2020-09-20 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第118話 大雪山~十勝連峰 大縦走 その4(忠別岳~ヒサゴ沼)〔北海道〕 '95・7
忠別岳 1963m(前回の記事に引き続き2度目の登頂)、大雪・五色岳 1868m(3度目の登頂)、
大雪・化雲岳 1954m(2度目の登頂)
五色岳より望む
表大雪の盟主・旭岳
化雲平 かうんだいら (大雪山国立公園)
山頂にデベソのような岩が乗っかる化雲岳の脇に広がる庭園状の山上平原を化雲平というが、ここはホソバウルップソウやリシリリンドウなど、稀少種の花が群落をつくる大雪のお花畑でも稀少価値の高いお花畑を魅せてくれる。
また、この平原から望むトムラウシは、トロイデ型火山が創造した最も凛々しき王冠状の頂稜部を魅せて鎮座して、その姿は周囲の彩るお花畑を従えた「大雪の王たる尊厳」を示している。
中でも、淡い紫の穂がアリューシャンのまだ見ぬ島々を想像させるホソバウルップソウ越しに望むトムラウシの絶景には、思わず息を呑む。
大雪~十勝連峰 大縦走
忠別岳~トムラウシ 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《車の回送とアプローチ》
JR上富良野駅より車(0:35)→十勝岳温泉・十勝岳温泉の駐車場に車止め置きと上富良野行バス乗車
(0:45)→JR上富良野駅より鉄道利用(0:50)→旭川駅(1:10)→上川よりバス利用
(0:35)→層雲峡(泊)
《1日目》 層雲峡よりロープウェイとリフト(0:25)→黒岳7合目(1:10)→黒岳
(0:15)→黒岳石室(1:40)→北海岳(1:20)→白雲岳避難小屋分岐
白雲岳避難小屋分岐より白雲岳往復 上り40分・下り30分
白雲岳避難小屋分岐(0:20)→白雲岳避難小屋
《2日目》 白雲岳避難小屋(0:40)→高根ヶ原・大雪高原温泉分岐(2:30)→忠別岳
(1:30)→五色岳(1:10)→化雲岳分岐(0:40)→ヒサゴ沼避難小屋
《3日目》 ヒサゴ沼避難小屋(0:35)→ヒサゴ沼分岐(0:30)→トムラウシ・日本庭園
(1:25)→北沼(0:30)→トムラウシ山(0:25)→トムラウシ・南沼
《4日目》 トムラウシ・南沼(2:00)→黄金ヶ原(0:30)→三川台(1:30)→ツリガネ山
(1:30)→コスマヌプリ(1:00)→双子池
《5日目》 双子池(2:00)→オプタテシケ山(2:00)→美瑛富士避難小屋(0:30)→美瑛岳分岐
(2:30)→十勝岳避難小屋
《6日目》 十勝岳避難小屋(0:50)→望岳台よりヒッチハイク成功(0:20)→十勝岳温泉
十勝岳温泉に止め置きの車回収(0:35)→JR上富良野駅
※ 前回の『第117話 大雪~十勝連峰 大縦走 その3』の続き
前回の記事で忠別沼の事を
「コレしか撮ってない」とスルーしたけど
書いた後で忠別沼の写真を
撮っていたのが判ってちょっと後ずさり
前回の記事のラストで忠別岳に登り着き、この第118話でその続きの「忠別岳より下る」所から始めたいのだが、ワテのうっかりミスで、忠別沼からの絶景を撮った写真がある事をスルーしてしまったので、少し戻って忠別沼の絶景を語る所から始めたいと思う。
忠別沼よ・・スンマセン
こんな絶景だったのにスルーしてしまって
2年前に通った’93年には《忠別沼》には木道が敷設されておらず、ヌタ場の中をズボズボとはまりながら通過した記憶があるが、その後に木道が敷設されたようで、真新しい木道が沼の畔に添うように敷設されている。
忠別岳への登り道で振り返ると
設置された真新しい木道と
澄んだ青い瞳の如くの忠別沼
そして表大雪の山なみと
『カムイミンタラ』な絶景が見渡せる
忠別岳への登りの途中で《忠別沼》を振り返ると、青く澄んだ沼と大雪の盟主・旭岳の絶景に、真新しい木道が刻まれたアクセントの利いた眺めを望めるだろう。 忠別岳の登りは、これまでの《高根ヶ原》の大草原とは打って変わって砂礫の丘となる。
左右非対称で草地と砂礫に
地層が分かれる忠別岳
忠別岳の頂上に続くこの道はとても緩やかで、「山に登る」というよりも「丘を歩く」といった感じだ。
花も砂礫に咲くタカネナデシコなどが
見られるようになる
途中、コマクサ・ハクサンチドリ・ミヤマアズマギクといった花が漠然とした砂礫地の眺めに潤いを与えてくれる。
忠別岳に至る砂礫の丘は
小さな花が灰色の砂礫地を黄色く染めていた
歩いていく内に限りなく緩やかな道がやや傾斜を増して、岩が乱立した所を縫うように登っていくと、忠別岳 1963メートル 頂上だ。
白く染まるエゾノハクサンイチゲ
越に望むトムラウシの王冠
忠別岳はトムラウシ側はカクンと切れ落ちている左右非対称の峰で、切れ落ちる寸前の頂上丘には、エゾノハクサンイチゲが頂上を白く染める程の大群落を創造している。 そして、その白い花の背後には、凛々しきトロイデの王冠を魅せるトムラウシ山どっしりと鎮座する絶景だ。 しばし、この絶景を眺めてから、忠別岳の頂を発つ事にしよう。
忠別岳に到着する頃は、この当時の『奇跡の体力』のホルダーだったワテでも9時過ぎで、夏山の9時過ぎは、そろそろ地表が熱せられて水蒸気となって空中に上った水滴が、夕立雲を形成しだす頃合いの時間だ。 前回に同じくこの時も、やはり忠別岳の頂を境にどんよりと曇り始めたのを憶えている。
でも、撮った写真で見ると、この日の午前中は快晴だったみたいだね。
さて、忠別岳の頂上から先であるが、先程の登りとは打って変わって滑りやすいガレ場の急下降となって膝が笑い出す。 先程も述べたが如く忠別岳は典型的な非対称の山で、登り返した五色岳から眺めると、《高根ヶ原》の大平原の果てがそのままストンと切れ落ちているように見える。
忠別岳の降り口から望む
五色岳の稜線とトムラウシ
:
忠別岳から五色岳の間は
全く地層が異なり断層帯のようになっている
滑りやすいガレ場を下りきると、忠別岳避難小屋への道を分け、再び五色岳に向っての高低差150mの登りとなる。 この登りが、今日の行程で最大のアルバイトである。 ハイマツ漕ぎをしながら登っていき、ひと汗・・ふた汗・・とかいた頃に五色岳 1868メートル の頂上広場に出る。
お花畑越しに望むトムラウシの王冠
五色岳は山容自体はあまりパッとしないが、『表大雪』の山なみと旭岳から続く緩やかな大平原が忠別岳でスパッと切れ落ちる、アクセントの効いた味のある風景を魅せてくれる。 また、トムラウシの王冠もより近くなってくる。
今回の五色ヶ原は花期を過ぎて
逆光の坊主だったよ
また、五色岳は大雪の大きな分岐点となっていて、左への道は《五色ヶ原》から《沼ノ原》・石狩連峰への東大雪縦走路となっている。
だが花期の五色ヶ原は真に
神遊びの庭『カムイミンタラ』だ
※ 以前に訪れた五色ヶ原の写真より
《五色ヶ原》・《沼ノ原》・石狩連峰については前回に歩いた記事などを参照して頂くとして、今回はトムラウシ山に向って進路を右に取ろう。
化雲平への道
:
真に神々が遊び戯れる平原だ
ハイマツの茂る中を歩いていくと、いつの間にか広々とした平原に出る。 ここは《化雲平》と呼ばれる所で、眺めの“売り”は池塘とホソバウルップソウ越しに望むトムラウシ山の眺めである。
アリューシャンの未知の島へ
思いを馳せる花・ホソバウルップソウ
:
トムラウシと併せて撮りたかったなぁ
また、庭園状の盛り土に群落を成すチングルマや、エゾノハクサンイチゲのお花畑も見せてくれる。
2回ほど大きな雪渓をトラバースしていくと、《化雲岳分岐》に出る。 化雲岳は“デベソ岩”などひと癖のある山で、そのデベソはトムラウシの頂からも視認できる。
トムラウシ山の周辺にある峰ならば
どの峰からも視認できる化雲岳のデベソ
《化雲岳分岐》より一投足の位置にあるデベソ岩の化雲岳に登ってから、《化雲岳分岐》に戻ってその裾を巻いて山の反対側へ越えると、「神遊びの庭」と呼ばれる庭園状のお花畑に出る。 ここが今夜の宿泊地・《ヒサゴ沼避難小屋》への分岐である。
化雲平に咲く花
まばゆいばかりの黄色を魅せる
キジムシロ
淡い紫は儚さを説く
チシマフウロ
花開く時は極稀という
リシリリンドウ
エゾノハクサンイチゲと穂が完熟して
濃い紫を魅せるホソバウルップソウ
分岐からは、《ヒサゴ沼》への水源となる巨大な雪渓を下っていく。 ここは、濃いガスの発生時、方向感覚を失って同じ所をさまよう『リングワンダリング』に陥ったり、違った方向へ下ってしまいかねないので充分注意したい。 この雪渓は、“右より”を意識して下っていくといいだろう。
ヒサゴ沼の水源となる万年雪渓を下ると
ヒサゴ沼の避難小屋だ
長い雪渓を下りきると、《ヒサゴ沼》と避難小屋が見えてきてホッとする。 ここは冷たい雪渓の雪解け水で、雪渓歩きで緊張した心を癒そう。 雪渓下部の草地を下って《ヒサゴ沼》の湖畔に出ると、《ヒサゴ沼避難小屋》は近い。 この《ヒサゴ沼避難小屋》は、トムラウシ山への絶好の位置にあり、夏のシーズンは常時“すし詰め”の満員で、“三角座り”で寝るハメとなろう・・というのは前回に訪れた時の事で、今回はもっと過酷!?となる。
避難小屋到着はいい意味での「午前様」で
しかも一番乗りだったのだが・・
※ 十勝振興局環境部のウエブサイトより
それは、この時のワテは『奇跡の体力』の最盛期で、《ヒサゴ沼避難小屋》には正午前に着いて(もちろん一番乗り)、テントを張るのも面倒臭いので小屋内でゴロゴロと惰眠を貪っていたのだが、小屋に登山者が到着し出した14時過ぎより雨が降り出し、瞬く間に本降りとなったのである。
だが、雨に濡れた登山者が次々と現れ、2階建てで受けが40人の避難小屋の容量を越える宿泊者数となっていったのである。 そして、後からくる中高年のオバちゃん登山者軍団ほどに、小屋泊を決めこんでロクな装備も持ってこない者ばかりで、それが次々と押し寄せて小屋のスペースを割いていくのである。
そして、15時を周って、ズブ濡れとなった装備を持たない中高年のオバちゃん登山者軍団が2組やってきて、いよいよ小屋の1・2階とも『三角座り』の領域となっていく。 そして4時を周り、いよいよ雨でズブ濡れとなって、遅く着いたクセに「小屋に入れなければ命にかかわる!」と目で訴える中高年の夫婦が入ってきて、三角座りでも肩がぶつかる様相を呈してきた。
雨の中小屋泊まりを決め込んだ登山者が押し寄せ
40人定員の小屋に120人が止るハメに・・
でも、元来この手の中高年のオバちゃんは、小屋に入るとず太さ満開で、山の装備は持たないのに果物やお菓子・煎餅、缶詰といった食糧はたらふくザックにつめて持ってくるのである。 そして、ただでさえ『三角座り』なのに、お菓子を広げた『お茶会』を開いてくる。 オッサンはオッサンで、缶ビールのプルタブを開けて心地良くなってやがる。 中には、早くも陣地確保目的に寝転がるオッサンもいたよ。
その小屋内が混み合って『三角座り』でしか寝れない状況に、ワテはボソっと「雨だけどテント張って寝ようかな」と呟くと、これに聞き耳を立てた『お茶会』主催のオバちゃん達が、「これ食べる?」とか「これ食べて・・、美味しいよ」とか言って、ワテの前に次々と持ってきた食糧を「お裾分け」してくる。
その心根は、真しく「食いモノあげるから、小屋から出て外で(雨の中)テント張ってよ!」って事である。
内容が少し醜い人間模様なので
気を紛らわせるべく
『カムイミンタラ』な情景おば
そして、トドメの5時過ぎに、「小屋に入れてくれなければ、喚き散らすわよ!」とのオーラを漂わせた最後の到着車の中高年のオバちゃん3名様がやってきてムリヤリ小屋内に入り、小屋宿泊者の全ての視線がワテとテントを入れたデカザックに注がれたのである。
・・で食いモンで買収されて
これよりもっと泥濘んだテント場で
雨の中テント生活となりますた
こうなると、外に出るしかないのである。 ワテは小声で「ちょっと小屋は寝れそうにないので、テントを設営しますわ」というと、もうバケツリレーの如くワテのザックが外に運び出され、トドメに食糧やらカンズメやらと約3食分の『お土産』もつけてくれたのである。
醜い人間模様がクライマックスとなったので
『カムイミンタラ』な絶景をもう一丁!
小屋前のテント場は先程からの本降りの雨で、所々ぬかるんでやがるしィ。 でも、「ここは多少ナナメっていてもぬかるみよりはマシ」と草地にテントを張る。 どうやら、ワテと同じ目にあった奴(食料でつられて小屋を追い出されたテント屋)が4張りほどいたようである。 まぁ、テントの中に入ってしまえば雨風は凌げるしィ。
小屋が激混みする以外はいい所だよ
ヒサゴ沼は・・
※ 以前撮ったヒサゴ沼より
・・で、この日は、もらった豪勢な食糧を喰って、早めに寝る事にしよう。 明日は、三度目の盟主・トムラウシ山への登山である。
※ 続く《3日目》の行程は、次回の『第119回 その5』にて・・
日本人に成り済まして
「戦争反対!」「自衛隊解散!」「平和憲法を守れ!」
とガナるチョンのパヨクの目的は
チョンそしてその宗主国シナに
日本を売り渡して
テメエ自身はその『日本人民共和国』で
日本を隷属支配する長に収まる事
でも仮にパヨクの思惑通り
日本を乗っ取って隷属化したとしても
すぐにシナ共産党に邪魔者として
粛清されるだろうけど
そして天皇信奉右翼も間違いなく在日チョンで
その目的は在日チョンによる日本国の
乗っ取り支配だぁね
つまり右も左も日本人ではなく
在日チョンの日本人成り済ましで
その目的はチョンによる日本の隷属支配って事
:
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