風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第445回  悪天候化の大キレット

『日本百景』 夏 第445回  悪天候化の大キレット〔岐阜県・長野県〕

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今回の山行計画では
一番奥にそびえる峰の更に奥に
行くつもりだったけど・・

  大キレット だいきれっと (中部山岳国立公園)
長野県・岐阜県境(飛騨山脈)の南岳 3033m と、北穂高岳 3106m の間にあるV字状に切れ込んだ岩稜帯である。 八峰キレット・不帰キレットと共に三大キレットの一つとされている。 この縦走ルートは痩せた岩稜が連続し、《長谷川ピーク》 2841m や《飛騨泣き》といった難所が点在し、国内屈指の難易度を誇るルートといわれている。 キレットとは漢字で『切戸』と書き、外国語ではなく日本語である。

近年、関係者の尽力により足場などの設置が施され、以前に比べて危険度は減少している。 それでも毎年数名の死亡者と多数の負傷者が出ており、国内の一般登山ルートとしては今なお最高難度のルートの1つで、一般道に指定されているルート中では日本最難関とされ、"信州 山のグレーディング表"でも最難関の(E)に指定されている。 上高地より穂高連峰・大キレットを越えて槍ヶ岳に至るルートは、アルピニスト憧れのコースともいう。



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4日目〔飛騨乗越~南岳小屋〕行程図

    行程記録           駐車場・トイレ・山小屋情報
 《1日目》 大阪よりJR高山本線直通の特急【ひだ】(1日1往復のみ)で高山駅へ
        高山駅よりバスで新穂高温泉着 大阪からの所要 約6時間半
        新穂高温泉(1:05)→わさび平山荘(泊)
 《2日目》 わさび平山荘(0:20)→小池新道登山口(1:10)→秩父沢桟橋(2:00)鏡平山荘
      (1:00)→弓折岳分岐点(1:10)→双六キャンプ場
 《3日目》 双六キャンプ場(1:30)→樅沢岳(1:00)→左俣岳(0:30)→千丈乗越
      (1:35)→飛騨乗越キャンプ場
 《4日目》 飛騨乗越キャンプ場より槍ヶ岳往復・所要約1時間、飛騨乗越キャンプ場(1:20)→中岳
      (1:10)→南岳小屋(1:30)→最低ノコル(1:50)→長谷川ノコル
      (0:40)→A沢ノコル(1:30)→北穂高小屋
 《5日目》 北穂高小屋(4:10)→涸沢(3:10)→横尾(1:00)→徳沢
      (1:40)→上高地バスターミナルよりバス(1:20)→新島々より鉄道利用
      (0:30)→松本 ・・タイムオーバーで松本市内(泊)で翌朝高速バスで大阪へ戻る
   ※ 前回の『第444回 槍・西鎌尾根 その2』の続きです

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朝の槍ヶ岳頂上にて

  《4日目》 雨中の大キレット越え
今日の夜明け前は、頂上での御来光が期待できる満点の星空だった。 昨日は雷雨で登れなかった槍ヶ岳に、御来光登山の名目で夜明け前から登り始める。 出発は4時前。 カンテラをかざして早くも2/3は登っている奴もいたし、「登り待ち」があるだろうから、頂上での御来光は間に合わないだろう。

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夜明け前・・
北ア北部の山なみにも
間もなく朝の光が届けられるだろう


でも、夜明け前の2時3時からカンテラかざして鎖場をゆくのもどうか・・と思うし、御来光は魅れる所で確実に魅て撮る方がいいモノが撮れるので、槍ヶ岳の頂上での御来光はさほど執着心はないのである。

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朝の光が届く直前の
穂高の山なみ

それよりも、『槍の穂先と御来光のコラボ』の方が絵になるしィ。 その予測通りに御来光には間に合わなかったが、頂上でのいい朝の情景が撮れたよ。 それでは、槍ヶ岳の朝の絶景をごろうじろ。

槍の穂先での夜明け
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穂高の山塊が
夜明けの空にほのかに染まって

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地平線は厚い雲に覆われて
奇しくも頂上での御来光に間に合ったみたい


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夜明けの天海に浮かぶ
甲信越の山なみ

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 夜明けの天界には
美しきシルエットを魅せる
富士も浮かんでいた

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頂り見下ろす山荘は
まだ眠気まなこの如く・・だった

槍ヶ岳の朝を堪能して下りにかかる。 頂上に登った者が同時に下るようで、結構鎖場の通過待ちが生じたみたいだ。

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朝の光が届くと
山々は一日の胎動を始める

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槍の朝を堪能して下りにかかる

シーズンの槍の穂先は
常に登山者が数珠つなぎ・・だ

・・で、40分位かかってテント場に戻る。 出る前に出発の準備をしていたので、テント撤収もスムーズにできて、6:35に出発。

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テント場より
飛騨乗越と大喰岳を望む

テント場の段々畑を下ると、程なく『我が国では最標高の峠』といわれる《飛騨乗越》にさしかかる。
砂礫のつづら折りで下って《飛騨乗越》を越えると、大喰岳へ直登気味に登り返していく。

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テント場を発つと日本一高い峠の
飛騨乗越に下って大喰岳に登り返す


キツくもなく、さりとて緩やかでもない傾斜を20分ばかり登りつめると、岩が敷き詰められた広い丘状の上に出る。 標高3101mの大喰岳だ。 ここから望む槍ヶ岳の尖がった岩塔は、頃よく離れた位置から魅る事もあって絶品の眺めだ。

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大喰岳から望む槍は
ほど良く離れていて最も貫禄ある姿を魅せる
 


だが、今日は大キレットを越えていかねばならないので、写真撮影は早々に切り上げて先に進むとしよう。

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これより前に鎮座する中岳を越えて
背後の穂高の山々へ


ここから、砂礫の岩が敷き詰められたゴーロ帯を中岳との鞍部まで下る。 鞍部まで約150mほど下ると、中岳に向かって岩をよじ登っていく。

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中岳へは礫岩の
積み重なりを伝っていく

中岳の頂上直下はオーバーハングの大岩で、ハシゴでイッキにこの大岩をつめていく。
最後は這い上がるようにハングっている大岩をのめり上がると、中岳 3084m の頂上だ。

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中岳からの槍は少し離れてしまって
大喰岳より迫力に欠けるな


中岳の頂上からも槍ヶ岳が見渡せるが、比べると大喰岳の方がそびえる角度が良くて迫力がありそうだ。 中岳からは岩が敷き詰められたゴーロ帯を延々と下りていく感じだ。 このゴーロ帯の下りは、「歳を喰ってのヘタレ」を大いに感じるシーンである。

それは、下っても下っても下りている気を全く感じないのだ。 そう・・、下に見える下りきって次にそびえる南岳に向かって登り返す地点が、なかなか近づかないのである。 それだけならまだいいが、先にとっとと歩く登山者はあっという間にその「登り返す地点」に下りきって、南岳への登りに取り付いているのである。 そう・、他の登山者と引き離されるのが、目に見えて「判ってしまう」のである。

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ゴーロ帯を下りながら望む
常念山系
苦手な下りを紛らわすには
山岳展望しかあるまい

こういうのの繰り返しが、「ヘタレた自分」を悟る退廃感を大きくしていくのである。 こういったゴーロ帯は、こういうシーンをいつも目にして以来、「最も苦手な下り道」となってしまったよ。
逆に、登りの方は他の登山者とあまり引き離されるような事はなく、現状のヘタレた自身にとっては他の登山者に着いていける状況の道となったよ。

やがて、雨の為に大キレットより先が断念となって、この翌年のリベンジ山行で登る《氷河公園》のルートと合流して南岳に至る。

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南岳から望む槍
ここで槍とはしばしお別れ

駄菓子菓子・・
この山行で最後の槍の眺望となっちまったよ


南岳からの眺めは、殺生ヒュッテや《東鎌尾根》と併せてアングルを採るといいのが撮れそうだ。
南岳からは、ヘタレて下りが絶望的に遅くなったワテでも、10分もかからずに下の南岳小屋 に下り着く。

南岳小屋は9:20。 中岳の下りで他の登山者に引き離されるなどもっとかかっていると思ったが、コースタイム15分アンダーのまずまずの所要タイムだった。 取り敢えず、南岳小屋で缶ジュースと餡ドーナツを買って、その場で飲み食いしてエネルギー補給する。 小屋で20分ほど休憩してから、四半世紀の時を経て久方ぶりに《大キレット》に挑む。

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大キレット核心部行程図
ヘタレバージョン

《大キレット》に初めて挑んだ『奇跡の体力』の最盛期の頃は、山荘泊りの空身ではあったが《大キレット》を3時間チョイで越えてなおかつ、その先の北穂~涸沢岳の岩稜越えもこなして、都合の所要時間6時間で午前中に穂高岳山荘に着いているのである。 それで今回は、四半世紀という歳を喰ってヘタレて絶望的に遅くなった『下り』を引っさげて、なおかつ幕営装備一式21㎏を背負って(アムロ・・)行きまぁ~す!←前のカミーユ君で調子に乗ってるよ、このタワケは。

さて、四半世紀の時を経ての《大キレット》越えだが、南岳山荘より《大キレット》の南岳側に門番のようにそびえ立つ《獅子鼻》の岩塔の脇から、予想に反して石が敷き詰められた石畳状の階段をつづら折りを交えて下っていく。 でも、石畳状の階段になるなど、こんなに整備されているとは思いもしなかったよ。 この石畳の階段は50m位下ると途切れて、ガチャガチャの砕石帯の下りとなる。

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始めは整備された石畳みの階段道だが
程なくガチャガチャの砕石帯の下りとなる


ガチャガチャの砕石帯に入ると浮石に乗って転ぶのを恐れて、途端に足が遅くなる。 それは重荷を背負うと安定感を失うし、ちょっとした事で足首を捻ってしまうからだ。 それに加えて、前年の秋に酷い捻挫をした後遺症もあるし、なおかつ転んだダメージも重荷を背負うと倍増するのである。 それらを加えて、ヤバい所で転ぶと転落して「さよなら~」となりえる所でもあるからだ。 そういった要因が重なってなおかつ「歳食ってヘタレた自分」を認識してるのだから、より出る足が竦むのである。

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浮石に乗って転げ落ちると
奈落の底だ


やがて、キレットの最低鞍部への下りの最も難関地点のルンゼ状となった一枚岩を連続的な鎖とハシゴで下降する地点に差しかかる。

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キレット底への大下りの鎖場

伝家の宝刀『クマ下り』発動!


北穂高山荘で着いた後で、同じく《大キレット》を越えてきた登山者が語っていた事だが、最低鞍部へ下るワテの下る姿を見て、「下るのがこんなに遅いようでは、コイツはヤバいぞ! 明るい内に着けないかもしれんぞ!」と思われて、山荘での酒の肴となっていたらしいしィ。

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 長谷川ピークに取り付く頃には
快晴だった空が雲で覆われて
雨もポツリポツリと

「雨の中重荷を担いで難所をゆくヘタレ」として
北穂小屋で心配
(酒の肴となっていた)されていたらしい

でも、それからが「ゴキブリなみの足掻き力」の真価が発揮されるんだよね。 結果から先に言うと、最低鞍部まで下りきるのに1時間半もかかってしまったが、最後の北穂の350mのイッキ登りで取り返して、山荘に着いたのはビリではあったが、「ブービーで山荘に着いた登山者から遅れる事1分」まで取り戻したのである。

それは最低鞍部までの下りは絶望的に遅く、他の登山者に引き離されるだけ引き離されたが、これよりの登り道中・・、特に北穂の直登は、重荷を背負いながらも他の登山者とどっこいどっこいの所要時間で登りきっていたのである。

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下りは絶望的に遅いが
登りは重荷を担いでも他の登山者に追いつく
ペースブローカーぶりだった

さて、ともかく絶望的に遅い下りを乗りきったのだから、これからの上りの道中はヘバらないように力まずに登っていくといいのである。 やがて、《長谷川ピーク》への岩のよじ登りを経て、《大キレット》最大の難所である《長谷川ピーク》よりナイフリッジを跨いでの《A沢ノコル》への垂直岩稜下りに差しかかる。

ここの鎖は、嫌がらせでもしてるかのように太っとくて握り辛かった記憶があるのだ。 そして四半世紀を経た今も、太っとくて握り辛かったよ。 けれど、アングルはボルトが打ち込まれていただけだったのが、板のステップに替えられているなど難易度は随分と下がって、割と容易に通過できるようになったみたいである。

でも、《長谷川ピーク》の最初の下りの足のホールドが、(足の短い)ワテでは足が届かずにナイフリッジにしがみついて鎖を手繰らねばならないのと、ナイフリッジを跨ぐ際の両側が切れ立っているのが目に入る事に注意が必要だ。 何せ、シクじれは「さようなら~」なのだから。

それと、あれほど良かった空が泣き出してしとしと雨が降る嫌な展開となった事で、整備されて通過しやすくなった事は相殺されたようである。 ・・で、歳食ってヘタレに歯止めがかからない事と幕営装備一式を担いでの難所越えという事で、前回の若き日の時と比較すると圧倒的に不利かな!?

まぁ、この《長谷川ビーク》より数段恐ろしい戸隠・西岳の《蟻ノ戸渡リ》をこなした経験があるから、ワテとしては結構平気なんだよね。 ・・で、何とか《A沢ノコル》へ下りきる。 この《A沢ノコル》は広く、ザックを下ろして休憩できるテラスのような所だ。 当然、ここに着いたら皆ザックを下ろして、雨降りなのにもかかわらずに足を伸ばして休憩している。 もちろん、多くの人が水を飲んでいる。

ちなみに、ワテがこの《A沢ノコル》に下り着いた時の状況だが、「足を伸ばして休憩していた登山者は全て出発し、最後の出発となったブービーの登山者が、ワテが下り着くちょっと前に北穂への直登を登り始めた・・って所である。

ワテも《A沢ノコル》に着いてから、ステック紅茶を溶かして飲むなど10分ばかり休憩を取ったので、このブービーの登山者より10分近く登るのが早かったって事になるね。 まぁ、こういう「いい事」でも語らないとやってられないし・・ね。  さて、ワテもブービーの登山者に続いて、北穂までのこの350mを登っていくとしようか。

この登りは、基本的には「岩塊を両手両足を使って這い上がる」感じでよじ登っていく。 登山道を整備する側も「この程度なら鎖は必要なし」としたのか、あまり鎖の設置はない。 それに背後は極端に切れ落ちたりしているでもなく、そんなに恐怖感を伴わない登りだ。

まぁ、《飛騨泣き》のようにスッパリと切れ落ちて通過に恐怖感を伴いそうな所は、《長谷川ピーク》の下りの様に『足の着地ステップ』がいい間隔で設置されていて、鎖が太っといのを除けば「致せり尽くせり」である。 なので、25年の時を経て《飛騨泣き》は通過に困難な所ではなくなったみたいである。

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雨の飛騨泣きを越える

この時ばかりは雨が
他の登山者のペースを落とす
ワテの味方となったよ

駄菓子菓子、それはいい天気であったればこそで、この時にワテが通った時の空模様は『にわか雨』がシトシト降る「いやァ~な展開」だったのである。 まぁ、最大の難所の《長谷川ピーク》の下りでも、飛騨泣きよりマシだったけどシトシト雨が降ってたしィ。 でも、気を集中してると、雨はあまり気にならなかったよ。 「ズル滑りでもしない限り、反ってクールダウンできたんじゃないかな?」と良いように取るワテでした。

雨の《飛騨泣き》を通過すると、取り立てて転落するような危険な所はなくなって、後は山荘の建つ頂上直下までをイッキ登りするだけだ。 そして、この北穂の岩盤は時折スレートの一枚岩の登りがあるので、ここから鎖やハシゴがホツリポツリと現れる。 難所において、ハシゴっていいんだよね~。 幕営装備一式を担いだデカザックが引っ掛かったりする心配はないし、背負う荷が重く感じる事もないしィ。

そして最後の梯子を登り終えて岩上でホールドするまでは、ハシゴの支柱やステップが「これ以上に無い最高のホールド点」となるので、これ以上になく無く安心して高度を稼げるんだよね。 但し、岩から垂らしただけの「掛けハシゴ」は除くけど。

また鎖場の登りも、なぜかヘタレにヘタッたワテには相性がいいみたいで、垂直に近い鎖場登りでもあまり苦にならないんだよね。 何せ、他の登山者より重くてデカいザックを担いでも、鎖場の登りは空身の登山者と同じ位に登れるし(でも下りは、絶望的に遅いけど)。 それで、この鎖場でついにブービー登山者に追いついたよ。

だが鎖場は『定員1名』だし、この登山者は鎖場が苦手なようで上から石を落としてきたので、危ないから視界から消えるまで待つ事にしたよ。 そうこうしてる内に、「アト小屋まで5分」のプラカードが立つつづら折りとなり、そろそろに北穂高小屋が整備したと思われる落石止めの角材や目止めの板などが見えてくる。 だが、雨はますます強くなって、本降りの様相を呈してきた。

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この間雨で写真が撮れなかったので
雨に濡れた花で代弁しようか


「こりぁあ、テントは無理だね」と、北穂高山荘で止まる事を決めて、「アト5分って事は、今のワテなら15分」と卑屈な独り言をつぶやきながら、山荘裏手のの隙間から這い上がるように登り着く。
時間は14:45。 所要時間は5時間チョイだったよ。 装備一式を担いでるとはいえ、かつての最盛期より2時間近く時間かかったよ。

登り着いて宿泊手続きをすべく山荘に入ると、早くに着いてほろ酔い気分となった登山者が、「あら・・、無事に着いたのか!」、「(ワテの)あまりもの下りの遅さをみて、”アレじゃぁヤバいよ”と心配してたんだよ」と、褒めてるのか貶してるか判らん歓迎の言葉を頂いたよ。

でも、実際に《最低のコル》までの下りで1時間半を使って、最後はブービー登山者に追いついたのだから「登りはまだ許容範囲でないかい!?」と自分に優しいワテであった。 先にも述べたが、重荷を担ぐと転ぶとダメージがデカいので、転びやすい岩場は足が竦んでどうしても遅くなるけどね。 それに、足首に踏ん張る力がなくなったし・・ね。 まぁ、それが昂じて、絶望的に遅くなっちまったけど。

北穂高山荘は雰囲気が良くて、食事後の団らんタイムは気の合う登山者と消灯時間まで談笑してしまったよ。 北アの山荘ではトップクラスに雰囲気のいい山荘でないかい? でも、外は『本降りの雨』から『土砂降りの雨』にバージョンアップしてたよ。 明日が心配だなぁ。



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あぁ・・遥かなる槍ヶ岳

この日の日本列島は
記録的な豪雨となり
槍の穂先も奥穂~西穂のリベンジも
来年回しとなった

  《5日目》 この先は断念して上高地へ下山
この山荘に泊った事で、もう山荘に泊る余裕がなくなった。 「余裕がなくなった」というのは所持金の事で、残り10000円を切ってしまったのである。 松本市内まで出るとコンビニのATMで引き出せるので帰りの心配はいらないが、それでもバス代の3000円は残さねば『沢渡まで徒歩⇒新島々までヒッチハイク』となっちまう。 なので、「雨という事もあるし、この先は断念して下りよう」と決めて寝る。
でも、「雨っていうか」ってより、この土砂降りの雨を目にして、先に行けるとは思えんよな。

翌朝は朝4時起きる。 雨は昨日夜の土砂降りからよりは少しマシになったものの、本降りの雨。
昨日決めた通りに北穂から《涸沢》経由で上高地に降りる事にした。 山荘に泊ったので食糧が1日分余ったけど、この雨の中で自炊して食う訳にもいかないので、山荘でパンを買って朝飯にする。
・・で、本降りの雨の中、合羽を着込んで5:30に出発。 もう、ザックに当たる雨の音が「ボツボツボツ!」と耳につんざいたよ。

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5日目〔北穂山荘~南陵ルート~涸沢〕下山ルート 行程図
大雨時のヘタレ下山バージョン

山荘の屋上に当たる北穂高岳の山頂は雨の中でする事もないので、足早に通り過ぎる。 ここから50m近く上下して、北穂高岳の南峰の《涸沢》への分岐点へ。 ここは北穂高山荘の管理するテント場があるが、『トイレ無し・水場』で使えたモノでないので山荘に泊るしか手はなかったであろう。 この分岐から《涸沢》まで1.9kmの道標が立っている。

「1.9kmの短い距離なら、下りが遅いワテでも案外早く《涸沢》に下りれるかも」との甘い見通しは、本降りの雨によってズタボロとなったよ。 それは北穂から《涸沢》へのルートが、一般下山道では『反則』のホールドがほとんどないスラブのツルツル一枚岩の鎖下降アリ~の、これを下るとハシゴに直結だの、下りでワテが最も嫌うゴーロのジグザグ下りが続くの・・と、散々なルートだったよ。

スラブのツルツル一枚岩の鎖下降なんぞは、《大キレット》の《長谷川ピーク》の下りよりエゲツなかったよ。 最後の梯子からの着地では滑って転んで、帰ってから気がついたのだがザックがバッサリと裂けていたよ。 お陰でザック買い直さねばならなくなったしィ。

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秋の花・マツムシソウ
大雨で写真どころでなかったので
花の写真おば・・


また、ゴーロ帯下りは、下に《涸沢》の山荘が見えてるのに1時間以上着かず、おまけに山荘に近づいた石畳の道は溢れた雨の水で水深5cmの『急流すべり』となっていたよ。 ・・で、この1.9kmを下りきって《涸沢》の上にある山荘に着いたのは、10時前と4時間以上かかってやんの。 でも、「これで着いた」のではない。 確かに大雨の中の『デンジャラスゾーン』は乗り越えたけど、横尾を経て上高地までまだあと6時間近くを歩かねばならないのである。

もう、合羽でさえ搾れば水が滴り落ちる程にボトボトに濡れて、ザックは雨水を含んで+2~3㎏増しになってたよ。 その上、さすがにこの雨ではカメラを首にぶら下げて行く事もできないので、ザックにしまったので更に+1㎏となって、食糧1食分しかないのに精神的な重さのリミットである25㎏に近づいていたような気がする。 だから、涸沢からの下りもヘバったよ。 もう、所構わず平たく座れる岩を見つけては、座り休憩をカマしていたよ。

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ミヤマリンドウ
上の花写真のコメントに以下同文

何でもこの日の長野市では
時間雨量55ミリの豪雨だったらしい

横尾からの上高地『林道』も、砂利の掘れた部分が道路の側溝ようになって溢れかえっていたよ。
もう、歩く毎に水を含んだ靴が「ブチャブチャ」と不快な感覚と異音を鳴らしていたしィ。 
今の大雨の状況で唯一「いい事」といえば、観光客がいない事・・かな!? まぁ、当然だけど。
・・で、涸沢から横尾までがヘバって3時間チョイ、横尾から上高地まで所要2:40で、16:20に上高地に到着。 でも、『バカッパ橋』に誰もいない光景を始めて見たよ。

バスターミナルの屋根の下に入って、ようやく10時間半に及ぶ「雨に打たれ続けた時間」は終止符を迎えた。 でも、10時間半も雨に打たれ続けてまだ歩けるのだから、ワテって結構スコいと思うしィ。
バスターミナルでズブ濡れとなったTシャツを脱いで、即効替えのTシャツに着替える。
幸い、ポリ袋に包んだ替えの下着などは浸水を免れていたようだ。 試しに脱いだTシャツを搾ると、半分濁った水が1リッター以上出たよ。

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ノジギク

11時間雨に打たれ続けて耐えれるなんて
少しは体力が復活した!?
でもザックのショルダーで締めつけられて
肩が血行障害となってしまって
2日間手が頭より上に上らなかったよ

そんなこんなの着替えで30分近くかかり、乗れたのは17時のバスだった。 こんなに遅い時刻のバスだと、まず大阪まで戻れないだろうな。 もちろん、松本~大阪の高速夜行バスも満席だったし。
となると、通常は大糸線のどこぞの駅で駅寝となるのだが、こんなに雨に打たれてはそれをする気力もないし、さすがに身体も拒絶反応を示す。 10時間以上担いだザックのバンドで血行障害を起こして肩がヤラレて、両腕が肩より上に上らなくなっちまったのである。

もう、仕方がないので、松本駅のATMで金を引き出して『東横イン』に泊る。 でも、『東横イン』も「残り最後の一室」で、会員にならねば宿泊拒否の返答だったよ。 だから、入会料金2000円ボッタクられて、ビジホなのに1泊8700円。 やっと風呂に入れたよ。 ホテルのユニットバスだけど。
翌朝、大阪行きの高速バスに乗って帰る。 あぁ・・、北穂~涸沢が未踏という来年越しの山行記となってしまったよ。

・・この山行を一括で御覧になるなら、我がメインサイトの『撮影旅行記』よりコチラをどうぞ。
ついでに第2弾第3弾も見て頂くと、筆者(タワケ)としては至福の喜びでっす。


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日本政府がやらねばならぬ事
景気対策と防疫対策を両立させるのなら
下手に感染を拡大させる無節操な検査ではなく
クラスター要因の罰則付の規制だ

ライブハウスやら番組制作や収録などの芸能活動は全面禁止
遊戯施設やパチンコなどのアミューズメントも全面禁止
夜の会食や夜の接待はPM8時以降は禁止
日本に悪意を持つマスニダの虚実報道は即摘発と放送免許剥奪

これくらいやらねばクラスター要因は潰せない
そしてこういったクラスター要因は全て
在日チョンやシナが胴元となっている
つまりこのヒト◇ドキ共を摘発し
日本から追放すれば自然と終息に向かうのだ

その為には手始めにスパイ防止法の制定と
国を守る事を放棄した現憲法を破棄し
シナ・チョンの挑発行為に即時報復対応ができて
なおかつ先に敵の攻撃目標を
的確に殲滅できる武力の保有だ

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それをもって全世界と協力して
シナ共産党及び西側を騙るチョンを
徹底的に追い込んで潰してしまわねば
この武漢ウイルス災禍もなかなか終わらないだろう


でもその全てを阻害してるのが
チョンの背乗りの天皇及び皇室なんだよね
スパイ防止法を制定したとしても
宮内庁内に巣喰う創価学会(チョンの組織)
によって筒抜けだし機密が漏れても
皇室という事で罰する事ができないザル法となるよ







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