風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第394回  深名線・沼牛駅

路線の思い出  第394回  深名線・沼牛駅 〔北海道

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現役時代の沼牛駅
イベント改装でお色直しされた今より
生きている感じがするのは
やはり駅舎として建てられた目的に
則しているからだろうね

《路線データ》
       営業区間と営業キロ        輸送密度(’79) / 営業係数(’83) 
     深川~名寄 121.8km            168  /   3157

         廃止年月日                転換処置
                      ’95/ 9/ 4                   名士バス
 
廃止時運行本数
       深川~名寄  1往復(車両は直通・列車番号は朱鞠内で変わる)
       深川~朱鞠内 下り3本・上り2本
       深川~幌加内 下り1本・上り2本
       朱鞠内~名寄 2往復

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イベント改装のお色直しを
受けて甦った沼牛駅
※ 沼牛駅保存会のウェブより

沼牛駅(ぬまうしえき)は、北海道(空知支庁)雨竜郡幌加内町字下幌加内にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。深名線の廃線に伴い1995年(平成7年)9月4日に廃駅となった。 1992年の1日平均の乗降客数は8人との事。

廃止時点で単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の東側(名寄方面に向かって右手側)に存在した。 無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。 駅舎は構内の西側に位置しホーム北側に接していた。 古ぼけた木造駅舎で痛みが激しかった。 その他、本線の深川方から分岐し駅舎南側への側線を1線有していて、かつては列車交換可能な交換駅であった。 

1983年時点では、交換設備運用廃止後に使われなくなった対向ホーム側(ホームは撤去されていた)の1線が、深川方・名寄方の両方向ともに分岐器が維持された形で側線として残っていたが、その後1993年までには撤去されている。 ホーム前後の線路は、分岐器の名残で湾曲していた。

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駅名は雨竜川由来の説が
多くなっている

駅名の由来は当駅の所在地近辺の地名からで、その地名の由来は諸説あり、現在の沼牛川のアイヌ語名・ヌマウㇱホㇿカナイ(numa-us-horkanay)→毛が・多い・幌加内川(の支流)が原型ではないかとしている。 また、この場合の「ヌマ(numa)」が指しているのは、水草ではないかとしている。

その他にも、昭和25年版で改定される以前までの国鉄北海道総局による『駅名の起源』で、「沼牛川と幌加内川の合流点に牛が伏したが如くの形の沼があった」という説が紹介されていたという。 

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駅周辺の野っ原の情景が広がる様に
ヌㇷ゚(nup)→『野』を指して
広大な野を意味する
という説にも頷ける

また、ヌㇺウㇱホㇿカナイ(num-us-horkanay)→果実(クルミ)が・多い・幌加内川(の支流)というのが、『駅名の起源』の昭和25年版以降で解説されている。 なお、ここでの「ヌㇺ(num)」はクルミを指したものとされている。 その他、沼ヌプ(nup)→『野』を指して、広大な野を意味するという説もある。

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お色直し前の沼牛駅舎
このまま放置され続けたなら
恐らく解体されていた事だろう
※ ウィキペディア画像を拝借

駅跡であるが、駅舎は奇跡的に撤去される事無く廃止後は倉庫として使用されていたが、2015年7月18日に当年9月で廃止後20年になるのを記念して、町民や鉄道ファンにより数か月をかけて駅舎を清掃・修復し、駅名板を旧ホームに設置するなど廃止前の姿を復元するイベントの「おかえり沼牛駅」が開催された。

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「おかえり沼牛駅」イベント
開催時の沼牛駅舎内
※ 沼牛駅保存会のウェブより

2016年(平成28年)5月に解体された旧・北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の上利別駅の駅舎の部材も活用し、同年9月から改修作業が行われた。 同工事は同年11月6日に完成し、同日お披露目となった。



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今回は廃止前と廃止後に
立ち寄った駅の思い出おば
※ ウィキペディア画像を拝借

この沼牛駅は、深名線が廃止になる直前と、廃止となって上に記した「おかえり沼牛駅」のイベントの後に訪れている。 だが、残念な事に、深名線が廃止となる直前で列車が運行していた『往時』は、大方の廃止ローカル線の廃止・淘汰で『○鉄』への情熱を失ってヤマに夢中だった事もあり、この時の深名線路線域への「訪問理由」は、深名線の「駅寝の神様が宿る」良質で育ちのいい木造駅舎を一夜の宿として借りる為であったのである。

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現役時代も『駅寝力』
抜群の駅だった沼牛駅

まぁ、この駅も『駅寝力』が高く候補駅であったが、さすがにベットまであるこの駅には敵わなかったよ。 当然、駅寝もベットのあるこの駅で・・。 もう、ベットの上に寝っ転がって、マンガを読む「旅に出て家にいるのと変わらない」至福の怠惰を堪能したよ。

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6往復の運行があれば
撮り鉄にも苦労しないのだけれど
末期は4往復しかなかったしィ
※ 沼牛駅保存会のウェブより

・・で、駅寝をする為に深名線界隈を訪れたこの日は、日高の山から大雪の山への移動日&休息日で、取り敢えず午前中はフリーだったのである。 まぁ、放浪山旅の真っ最中という事で、プーで24時間フリーな身の上だったのであるが。 それで、そのフリーの午前中は、余ったフイルム(山行毎にフイルムを使い切る拘りを持っていた)で、深名線に「ヤル気の全くない」『撮り鉄』に出向く。

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朝の雰囲気を撮るなら
「駅寝の神様の宿る駅」でも十分だが

そして、撮るならベットがあって泊まった「駅寝の神様の宿る」この駅の周囲は原野で、朝の爽やかな風景を撮るにはいいが、それ以外は目ぼしいアテのない草むらで、ただでさえ『○鉄』から離れて『撮り鉄』が下手になってるこの時のワテには、手に負えない情景だったようである。 ・・で、撮ったのも、微妙に夏の草が車両の顔面を袈裟斬りしてたしィ。

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朝の雰囲気は出せたけど
何気に顔面袈裟斬りだしィ

それで、撮るからには『撮り鉄』の勘を取り戻すべく、『野』にでる。 ここでいう『野』とは、駅周辺より沿線に出て撮る事である。 でも、車があると、車に甘えてしまうね。 ちょっと見ただけで、撮影場所を「パッと決め」してしまい、出向いて立ち位置とかを直に確認する事をハショってしまうのである。
そして、帰って現物をみて落胆するのである。 それがコレ。

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フォトショップで
空を白飛びさせなければ
車両が黒潰れとなるド失敗作だった

でも、撮ってる最中も「手応え」が全くない事で薄々勘付いてしまうけど・・ね。 その「手応え」がない事が気になって、大雪のヤマを終えた後に再び戻ってくる。 今度は前回の手応えのない事で、少しは考えて撮る事にした。

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写真を35年も撮っていると
失敗の手応えだけは
撮った直後すぐに解るようになるね
もうこの時はリベンジ必須の
気持ちを抱いていたよ

・・で、撮影地は、この前に今イチだったこの駅(少しクドいか・・)周辺ではなく、始めから川が近い山奥の沼牛周辺としたのである。

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どんより雲間から薄日射す情景は
ローカル線の哀愁を醸し出していた

これは結構「当たり」で、当時は廃止ローカル線の数少ない生き残り路線の深名線が抱く、「哀愁」が漂う絵が撮れた・・ような気がする。 でも、深名線を含めて廃止ローカル線のほぼ全てが淘汰されて、『風景鉄道』を撮れる所が少なくなったね。

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リベンジの二度目はこの日の情景の
「どんより雲より光射す」
アングルを模索したよ

そして、その少なくなった路線も、シンカンセンの赤字の肩代わりに廃止となり、あるいは災害に遭って復旧されずに棄てられるなど、完全淘汰の道を歩んでいるね。 だから、青少年時に何を擲ってでも追いかけた情熱は、もう抱く事ができないでいる。 まぁ、歳食って、『情熱』なんてこっ恥ずかしい言葉は使わなくなってしまったけど。 でも、『情熱』というこの思いを持続せねば、ヘタれてしまう一方となるのだけれど・・ね。

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続いてズームで引っ張ったのが
この時の『3番星』写真となりました
さすがに『1番星』や『2番星』を
つけるのは奢ましいしィ

・・で、『情熱』というその思いを失いつつあった数年前にも、この地を訪れたのである。 
それは歳食ってヘタれて、ブリバリに身体を動かす事が叶わなくなって、比較的楽に「一般的には際どい所」を訪ねる旅にシフトを変えつつあった時である。

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雪解けの水を叩き落とす
比翼ノ滝
ヘタれてから訪れた数年前は
こういった秘滝めぐりとか
『B級サバイバル』を旅の目的にしてたよ

だから、雪解けの秘滝とか、野生動物を撮りにクマとの遭遇の危険もある夜明けの原野に出向いたり、通行止の先にある廃駅跡や線路跡など、一般の旅行者が見向きもしない場所や目的を漁っていたのである。

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春国岱にて
エゾシカも至近距離から撮ると
突進される危険が伴い結構ヤバい

この深名線へ出向いたのも、「永遠の秘境駅」の白樺駅跡を目指す為である。 まぁ、この時は白樺へ至る道道688号線が旧湖畔仮乗降場跡地の朱鞠内ダム入口より閉鎖されていて、行く事は叶わなかったけど。 まぁ、10km以上手前で道路閉鎖されていては諦めざるを得なかったけど。 でも、放浪山旅時代のブリバリだったなら封鎖ゲートを突破して、10kmを歩いて白樺駅跡まで行ってただろうね。

でも、放浪期を過ぎて、紛いなりにも社会人となって旅に出れる期間が決まっている間の旅ならば、対価の乏しい所に向けて10km以上歩いて旅日程を喰うなんて事はナンセンスと判断してしまうのである。

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歳食ってからの旅では
かつて夢中になった廃止ローカル線の
遺構めぐりを取り入れる事が多くなったな
※ 沼牛駅保存会のウェブより

だが、故あってこの地に訪れたのである。 なので、深名線のその他の遺構めぐりをしながら、次の目的地へ移る事にしたのである。 それで立ち寄ったのが、深名線の遺構でも顕著に残る沼牛駅跡である。

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この情景に現役時代のあの時を
思い返す事ができたよ

駅舎は前年だったか「おかえり沼牛駅」のイベントがあったらしく、お色直しを受けて現役駅舎の様になっていた。 窓より朝日が差し込む駅舎で、現役時代のあの時を静かに瞑想する。 コレって、結構至福のひとときである。


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でも『武漢ウイルス』感染拡大の最中に
ペット由来のウイルスを撒き散らし
野生動物を死に追いやる犬連れ登山のクズ共
真に『武漢ウイルス』を撒き散らした
シナ共産党と同類のヒトモ▼キだよね





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No Subject * by 根室大喜
花咲線もこういう駅舎ありますね^^)手作り弁当を持って行くかな

Re: No Subject * by  風来梨
根室大喜さん、こんばんは。

今は駅舎が撤去されて貨車駅になりましたけど、花咲線の西和田駅はこんな風な駅だったようですね。 駅の本でしか見たことないですけど。 駅が廃止となった花咲駅も、貨車駅の前はこんな風な駅だったそうです。

後、厚床から別海・中標津への廃止となった標津線の奥行臼駅もこんな感じですね。 こちらの駅舎は、町の文化財として保存されてますね。

奥行臼駅跡
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1556.html


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No Subject

花咲線もこういう駅舎ありますね^^)手作り弁当を持って行くかな
2020-08-04 * 根室大喜 [ 編集 ]

Re: No Subject

根室大喜さん、こんばんは。

今は駅舎が撤去されて貨車駅になりましたけど、花咲線の西和田駅はこんな風な駅だったようですね。 駅の本でしか見たことないですけど。 駅が廃止となった花咲駅も、貨車駅の前はこんな風な駅だったそうです。

後、厚床から別海・中標津への廃止となった標津線の奥行臼駅もこんな感じですね。 こちらの駅舎は、町の文化財として保存されてますね。

奥行臼駅跡
https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-1556.html

2020-08-04 *  風来梨 [ 編集 ]