2020-07-31 (Fri)✎
『日本百景』 夏 第443回 槍・西鎌尾根 その1 (新穂高~双六) 〔岐阜県・長野県〕
槍~穂高の完全踏破を目論んで
槍・穂高連峰 やり・ほたかれんぽう (中部山岳国立公園)
北アルプスのハイライトとして登りたい山。 また、眺めても美しい姿の山として圧倒的に人気があるのが、この槍・穂高連峰である。 標高が日本第3位の奥穂高岳 3190メートル や、極めて山容秀麗な槍ヶ岳 3180メートル がそびえ立つ北アルプスの代表となる山域だ。 登山ルートはバリエーションルートも含めて色々あるが、一般的なコースは上高地から槍沢経由のコースである。
ちょっと上級の方ならば、やっぱり縦走コースの『表銀座』・『裏銀座』を目指すことだろう。
これらのコースは北アルプスの展望が素晴らしく、人気共々第一級の縦走コースだ。 また、登山の“玄人”を自負する方には、槍ヶ岳から大キレットを通り奥穂高岳へ抜ける嶮しいコースもある。
行程記録 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 大阪よりJR高山本線直通の特急【ひだ】(1日1往復のみ)で高山駅へ
高山駅よりバスで新穂高温泉着 大阪からの所要 約6時間半
新穂高温泉(1:05)→わさび平山荘(泊)
《2日目》 わさび平山荘(0:20)→小池新道登山口(1:10)→秩父沢桟橋(2:00)→鏡平山荘
(1:00)→弓折岳分岐点(1:10)→双六キャンプ場
《3日目》 双六キャンプ場(1:30)→樅沢岳(1:00)→左俣岳(0:30)→千丈乗越
(1:35)→飛騨乗越キャンプ場
《4日目》 飛騨乗越キャンプ場より槍ヶ岳往復・所要約1時間、飛騨乗越キャンプ場(1:20)→中岳
(1:10)→南岳小屋(1:30)→最低ノコル(1:50)→長谷川ノコル
(0:40)→A沢ノコル(1:30)→北穂高小屋
《5日目》 北穂高小屋(4:10)→涸沢(3:10)→横尾(1:00)→徳沢
(1:40)→上高地バスターミナルよりバス(1:20)→新島々より鉄道利用
(0:30)→松本 ※ タイムオーバーで松本市内(泊)で翌朝高速バスで大阪へ戻る
双六はハクサンイチゲの群落地だ
《1日目》 夜勤上がりから直接新穂高・わさび平へ
放浪時代は良かったなぁ。 身体に無理かけなくても良かったもの。 でも、勤め人になると、「盆休みはこの日からこの日まで」と指定されてしまって、それを違える事ができないのだ。 まぁ、その勤め先を辞める気なら「ブッちぎれる」けどね。
まぁ、若い時は「ブッちぎって」も次の仕事は簡単に見つけれたけれど、歳食って・・、しかも『リーマンショク』とかの不況を経験して、勤め先となる企業のガードも歳食った奴には厳しくなっちまったし・・ね。 まぁ、グチは置いといて、少ない盆休みを目一杯使うべく前夜の内に山の装備などの準備をして、夜勤上がりで帰宅して即効山装備を詰めたザックを担いで列車に乗り込む。
大阪8:00発の唯一の高山方面直通の特急【ひだ】に乗るべく、その日の夜勤は定時で終わらせるように頑張ったよ。 まぁ、何事にも、やる気を出すにはそれ相応の理由が必要なんですね。 歳食って、しかも頑張っても残業代が少し上乗せされるだけ・・という、もらえる金が「ただが、しれている」とくれば、普段はそれなりにしかやる気になんないわ・・なぁ。
・・で、つづがなく特急【ひだ】に乗って、正午過ぎに高山へ。 もちろん、車内での4時間は爆睡したよ。 高山からはバスで新穂高温泉へ。 バスは平湯温泉へ行く外人の観光客なのでかなり混んでいたが、何とか座れたよ。 バスの中でも荷物を抱いたままでうつらうつらして、15時過ぎに新穂高温泉に着く。
でも、昔とは変わったなぁ。 周囲はデカくて高そうな温泉旅館ぱっかりとなっていたし、バス停前にあった無料の公衆浴場は消えてなくなったっぽいし、バス転回場前の土産物屋も全て消えて殺風景な眺めとなっているよ。 それに、バスの乗客もほぼ全てが、ここより200m先の終点の『新穂高ロープウェイ駅』まで乗車していたよ。
そして、かつてあった土産物屋とか食堂は、全てロープウェイ駅の施設内に収まっていたよ。
「あぁ、あの頃は良かったなぁ、こんな殺風景な状況じゃなくて」と少し感傷的になったよ。
槍・西鎌尾根 小池新道ルート行程図 その1
さて、今晩は、ここから林道の砂利道を1時間ほど歩いた所にある《わさび平》でテント泊の予定だ。
まぁ、車も通れるような砂利道を歩くだけなので、何事もないだろう。 でも、このタワケは、そういった「何でもない所」でファインゴール級の『ビック・オチャメ』をカマすからねぇ。 こういう「何でもない所」だから用心せねばならない・・という低次元のヤツでした、このタワケは。
ここでは何も起こらずに・・というか、大雨が降り出す3分前に《わさび平》の山荘に着いて全く濡れずに済んだ・・という、タワケ&ヘタレには「出来過ぎ」な初日であった。 でも、ここで幸運を使い果たして、最後の日に『決勝ゴール』ならぬ『決勝オチャメ』をカマす”お約束”となる事は藪の中に。
まぁ、テント場が見る見るうちに水たまり&ぬかるみとなる大雨で「さすがにテントは無理」と、山荘に泊る事にする。 勤め人となってヘタレるだけヘタレたけど、金には不自由しなくなったし・・ね。
でも、放浪時代だったら、この雨でもテント張ってただろうなぁ。 あぁ、時と共に最大に変わったのは、新穂高温泉バス停の光景ではなくワテ自身だったよ。
槍・西鎌尾根 小池新道ルート行程図 その2
《2日目》 小池新道を通って双六へ
翌朝は4時半頃に起きる。 まぁ、ヤマではスタンダードな起床タイムだ。 天気は、今にも雨が降り出しそうな天気で、朝日の射す気配すら見えないどんより空だ。 この状況では、恐らくあと1~2時間の内に降り出すだろう。 雨に打たれて登るのは仕方ないとしても、願わくば昨日のような土砂降りはナシにして欲しいね。
放浪時代なら、恐らく前日から空模様を見極めての『沈殿』を選択しただろうね。 放浪時代は金は無かったけど時間はいくらでもあって、自身が「ベストだ!」と思う日を選ぶ事ができたしィ。
まぁ、『盆休み』という限られた期間で全ての日程をこなさねばならないので、「雨が降る、降らん」で待機する訳にもいかずに6時で出発する。 他の宿泊者も、ワテと同じ思考のようで、6時頃が出発ラッシュとなっていた。 今回登る《小池新道》は、約四半世紀ぶりの久々だ。 それも下りでしか通った記憶がないので、このルートを上りで使うのは初めてだと思う。 ぢ・つ・わ・・、今回行程計画した槍の《西鎌尾根》も初めてだったりして。
『奇跡の体力』を有する最盛期からずっと、東と西の鎌尾根を伝って槍の穂先に立つ事を目論んでいたが、なぜか東西とも実現せぬままに歳食っちまって、気がつけば鎌尾根を行くのも憚る程にヘタレちまったよ。 なぜ実現しなかったのかと言うと、かつての『奇跡の体力』のホルダーであった時でも、山中6泊以上は食糧の重量が嵩んで制限の25㎏をオーバーしたからだ・・と思う。
この25㎏ってのは「精神的な制限」っていうか、コレを越えると途端に気が萎えてしまうのである。
それは、《西鎌尾根》の入口にあたる《双六》へは、いつも《立山・室堂》やら《扇沢》という『端』からの完全縦走の設定で訪れていたのである。 要するに放浪期に立てる計画は、その地域の山の”グランドスラム”な山行計画なのである。
四半世紀ぶりに歩いた道は
舗装されていたよ
話は反れたが、6時に《わさび平小屋》を出て砂利道を20分程歩くと、何と道が舗装された《小池新道登山口》に出る。 それは、「この登山道をゆく登山者が、転石で足を痛めたり転ばないように」との配慮なのだろうか? それにしても、『登山道』という事を鑑みれば”整備のやり過ぎ”の感が拭えないよね。
まぁ、今の世代の日本の国の悪癖として、苦情の対応を面倒臭がって反論もせずに贖罪してしまう「事なかれ主義」にドップリ浸かっている事だろうね。 時には「苦情を訴える側の非や自己責任を指摘して、全てを請け負う必要はない!」と突っぱねる必要もあると思うし。 それをしないから、「ガなれば何でも通る」というチョンのような思考が根付いてしまうのである。 あらら・・話は脱線したが、元に戻すとしよう。
この舗装道は500mほど続き、『本当の登山口』にあたる「小池さんが開拓した石畳の登山道」で途切れる。 ここからも、綺麗にはめ込まれて階段化した『石畳の道』となっている。 この石畳の道は、約1時間程先の秩父沢に架る桟橋まで続いている。 このように、快適過ぎる位に整備された登山ルートとなっている。
やがて秩父沢に架る桟橋を渡り、そこで行動水を確保するべくポリタンに水を補給する。 まぁ、ここまでの1時間半でも、水の重さ+1.5㎏を回避できるのである。 テントを担ぐ、そして歳食ってヘタれた・・という状況では、こういう配慮も必要なのだよ。 まぁ、山小屋が充実している北アルプスの山域では小屋で水を得る事ができるので、行動水だけを考えておけばいい訳で。
雨に濡れる名もない野花を
見ながら登っていくのも乙ですね
秩父沢に架る桟橋を渡った少し先に秩父沢の支流の汲みやすい水場があり、ここで行動水を汲む。
後は、実に単調かつ、雨も降り始めた緩やかな登り道を登っていく。 いつもは「ゼェゼェ」と喘ぎ始める頃合いだが、あまりにも登山道の整備が良すぎて足への負担がかなり小さく、素で登る事ができたよ。 日々の訓練もナシに22㎏を担ぐヘタレだというのに。
シシウドヶ原の
シシウド群落
:
夏も盆ともなると花も秋めいて
夏も盆ともなると花も秋めいて
でも、これで「『奇跡の体力』一部復活!」などと淡い夢を見たりしませんので。 淡い夢は見た所で、今夜テントの中で枕代わりの合羽巻き袋を涙で濡らすだけだしィ。 そうこうしている内に、シシウドの群生地らしい《シシウドヶ原》や《熊の踊り場》などムリヤリ名前をつけた何もない「ベンチを置いた休憩場所」を通り過ぎ、程なく木道が現れる。
「もしかして・・、もう着いたの?」とばかりに、山荘のある《鏡平》に着く。 ここは晴れていたら、鏡池に笠ヶ岳前衛の峰である抜戸岳が映る別天地なのだが、雨では登山者の溜まり場でしかない。
そして、この山荘は宿泊者を確保するより、通過する登山客相手に食い物を提供する戦略のようで、ラーメンやカレーライス、おでん、焼トウモロコシなどの定番メニューに加えて、ビアジョッキーの生ビールやアイスクリーム、メロンクリームソータ、かき氷などの「街の食い物」が大売出し中だったたよ。
でも、山に来て、雨の中で街の食い物であるアイスクリームやかき氷が食いたいか?
一応、ワテは持ってきた行動水に持ってきたステック紅茶を入れて飲み、持ってきた行動食のパンをカジったから、ここでは出費はなかったよ。 まぁ、のっけからの大雨で、《わさび平》で小屋泊りとなって予定外の出費をしたので、ここは財布の紐を締めないと。 雨が降ってテントの設営が不可能となったなら、山荘1泊10000円だから・・ね。 もしも・・の時の備えは必要だし・・ね。
さて、鏡平山荘を出ると、やっと中央高地の山に登っている事を思い出すような急登となる。
まぁ、急登といっても、高低差300m・1時間のレベル的には「普通の登り」なのであるが。
鏡平でパンをカジっていた時には上っていた雨が再び降り出す。 でも、ここまで濡れたら以降は降ろうが降るまいが同じ「濡れネズミ」だし、考えようによってはチンチクリンの炎天下で焼かれながら登るより身体はラクかもね。
稜線上はどこも槍・穂高の展望台なのだが
雨のこの日は槍の本峰は見えず
派生する北鎌尾根だけが見えていた
こういった訳で、大してヘタれずに300mを登りきって稜線上の《弓折岳分岐》に着く。
ここは標高2580m程と、ゴールの双六までの標高差は100mを切っている。 でも・・、歳食ってヘタレとなった近年以降、これほどまでに楽に稜線上に立てた記憶はないよ。
秋口の花の代表といえば
淡い紫のマツムシソウですね
稜線上に上ってからは小さな上下を繰り返しながら進んでいく。 途中に地図に『お花畑』と記載されてあるベンチ設置の休憩場所が2ヶ所あったが、いずれも盆となって花期を過ぎて、トリカブトなどの秋の紫の花が少しあるだけだったよ。
そして、大きな丘状のふくらみより敷かれた木道を伝っていくと、雨の中でもテントの花盛りの双六のテント場に着く。 ここのテント場は広いし、山荘も近いし水場も無料で水量豊富だし、テント場もよく均されていて使いやすいし・・で、ワテ的には北アでも指折りの好展場である。 到着時刻は11:56と、6時間を切ったよ。 あぁ、久方ぶりにコースタイムを切ったよ、25分も!
着いて暫くは雨だったが
夕暮れ前には雲が途切れて青空を覗かせていた
夕暮れ前には雲が途切れて青空を覗かせていた
でも、早く着いても雨だから、メシ時までテントの中で寝るしかないのだな。 それ以外は、雨に濡れたTシャツの強制乾燥くらいか。 でも、この『強制乾燥』はマネしないように。 文字通り、コンロで炙って乾かすのだから。
次回はこの山行唯一の
魅せ場の日を歩きます
乞うご期待
失敗すると最悪はテント消失、ある程度上手くいってもTシャツの記事に焦げ目がついたり穴が開いたりするしィ。 ちなみに、ワテは2ヶ所焦げ目がついて、内1ヶ所は小指程の穴が開いたよ。 当然、この焦げ目と穴の開いたTシャツを着て、今後の山行程をこなしたのは言うまでもないしィ。
翌日の御来光をひとつまみ
※ 続きは、次回の『第444回 槍・西鎌尾根 その2』にて
巻末のバナーで世相の事を書くと
決まってチョンの成り済ましと
思われるパヨクが寄ってくるね
そしていつも足跡を着けて帰るよ
:
鬱陶しいから見つけ次第消すし
本当は閲覧拒否にしてもいい位だけど
こういう奴らの展開するブログの特徴は
いつも『平和』や『子供の未来』
などを連呼していて
事ある毎に安倍内閣を貶している事
でも本当に『平和』や『子供の未来』を言うのなら
防衛費の増大批判や安倍批判ではなくて
外敵から護る術を第一に考えるだろう?
それに安倍内閣は批判しても
何故に今我が国に危害を加えようとしている
北チョンの金ブタやシナを批判しないの?
なぜ奴らに向かって
武器を向けるな!と言わないの?
こういう表題に『平和』や『子供の未来』
などという言葉を使ったブログ主は
ほぼ間違いなく日本人成り済ましのチョンだから
入り込んで日本を貶める工作にハマらないように・・ね
- 関連記事
スポンサーサイト