2020-09-03 (Thu)✎
路線の思い出 第400回 興浜北線・北見枝幸駅跡 〔北海道〕
駅跡を示す石碑があるだけの
最も交通公園らしくない施設となった
旧興浜北線・北見枝幸駅跡
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
浜頓別~北見枝幸 30.4km 111 / 2201
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
’85/ 7/ 1 宗谷バス 6往復
在りし時の北見枝幸駅
※ 『旅と鉄道』'83年春の号より
北見枝幸駅(きたみえさしえき)は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡枝幸町字栄町にあった国鉄・興浜北線の駅である。 興浜北線の廃線に伴い、1985年7月1日に廃駅となった。 1981年度の1日平均乗降客数は100人との事。
『ファースト北海道旅』での
北見枝幸駅での生き残り写真は
サブカメラ(ネガ)で撮ったコレのみ
北見枝幸駅は、天北線浜頓別駅からオホーツク海沿いに南下していた興浜北線の終端駅である。
当駅から南に向かい、興浜南線の終端駅である雄武駅との間50キロ強が鉄道で結ばれる興浜線計画があり、路盤や施設などは一部が建設されていたが、同区間は未成線のまま開通する事なく興浜北線・南線も廃止された。
美幸線と興浜未成線がつながれば
真に「ディスカバー・ジャパン」の
中心となった駅だったろうに・・ね
また、当駅は宗谷本線美深駅を起点とする美幸線の終点ともなる予定であったが、同線は『日本一の赤字線』となるほど経営環境が悪く、やはり路盤や施設などの一部が建設されていた仁宇布駅から先の未成区間も、建設工事が凍結された上で廃止された。
オホーツク縦貫鉄道の構想は
この駅の廃止と共に夢と消えた
:
モノクロサルベージしたので
濃くて滲む写真デス
駅は結構サルベージできるみたい
廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、興浜北線の終端駅であった。 ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した。 また貨物用などの側線を2線有し、その他にも駅舎側本線の延長上から浜頓別方の駅舎側に分岐し、駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。 構内には興浜線・美幸線未成区間の路盤が完成しており、レールの敷設が行われればすぐにでも列車が走行可能な状態であった。
終着駅って言葉は
旅情を感じるね
:
コレもサルベージ品
職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。 開業から5年目に改築された白壁の駅舎であった。 駅舎正面中央辺りに『興浜北線・終着駅 北見枝幸駅』の看板が建っていて、旅情を誘っていた。
鉄道在りし頃は町の外れだった駅跡周辺は
大規模スーバーマーケットが建つなど
今や町の中心と化している
※ ウィキペディア画像を拝借
駅名となる町名であるが、アイヌ語の「頭が・浜に・ついている・所」、即ち「岬」を意味する「エサウシイ(エサウシ)」に由来するとされる。 枝幸町は、宗谷支庁管内では稚内市に次いで2番目の大きな街であり、西條百貨店などがある。
駅舎跡地は交通公園として整備されており、『北見枝幸駅跡』の記念碑が建立されている。
その向かいに建つバスターミナルも駅跡だった敷地に建っている。
このような貴重な資料が展示されていたが
国鉄と犬猿の仲であった宗谷バスが
鉄道資料館での施設の貸し出しを拒否して
町のミュージアムに鉄道資料館が移された
:
ちなみにコレはワテの所有物
駅名標・行先標・乗車券・備品などの興浜北線の資料は、バスターミナル2階に開設された『交通記念館』に展示されていたが、バスターミナルの1階に移された後、2012年の時点ではバスターミナルから『オホーツクミュージアム枝幸』に移され、その一部のみ常設展示されている。 資料の多くは収蔵庫に保管されて通常は公開されていないが、収蔵庫公開の折に見る事が出来る。
4年ほど前に訪れた当時も
この駅前食堂は健在だった
※ ウィキペディア画像を拝借
以前は同施設の2階に置かれていただけであったが、現在は整理された形での展示となっている。
また、交通公園の周囲は駅前の雰囲気が残り『駅前食堂』という名の食堂や駅前旅館も残っている。
この食堂は2010年時点でも営業中である。 線路跡は町道『興浜線通』に転用されており、末端部分は国道の跨線橋下まで続いている。
もう廃止から35年経って
興浜北線の写真を撮っていただけで
幸運だった事になってるね
路線の思い出も400回目まで来ましたねぇ。 我ながら、よく続いたもんだ。 だが、ネタが切れて久しいのも事実で、チョロっと下りただけの駅をムリヤリ記事にしたり、写真はウィキペディアを中心に借りまくり・・が現状となっている。
終点・北見枝幸に到着する
興浜北線・普通列車
:
このサルベージ技で
何枚かの御霊が救われたよ
そして、最近は今回も使用したが如く、『ファースト北海道の旅』でフイルム間違いの為に青味がかかって全ボツとなった写真をモノクロ化する『失敗写真のサルベージ』もなりふり構わず使っているしィ。
鉄道が行き交ったあの頃と
鉄道が廃止となった今を比べて
線路以外の周囲の情景が
あの時と同じなのも
旅の感傷を呼び起こすね
でも、書く事は「かつての思い出」とか、無くなってから訪ねた時に感じた「駅が消えた感傷」とか、「今現在の状況」とか、「その遺構を探して」のどれかになるだろう。 まぁ、この4つがどの位の割合でミックスされるかで、記事の内容が書き手の特色や言いたい事や想いが表されるのだろうね。
駅跡を訪れて『無常感』を感じたのが
この斜内駅跡だった
まぁ、ワテの場合は乗った事ある路線の場合は、「かつての思い出」が記事内容の7割方を占めちゃうみたいである。 だから、この手の記事におけるワテの弱点は、表題の駅とは違う場所で撮ったモノも強引に載せてしまう事と、何度も以前掲載した写真を使い回す「使い回しの美学」のクドさが目立つ事だろうか。
使い回しの美学は
ふんだんに使ってまっす
恐らくコレ6回目の使い回し
・・だから、前に北見枝幸関連のネタを掲載した時から50回以上離しているしィ。 それでは、「我が青春のローカル線」・・、いくつになっても我が青春のローカル線」の興浜北線の終着駅・北見枝幸駅を、この『路線の思い出』の400回目のミレニアム記事として取り上げようか。
あの時に軋み音を立てながら
曲った岬直下の急カーブは
もう音がなり響く事のない
静かな岬情景となっていた
興浜南北線が在りし時は、未成線区間だった南線の終着駅・雄武より北線の終着駅・北見枝幸駅まではバスが連絡していた。 そして今は、鉄道があった区間もバスとなってしまった以外は、運行区間もバスの便数も変わらないとの事。 まぁ、鉄道があった興部~雄武や浜頓別~北見枝幸はそれなりの移動需要があっただろうけど、未成線区間の移動需要は途中の小さな集落より雄武・枝幸といった街への往復のみで、通しの乗客は皆無だろうし。
両端の鉄道が廃止諮問された頃の
興浜線の南北をつなぐ路線バス
※ グーグル画像を拝借
だから、バス路線で廃止となるなら未成線区間だろうね。 今は各地の路線バスでも、沿線住民の「免許人口1台」の車の保有によって廃止淘汰の危機に瀕している所が多くあるのだ。 現に鉄道が無くなってから、何度かオホーツク国道の未成線区間をレンタカーで飛ばした事があるが、この未成線区間は寂れる以前に「何もない」所だった。
この区間はただ単に北は枝幸・浜頓別・稚内へ、南は雄武・興部・紋別へ抜ける車の行き交う通り道と化していたよ。 未成線区間にある『道の駅・岡島』も、祭日でも一台の車もなかったしィ。
さて、未成線区間を連絡するバスは北見枝幸の駅前ではなく、宗谷バスの営業所を終点としていた為に、駅まで300mほど歩かされた記憶がある。 記憶では、国道より枝幸の市街に入った西條百貨店前が宗谷バスの『枝幸営業所前』だったと思うのだが、調べるとそうではないようだ。
スーパーの駐車場となったこの敷地は
駅在りし頃は
美幸線として建設中の路盤跡だったそうだ
※ ウィキペディア画像を拝借
それは、今現在に旧北見枝幸駅の横にある西條デパート(と言う名のスーバーマーケット)の出店開業が1998年と興浜北線の廃止後で、移転した記述もないからである。 ただ、国道の市街地の入口より駅まで300mほど歩かされたというのは、鉄道雑誌のルポにも記してあるので合っているだろうと思う。
駅跡は駅跡石碑だけの
最も「らしくない」
交通公園となっている
なお、今現在の北見枝幸駅跡は駅跡碑の置かれた交通公園となっていて、広かった駅の敷地跡には旧線路跡を道路に転用した『興浜線通』を挟んで、宗谷バスのバスターミナルが移転している。 そして、鉄道があった頃は市街地の外れっぽい所にあった駅が、現在は西條デパートやバスターミナルの建つ町の中心部となっているようだ。
駅跡の敷地には鉄道在りし頃から
国鉄とは犬猿関係にあった
宗谷バスのバスターミナルが入っている
:
この建物の2階が興浜北線の
鉄道資料室だったのだが・・
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、かつて宗谷バスのターミナルにあった興浜北線の資料展示室は、駅から300mも離れたバス停で運行を打ち切って駅前に立ち寄らないなど、鉄道在りし頃から国鉄とはいい関係ではなかった宗谷バスが、自社の営業所を資料展示室として貸し出す事を渋ったみたいで、興浜北線の資料展示室は町のミュージアムに移設されたようである。
汽車が描かれたモニュメント以外に何もなく
ぞんざいな扱いの感が拭えない
北見枝幸駅跡の交通公園
※ ウィキペディア画像を拝借
また駅跡の交通公園も、上に記した宗谷バスの『資料展示室』の扱いと同じく、ぞんざいに扱われている雰囲気が漂っている。 それは、『交通公園』と言いながら、あるのは大きな黒の駅跡碑と交通公園である事を示す汽車のタイル絵のモニュメントのみなのだから。 恐らく駅跡の遺構は、市街地拡大の邪魔とみられていたのだろうね。
駅跡から延びる線路跡は道路化されて
『興浜線通』と名乗っていた
※ ウィキペディア画像を拝借
さて、廃線跡は上に記した通り、『興浜線通』として住宅地化された街並みを貫く町道に転用されている。 その終点はバイパス化されて市街地を通らない国道238号の高架道路で行き止っている。
その『興浜線通』は1km程で
国道238号のバイパス道に
遮られる形で途絶えていた
※ グーグル画像を拝借
市街地は結構裕福そうな戸建て住宅が立ち並ぶが、約1.5kmほどで国道のバイパスと合流して市街地が終わる。 この枝幸町は、稚内市に次いで宗谷支庁第二の規模の町だそうだが、それでも人口1万人あまりでは、市街地もこの程度だろうと思う。
二つの廃止路線の終点の町を比べると
雄武が活気ある街に見えたのに対し
枝幸は寂れる街風景が目に着いた
そして、鉄道廃止後に街の中心となった旧北見枝幸駅より離れていくと、シャッターの閉まった店が軒並み現れるなど、街の中心部以外が寂れていく現実も垣間見れるのである。
安倍首相が辞任して
喜びはしゃぐパヨクのブログの
閲覧履歴が増えて気持ち悪い
マンガというには悍ましい
この国を侮辱するプロパガンダの
『はだしのチョン(ゲン)』のヒトモドキが
小踊りして安倍首相の辞任を祝う
到底チョンとしか思えない内容だ
でもおまエラは「平和憲法を守れ!」
「安倍内閣が辞職すれば日本は平和となる」
と言ったよな? それも毎日の如く何度も・・
なら今すぐシナに言って
おまエラが『平和憲法』という
現憲法を書いた書物を持参して
シナに平和の直談判しに行けよ!
シナを憲法9条の力で封じ込める
おまエラの言う平和を実現して見せろよ
その際にチョンの背乗りの天皇を
平和懇願の献上品として持っていく事は
一石二鳥なので大いに奨励するけど・・ね
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
>興浜線が繋がって、網走から稚内までオホーツク縦貫急行とか走ってくれたら…と夢見ていました。
私も同じく、夢を見てました。 私の場合はもっと拡大バージョンで、標津線・根北線を含めて根室から稚内までの構想を抱いていました。 もちろん縦貫急行も愛称を急行【流氷】と決めておりました。 くどく言えば停車駅も決めてました。
停車駅
根室・厚床・別海・中標津4・根室標津・知床羅臼口(予定駅の浜古多糠)・越川・斜里・浜小清水・網走・卯原内・常呂・浜佐呂間・佐呂間・計呂地・中湧別・紋別・渚滑・興部・雄武・北見音標(未成線最大の集落)・北見枝幸・浜頓別・鬼志別・南稚内・稚内
経由路線が根室~厚床が根室本線、厚床~根室標津が標津線、根室標津~斜里が根北線、斜里~網走が釧網本線で、ここまでキハ56が2両で網走からはグリーン車と指定席車3両を増結して5両編成
網走からは湧網線に入って中湧別まで、中湧別~興部は名寄本線、興部~浜頓別は興浜線、浜頓別より稚内は天北線経由の壮大な夢でした。 そして未だに、時折夢見ていますね。
そういった『夢』を連載記事にしたのが、『オホーツク縦貫鉄道の夢』夢です。
『オホーツク縦貫鉄道の夢 序章』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
より全41回。 『after』6回です。
ヒマがあって宜しければどうぞ。
>興浜線が繋がって、網走から稚内までオホーツク縦貫急行とか走ってくれたら…と夢見ていました。
私も同じく、夢を見てました。 私の場合はもっと拡大バージョンで、標津線・根北線を含めて根室から稚内までの構想を抱いていました。 もちろん縦貫急行も愛称を急行【流氷】と決めておりました。 くどく言えば停車駅も決めてました。
停車駅
根室・厚床・別海・中標津4・根室標津・知床羅臼口(予定駅の浜古多糠)・越川・斜里・浜小清水・網走・卯原内・常呂・浜佐呂間・佐呂間・計呂地・中湧別・紋別・渚滑・興部・雄武・北見音標(未成線最大の集落)・北見枝幸・浜頓別・鬼志別・南稚内・稚内
経由路線が根室~厚床が根室本線、厚床~根室標津が標津線、根室標津~斜里が根北線、斜里~網走が釧網本線で、ここまでキハ56が2両で網走からはグリーン車と指定席車3両を増結して5両編成
網走からは湧網線に入って中湧別まで、中湧別~興部は名寄本線、興部~浜頓別は興浜線、浜頓別より稚内は天北線経由の壮大な夢でした。 そして未だに、時折夢見ていますね。
そういった『夢』を連載記事にしたのが、『オホーツク縦貫鉄道の夢』夢です。
『オホーツク縦貫鉄道の夢 序章』
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
より全41回。 『after』6回です。
ヒマがあって宜しければどうぞ。
No Subject * by 根室大喜
貨車の花咲駅が廃駅になって、寄付した子孫に返されました
今はその家の焼肉ハウスに
嬉しかったです^^)
今はその家の焼肉ハウスに
嬉しかったです^^)
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
花咲駅・・、駅が廃止になった年のゴールデンウィークの旅で訪れました。
その時は廃止されて1ヶ月チョイで、駅の看板が外されていただけでした。
そこで、根室市内で買ったセイコーマートのカツ丼をこの駅跡で食いましたよ。
根室の春国岱には毎年のように通っていましたので、根室市内のセイコーマートと銭湯、コインランドリーの旅の『三種の神器』はきっちり押さえていました。 そして、寝床は『道の駅・根室スワン44』でレンタカー寝でした。
今年の冬も訪れる計画を立てています。
花咲駅・・、駅が廃止になった年のゴールデンウィークの旅で訪れました。
その時は廃止されて1ヶ月チョイで、駅の看板が外されていただけでした。
そこで、根室市内で買ったセイコーマートのカツ丼をこの駅跡で食いましたよ。
根室の春国岱には毎年のように通っていましたので、根室市内のセイコーマートと銭湯、コインランドリーの旅の『三種の神器』はきっちり押さえていました。 そして、寝床は『道の駅・根室スワン44』でレンタカー寝でした。
今年の冬も訪れる計画を立てています。
今は全てが儚き夢となってしまいましたねぇ。
ここは81年に訪れています。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-207.html