷池山荘》はテント場などのロケーションが変ったようで、テント場は鹿島槍寄りに10分程上った高台に移設した(確か四半世紀前は小屋前だったような・・)ようで、テラスも手狭になっていた。
冷池山荘でひと息着いたら
鹿島槍の本峰へ登っていこう
目論見通り、生乾きだった合羽の上下はパリパリに乾くゴワゴワの「♪下ろしたてみたい~ キーピング」状態となっていたよ。 まぁ、我が合羽は20年来だし、こういった乾かし方を繰り返すから、ゴアテックスなのに防水機能を一切失なっているしィ。
振り返ると針ノ木から
裏銀座の山々が見渡せる
でも、この当時上下で2万円の合羽が、ワテの持ってる衣類で最も高価だったりするのは藪の中に。
アウトローなワテの数少ない褒められる点の一つに、「モノ持ちが異常な位にいい」って事があるなぁ。 但し、20年経ったモノの機能や性能は、ズタボロになっているけど。 まぁ、事実は、買い替える金を惜しんで、どんなに性能劣化しようが使い続けるコスさの裏返しなのだけれど。
次回に乞う御期待!
秋色無満開の鹿島槍稜線と
雲海光る剱・立山
これも秋色が感じ取れて
いい感じの「2番星」かな
それでは、美しい容姿のヤマを極める次回の記事に乞う、御期待・・←いつもより、ちょっと期待が持てるかも・・
※ 掲載写真の枚数の関係上、この続きは次回の『第454回 鹿島槍・秋 その3』にて。
池袋で車を暴走させて
登校児童やその母親など11人を死傷させた
元通産省高官で創価学会員の飯塚幸三は
(チョンの日本人成り済ましの可能性大いにあり)
「この事故は車ガ~」と
チョン丸出しに無罪を主張したらしい
でも「儂は悪くない! 原因は車ガ~」
ってのは聞き覚えない?
そうそれは「あの戦争は軍部ガ~」
「あの戦争の責任は東條(元首相)ガ~」
といって責任転嫁に明け暮れた
チョンの背乗り天皇ヒロヒトと全く同じですね
しかもヒロヒトは最後まで忠臣として
テメエを庇って刑に服した
東條元首相ら7名の殉死者を
事もあろうに「アレは儂には関係ない
A級戦犯(の大罪人)」とほざいたのである
こんな事を言う日本人っていると思いますか?
飯塚幸三は批判されて然るべきだけど
ならヒロヒトも同様に糾弾すべき
なのでは?と強く感じるワテ
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