2020-09-25 (Fri)✎
路線の思い出 第404回 宗谷本線・糠南駅 〔北海道〕
下車体験から30年越で撮った
秘境駅・糠南の駅名標
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
旭川~稚内 259.4km 746 / 489
運行本数〔音威子府~稚内〕(’20)
音威子府~稚内 特急 3往復、普通 3往復
幌延~稚内 普通 上り1本
列車利用で乗り降りするのは年間数人・・
それが今回取り上げる駅だ
※ ウィキペディア画像を拝借
糠南駅(ぬかなんえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字問寒別にあるJR北海道・宗谷本線の駅である。 1955年12月2日に、国鉄・宗谷本線の問寒別~雄信内に局設定の仮乗降場として新設開業したものである。 開業時から、旅客のみ取扱いである。 その後、国鉄分割民営化に伴い、JR北海道の所属となって仮乗降場より旅客駅に昇格した。
単式ホーム1面1線を有する駅で、前述のように仮乗降場からの駅で開業時からの無人駅(幌延駅管理)である。 分岐器を持たない停留所規格の棒線駅で、線路の南側(稚内方面に向かって左手側)に1両分に満たない長さの板張りのホームが設置され、稚内方のスロープで駅施設外に連絡している。
この秘境駅を一躍有名にした
『ヨドコウの物置の待合室』
中は除雪用具の収納場所でもある
駅舎は無いが、ホームから板敷きの通路を渡った位置に、幌延町が管理する淀川製鋼所製のプレハブ物置(ヨド物置『あぜくら』)を改造した待合所があり、その内部には除雪道具などが格納されている。
かつては国鉄の仮乗降場の標準仕様の
「掘っ立て小屋状待合所」があった
:
糠南を通過する急行【サロベツ】号
※ ウィキペディア画像を拝借
かつてはホームからのスロープを降りた先に木造の待合所があったが、後に撤去されている(写真の1998年5月時点では存在した)。 なお、テレビ放映が縁で、2015年に淀川製鋼所が待合室を無償で修繕したエピソードがある。
周囲に民家は見当たらず
あるのは人口の100倍以上と
言われる牛の厩舎のみ
※ ウィキペディア画像を拝借
当駅の利用状況は、1992年の調査以来ずっと1日平均の乗降客数は「1名以下」又は「0.0人」となっていて、地元の幌延町の調査でも、2017年1月現在、地元の利用者は見受けられないとしている。
2016年のダイヤ改正で、宗谷本線の普通列車の運行本数が1日5往復から3往復へ減便されたのに伴って、当駅通過列車が無くなり全列車停車となる。 だが、経営状況が思わしくないJR北海道により、駅の所在する自治体の幌延町に対して、幌延町内にある当駅・南幌延駅・下沼駅の3駅を経費削減の為に、2017年3月のダイヤ改正に合わせて廃止する方針が示される。
だが、町内にあるこれらの駅を「秘境駅めぐり」として観光誘致の一つにする幌延町は、当駅含む3駅の維持費・管理費を町が負担する事で、取り敢えず1年間駅を存続させる事で合意する。 以降は、引き続き駅の維持費を町が負担する事で駅存続となっている。
駅名の由来は当駅の所在地近辺の地名からで、その地名はアイヌ語に由来する。 同様の地名やそれに類する地名(「ノカナン」等)は道内各地にあるが、これらについては識者の間では「どれも語義不明」としているが、ある識者は北海道新聞のコラムにて、「原野の・冷たい・川」を意味する「ヌㇷ゚カナㇺペッ(nupka-nam-pet)」が『糠南』の由来だという説を打ち出している。 なお、以前は『ヌカナン』の字名が存在したが、1959年に周辺地区と共に『問寒別』に統合されている。
駅周辺は牧草地帯となっており、駅から見える範囲にある住居は、2017年時点で住民夫婦が住む1軒のみとの事である。 また、当駅付近の天塩川の旧河道に沿って幌延町と天塩町の境界が設定されているが、当駅周辺には架橋されていない為、天塩町方面へ向かう場合は問寒別駅方面への迂回が必要となる。
人が立ち寄らない所は
自然が豊かな情景を魅せる
※ ウィキペディア画像を拝借
今でこそ何かと話題が多く、町の観光誘致の題材の一つにも挙げられる程に『秘境駅』として知名度の高くなった駅であるが、ワテが始めて降りた頃は、車掌が下車しようとするワテを「こんな所で下りても何もないし、次の列車まで数時間ないよ」と下車を思いとどまらせようとするような駅・・、それがこの駅・糠南駅であったのだ。
そのワテが下りた目的は、自身の「myブーム」であった仮乗降場の乗り降りと、宗谷本線を行き交う急行【宗谷】や、新鋭のキハ54の急行専用車両による急行【礼文】を天塩川を背景に『撮り鉄』する為である。
キハ40にロマンスシートを装着して
リニューアルした急行専用車両で
運行していた宗谷本線の急行列車
でも、車も持たない高校の歳の小僧でこの撮影行を実行するには、かなりの熱意と根性がいるのである。
それは、周囲の畑は全て雪の原野となり、また今のように『秘境駅ブーム』などないので、駅に滞在する間は全く人影を見ないのである。 もちろん、地理的にもこの糠南で行き止まりなので、車が行き交う事もない。
そして人がいないのだから、店屋などある訳もない。 人家や商店は問寒別まで行くとあったであろうし、問寒別も今ほど寂れていなかったと思うが、この糠南は恐らく今と同じ状況(駅周辺の居住世帯は1軒のみ)か、少し『+α』な位であろう。
誰もおらず邪魔な障害物も見当たらず
自由気ままにアングルが採れる
天塩川を入れた絶好の撮影地の糠南の畔
:
でも鉄道で来るなら過酷だけど
現に駅から天塩川の畔に出て急行【宗谷】・【礼文】などを撮る目的を果たせたのは、周囲にアングルとして避けるような民家や建物は一切なく、ただ天塩川の流れと雪があるだけで、天塩川の畔を巻くように架けられた橋梁をゆく列車を思いのままのアングルで撮れたからである。
目的を果たせたもう一つの理由は
『乗り鉄&撮り鉄』でこの撮影地は
過酷過ぎるから・・もあるだろうけどね
まぁ、この仮乗降場(当時)を撮影場所として選んだのも、民家などの邪魔となる障害物が一切ない撮影場所としての期待を抱いて・・なのである。
スペースは『ヨドコウの物置』の約畳1帖分
ひっくり返したビールケースの椅子に
サービス満点の座布団付き
これで雪中5時間は若くなけりゃムリっしょ!
でも、その「障害物が一切ない撮影場所」の弊害として、避難場所は畳一帖分のスペースの『ヨドコウ』の物置のみの雪の荒野の中で、滞在時間5時間を耐えねばならないのだけど。
もちろん、店屋どころか人影も全く見ないので、兵糧攻め必至のシュチュエーションである。
なお、この時は冬の駅寝体験をする前の頃で、駅寝を生業とする時と同じく金にコスい貧乏旅だったので、持ち込んだ食糧は昼食兼務の『ブルボン・ロリータ(甘ったるいクッキーのお菓子)』1袋のみで飲料水ナシだった。 この時のワテの頭の中は、「どうしても喉が渇いたら、雪を溶かして飲めばいい」という究極のサバイバル思考だったしィ。
でも、ワテの下車体験の中では、『究極の・・』というか『至高』の秘境駅であった深名線の白樺の状況に比べると「数段マシ」という認識でいたのである。 なぜなら、滞在の5時間での「仕事量」が確保されていたからである。
糠南では最も撮りたかった
急行専用のキハ54の急行【礼文】も撮れた
:
糠南のホームを
入れても良かったかな?
その「仕事量」とは、深名線に比べて幹線である宗谷本線の列車本数である。 即ち、滞在中の5時間で『撮り鉄』可能な列車は、上りの急行【宗谷】、下り急行【礼文】と普通列車を併せて6本・・、時間に直すと1時間に1本以上あったのである。 でも、今は減便に次ぐ減便で普通は3往復となって、急行も振り子特急に変って写欲をそそらなくなったので、今の糠南で『乗り鉄&撮り鉄』をすると深名線なみの負荷を伴うだろうけど。
次は行動の自由が利く
川の対岸から天塩川を狙ってみた
次に『天塩川と撮り鉄』でこの地にやってきたのは、前回の『兵糧攻め』の教訓を活かして天塩川の対岸から撮るべく、問寒別から国道40号を歩いてきたのである。 問寒別から糠南までの距離は、2km程と案外近かったしィ。
天塩川の畔をゆく急行【宗谷】
コリはかなりカッケーわ
前回での懸案となった食料も、この時は駅寝全盛期で食糧を買わずとも持参していたのである。
だから、大荷物は問寒別の駅にデポって、食糧だけ持ち歩けばいいのである。 また食糧も、この頃からコンビニがポツポツと現れ出して、事前に食糧を買い込む事も叶ったのである。
この時はさすがに、廃止ローカル線ではなく幹線区間である宗谷本線で5時間も粘る熱意はなく、最もこの区間に列車が行き交う時間帯を狙って、急行【宗谷】・【礼文】、そして普通列車を撮って早々に引き上げたよ。 恐らく、1~2時間程度で引き上げたと思う。
天塩川と奥の雪原をゆく急行【礼文】
:
今回は5時間も粘る気力は湧かず
急行【宗谷】と急行【礼文】を撮る
ショートバージョンで引き上げたよ
それから、熱中して追いかけていた廃止ローカル線の趨勢が「ほぼ全て廃止」で帰結した事で、鉄道から離れて四半世紀が経ったのである。 その後に虜となったヤマも、「会社勤めとなって少ない休みを縫っての山行を余儀なくされた」&「歳食っての『奇跡の体力』の消滅」という『2大要因』が立ちはばかり、あの当時と違ってレンタカーで周れるなど大して体力を必要としない『撮り鉄』に細々ながら回帰していったのである。 まぁ、今もヤマがメインだけど・・ね。
復活した『撮り鉄』は体力は必要ないけど
場所の取り合いやバッティングを避けるなど
違う意味の苦労は増えたね
でも、糠南などの『秘境駅』に対する世間の動向は、劇的に様変わりしていたのである。
それは、『秘境駅』であればある程に注目される存在となっていたのである。 そのブームのキッカケは、糠南の隣駅で同じく仮乗降場出自で、先行して廃止となった上雄信内駅から始まったのである。
『秘境駅』ブームの火付け役の一つが
恐らく駅に降りても駅敷地内から
脱出不能なこの駅だろう
:
ちなみにこの駅か糠南か
降りる駅を迷ったりして
※ ウィキペディア画像を拝借
この上雄信内駅は糠南に比べても見どころの乏しい所にあったが、周囲が畑の私有地に囲まれて駅からの脱出が不能という、「なぜにここに停留施設を作ったの?」という疑問が湧き立つ駅であったのだ。
それと、牛山隆信氏が著者の『秘境駅に行こう』により、下車が困難な『秘境駅』をめぐる事が鉄道ファンの新たなるカテゴリーとして加わって、こういった秘境駅は鉄道ファンを中心に観光客も訪れるような『観光名所』とさえなっていったのである。
『秘境駅』として注目されても
立ち寄る者は全て列車ではなく車なので
訪問者が増えても鉄道会社に全く恩恵がない
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、駅の維持・管理をする側の観点からすれば、こういった利用客皆無の駅は経費の嵩む「お荷物」でしかないのである。 現に「訪れる観光客が増えた」と言っても、観光客の訪れる手段はほぼ全て車利用なので、訪れる観光客が増えても鉄道会社に恩恵はないからである。
そう言った訳で、こういった秘境駅は常に経営元からは、「ダイヤ改正を機に廃止する旨」を示唆され続けているのである。 現に、この糠南駅でも前述の駅の概要で述べた通り、1日平均乗降者数は調査を開始して以来、ずっと「1名以下」又は「0.0人」となっているのである。
だが、この事で30年前に廃止となった『赤字ローカル線』と同様に更に話題が巻き上がって、その話題を見聞きした観光客の(車を利用しての)来訪が増えているのである。 この事が「町への観光客誘致につながる」とした幌延町では、町で糠南駅の維持管理費用を負担する形で、駅を存続させる事を町の方針として決定づけている。
また、こういった駅廃止の話題として上った『秘境駅』は、駅廃止を惜しむ鉄道ファンによってイベントも行われるようだ。 糠南駅でも鉄道ファンによって「当駅でクリスマスイブを過ごす」と言うチャレンジ企画が提起され、2015年のクリスマスイブより幌延町も協賛する形で、毎年この『クリスマスパーティ』イベントが実施されているという。
「ナンチャッて」的に
復活した『撮り鉄』では
気概も熱意も結果もそれなりに
そういった『秘境駅』が様変わりする中で、細々と『撮り鉄』を復活させたワテであるが、『撮り鉄』に関しては『秘境駅』になればなる程に列車本数が減って撮影機会は減るし、歳食って「列車が来るまで待つ」根性も気概も失っているのである。
まぁ、『秘境駅』に訪れる手段は、『秘境駅』の話題を見聞きした観光客と同じく車(レンタカー)で、車なら嫌になれば車内に引っ込んで寝れるし、即座に引き上げる事も可能なのである。 でも、こんなテイタラクじゃぁ、根性も気概も廃れるわなぁ。
30年前に始めて撮った
利尻富士バックの『撮り鉄』は
生涯きっての『一番星』が撮れたものの・・
「その感触をもう一度・・」と
2匹目を追うと尽くシクじり
『撮り鉄』を復活させて5年・・
3回の失敗を経てやっと
それなりの「利尻富士バック」が撮れたよ
・・で、この時は、「最初の一回は決まったけど、その後は連続3回に渡ってダメダメだった」利尻富士バックをようやく「辛うじて」撮る事が適ったものの、減便によってこの列車の後は夕方までなく、ヒマ潰しがてら立ち寄ったのが約30年ぶりの糠南駅である。
30年前に撮り損ねた
駅待合室も撮り終えて
「合わせ技」で駅訪問の儀式完全成就
でも30年前は『撮り鉄』しか頭になく、この駅を有名にせしめた『ヨドコウの物置の待合室』は元より、駅名標さえ撮らなかった事を思い出して、約30年ぶりに『秘境駅下車』の儀式一式を成就させる事ができたよ。 なお、『成就』といっても、基本の「列車に乗っての駅到達」は30年前に実行済みと言う事で、今回の駅写真との「合わせ技」で『成就』という事で・・。
この記事は4連休に書いた
予約記事でっす
なぜなら今週の週末は
今年初めてのヤマの予定だから
春の奥只見の山は
『武漢ウイルス』蔓延を理由にした
間違った県外移動自粛のせいでポシャったし
6月の九重の『ミヤマキリシマ再び』は
『武漢ウイルス』で高速バスが
運行自粛となってボツったし
盆休みの『奥穂~西穂再び』も
ヤマに入った3日間雨続きで
涸沢で引き返したしィ
だから今回は軽めの
白馬大雪渓~小蓮華~栂池の山行で
ダルマさんの「片目」を必ず開けまっす
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No Subject * by 鳳山
糠南駅、地図で確認しました。凄い所にありますね。採算が合わないんでしょうが観光資源として何とか残してほしいですね。
Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
JR北海道は経営的に末期症状を示してまして、経営手法もメチャクチャになってます。 その代表例がシンカンセンです。 JR北海道の赤字の4割を占め、なおかつ飛行機に全てを抑えられて見込みは全くナシのシンカンセンに無駄な投資を続け、更に赤字を増大させてます。 そして、その赤字の戦犯にされてるのが、赤字額を全て束にしても1/10の在来線で、JR北海道は躍起になって減便・廃止を試問していってます。
でも、こういった事で。国境に接する国土の末期部分が過疎・国土の荒廃を招いてます。 鉄道の廃止問題は、国土保全の問題も絡んできているのですね。
JR北海道は経営的に末期症状を示してまして、経営手法もメチャクチャになってます。 その代表例がシンカンセンです。 JR北海道の赤字の4割を占め、なおかつ飛行機に全てを抑えられて見込みは全くナシのシンカンセンに無駄な投資を続け、更に赤字を増大させてます。 そして、その赤字の戦犯にされてるのが、赤字額を全て束にしても1/10の在来線で、JR北海道は躍起になって減便・廃止を試問していってます。
でも、こういった事で。国境に接する国土の末期部分が過疎・国土の荒廃を招いてます。 鉄道の廃止問題は、国土保全の問題も絡んできているのですね。