風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第403回  左沢線・左沢駅

路線の思い出  第403回  左沢線・左沢駅 〔山形県

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駅と合築された
イベントホールの吹き抜け天上が
駅舎側からだとよく目立つ
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
        営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)
       北山形~左沢 24.3km            3327   /   219 
'20年運行本数
山形~左沢 12往復 、 山形~寒河江 下り4本・上り5本 、 寒河江~左沢 1往復

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円形の尖がりコーンは町のイベントホールで
右隣の平屋建てが駅舎部分だ
※ ウィキペディア画像を拝借

左沢駅(あてらざわえき)は、山形県西村山郡大江町大字左沢字前田にあるJR東日本・左沢線の駅で、同線の終着駅である。 単式ホーム1面1線をもつ駅で、留置線が1線ある行き止まりの配線となっており、左沢線の線路は構内で途切れている。 かつては線路脇に貨物を扱う為の設備があったが、全て撤去されて空き地となっている。

2002年に供用を開始した現在の駅舎は、大江町交流ステーションとの合築である。 円柱の上に円錐が乗っているような建物が町の交流ステーションで、その右手の平屋が表に出ている部分が純粋な意味での駅舎となっている。

交流ステーション内には、町営の売店(駄菓子や雑貨から町の物産まで扱っている)や大江町で毎年9月に行われる『おおえ秋まつり』に関する展示ホール(囃子屋台や獅子舞の現物を展示している。
円柱部分がこの展示ホールである)、大江町の商工会・会議室・多目的ホールが入っている。
駅舎として使用されている平屋部分には、出札窓口や待合所などがある。

寒河江駅が管理し、JR東日本東北総合サービスが受託する業務委託駅で、みどりの窓口も設置されているが、自動券売機や自動改札機は設置されていない。 早朝・夕方以降は無人となり、ワンマン列車においての乗車時は車内で整理券を取り、降車時に切符や運賃を運賃箱に入れる(車掌が乗務している列車は除く)『整理券・後払い方式』となる。 駅前広場が整備されており、山交バス(宮宿(朝日町)行)などの発着もある。

最終列車は旅客扱い終了後、夜間滞泊は行わず寒河江駅構内の左沢線営業所に回送される。 
同様に当駅発の一番列車も同所から回送される。 2019年度の1日平均の乗車人員は297人との事である。

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駅名標の下に
町名の由来が書かれた銘板が
貼りつけてあった

駅の位置は大江町の中心部で、周囲に民家や商店等が建ち並んでいる。 町は当駅を中心とした観光の促進に取り組み、駅前には主な観光地への地図等が整備されている。 駅名の由来は、この地域の中心であった寒河江の城主・大江氏からは、この地域にあった城(左沢)楯山城は「あちらがわの城」と呼ばれていて、その「あちらがわ」→「あてらざわ」に訛ったモノと云われているとの事である。



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今回は以前から乗りそびれていたのに
JRの鉄道運営方針が『シンカンセン』に変って
不可思議に乗る機会を得た盲腸線・左沢線のネタでっす

左沢線は、鉄道を追っていた若き日には「盲腸線で乗り辛い」、「始発駅が東北の中央部に位置する山形で、夜行列車→左沢線始発列車という行程が組めない」などの理由で、乗りたいと思いながらも未乗線区であった。

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もちろん『乗り鉄&撮り鉄』を
目論んでいたよ

その内に国鉄からJRに経営移管されて、廃止ローカル線がほぼ全て『廃止・淘汰』という帰結となってしまった事で、『鉄道熱』が冷めて鉄道を追わなくなり、この左沢線は未乗線区のまま時が経った。

『鉄道熱』が冷めて鉄道を追っかけなくなってからは、滝や山めぐりにお熱となった。 それと同じくして、鉄道の運行状況も変わっていったのである。 その鉄道の変わり様は、JRという鉄道運営体が、通勤・通学などの定期利用以外の『旅客』を受け入れなくなってきていたのである。

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鉄道から離れていた間に
鉄道はより遠くなり
旅には使えない存在となっていた

そう・・、かつては『旅客』と見ていた、周遊券などを使う『フリー乗車の旅スタイル』の旅人を捨てたのだ。 そして、定期利用以外の『旅行客』は、旅行ツアーや関連の宿泊施設に泊る『パック旅行』や団体旅行以外は相手にしなくなったのである。

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要するにこういった
『撮り鉄』などの趣味や鉄道旅を
鉄道会社は相手にしなくなったのである

その方針故に夜行列車は次々と廃され、フリーの『旅人』は鉄道が使えなくなってしまったのである。
そして鉄道運営元のJR各社も、「鉄道は『シンカンセン』での都市間移動を中心に供する交通機関」との立ち位置を運営方針として確立させ始めたのである。 このような運営方針ゆえに、「鉄道は『旅』には使えない」という状況となってしまっていたのである。

この時のワテは先程書いたが如く「ヤマにお熱」だったが、鉄道がこういった『シンカンセン中心』の運営方針に様変わりしていた事には、あまり影響を受けなかった。 なぜなら、ヤマに熱中し始めてから・・、即ち20台~30台中頃まではマイカーを駆って『山旅放浪』に出ていたので、鉄道など使う必要がなかったからである。

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だがその方針も限界にきて
今や必要のない所に『シンカンセン』を造り
更に赤字が肥大化する状況となってるよ
こういう時こそ以前の鉄道の基本に
立ち戻る事が必要じゃないかと
でも・・もうムリですね

でも、歳食ってくると「10ヶ月フリーターで働いて2ヶ月山旅放浪」という夢の日々の継続が難しくなっていき、とうとう観念して会社勤めになっちまったのである。 でも、休みの合間の「ヤマ」を諦めるとそれこそワテは廃人同様となっちまうので、ゴールデンウイークや盆休みに加え、休み+有給で細々と単発でヤマに登るようになったのである。

そうなると先程書いたJR各社の運営方針が、「ツアーやパック旅行以外の『旅行客』を捨てて、『シンカンセン』での都市間移動を中心に供する交通機関」との立ち位置となってほぼ確立した後の弊害が及んでくるのである。

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鉄道から離れた期間が続き
いざ必要となって振り返れば
鉄道は旅に供さぬモノとなっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

・・とどのつまり、夜行列車が全くない鉄道運行状況では、「鉄道に乗ってヤマに行けない」のである。 そして、会社勤めとなって少ない日程で登山せねばならないので、「運転に疲れて、なおかつ渋滞に巻き込まれると到着時間が読めなくなる」マイカーは使う事が不能となる。 この状況では週末休暇+有給1日でヤマに行くのは限りなく不可能であるのだが、「捨てる神あれば拾う神」もあったのである。

それは、その代替手段として、高速夜行バスが県庁所在地のみならず、中堅の都市やヤマの登山口でさえも運行する状況となっていたのだ。 要するに、ワテのようなパック旅行には参加しない『フリーの旅客』も少なからずの数が存在するのである。 その証拠が、こういった夜行バス網の充実だろう。 この夜行パスにレンタカーを組み合わせると、結構の数のヤマで『週末休暇+有給1日』が通用するのである。

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旧駅時代の左沢駅の駅名標は
ワテと同じ『梨』だった
※ グーグル画像より拝借

話は長々と反れたが、左沢線の話題に戻ろう。 先程までに長々と書いた鉄道の運行状況の様変わりは、かつての周遊券全盛時代の廃止ローカル線めぐりなどの『フリーな旅』をほぼ死滅させたけど、かつては夜行列車が使えずに乗れなかった左沢線などの『盲腸線』の時間潰し目的での往復は容易となったのだ。

小朝日岳
此度の朝日連峰ではバスの乗り間違えを
往復ヒッチハイクでリカバー&一番星写真ゲットの
充実した山行ですた

それは、この近くにある朝日連峰の縦走登山から昼過ぎに下りてきて、帰りの山形駅前からの夜行高速バスまでの空き時間の「時間潰し」として、この左沢線の往復が打ってつけだったのである。

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帰りもヒッチハイクができて
『撮り鉄』の時間もできたが
このチャンスにタワケは
桧造りの駅舎・羽前高松での昼寝を選択した
で気が着けば夕方だった

でも、かつて熱中した『撮り鉄』追っかけまでの気力は湧かず、羽前高松や柴橋で駅撮りしながら駅で昼寝し、夕方暗くなり始めた頃に左沢駅に着いて、あれから30年越に左沢線完乗が成ったのである。

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左沢駅は盲腸線そのものの
行き止まり型の終着駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借

左沢の駅は洋風のイベントホールに併設された『おまけ』のような駅舎があり、交換設備もない盲腸線そのものの行き止まり型の終着駅であった。 駅の周囲には温泉旅館が数件あり、町の中心は駅前道を突っ切った県道沿いに広がっていた。 夜食買い出しのスーパーも、この県道と国道458号のバイパスとの交点にあり、大型駐車場を兼ね備えていた。 とどのつまり、町での所用に鉄道は必要ない造りの町であったのだ。

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かつての左沢駅
この頃の方が駅も駅前も
賑わいがあったような
※ ウィキペディア画像を拝借

そう・・、思えば、廃止となったローカル線の方が、まだ駅に賑わいがあったよな。 乗客も町への所要の為の利用者から『鉄』・・、そして稀にワテのような『風来坊』もいたよな。 廃止ローカル線の終着駅の駅前には雑貨屋やメシ屋があり、夜食を買いに国道まで歩く必要もなかったし・・。

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駅前には飯屋もなく夜飯の買い出しには
国道のバイパスまで1kmほど歩かねばならない
『シンカンセン』以外は
廃れていく地方の町の駅の姿があった

言ってもせん無い事とはいえ、つい口にでてしまう。 「あの頃は良かったなぁ」と。 本当に心も豊かだったのである。


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憲法改正を叫んでいるのに
おまエラが跪く信奉の対象である
チョンの背乗り天皇ヒロヒトは
九条を含む現憲法の維持を厳命している
矛盾を説明して下さいな

おまエラが英霊を祀る靖国神社に
歴代のチョンの背乗り天皇が
一歩たりとも参拝しない訳と
それにも関わらず政治家なとが参拝しないと
売国奴と罵るのは片手落ちでしょ?
その矛盾も説明してよ

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テメエの身代わりとなって処された
靖国神社に祀られた東條元首相ら7名の英霊を
「アレは儂には関係のないA級戦犯(犯罪者)」と罵ってるよ
これはどいう事か説明してよ

息子のアキヒトが竹島事件の折りに
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「皇室はチョンと縁(血縁)がある」とアキヒトが宣った事実
今のチョンの背乗りの代替わりのノリヒトが
皇太子時代から何度もシナの元に詣でている事実
これも説明してよ

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