2020-08-17 (Mon)✎
路線の思い出 第397回 天北線・寿仮乗降場 〔北海道〕
本当はカラー写真の
寿仮乗降場の写真
:
今回はド失敗の
サルベージに関するお話です
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
音威子府~南稚内 148.9km 418 / 884
廃止年月日 転換処置
’89/ 5/ 1 宗谷バス
廃止時運行本数
音威子府~稚内 下り7本・上り6本(内 急行1往復)
音威子府~浜頓別 1往復
声問~稚内 1往復《休日運休》
曲淵~稚内 上り1本
寿仮乗降場(ことぶきかりじょうこうじょう)は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町字寿に存在した、JR北海道・天北線の駅である。 天北線の廃線に伴い、1989年5月1日に廃駅となった。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
廃止時点で1面1線の単式ホームを有する駅で、ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した。 1955年12月2日に旭川鉄道管理局(国鉄)による「局設定」により、北見線(1961年に天北線と線名改称)の寿仮乗降場として開業する。 その後、1987年4月1日の国鉄分割民営化によってJR北海道の駅となると同時に、仮乗降場から旅客駅に昇格し寿駅となっていた。
駅名は当駅が所在していた地名からで、縁起のいい駅名であった事から廃止直前の1989年の正月より、管理駅の中頓別駅にて絵入りの硬券の入場券を販売していた。 国鉄末期から続く縁起切符ブームに便乗した形だが、奇しくも開設以来最初で最後の入場券となった。
天北線廃止後に、駅の施設は全て撤去されて何も残っておらず、附近にバス停があるのみである。
周囲は広大な原野が広がっている。 また、当駅跡より中頓別寄りに1km程進んだ国道沿いに、『中頓別・寿公園』というアウトドア施設のある野外公園があり、そこに蒸気機関車や航空自衛隊の戦闘機が展示されている。
タングステンでサルページした写真は
青が黒に代わるので強コントラストな写真となる
:
数年前の冬に立ち寄った時は
後ろのサイロも撤去されていたよ
天北線の仮乗降場めぐりは、初めて訪れた’83年の夏からちょくちょくめぐっていたのである。
だが、『秘境駅訪問』という行為が認知されて、鉄道趣味の一つのカテゴリとして『登録』されている今と違って、30年も昔のこの時期に駅舎もなく、しかも時刻表にも乗ってない「仮」駅・・、言わば「駅もどき」に立ち寄る奴など皆無だったよ。
まぁ、ワテの「初めての北海道」だった’83年の夏は、天北線や羽幌線などの路線は廃止の二次指定はされてはいたが、すぐに廃止を迫られていた訳でもなかったので、廃止を迫られていた一次の廃止対象線に比べると押し寄せる『鉄』も比較的少なかったのである。
まぁこの頃は乗降場なんて
全ての『鉄』がガン無視だったよ
そして、そのやってくる『鉄』も「乗り潰し」が目的で、『撮り鉄』は元よりこんな1両がギリギリ停まれる長さの板張りホームだけで駅舎もなく、目ぼしいものも何もない乗降場に目を向ける奴なんて皆無であった。
言わば、廃止対象線での一般の『鉄』の思惑の最優先事項が路線の完乗踏破で、その乗車経路の途中にはあまり食指を伸ばさないし、伸ばしても有人駅で『入場券・スタンプ・下車印』の『三種の神器』を取り扱う「駅舎のある有人駅」のみだったのである。
もう、車内では車窓風景などには目もくれずに時刻表とにらめっこしていたり、写真を撮っても乗っている車両の窓から「駅名標をパチリ」が関の山だったのである。 そらそうだわなぁ。 下手にフラっと何もない途中駅で下りてしまうと、次の列車まで数時間は開いてしまう路線がほとんどだったしィ。
線区の途中で自身を入れない駅名標を
しかも乗降場の駅名標を撮るなんて
この頃は有り得ない行動だったよ
つまり、持っているカメラは、乗車した路線の起点駅と終点駅で路線踏破の証明として、駅名標を入れて自身を撮る『アリバイ写真』撮影用でしかなかった訳である。 だから・・、廃止ローカル線の写真ってあまり出回っていないのですね。 要するに廃止ローカル線では、途中区間でその路線の姿を説明できるような写真を撮る事は、限りなく不可能に近かった訳なのである。
それに『撮り鉄』も、今のようにローカル線を車で追っかけるような奴も皆無で、『撮り鉄』といえばブルートレインやら特急『電車』・・、そして『SL』と言われる蒸気機関車のイベント撮影だったのである。
中頓別駅で売られていた
寿駅の絵入り入場券
※ 殿下より下げ渡しのモノをスキャン
まぁ、こんな誰もカメラを向けない『ローカル線』に、しかも「ローカル線に乗りにきた奴」でさえも見向きもしない仮乗降場のような「駅もどき」に『鉄』を立ち寄らせる唯一の話題といえば、広尾線の『愛国』・『幸福』で湧き上がった『縁起切符』ブームで、たまたまこの寿仮乗降場が「縁起のいい駅名」として『鉄道雑誌』に紹介されていた事であろうか。 でも、『愛国』・『幸福』のように、TV報道されて『全国区』になるような事はなかったけど。
その競合相手!?←(誰と競り合うつもりなんだろう・・このタワケガキ)皆無のほぼ独占状態で、まともに撮れさえすればレア写真の大量取得の大チャンス!?を、このタワケガキは見事にハズしたのである。
そのハズした原因は、使っていたリバーサルフイルム・コダックのエクタクロームのASA(ISO)感度が64と低く、シャッター速度が稼げない危機感を抱いたタワケガキが、160というASA(ISO)感度に釣られて、『室内用タングステンフイルム』の『160T*』に手をつけてこの旅に挑んでしまった事である。
でも、ローカル線の写真を撮っていくにつれて解っていった事だけど、1/500も1/1000ものシャッター速度を稼ぐ事が必要となる状況は、ローカル線の撮影ではほとんどないんだよね~。 だが、写真の知識を知らないタワケガキは、鉄道雑誌に御出演されていた鉄道写真界の重鎮である『鉄道写真家』の多くが言う、「高感度フィルムを使ってでもシャッター速度を稼ぐべし」という文言に惑わされてしまったんだよね~。
二回巻き上げにシャッター速度・絞りともフルマニュアル・・
おまけにピントも合致指標はあったがほぼ目測合わせの
大人でも扱えないシロモノを齢9歳から扱っていた
そのウデを信用するにはまだ歳が幼過ぎたね
そうなのである。 昔からレンジファインダーの「何の情報もないカメラ」を使って身に着けた『自分の力』を信用できずに、有名写真家の提唱するありきたりな撮影手法を信用してしまった訳である。
でも、ワテが撮っているのは、こういう有名写真家が撮るありきたりの被写体ではなく、ワテ独自のオリジナルである『風景鉄道』(風景が『主』で鉄道車両が『従』の写真)なのである。
だから、こういう有名写真家の提唱する撮影手法は、ワテにはほとんど当てはまらないのである。
けれど、「小僧だった」という事と初めての北海道の撮影旅で、「失敗したくない」という思いが強くてこうなってしまったのだろうね。 しかし結果は、メインカメラで撮った写真がタングステンの青色が掛かって全ボツという、最悪のモノとなったのである。
小3の時に初めて写真を撮り、それ以来培っていった自分の力を信用するには、まだ人生経験が幼過ぎるガキだった・・って訳ですね。←言っててこっ恥ずかしくないか?
最初のリベンジ旅で
天北線を獲ったのがこの写真
:
『ファースト・リベンジ』は今イチなデキで
更に『リベンジ心』をかき立てる事となったよ
でも、この「初めての北海道旅」の失敗が悔しくて悔しくてたまらずに、なりふり構わずの『リベンジの鬼』なれた事が、この失敗はワテの人生における一大起点になった事も確かである。 言わば、「失敗とその悔しさは、やがて大輪の花を咲かせる源となる」一例ですね。
『光の輪』
:
悔しくて悔しくて『リベンジ』を思い描き
今イチのデキにもめげずに
更なる『リベンジ心』をかき立てたからこそ
大輪の花を咲かす事ができました
まぁ、「なりふり構わず」ってのが、落第ギリギリまで計算して学校サボってローカル線を追っかけにいったり、真冬の北海道で駅寝したり、学割申請用紙に勝手に校長印を押しまくって学割&冬割ゲット(これで周遊券が4割以上安くなった)など、一般社会においてスポイルされかねない行動だったのだけれど。
でも天北線ではご覧の様に
失敗ばかり撮ってたなぁ
:
『撮り鉄』という遊びでも
真剣に失敗を悔しく思わねば
大輪の花は咲かないよ
でも、これを悔しく思わずに「仕方ない」と諦めてやり過ごしたなら、「悪い思い出」だけが残って『撮り鉄』・・いや『写真』からも離れていっただろうね。 そしてこの時に『デジタル』があって、フイルム選びで失敗したワテが安易に失敗回避策として『デジタル』を選んでいたなら、恐らく「全くもってつまらない」と感じて、写真からフェイドアウトしていただろうね。
撮ってモニター見て失敗だと思ったら
即消去のデジタルに写真撮りの魂を感じない
:
ワテが初めてカメラに触れた時が
フイルムカメラで心の底から良かったと思うよ
要するに、『失敗』のないモノ、裏を返せば『成功』の喜びがないモノ、そして『失敗』という過去を帳消しにできる『デジタル』では、ワテは花を咲かせる事ができないのである。 あらら・・、この事に関しても熱くなっちまうので、元に戻そう。
『リベンジの鬼』になれたからこそ
撮れた急行【天北】号の雄姿
寿仮乗降場は、『リベンジの鬼』となった冬にも訪れているのである。 もう、『リベンジの鬼』となっていたので、天北線が廃止ローカル線の最後として廃止される年まで、毎年の如く冬の北海道に訪れたよ。
所有者を名乗る訳の解らん輩が
ウェブ掲載を禁止する松音知駅も
現役時に撮ったけど・・
:
ついでに氷点下26℃で駅寝したけど
この時は乗降場のリバース(乗降場から乗って乗降場で下りる・・、今の『駅降り鉄』さんが使う駅踏破の乗降場バージョン)をしていたのだけれども、ここでも何を血迷うたのか・・他の乗降場の写真はキッチリ撮ったのに、寿は「一度下りた事があるしィ」という事で、撮っていなかったのである。
常盤は車窓から撮ったし
隣の仮乗降場の
新弥生も撮ったのに
なぜ寿は撮ら難ったのでしょう?
※ グーグル画像を拝借
上でカッコイイ台詞を吐きながら、飛んだトウヘンボクである。 なので苦肉の策で、あの「初めての北海道旅」でシクじった青味のかかったタングステンフイルムの原版のサルベージを思いつく。
それは、フォトショップにて白黒化する事だが、全ての写真で通用しないっていうか、この時撮ったタングステンフイルム原版の7割方が、白黒化で「まっ黒け」になるか滲むかのどちらかとなって使えないのである。
興浜南線・栄丘
:
理想は薄曇りで空が白っぽい時が
最もタングステンの影響が小さいみたい
特徴としては、青味の掛りが大きいモノは使えないようですね。 即ち、晴れて青空の出ている日に撮ったモノや、曇りで空がどんよりとグレー掛かっている日に撮ったモノ、そして被写体が青や紫がかったモノもダメのようですね。 要するに、薄曇りで周囲に青系の色がない写真のみ、サルベージ可って訳ですね。
馬鈴薯(ジャガイモ)の花
遠目から見ると白だけど
薄っすらと紫がかってるんだよね~
※ 北海道JAのウェブサイトより
だから、最もサルベージしたかった美幸線の「馬鈴薯の花と・・」は、馬鈴薯の花の白にタングステンが反応していたらしく、白黒化で花の一部が黒いまだら模様の花になっちまったよ。 ぢ・つ・わ・・、馬鈴薯の花って遠目からは白だけど、よく見るとごく薄く紫がかっているんだよね~。 だから『タングステン』君は過剰反応しまくり~ってな訳で・・。 若き日の過ちとはいえ、これには頭抱えたよ。
興浜南線・栄丘
:
興浜南線はサルベージ成功
でもトーンがキツくて黒潰れっぽい
でも、たとえ失敗・・、しかも超ド失敗とはいえ、失敗したタングステン原版を捨てずにいたからこそ、35年の時を経てこんな夢が見れたのである。 この事で撮影者の全てが「失敗したら、速攻でその場で消し去る」『デジタル』というシステムは、写真撮りとして抱く夢も・・、写真撮りとしての伸びしろも・・、全てを奪う『魔のシステム』だと思ったよ。 こりゃぁ、趣味としては一生涯使えないわ。
ヤマで3日全て雨にたたられて
今年の夏は終わったよ
帰ってからは記事を書くより
Yahoo!からの移転で
デットリンク多発の過去記事の
修正&校正に没頭したよ
その数1560記事・・
今年の1月の中頃から初めて
7ヶ月かかって漸く
85%処理済みまで漕ぎ着けたよ
漸く終わりが見えてきたけど
パソコンを見続けてきたので
もの凄い疲れ目となったよ
インドア作業って身体によくないね
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No Subject * by 根室大喜
花咲線とよく似た風景です^^)ホームと云うか駅と云うか、兎に角ポツンと
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんにちは。
花咲線だと、昆布盛と東根室がこんな板張り駅ですね。
でも、昆布盛はホーム脇に待合室があるので、この寿より格上ですね。
東根室は待合室はないですけどホームの長さが寿の倍あるので、こちらもやや格上ですね。
利用客は・・、スコアレスドローの引き分けって事で・・(笑)
花咲線だと、昆布盛と東根室がこんな板張り駅ですね。
でも、昆布盛はホーム脇に待合室があるので、この寿より格上ですね。
東根室は待合室はないですけどホームの長さが寿の倍あるので、こちらもやや格上ですね。
利用客は・・、スコアレスドローの引き分けって事で・・(笑)