風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第447回  ファイナルの峰へ その2 (ファイナルの峰へ)

『日本百景』 晩夏 第447回  ファイナルの峰へ その2 (ファイナルの峰へ) 〔山梨県・静岡県〕

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登山口から道の間違え、沢筋を間違えて『遭難フラグ』
4度のシクじりを経て今・・、このファイナルの峰へ


  広河内岳 ひろごうちたけ (南アルプス国立公園)
広河内岳は、山梨県と静岡県とにまたがる赤石山脈にある山で、標高は2,895mと我が国の山でも100支の標高を示す高峰である。 農鳥岳の南2kmほどの所にあるが、奈良田ルートより外れた位置にあり、この峰を目指す登山者は少ない。

また、この広河内岳より南の赤石山脈は、山系の呼称を変えて白峰南嶺となり、この峰の先は進めば進むほどに踏跡は乏しくなっていく。 また、この先は大井川東俣の奥にある二軒屋ヒュッテまで無人の避難小屋を含めて山小屋は一切なく、登山の力量のある限られた登山者のみの領域となっている。

なお、白峰南嶺(しらねなんれい)とは、赤石山脈の間ノ岳から派生した稜線上の峰々で、西の大井川と東の早川(富士川水系)に挟まれた山域である。 白峰三山の南の嶺という意味である為、三山の南端である農鳥岳は含まない。



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〔名峰次選〕ファイナルアタック
《2日目》の行程図・その1

    行程記録             駐車場・トイレ・山小屋情報
《アプローチ》 戸台・仙流荘より南アルプス林道バス(1:50)→北沢峠を経て広河原
《1日目》 広河原(2:30)→白峰御池(0:30)→大樺沢二俣(3:30)→八本歯ノコル
     (0:30)→山荘短絡道分岐(1:20)→北岳山荘
《2日目》 北岳山荘(1:35)→間ノ岳(1:20)→農鳥小屋
      ※ 農鳥小屋の露営地でテントを設営して空身で広河内岳往復
       農鳥小屋(0:45)→西農鳥岳(1:05)→農鳥岳(1:10)大門沢下降点
        ※ 大門沢下降点より広河内岳往復・所要往復1時間
      大門沢下降点(1:10)→農鳥岳(1:05)西農鳥岳(0:45)→農鳥小屋
《3日目》 農鳥小屋(1:20)→間ノ岳(1:20)→北岳山荘(1:30)→北岳
     (1:10)→北岳・肩ノ小屋
《4日目》 北岳・肩ノ小屋(0:30)→小太郎尾根分岐(2:30)→大樺沢二俣
     (2:00)→広河原より南アルプス林道バス(1:50)→北沢峠を経て戸台・仙流荘
   ※ 前回の『第446回 ファイナルの峰へ その1』の続き

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祝福を受ける華やかなフナーレよりも
しみじみと達成を味わうのもいいもんだ

 《2日目》 しみじみと達成を味わうのもいいもんだ
昨日のポツポツ雨はさして大きく崩れる事はなく、夜半過ぎには満天の星空となっていたようだ。
朝の日の出は昨日の残り雲に遮られて今イチだったものの、空が明るくなっていくと共に爽やかな青空が広がる登山日和となってきた。

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ファイナル峰・広河内岳へは
間ノ岳・農鳥岳という”サミット”を
越えていかねばならない

昨日にキッチリとバテて余分な血糖が抜けたせいか、今日は何か調子がいい。 今朝目にして「ウェ~」と思った間ノ岳への稜線の道でも息が上らないよ。

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 鶴翼の如くに主稜線を広げる
巨大峰・間ノ岳
ヘタレであるにも関わらず
この時は写真を撮りながらも
息も上らず登れたよ

でも、最盛期の『軌跡の体力』の時は、見る人にして「走っているかの様」との驚嘆の声をもらっていたのは藪の中に。

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中白峰より望む仙丈ヶ岳
最初の3000m峰の中白峰まで
ノンストップ・30分で登れたよ

・・で、花を撮りながらも間ノ岳まで、久々の登りでのコースタイム切りを達成。 まぁ、10分程だけど。

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間ノ岳には「不届き至極!」の
思惑がもたげる
コースタイム10分アンダーだったよ

天気上々の間ノ岳の頂上で、スラリとした三角錐を魅せる北岳や、これより向かう農鳥岳の山塊などをカメラに収めて苦手の下りに臨む。 間ノ岳の頂上から見た農鳥岳の山塊は大して離れておらず、地図に記載された農鳥岳までのコースタイム2時間半は『噛ませ』にも感じる。

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間ノ岳の頂で望む
スラリと美しい三角錐を魅せる北岳

そして、かつての『奇跡の体力』の時には農鳥岳まで2時間を切っていた(ホントだよ!)事もあり、今日は体調も良くて間ノ岳までもコースタイムを切った事もあり、かなりお花畑な妄想の中にいたのである。

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コースタイムを切った事で
増長したタワケの妄想は
このトウヤクリンドウのように
真に花開こうとしていた 

それは、「コリャァ、広河内岳に11時には着いてしまうよ」という、コースタイム1時間以上ハショリの壮大な『脳内お花畑』である。 だが、これより400m下って300m登り返さないとならないのだ。

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かつては入道頭の塩見を越えて
その後ろの荒川三山まで
テント担いで歩いたんだよなぁ
と思うとまた今夜も枕(合羽)を
涙で濡らす事になるのだろうなぁ

しかし、かつての『奇跡の体力』が『メタボ脂肪』に変わっている事を完璧に忘却している恐ろしき『忘却力』の前では、目の前のアップダウンが「Not of 眼中」となっていたのであった。

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この「400m下って300m登り返し」を
スルーするとは何と御目出たい奴なんだ!
このタワケは・・

だが、「下り始めて判る! 己の下り技量の下手さ」が、下り始めて10分も立たぬ内に『お花畑』から現実に引き戻してくれた。 願わくば・・いつまでも夢の中に居たかったのだが、ザクザクの礫石に乗って、『オーバースリップ←ダウン(転倒)の手前の状態』をカマして我に返る。

『オーバースリップ』状態で踏ん張った為に、かつての『奇跡の体力』が『メタボッティ』に変わったタワケをして、『本日の持久体力の相当数』をこの踏ん張りで消費してしまったのである。
・・で、後に残るはズル滑りを恐れて足が出ず、農鳥小屋までの下り1時間のコースタイムを1時間30分もかかってしまったのである。

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間ノ岳から農取岳まで
2時間チョイで行ったんだけどなぁ
※ 四半世紀前に登った時の写真の使い回し

そして、下り始めに「広河内岳に11時・・」と『お花畑』に浸っていたが、ここでテントを張って水を購入(『メタボッティ』の今は、水場まで往復30分を歩く根性はない)しなければならないのだ。
この一連の動作で30~40分の時間がかかるのだ。

それに加えて、下りでコースタイム30分オーバーに気が萎え、危うく「広河内は明日にして、今日はここでストップ!」という毒気タップリの『黒雲』に呑まれる所だったよ。 まぁ、『メタボッティ』に変わって、元から人一倍あった「自分の気持ちに素直に従う」行動が更に磨かれたからねぇ。

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『黒雲』と記したが
この時のタワケの頭の中は
真にお花畑だったのは藪の中に

でも、その『黒雲』を吹き飛ばさねば、下手すると『5度目正直』が『6度越しの制圧』になっちまうのである。 だから、「テントを立てる際には、絶対に中で寝転がらないようにしよう」と心に誓う。
なぜなら、寝転がってしまうと筆者(タワケ)の性質上、そのまま起き上がる事が出来ずに「今日は御臨終」となる事必至だったからである。 要するに、このタワケはそこまで『ダメな子』なのである。

そのデンジャラスシーンは、テントを張って中にテントマットを敷く時である。 テントマットを広げる時に身体を這ってしまうと、筆者(タワケ)をして「今日は終了」のスイッチが入るのである
だから・・、タワケなりに「このような落とし穴に落ちぬ様」考えたよ。

そして、この『落とし穴』にハマらぬ、一つの完璧な答えが導き出されたのである。 それは、「テントマットは広河内岳から帰って来てから敷こう!」という事だ。 これは石を投げられかねない『答え』だが、この時の筆者は真剣に「これで『黒雲』は払いのけられる」と思っていたのである。

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〔名峰次選〕ファイナルアタック
《2日目》の行程図・その2
英知を結集して『6度目の制圧』に陥る危機を
何とか乗り越えて登山再開

さて、何とか『6度越しの制圧』への先延ばしの誘惑を振りほどいて、水とカメラと合羽だけの空身で西農鳥岳の登りに取り付く。 西農鳥岳は本峰の農鳥岳より25m高い標高3051m。 だが、登りは急ではあるが素直で、割とハイペースで登っていけた。 上り50分のコースタイムを40分で登りきって、西農鳥岳の裏側に移る。

ここから山塊の裏側を伝って40分で農鳥岳だが、この山塊の裏側は雪触を受けたのかガチャガチャの岩場の上下で、この区間を伝った感想を声を大にして言おう。 「絶対40分では無理!」と。
「行き帰りとも63分(偶然にも往路復路同タイム)かかったよ!」

『間ノ岳の下り』に続くビッグな『タイムオーバー』に、農鳥岳の頂上では心が折れかかったよ。
「農鳥から広河内までの往復に、コースタイムで2時間半か・・」、「道が嶮しければ、3時間以上だな」、「グズグスしてると、カンテラかざしての夜道歩きになりかねんなぁ」と、”疲れたオッさんモード”に入っちまったよ。

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農鳥岳に登り着いた時は遅れ気味に
焦って写真を撮らなかったので
四半世紀前に余裕で望んだ農鳥岳からの絶景おば・・
※ 四半世紀前に登った時の写真の使い回し

まぁ、ブチブチ言っても仕方がないので、北岳の三角錐(農鳥岳から魅る北岳が最も”三角錐”だと思う)をカメラに収め、取り敢えず目標を「日没までにテントに戻る」に下方修正して農鳥岳を発つ。
間ノ岳の頂上で「11時までにホニャラララ・・」と寝言を垂れていてたので、現実的にもその修正は必至だよね。

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四半世紀前は『奇跡の体力』たったから
少し離して他の山々を入れる」セオリー通りに
富士も余裕シャクシャクで撮って『2番星』に・・
※ 四半世紀前に登った時の写真の使い回し

さて、農鳥岳からは、思ったよりも歩き良いなだらかな下り坂がくのだが、同時にルートは二重山稜のようになっているその谷間に続いていて、周囲にはクレーターのような谷間が散らばっているので、間違えて変な谷間に迷い込みやすい・・、つまり道をロストしやすいのである。

それにメインルート過ぎる為か、思ったほど『ピンクリポン』がないのである。 まぁ、冷静さを失わなければ道を外す事はないと思われるが・・って、ここでもキッチリハイマツの茂るクレーター状の谷に入り込んで、道をロストしかけたタワケなのであるが。 しかも、その迷い込んだクレーター状の谷の入口の左側の足元に、背丈の低い杭のような道標もあったりして・・。

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ファイナル峰へのアブローチ点となる
大門沢下降点までは
この写真の如く五里霧中で
途方もなく長かった

・・で、これを下っていくと、「本当に遠かった」大門沢への下降点を示すべく設置された鐘が見えてくる。 でも、本当に遠かったよ。 その遠かった様子は、メインサイトの『コレってワザと!? 1つの山行で2度の神がかり「オチャメ」業』を見て頂くと判るだろう。

この鐘のある《大門沢下降点》からは、この地点を通る者のほぼ全てが、下降点を下りるか、下降点に向かって登ってくるか・・のどちらかだ。 つまり、ワテを除く全ての者が、この鐘の地点で90°折れて谷筋へと降りていく道ルートを往来する訳である。 そんな訳で、ワテの目指す広河内岳への取付点は、ハイマツに隠されて不明瞭だったよ。 まぁ、縦走ルートから外れて、人はほとんど通らないみたいだしィ。

そのハイマツに隠されて不明瞭な取付点をハイマツをまさぐって抜け出ると、広く緩やかな稜線上に出る。 稜線上は赤い岩石とハイマツの織り成す庭園状となっていて、所々にリンドウなどの秋の花々が岩間から姿を魅せている。 この庭園上の赤岩帯を越えると、こんもりとした頂の上に頂上標と思しき標柱が立っているのが見えてくる。

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あの上に立つ棒の所まで登りつめれば
永かったファイナル峰への道程も
ついに完結する 

これを目にして、少しときめいたよ。 なぜなら、5回のシクジリを経て、〔名峰次選〕の全峰登頂を目論んでから2年という年月を経た事などが頭を過ったからだ。 そして、〔名峰次選〕全峰踏破まであと8つとなってから、連発的に見舞われたシクジリや撤退の一つ一つを思い返しながら頂上へ向けて登っていく。

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2015年8月11日12時28分・・
ついに25年の時を越えて
ファイナルの峰の頂に立つ

・・2015年8月11日の昼の12時28分、全峰登頂のシーンをお花畑な妄想で仕立てた『ミレニアム』とは程遠い盆休みの1日に、25年の時を経てようやく全てを登りきる事ができた。 その喜びは、なんか照れくさい感じだった。 誰もいない・・、誰も目指そうとはしない峰の頂で、達成した歓びをテレ隠すように一人しみじみと味う。

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広河内岳から三峰岳の方向を望む 
華やかさはないが
しみじみと味わえる眺めだった

そう・・それは、目指す者が誰もいないワテだけの『オリジナル』である〔名峰次選〕の峰々に「ワテが完登した」という、ただそれだけの「誰も見ていない」し、「祝う者は誰一人いない」フィナーレをしみじみとかみしめようと思ったのである。

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ファイナル峰へ歩いてきた
道程を振り返るのもヨシ

何か自虐っぽい事を書いたが、こういう「我一人のパラダイス」なシュチュエーションをワテは大いに好むのである。 皆に囲まれて祝福を受けるより、こういう一人で達成感にひたってニヤつく方が性にあっているのである。

だから、対面にある《熊ノ平》の小屋や南アルプスの縦走路を眺めたり、ほとんど人が通らない未知の山域である広河内岳より先の山なみを望んで、どんな山なのかを想像してみる。 そして、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ・・、未知の山の方向へ散策してみる。 そう・・、許される時間ギリギリまでのほんの数分間だけ。

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 ちょっとだけ・・
ほんのちょっとだけ・・
未知の山の方向へ散策してみる
そう・・許される時間ギリギリまでの
ほんの数分間だけ・・

こうしていると、やがて農鳥岳で逆算して予想していた限界時間の13時過ぎがやってくる。 
お名残り惜しいけど・・、もうちょっと『我一人の達成感』にニヤついていたいが、想定時間を越えると下手すりゃカンテラを点けて稜線上を歩かねばならなくなるので、尻を上げる事にしよう。

帰りは「結構順調に歩いてこれた」と思ったが、登り着いた農鳥岳の頂上で時計をみると14時半を周っていたし、農鳥岳裏側のガチャガチャした岩場を伝って西農鳥からの下降点ではもう16時を周っていた。 でも、あの裏側の通過は、マジで1時間以上かかるよ。

まぁ、今は幸いに夏なのであと2時間は空が明るいだろうから、ヘタッている身(そりゃあ、都合10時間も歩くとヘタるよね)でも、明るい内に農鳥小屋のテント場に戻る事ができるだろう。 この下りで慌てて転ぶのもアホらしいので、テント場までゆっくりと下りる事にしよう。

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今夜はテントの中で
 今日に味わった
25年越しの達成感の余韻に浸ろう

ゆっくり歩いていく内に、大門沢から登ってきた者全てに抜かれたようで、16時40分に農鳥岳方面から殿っぽい感じで下りてきた。 後はテントの中で、今日に味わった25年越しの達成感の余韻に浸ろうと思う。

  ※ 続く《3日目》は。『第448回 贅沢な下山行』にて


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