2020-07-23 (Thu)✎
廃線鉄道 第27回 近江鉄道・八日市線〔御薗支線〕 〔滋賀県〕
大正時代に建てられた
新八日市駅の駅舎は
路線廃止となった御薗支線の列車を
送り出していたのだろう
※ 東近江市ホームページより
近江鉄道・八日市線(ようかいちせん)は、滋賀県東近江市の八日市駅と滋賀県近江八幡市の近江八幡駅までを結ぶ近江鉄道の鉄道路線であるが、1930年~48年まで、新八日市から陸軍飛行場のあった御園駅までの路線がのびていた。 同区間は、新八日市駅~八日市中野駅間で近江鉄道本線を築堤により越えていた。
八日市線を建設した湖南鉄道は、1924年に新八日市駅から先に沖野が原(御薗駅周辺)を経由して神崎郡山上村(現:東近江市山上町)まで約11.2kmの免許を取得した。 経営権が変転して八日市鉄道となった後に、先行開業していた近江八幡~八日市の支線として、新八日市から沖野が原までの約2.5kmが1930年に開業し、沖野が原に設置されたのが駅が御薗駅である。
開業当初は隣接する陸軍八日市飛行場から名前を取って、飛行場駅と命名されていた。
だが、その先の山上村までの区間は建設に至らず、1935年に免許が失効している。
旧陸軍・八日市飛行場の全容
※ ウィキペディア画像を拝借
開業後はバス連絡による永源寺方面への行楽客に加え、飛行場の物資や兵員輸送に大きな役割を果たした。 戦争中には防諜の観点から御園駅に改称された。 太平洋戦争の終戦後に飛行場が閉鎖された事で需要を失い、1948年に新八日市駅と当駅の間は休止となって、1964年に正式に廃止されている。
近江鉄道・八日市線〔御薗支線〕の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線区間と距離(営業キロ)新八日市~御薗:2.5km 、軌間:1067mm
駅数:4駅(起終点駅含む)〔新八日市〕・八日市中野・川合寺・御薗
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)、車庫:新八日市
スイッチバックの跡地と
御薗支線の線路跡を転用した市道
※『近江鉄道・御園支線』より
近江鉄道・八日市線〔御薗支線〕 年表
1911年(明治44年) 9月30日 湖南鉄道に対し軽便鉄道免許状下付(鷹飼〜八日市)
1912年(明治45年) 4月 湖南鉄道株式会社設立
1913年(大正 2年)12月29日 湖南鉄道が新八幡駅(現在の近江八幡駅)〜八日市口駅(現在の
新八日市駅)間を開業
1924年(大正13年) 7月25日 鉄道免許状下付(蒲生郡中野村~神崎郡山上村間)
1927年(昭和 2年) 5月15日 琵琶湖鉄道汽船が湖南鉄道を合併
1929年(昭和 4年) 4月 1日 琵琶湖鉄道汽船が近江八幡駅~新八日市駅間を八日市鉄道へ譲渡
この空地は恐らく
車庫の敷地だったのだろう
※『近江鉄道・御園支線』より
1930年(昭和 5年) 10月 1日 八日市鉄道 新八日市駅~飛行場駅(のちの御園駅)間が開業
1931年(昭和 6年) 9月 1日 八日市中野~飛行場の間に川合寺駅が開業
1935年(昭和10年) 6月18日 神崎郡御園村沖野ヶ原~同郡山上村の免許失効
1944年(昭和19年) 3月 1日 近江鉄道が八日市鉄道を合併。八日市線となる
1948年(昭和23年) 8月 1日 新八日市駅~御園駅間が休止
1964年(昭和39年) 9月25日 休止中の新八日市駅~御園駅間の廃止許可
廃線跡はサイクリング道に
転用されている
※ ウィキペディア画像を拝借
廃線跡
東近江市札の辻2丁目付近の旧線跡を利用した自転車道の突き当たりが駅跡に相当するが、名残をとどめるものは残っていない。
住宅街に沿って路線跡の
サイクリング道が延びる
※『近江鉄道・御園支線』より
路線の代替となる近江鉄道バスでは「奥山」バス停が最寄りであり、「御園」バス停は駅跡付近からさらに山上方面に約2km進んだ地点にある。
鹿鳴館時代の香り漂う
洋風建築の駅舎を持つ新八日市駅
※ 東近江市ホームページより
新八日市駅(しんようかいちえき)は、滋賀県東近江市八日市清水二丁目にある近江鉄道・八日市線の駅である。 駅名に「新」が付くのは、湖南鉄道時代、当時は別会社だった近江鉄道の八日市駅が先に存在していた為である。
1948年(御薗支線休止年)の
新八日市駅構内配線図
:
御薗支線への列車は新八日市駅を出ると
一旦引き上げ線に入って
スイッチバックで向きを変えていた
以前は当駅から御園駅(旧・飛行場駅)に向かっていた(御園方面への分岐点は当駅の近江八幡駅寄りにあり、新八日市からはスイッチバックする形であった)。近江鉄道に合併後、八日市駅方面への線路が敷設され、後に御園駅方面が廃止された。御園駅方面の隣駅は八日市中野駅であった。
相対式ホーム2面2線を有する駅で、薄緑色に塗装された洋風建築の駅舎をがある。 開業時に建てられた駅舎であると言われていたが、開業9年後の1922年に建てられたと判明している。 駅舎2階はかつて八日市線の前身である湖南鉄道及び、八日市鉄道の本社として使用されていた。
建築当時は西側に平家部分があったが取り壊され、空き地となっている。 駅舎1階には八日市鉄道時代までの特等客用待合室だったスペースがあったが、2003~2004年に板で塞がれた(駅舎正面から見て右側にあたる)。 外壁は夏季にはツタで覆われる。
現在の御薗駅跡
:
現在は駅跡・飛行場跡とも
形跡が全く見当たらなくなっている
※『近江鉄道・御園支線』より
御園駅(みそのえき)は、かつて滋賀県八日市市(現:東近江市)にあった近江鉄道・八日市線の駅である。 当初は隣接する陸軍八日市飛行場から名前を取って、飛行場駅と命名されている。
当駅より先の神崎郡山上村(現:東近江市山上町)までの延伸計画があったが、着工に至らず1935年に免許が失効している。
旧陸軍・八日市飛行場の
範囲を示した図
戦争中に防諜の観点から御園駅に改称された。 太平洋戦争の終戦後は飛行場が閉鎖されて需要を失い、1948年に新八日市駅と当駅の間の御薗支線は休止となり、1964年に正式に廃止されている。
爆撃から飛行場の施設を守る為に
建造された掩体壕(えんたいごう)
旧陸軍・八日市飛行場の戦争遺構だ
※ 東近江市ホームページより
安倍政権の空気の読めなさの度合は
ベント妨害で原発をメルトダウンに
陥らせた姦チョクト・ミンス政権を
髣髴させるモノがあるね
クラスター要因の制限ナシに今ヤレば
確実に感染拡大の引き金となる
『Go to キャンペーン』
『Go to キャンペーン』を実施する前に
クラスター要因の夜の接待業・夜の会食・
パチンコなどの遊戯施設・エンターテイメント関連
ライブ活動やテレビ番組収録などの芸能活動を
罰則付きで厳しく制限せねばならないのである
なぜなら「感染経路不明」となっている
若い世代の感染原因は
ほぼ全てこれらからと推察され
それを世間の批判を憚って
口をつぐんでいるだけなのである
決して都会を往復する『移動』だけで
濃厚接触がなければ
感染する事は有り得ないのだ
:
なぜ安倍政権こんなに
空気が読めなくなったのか?
それは政権維持の為にシナ親派で
旅行業協会の頭の2Fに
媚びを売ったのが『Go to キャンペーン』
それに政権支持・支援を言質に
シナとの関係堅持を要求する財界や
在日チョンが元締めのバチンコ業界からの
自民党利権議員への制限緩和要求などで
武漢ウイルス対策を取る事自体が
政権の堅持を危うくする方向になっているからだよ
:
つまり『政権の維持』>>>『国民目線の武漢ウイルス対策』な訳
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんにちは。
私も同じく国道421号は通った事がありますが、廃線跡は旧陸軍八日市飛行場と共に、この記事を書いて初めて知りました。
国道421号は伊賀に出向く用があった帰りに、国道422号で信楽に出て、信楽高原鉄道で少し遊んだ時に立ち寄りました。
いゃぁ、あの辺も国鉄時代から変わりましたね。 30年ひと昔という所でしょうか。
私も同じく国道421号は通った事がありますが、廃線跡は旧陸軍八日市飛行場と共に、この記事を書いて初めて知りました。
国道421号は伊賀に出向く用があった帰りに、国道422号で信楽に出て、信楽高原鉄道で少し遊んだ時に立ち寄りました。
いゃぁ、あの辺も国鉄時代から変わりましたね。 30年ひと昔という所でしょうか。
新八日市駅はコロナ騒ぎの前に行ったばかりです。