2020-10-03 (Sat)✎
路線の思い出 第405回 三江線・石見都賀駅 〔島根県〕
新線開業区間で唯一の
列車交換可能駅・石見都賀
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’16)
江津~三次 108.1km 46 / 1109
廃止年月日 転換処置
’18/4/1 備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
など区間によって分担
運行本数(’17)
江津~三次 下り2本・上り1本
江津~石見川本 上り1本
江津~浜原 3往復
石見川本~三次 上り1本
浜原~三次 2往復
口羽~三次 1往復
※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
江津~三次 下り4本・上り3本
江津~石見川本 上り1本
石見川本~三次 上り1本
江津~浜原 1往復
浜原~三次 1往復
石見都賀駅(いわみつがえき)は、島根県邑智郡美郷町都賀本郷300番地にあったJR西日本・三江線の駅である。 三江線の廃止に伴い、2018年(平成30年)4月1日に廃駅となった。
末期は列車交換は設定されなかったものの
廃止時まで設備の撤去は免れていた
島式1面2線のホームを持ち、列車交換設備を有する浜田鉄道部管理の無人駅であったが、2010年3月13日のダイヤ改正以降は当駅での列車交換の設定されなかった。
昼間でも真っ暗闇の築堤下隧道を通り
廃止後には『心霊スポット』化が
確実な駅だったよ
駅ホームは築堤の高い所にあり、西側にある入口から築堤下を潜って階段でホームに昇る駅構造となっていた。 なお、自動券売機などは設置されなかった。 2015年の一日平均の乗車人員は3人との事。
駅名となった地名の由来は下野国都賀と同じで、栂の木のあった所からだと言われている。
また、2004年に周辺町村と合併して美郷町となっているが、以前は邑智郡大和(だいわ)村の村役場が所在する村の中心駅であった。 現在は、村役場のあった所に美郷町の大和支所が置かれている。
この情景が望めるヤマに
行ってきますた
※ 四半世紀前に撮った写真から
先週ヤマに行って、雨の中を歩いて風邪もらっちまっただけに終わったので、記事書くの約2週間ぶりだよ。 でも、ヤマでは、唯一晴れた頂上で虹とブロッケンが見れたのでヨシとしようか。
しかし、2週間の間を予約記事だけで更新に穴を開けた事によって、このブログが基礎的な人気がない事が丸判りとなったよ。 それは、ブログ村とかの順位がダダ下がりだったのである。 要するに記事を上げなくても、毎日訪れる毎にご祝儀でバナーをクリックしてくれる「身内系常連」が皆無なんだよね・・、ワテのブロク。 これを格好つけて言えば、ワテのブログは群れや慣れあいを嫌う「一匹オオカミ」ブログって事なんだよね。
ワテのブログはこの駅のように
「一匹オオカミ」的なブログなのだぁ~
だって、ワテよりも更新間隔が開いていても常に高位をキープできるって事は、自押しだけでは有り得ないしィ。 でも、間隔が開いた間も閲覧数は変わらなかったので、閲覧者のワテの記事に対する期待は多少なりともあると思うよ。 まぁ、ワテの気持ちとしては、その方が嬉しくもある。 なぜなら、記事を見て評価される事が、『ブログ村』などの本来の形だと思うしィと、負け惜しみをつらつらと述べるワテ。
なぜ再開の一番手を
『路線の思い出』にしたかというと
ワテのブログで最も閲覧者のいる
連載企画だから・・である
さて、下らない事をつらつらと述べたが、ある特定の閲覧者(俗に言う『鉄』な人々)に細々と期待のある連載企画記事を再開しようか。 今回取り上げる駅は、メインサイトの『撮影旅行記』・『三江線・最後の一年』で追っかけた三江線の駅・石見都賀駅おば・・。
なぜ再開の一番手をこの駅にしたかというと
メインサイトの既存記事で記事を上げるのが楽なのと
『実る稲穂と鉄』を撮ったのがコレしかなかったから・・
上記の駅紹介でも記した通り、石見都賀駅の周辺は合併して美郷町になる前に存在した大和村の中心集落地で、近くに『道の駅・大和』もあって、『三江線・最後の一年』の追っかけ旅での宿泊場所(マイカー・レンタカーを問わず、もちろん車寝)とした所である。 三江線をめぐる旅では、この『道の駅』の位置は至って都合が良く、7回の追っかけ旅のいずれも車寝をした所である。 まぁ、何の特徴もない『道の駅』という事で、あまり混み合う事もなかったしィ。
この区間の三江線は1日4往復で
テーライト時に通う列車は
10時台のこの1本のみ
:
それが運休となると・・
その結末は解るよね
だが、この「旅の拠点」の近くの駅である石見都賀は、ワテの『撮り鉄』との相性はよろしくなかったのである。 最初は『三江線・最後の四季』と称して、この駅では夏の情景を撮るつもりでいたが、夏にやってきた時はいきなり「倒木が線路を塞いだ」とやらで、ディライト時間帯で唯一運行された石見川本行きの列車が運休となって撮る事ができずに、この旅の起点駅から早速に『夏』の掲載写真を撮る構想が崩れ出したのである。
翌日は復旧したので何とか『夏』の情景を撮る事は叶ったが、周るハズだったもう一つの撮影地での撮影が不能となってしまったのである。 それに加えて、最後の年の冬に三次~浜原・石見川本が1ヶ月半に及ぶ『大雪運休』に見舞われて季節ネタを維持できなくなり、お題を『最後の四季』から『最後の一年』に変えざるを得なかったのである。
『秋口』の季節写真が撮れたと
いってもコレじゃあねぇ
『四季をめぐった撮影記』とは到底言えないよ
このように運行本数が至って少ない路線では、1つの撮影不能となった状況によって、季節を描く写真の撮影が、ほぼ全てできなくなるまでの影響を及ぼすのである。 なぜなら、回数は7回と数多く訪れているが、そのほとんどが土日の週末を使った撮影行で、この少ない運行本数では、よく周れても1日で3ヶ所が限度なのであるから。
こういう訳もあって、お題を『最後の四季』から『最後の一年』に変えた時点で開き直る事ができたよ。
その「開き直り」とは、四季の情景を撮るのを諦めての方針転換で、駅の夜風景を撮る事にしたのである。 少ない運行本数とはいえ、日没後には割と列車が運行され、そしてこれらの夜に行き交う列車を狙う『撮り鉄』がほぼ皆無だった事が、「誰もしない事をするのが大好き」なこの筆者(タワケ)の”ヤル気”をくすぐったのである。
近代的な高架軌条をゆく三江線列車
:
この高規格軌条も晩年は
日に4往復の単行列車が通るのみで
開通後40年で早々と廃止となった
そして、この石見都賀駅の高架軌条はバルブで流すには打ってつけで、駅を照らす街灯はいい”アテ”となったのである。 それに加えて「撮影を終えると、ものの3~4分で車寝の基地となる『道の駅・大和』に戻れるし・・」という、夜景を撮るには絶好のロケーションなのである。 それでは、三江線の夜風景をごろうじろ。
始めは星空を流すつもりだったけど
駅の街灯が明る過ぎて星が飛んじまったよ
最初は星空を流すつもりで、縦位置に構えて夜空が大きくなるようにアングルを採ったけど、駅の街灯が眩すぎて、夜空の星が全て飛んでしまったよ。 なので、翌日の夜は季節モノに変更しますた。
ちなみに、この列車が三江線上り(三次行)の最終運行列車だったりして・・。
このテールの光を最後に
もう二度と列車は行き交う事はない
:
最終日の上り最終列車を
廃止日に合わせて奇跡の如く満開となった桜と
印象深く撮る
『武漢ウイルス災禍』
去年の『台風19号災害』
そして今年の『球磨川氾濫』・・
我儘な『生前退位』での改号を機に
災いが連発して起こり続けるのは変と思わない?
それは令和になってチョンの背乗り天皇由来の
『Kの法則』が炸裂してるからだよ
コレって全てチョンやシナ・・
そして日本人に成り済ました在日チョンが
発生原因に「一丁噛み」してるんだよね
気象災害は(全世界的に)原発を止めて火力オンリーに
した事による大気・海水温の異常上昇が原因で
犯人は原発の稼働を妨害する
パヨク=チョンの日本人成り済ましだし
球磨川水害はチョンの成り済ましが
過半数を占めるミンスが政権掌握時に行った
治水ダム建設の中止が原因であるのは明白だし
そして『武漢ウイルス災禍』は言わずもがな・・である
でもコレってチョンの背乗り天皇のヒロヒトの処刑・・
つまり戦争を引き起こした国のトップを処罰して
「当たり前に」あの戦争をキチンと終わらせていたなら
全て防げた事なんだよね
:
だって・・在日チョンは全て追放できて
この国に存在しないのだから・・
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