2020-09-13 (Sun)✎
路線の思い出 第402回 近鉄大阪線・西青山駅 〔三重県〕
地下通路のような
西日本大手私鉄随一の秘境駅・西青山駅
※ 近鉄の駅紹介ウェブより
《路線データ》
近鉄大阪線営業区間と営業キロ 運行本数(’20)
大阪・上本町~伊勢中川 108.9km 特急(大阪~名古屋)毎時2本
※伊賀神戸停車は朝の1本のみ
(大阪~伊勢志摩)毎時2本
※伊賀神戸停車は毎時1本
急行 毎時2本(朝夕は快速急行)
※内毎時1本は次の駅・青山町発着列車
普通 (名張~伊勢中川)毎時1本
駅自体は高架下の
殺風景なコンクリート構造だ
※ ウィキペディア画像を拝借
西青山駅(にしあおやまえき)は、三重県伊賀市伊勢路字青山にある近鉄・大阪線の駅である。
相対式ホーム2面2線を持つ高架駅で、名張駅管理の無人駅である。 ホーム有効長は6両の為、ラッシュ時など8~10両の列車は名張駅で6両以上が切り離される。 駅の東側(伊勢中川側)には、近鉄最長の新青山トンネル(5,652m)が控えている。
下り列車(伊勢中川方面)は
駅を出るとすぐに
新青山トンネルに突入する
※ ウィキペディア画像を拝借
自動改札機は導入されておらず、PiTaPa・ICOCA専用の簡易改札機による対応となっている。
なお、自動券売機や乗車駅証明書発行機も導入されていない。 緊急時に伊賀神戸駅へ連絡できるインターホンが、各ホームに設置されている。
現在の駅出入口は国道165号寄り沿って駅舎のある南側1箇所のみで、かつては駅舎から国道を跨ぐ歩道橋が設置されていて国道の北側からも出入りできたが、2017年までに撤去されている。
汲み取り式便所で手洗いの水道さえ止められていた
駅トイレは不衛生という事で撤去され
急行停車駅でありながらトイレ無し駅と
なってしまった西青山駅
※ ウィキペディア画像を拝借
かつて設置されていたトイレは、閉鎖・解体されている。 2018年度の1日平均乗降人員は12人との事。 なお、三重県統計書による1日平均乗車人員は28人と実質4倍増となっている。
近鉄の長距離急行
この車両まだ現役だったりして
:
一般車両の塗装も写真のウデも
昔の方がずっといい
今より初めて一眼レフを持った
中ーの時の方が断然上手い!
列車ダイヤは、急行(桜井~榊原温泉口は各駅停車)・普通列車 (名張駅・青山町駅~伊勢中川駅間の運転)が停車する。 終日ほぼ毎時2本(急行・普通列車各1本)の列車が停車するが、急行は朝6時台~夜22時台までの運転であり、早朝・深夜は全て普通列車のみの停車となる。
近鉄の車両で例えると
この「顔デカ」ほどにインパクトのある
秘境駅がこの西青山駅だ
関東の大手私鉄エリアでの秘境駅が、乗り入れる東武鉄道の浅草直通の特急も停車する野岩鉄道の男鹿高原駅としたなら、西日本の大手私鉄エリアでの秘境駅は、今回取り上げる路線延長及び私鉄としての経営規模共に日本一の『大近鉄』の主要路線・大阪線上にある西青山駅だろう。
今の殿さまバッタのエース・カーは
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、その駅における利用統計も、男鹿高原駅が一日平均0.99人(2014年度)と『正統派』なのに対し、近鉄はその成り立ちが『M&A』(敵対的買収)により成りあがった黒歴史な鉄道会社だけあって、統計が二ケタだったり乗車人員のみで28人と発表するなど「胡散臭さ」満開なのである。
昔はイノブタだった
:
言える事はどちらも胡散臭い
だが、野岩鉄道の男鹿高原駅同様に駅の周辺に人家は全くなく、むしろ600m離れているとはいえ、最寄りの道路の国道121号線に茶屋のある男鹿高原駅の方が人家が存在するのである。 まぁ、西青山の駅前には阪伊を結ぶ主要国道165号線が通っており、車の通行量からみれば秘境駅でも何でもないのだが・・。
広い構内はハイキングイベントの
集合場所としてはいいかも・・ね
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、実質の1日平均の乗降人員は、2012年度の近鉄が正直だった時の「1人」だろうね。
でも、駅廃止を恐れた三重県とかが、近鉄主催の週末ハイキング(ハイキングの集合場所や解散場所に西青山駅が充てられる事が多い)の実施日の数値を当てはめたりしたんだろうね。 だって、三重県の統計書には「任意の1日における数値」って書いてあるしィ。
西青山駅の歴史は新青山トンネルの開通に
至るまでの階段と例える事ができるだろうね
※ 近鉄の駅紹介ウェブより
その西青山の駅の歴史を語ると、駅を出て伊勢中川方すぐにある青山トンネルにまつわる事だろう。
そもそも、なぜにこんな人家の全くない所に『西青山』という駅が設けられたかというと、それはかつての伊賀上津~伊勢中川の単線区間における列車行き違い駅・・、即ち『信号所』の性格をもって設けられた駅だったのである。
所属18編成全てでサヨナラ運転を行った
伝説の『ビスタカーⅡ世』が
実質信号所の旧西青山駅を通過する
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、この単線区間で近鉄最大の列車衝突事故が発生し、この事故を契機に輸送力増強及び所要時間の短縮、そして列車運行のより安全確保の為に、計画として挙がっていたトンネルの前後区間を含む単線区間の複線化計画を、前倒しして進める事となったのである。 その工事の主題となるのが、単線であった旧トンネルから複線化された新トンネルへの付け替えである。
工事区間は山岳区間であり、また地すべりが多発する脆い地形の為に難工事となったが、1972年の着工より3年の工期を経て、1975年に新青山トンネルが開通し供用を開始する。 また、事故が発生した東青山~榊原温泉口の間のトンネルも、直線的に貫く新線に付け替えられた。
ビスタカーからアーバンライナーへ
トンネルの付け替えと同時に
車両の用途も変わっていった
※ ウィキペディア画像を拝借
山を直線的に貫くと同時に念願の複線化も達成した新青山トンネルの開通は、この区間における安全かつ高速・大量という効率的な旅客輸送を可能とし、乗客の利便性向上や所要時間短縮など多くの恩恵をもたらしたのである。
だが新青山トンネルの開通によって
この駅の役割はなくなって秘境駅となった
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、こういった近鉄の歴史を紐解くのが面白く感じて、結構滝めぐりの合間にこの駅や旧西青山駅跡(現在は乗馬クラブの敷地となっている)をめぐっていた。
青山高原にある
推定落差100mの布引滝
:
滝大国・三重県には地図に載らない
大滝が無数に散らばっていた
だが、この頃は、主題が『滝めぐり』で近鉄及び『撮り鉄』は卒業していた!?ので、西青山駅や近鉄の写真は撮らなかったよ。 なので駅関係の写真は、全てウィキペディア画像など借りモノで・・。
でも、あまりにも借りモノだらけなのも何なので、昔取った大阪線の面白写真を混ぜてお茶を濁そうか。
やっぱり近鉄特急は
この配色が一番ですね
前回記事バナー下の続き
:
なぜこの一連の災害が
チョンの背乗り天皇ヒロヒトの
処刑・処罰を怠った事による
チョン由来の『Kの法則』かというと
治水ダムの建設を否定し
政権掌握期間中に下チョンへの
過大な融和政策を取って
我が国の経済をズタズタにした
ミンス(民主党)の所属議員の出自は
半数が日本人に成り済ましたチョンで
今もリッケンミンスと名はロンダリングするも
乗っ取られたマスニダとグルになって
チョン上げと我が国を徹底的に腐す
行動に終始しているのである
でもこんな反日の輩がなぜに
一時期とは言え国の政権を奪取するする位
大量に日本の国に蔓延るのか?
それはチョンの背乗り天皇ヒロヒトを
処刑・処罰する事で一斉追放する事が適った
密入国の在日チョンを逆に招き入れて居座わられ
在日特権を与えるようになってしまったからだ
:
次の記事のバナー下に続く
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No Subject * by 根室大喜
月が変われば侘しい駅巡りです^^)無理やり盛り上がります
No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
私自身の駅めぐりでは、侘しい方がいいですね。 駅降り鉄が全くいない事が、いい駅めぐりの最大条件ですね。
私自身の駅めぐりでは、侘しい方がいいですね。 駅降り鉄が全くいない事が、いい駅めぐりの最大条件ですね。
No Subject * by hanagon60
西青山は信号場だったんですね。
乗降客の数とは不釣り合いなほどの立派なホームが侘しいです。トイレも撤去されてしまったとは。
ここは10数年前に青山高原トレッキングに使いました。
旧線の廃線跡もちょっとだけ。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
乗降客の数とは不釣り合いなほどの立派なホームが侘しいです。トイレも撤去されてしまったとは。
ここは10数年前に青山高原トレッキングに使いました。
旧線の廃線跡もちょっとだけ。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
西青山駅は駅として開設されましたが、乗降客のいない山の中で、北海道の国鉄廃止線のように鉱山や木材搬出の集落があった訳でもなく、純粋に信号場の目的で設けられた駅のようですね。 だから、人の居住していた痕跡がなく、住宅跡の廃墟などは一切見当たりませんね。
でも、近年は近鉄主催のハイキングの集合・解散場所になる事が多く、青山高原散策の玄関口になってるようですね。 旧駅の乗馬クラブも送迎バスを出しているそうです。
これは、秘境駅卒業かな?
西青山駅は駅として開設されましたが、乗降客のいない山の中で、北海道の国鉄廃止線のように鉱山や木材搬出の集落があった訳でもなく、純粋に信号場の目的で設けられた駅のようですね。 だから、人の居住していた痕跡がなく、住宅跡の廃墟などは一切見当たりませんね。
でも、近年は近鉄主催のハイキングの集合・解散場所になる事が多く、青山高原散策の玄関口になってるようですね。 旧駅の乗馬クラブも送迎バスを出しているそうです。
これは、秘境駅卒業かな?