風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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よも”ヤマ”話  第114話  幌尻・七ッ沼・戸蔦別 その4 (戸蔦別岳)

よも”ヤマ”話  第114話  幌尻・七ッ沼・戸蔦別 その4 (戸蔦別岳)〔北海道〕  '95・7
戸蔦別岳 1959m(2度目の登頂

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我一人の楽園・七ッ沼カールを
挟んで対峙する戸蔦別岳

  戸蔦別岳 とったべつたけ (日高山脈襟裳国定公園)
戸蔦別岳は日高山脈系に属する標高1959mの峰で、日高の盟主・幌尻岳とは七ッ沼カールを隔てるカール壁の痩せた尾根で連なっている。 山容は巨大な幌尻岳とは対照的に、美しい三角錐を魅せる尖ったピラミッド型の峰で、七ツ沼カール・北カールに加え、戸蔦別川上部にA・Bの2つのカールを抱く。 これらのカールは、2度の氷河期を経て形成されたものだという。

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北戸蔦別岳との間にある
A・Bの双子のカール

この峰の名の由来は、この峰に源を発する川のトッタベツ川からで、川の名の由来はアイヌ語の「Totta(大袋・箱)pet(川)」との事である。 上流部の切り立った峡谷を『箱・函』にたとえたものである。

2つの峰をつなぐカール壁上には尾根続きで道があり、両山一度に登る縦走ルートが開かれている。 そのルートは、幌尻山荘より北西尾根を登って幌尻岳・戸蔦別岳と2つの峰を踏み、北戸蔦別岳(1920m)との中間から額平川に下って六ノ沢より幌尻山荘に戻る周回ルートで、幌尻岳登山のモデルコースとなっている。 その他にも、千呂露川二岐沢から北戸蔦別岳経由のコースもある。



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幌尻・七ッ沼・戸蔦別回遊ルート 行程図

   行程表   ※ 当時の若き日の体力を元に作成 今はこの行程表通りに行くのはムリ      
《1日目》 平取町・振内より車(1:10)→林道・振内ゲート(1:20)→北電・額平川取水ダム
     (2:40)→幌尻山荘
《2日目》 幌尻山荘(1:30)→命の水(2:30)→幌尻岳(1:30)→七ッ沼カール底
《3日目》 七ッ沼カール底(1:20)→戸蔦別岳(3:00)→幌尻山荘(3:50)→林道・振内ゲートより車
     (1:10)→平取町・振内
   ※ 前回の『第113話 幌尻・七ッ沼・戸蔦別 その3』の続き

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戸蔦別の頂に立つと
七ッ沼カールの先の
日高の未知なる峰々を望む事ができる

  《3日目》 戸蔦別岳を踏んで下山
“楽園”の朝は叙情的だ。 カール壁がオレンジ色に染まり、山が沼に影を落とす。 たが、ゆっくりはしてられない。 今日は、イッキに下山せねばならないのだ。 歩行時間も8時間を超えるのだ。
従って、朝日がおりなすカール壁の素晴らしき景観を堪能したなら、早めに出発しよう。

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七ッ沼を後にする前に撮った
このアオノツガザクラを掲載して
カメラのハイブリットが
中途半端に壊れたのを思い出したよ

そう言えば111話沢歩き途中で、使っているカメラ『Canon F-1』のハイブリット機構が壊れたのを発見した続きを書くのを忘れてたよ。 その対処法は、ハイブリット機構の故障により電池を入れるとシャッターが切れなくなる」という真に鬱陶しい壊れ方をしたので、「電池を入れて露出を測り、露出を合せてから電池を抜いて機械シャッターにしてカメラを構えて撮る」という、「ひち面倒臭い」撮影法で撮っていたのである。 

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かつてブログのトップに掲載した
111話のこの花の写真も
「壊れかけのハイブリットカメラ」
で撮ったモノなのも藪の中に

もちろん、前回・前々回の記事の使い回しの写真以外は全て、この「ひち面倒臭い」撮影法で撮ったモノである。 おかげ様でヘンな力が抜けたのか、花の接写などはいつもよりいいのが撮れたみたいなのは藪の中に。 さて、話は脱線したが元に戻すとしよう。

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幌尻岳側の雪渓下りよりは
随分とマシな傾斜だが

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戸蔦別側の降り口もかなりキツイよ
※ 112話よりの使い回し

アオノツガザクラが満開のお花畑を横切って、戸蔦別岳側の踏跡をよじ登っていく。 戸蔦別岳側の踏跡は幌尻岳側よりましなものの、これとてかなりの急傾斜である。 また、落石も多いので気をつけたい。
約30分の急登でカール壁の上に出て、カール壁上を通る道と合流する。 

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カール壁の上から
「我一人の楽園」の
夢を紡いだ場所を望む

カール壁上を通るこの道を使えば、約10時間で一周して幌尻山荘へ戻れる。 だが、カール壁はハイマツ帯で、猛烈なブッシュ漕ぎとなる事を覚悟しておこう。 カール壁の上から《七ッ沼カール》を見下ろすと、沼が小さく見えてかなり登ってきた事が実感できるだろう。

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カール壁上に咲いていた
エゾノハクサンイチゲの花
その姿は宝石のような艶姿だ

カール壁のお花畑を愛でながら、戸蔦別岳に登っていこう。 約300mの急登に疲れを感じたなら、後ろ振り返ってみよう。 背後にそびえ立つ幌尻岳の勇姿と蒼く輝く《七ッ沼カール》の風景が、疲れを振り払ってくれる事だろう。 

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戸蔦別岳の頂より広がる
北日高国境稜線の山なみ

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北日高国境稜線の峰々でも
最も目立つのが
日高で第三の標高を誇るも
無名峰の通称・1967峰だ

カール底より約1時間半で、“花の峰”戸蔦別岳 1959メートル に着く。 戸蔦別岳の頂上は赤いリボンのくくられた竿が差してあるだけの侘しいものであるが、展望は雄大そのものである。 中部日高の盟主・カムイエクウチカウシ山 1979メートル を中心に、国境稜線の山なみを一望できる。

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戸蔦別岳の頂より
七ッ沼カールと
日高の盟主・幌尻岳を望む

振り返ると、《七ッ沼カール》・《北カール》を抱いた幌尻岳がそびえ立っている。 また、二つのカールを隔てるカール壁も、恐竜の背びれの如くギザギザに尖り立っている。 恐らく、この時間に日高の主脈に立っているのはワテだけであろう。 

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戸蔦別岳と幌尻岳をつなぐ
竜の背ビレのようなカール壁

ワテだけの“楽園”・・。 その高揚感は、口では言い表せない。 この感覚がある限り、ワテはずっと山を続けていけると思う。 さて、山の思い出を胸に下山しよう。 戸蔦別岳からは、赤土混じりのガレ場を北戸蔦別岳に向ってトラバース気味に下っていく。

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幌尻岳と花の器・北カール
眺望も欲しいままに

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少しズームを退くと
今回の山行で通った
ルートが一望できた

途中、塩基性赤土に咲く珍種の花のお花畑もあり、周りの展望も日高の山なみや《北カール》と幌尻岳など素晴らしいものばかりで、立ち去るのが惜しくなる。

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戸蔦別の頂より少し下った所で振り返ると
カール壁越しにカムエクや1839峰など
憧れやまぬ中部日高の峰々を望む事ができる

しばらく、赤土混じりの岩ガレを歩くと、『幌尻山荘・降り口』の立て札があり、ここから砂礫地の山肌を急降下していく。 これよりは、高低差900mを約2kmの距離で下りきる猛烈な下り坂だ。

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幌尻岳と北カールの絶景を最後に
2kmで標高差900mの
六ノ沢への猛烈な急下降が始まる

しかも、途中にハイマツ帯のブッシュ漕ぎや切り立った崖を巻いたりするなど、一筋縄ではいかない。
くれぐれも勢いに任せて駆け出したりせぬように・・。 足が笑い出してガクガクになる苦痛をこらえて、ひたすらに下っていく。 遙か下にあった沢からの瀬音が、徐々に大きくなってくる事だけが心の拠り所だ。 やがて、ハイマツ帯からダケカンバ林に突入し、下っているのが実感できる。

しかし、相変わらずの急坂は変わらない。 そして、まだ《六ノ沢》は遠い。 つま先の痛さをこらえつつ、延々と下り続けるしかないのだ。 そして、その痛みに諦めがついた頃、ようやく樹林帯を抜けて笹林に出る。 この笹林の果てに、《六ノ沢》が瀬音を響かせている。 

《六ノ沢》に着いたなら、辛い下りで腫れ上がった足を沢に浸して冷やしながら、日高の山の思い出に浸っている事だろうと思う。 後は、数回の徒渉を経て幌尻山荘の建つ《五ノ沢出合》へ。 幌尻山荘からは、往路を忠実に戻ろう。

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心洗ノ滝
幌尻山荘からは
往路で通った沢を戻っていく

《五ノ沢》からの渡渉は、往路で通った事もあり気分的には楽だか、油断は禁物。 落ち着いていこう。


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なぜ憲法改正が全く前に進まないのか?
それはチョンの背乗り・ヒロヒトが
日本人への『恨』とチョン母国の為に
現憲法の維持を厳命したその呪縛に
日本人が縛られているから・・

スパイ防止法を制定しても
「ザル法」だと言った理由
皇室に巣喰いチョンの背乗りを監視する
チョンの組織である創価学会によって
機密は筒抜けでしかも皇室は治外法権を持ち
日本国への裏切りに対して罰する事ができないからだ

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チョンの背乗りヒロヒトの処刑・処罰さえしていれば
これまでのチョンによる我が国への侮蔑が無かった理由
ヒロヒトをキチンと処刑・処罰さえしていれば
ヒロヒトの事を「日王ガ~」といってタカってきたチョン共を
「おまエラの言う『日王ヒロヒト』は
戦争犯罪の廉でキチンと処罰した」として
全てチョン本国に強制送還できたからである

武漢ウイルス災禍もチョンの背乗り天皇ヒロヒトを
キチンと処罰しなかった事での『Kの法則』といった理由
日本に対して恨を抱いたチョンのヒロヒトによって
日本は謝って金を出し続ける『謝罪ATM国家』に貶められ
それに付け込んだチョンやその宗主国シナは
日本から技術・金共にタカるだけタカり倒し肥え太っていった
兵器利用の為のウイルス科学技術も盗み持ち
世界覇権の思惑を抱くに至った
その開発途中の事故で流出・大拡散したのが
今回の『武漢ウイルス』である

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チョンとの国交断絶を望むなら
チョンの背乗り天皇のチョンへの追放が
最速かつ唯一無二の方法だと言った訳
国家間での国交断絶には
その前提となる理由がいる
その理由として「我が国の象徴である
皇室を乗っ取った憎き仇敵・チョン」
という理由が適用できるからである




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