2020-07-15 (Wed)✎
路線の思い出 第391回 石北本線・奥白滝駅跡 〔北海道〕
信号所に格下げられた直後は
また駅名標が撤去されずに残っていた
《路線データ》
石北本線
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
新旭川~網走 234.0km 1142 / 389
運行本数(’18)
旭川~網走 特急4往復(内 2往復は札幌直通)
旭川~北見 特別快速〔きたみ〕 1往復
旭川~上川 下り8本、上り7本(旭川~東旭川・当麻・伊香牛に区間運行3~4本あり)
上川~遠軽 1往復、白滝~遠軽 1往復
遠軽~北見 上下各4本(遠軽~生田原、留辺蘂~北見など区間運行 上下とも2~3本あり)
網走~北見 上下各9本
入口を板で塞がれいた奥白滝駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
奥白滝駅(おくしらたきえき)は、かつて北海道紋別郡遠軽町奥白滝にあったJR北海道・石北本線の駅である。 2001年7月に駅廃止となり、それ以降は信号所となった。 ホーム部分は削り取られて線路から離され、駅舎は正面入口が板で塞がれて、保線要員の詰所として使用されている。
駅構造は2面2線で
保線車両の留置線として側線1本
信号所となってからは
駅舎側の1線スルー方式となっている
駅構造は2面2線の相対式ホームで、上り本線側(上川方面を見て右側)に駅舎があり、相対ホームとの連絡は構内踏切で行っていた。 また、上川側に側線が1本ある。 人口流出で周囲が無人地帯となった駅晩年は、定期列車も1日2本(うち1本は土休日運休)の閑散駅であった。
この駅より上川方向へは上川峠へ分け入る事になるが、峠を越した上越信号所まで交換設備がなく、また遠軽方向も白滝まで交換設備がない。 2001年に「周辺の居住者皆無で、駅利用客ゼロ」として駅廃止となり、交換設備を従来通り使用する信号所に格下げとなった。
国道の傍らにある開拓記念碑
※ 遠軽町・旧白滝村紹介のウェブサイトより
石北本線の白滝までの延伸を機に設置された駅である。 駅が設置された当初は、開拓農家が多数居住し林業が盛んで、駅の先をゆく国道333号線(当時は道道・遠軽上川線)沿いには開拓農家の家屋で字集落を形成していた。
駅から国道方向を望む
:
かつては駅前ストリートを形成していた
駅への道も今や原野帯になっている
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、開拓期が終わり、道路の整備や近代化などで集落の流出と離農が相次ぎ、1990年代には無人原野に回帰しつつあり、駅が信号所に格下げられた2000年代には駅周囲は完全な無人原野となったが、線路と平行して高規格道路の『旭川紋別自動車道』が開通し、駅付近の原野に『旭川紋別自動車道』のサービスエリアを兼ねた『道の駅・しらたき』が設けられている。
駅の裏側の原野に高規格道路が通じ
サービスエリア兼用の『道の駅』が設けられた
※ ウィキペディア画像を拝借
なお、駅にまつわるエピソードとしては、奥白滝から上白滝・白滝・旧白滝・下白滝と、この駅が在籍していた頃は『白滝』駅が5駅並ぶ石北本線の『白滝銀座』であった。 だが、2000年代に入ってからは、上川から遠軽までの間で天幕・中越・奥白滝(当駅)・上白滝と途中の駅・乗降場の全てが廃止となり、上川から白滝まで40km近く駅停車場のない状況となっている。
こういう何もない原野に佇む駅って
ワテには「パラダイス」的な存在なのです
※ ウィキペディア画像を拝借
この奥白滝駅跡は、山の放浪旅をしていたワテにとっては、山へ行った後の休息日を過ごすオアシスのような所となっていた。 「ただが山に登る位で、『休息日』を取る必要などないだろう?」と思われるかもしれないが、山旅放浪をしていたこの時のワテは、日高・大雪のハシゴ(もちろん、山に入った日数分の食料と幕営装備持参)をこなすハードな山旅を敢行していて、2つ山行を連続させた後には休息日を取らねば、いくら『奇跡の体力』のホルダーと言えども持たなかったのである。
今回の『駅の思い出』は
「休息日は『○鉄』で」というネタでっす
・・で、その休息場探しの駅の思い出のエピソードが、『幸せの黄色い廃バス』のあの駅(乗降場)である。 話が少し反れたが元に戻して、その休息日を過ごす場所として「なぜにこの奥白滝が最適なのか?」というと、原野となって久しいこの地に、道路行政が高速道路として建設費を回収する目的で高規格道路を建設したはいいが、金を払ってまで通行する車の確保が困難となり、この高規格道路を無料開放したのである。
さして必要としない高規格道路を通した結果
元あった鉄道やバスを
廃止淘汰に追いやる事となった
※ 高速道路.comより
いわば、この道路の建設は壮大なる無駄遣いで、結果はその地の公共交通機関である鉄道やバスを窮地に追いやっただけであった。 まぁ、紋別などは鉄道が廃止となるような所で潜在需要も、計算が成り立つ程に有りはしないのである。 この高規格道路のメリットを上げれば、冬季の除雪が楽になった事くらいであろうか。 でも、雪国や寒冷地にとっては、この事は交通を維持確保する上では最重要な事なのであるが。
冬季の除雪と道路の確保が楽になった事が
寒冷地・北海道での最大のメリットだろう
※ 北海道開発局のウェブサイトより
その無料開放した高規格道路の『サービスエリア』は、当然に「一般国道の国道333号線から利用客を集めねばならない」という事で、国道からの利用も叶う『道の駅』形式となったのである。 昨今は道路行政も。消費税が上がり続けるなど国民の抱く経済の閉塞感に、「新規建設道路における有料高速道路化は難しい」と踏んだようで、無料開放道路がバンバンと出現しているしィ。
旭川紋別自動車側の 国道333号線からの
『道の駅』案内板 『道の駅』案内板
そしてコスいのが、全て有料区間に接続して「気が着けば有料区間に入っていた」ってオチに引き込む意図が見えてるって事かな。 そして、『無料開放』ゆえに建設費を浮かせるべく、『サービスエリア』をインターチェンジ最寄りの一般国道にある『道の駅』で代用する方式に変わってきているね。
この『サービスエリア』は、ヤマから下りた下界で過ごす手法として車寝を生業とする『山旅放浪』では、「自動販売機アリ~の、ウォシュレットトイレアリ~の、下手すれば温泉までついてくる」この『道の駅』は大変重宝するのである。 まぁ、これも、「『道の駅』の充実によって、旅での宿泊を車寝で過ごす者が増えて、利用客を減らした宿泊業が窮地に追いやられる」という、先程述べた「高規格道路の功罪」と同じような文言となるのだが。
白滝の辺りは花をねらうもヨシ
放牧場のロールをアテにするのもヨシ
と絶好の『風景鉄道』の情景が広がる
それで『道の駅・しらたき』の『サービスエリア』で一晩明かした次の日の『安息日』は、豊かな自然下をゆく石北本線の『○鉄』に勤しむ事ができるのだ。 撮影場所は元々は原野で「駅の裏側」だった『道の駅・しらたき』の”裏側”にある奥白滝駅跡である。 路線建設から半世紀を経て、今や『表』だった駅が跡地になって『裏』と表される事に時の流れの哀愁を感じるよね。
駅ホームを崩した土盛りに咲く
マーガレットの花は
廃された駅の哀愁を出せた・・かな?
でも、この駅の跡地では、ワテ目当ての普通列車は日に1往復しか通らないのよね~。 だから、1日1本の普通列車を納得がいくように撮れるように、奮発して『安息日』を2日とっちゃいましたぁ~。
初日の手応えが今イチと感じたので
『休息日』を2日取って狙ったのがコレ
:
競って咲くルピナスの花に
北の短い夏を思わせるいいモノが撮れたよ
まぁ、当時の山旅放浪に出る時は「無職のプー」なので時間はいくらでもあるのだが、1日1本だとさすがに時間が余り過ぎるので、撮影場所の移動を余儀なくされる。 だが、撮影地を変えた所で、撮影可能な時間帯をゆく列車が1本ないし2本増えるだけなのだが・・。
でもこの区間をゆく普通列車は
片手にさえ余る本数しかないのよね~
ロールを強調すると
列車がアサッテの方向に逝っちゃいました
ウデが『写真床』だからドンマイ!
そして「それが2日続く」ので、2日目はより町である丸瀬布に近いお立ち台の『村名・白滝発祥の地』で狙う事にする。 ちなみに、この時はこの場所が『撮り鉄』のお立ち台とは知らずに、「(自力で)新たな撮影地を見つけたぁ~」とハシャいでいたけど、考えてみれば「駐車場完備で涼しい木陰アリ~の」、「あずま屋アリ~の」と車で来た『撮り鉄』の必須アイテム満載だったよ。
展望台に立っても村名由来
の滝はほとんど見えず
その『滝』も滝とはいえぬ早瀬だったけど
なおかつ、『村名・白滝発祥の地』を前面に出してるようで、肝心の「白滝の名の由来」となる滝ともいえないタダの早瀬は展望所からは木々に隠れてほとんど見えず、川に沿ってS字にうねる石北本線の線路が一望できる絶好の『撮り鉄』観光名所だったよ。 でも、冬は開拓が必要だけど。
石北本線の線路は
川に沿ってS字に蛇行する様が一望でき
撮り鉄の名所となっていたよ
先程に「撮影機会を増やすべく、撮影地を移動・・」と述べたが、移動しても増えるのは上下1本づつで、これを撮り終えると昼の14時前まで4時間の空ができる。 それに夏で暑いし・・という事で、『撮り鉄』は切り上げて撮影のターゲットを涼しい被写体に変更する。
その涼しいターゲットとは滝だ。 でも、先程の『村名発祥』の滝もどきの早瀬ではないよ。 落差は28mと「それほど」だが、ストレートの美瀑『山彦ノ滝』だ。 それでは、夏を涼みにまいりましょ。
ストレートの直瀑で裏見ノ滝と
ポイントの高い山彦ノ滝
裏見ノ滝の洞窟は絶好の涼み場所
というより寒すぎて長居はできない
この滝の先にも登山道的な遊歩道が続いており、それを15分ほど伝っていくと、もう一つの滝の『鹿鳴ノ滝』の前に出る。 なお、この滝へは舗装された林道(鹿鳴ノ滝まで舗装されている)を500mほど伝っても行けるので、足元が軽装の場合は舗装林道を行くといい。
滝全体を見ると平凡な分岐瀑だが
コチラの滝は打って変わって落水に陽の光がキラキラと当たる分岐瀑で、覗き込むカメラアングルによってずいぶんと印象が変わる滝であった。
真ん中を切り取って
陽の光をスポットで浴びせると
神秘的な滝に早変わり
スポットライトを浴びた部分を
ズームで引っ張るとより神秘的に
なお、この『山彦ノ滝』と『鹿鳴ノ滝』へは、丸瀬布駅付近より『丸瀬布温泉』を目指して山奥に入っていくといい。 滝へは駅から約12kmで、車がなければちょっと無理であるっていうか、奥白滝駅跡自体が車がないと訪問がほぼ不可能なので、鉄道駅の思い出であるこの記事でもOKという事で。
後は夏のみ通る事ができる林道に突っ込み、瀬戸瀬から延びる道道にショートカットして、元ランプ灯かりの一軒湯治宿として知られていた瀬戸瀬温泉に向かう。 なお、この丸瀬布からの道筋にも、近代的なリゾートホテルの『丸瀬布温泉』がありますよ。 後は温泉湯治を組み入れて、この『休息日』を充実させて次の山への意欲を増進させたよ。
『○鉄』の後は山奥の一軒宿で
温泉療養と『休息日』を満喫しよう
※ 上下2枚いずれも
ウィキペディア画像を拝借
この『休息日』で石北本線を撮っていたお陰で、当時は「ブサイクなデコキハ」として無視していた『スラントノーズ』を撮っていたのが判って良かったよ。
笑いを取る為とはいえ
この特急車両に散々の罵詈雑言を
浴びせた事をお許しください
ちなみに『スラントノーズ』が、キハ183の特急車両の事だとは最近まで知りませんでした。
なので、『(ワテと同じく)腹から火を噴いた車両』と言ってました。 コレ・・、撮り鉄さんの前で言うと石投げられるだろうなぁ。
令和に入ってから起こる災害・厄災の数々を
チョンの背乗りを罰しなかった事による
ツケの『Kの法則』だと言った理由の続き
民意を重視するハズの安倍政権が
国民の全てが嫌がる
消費税の増税に踏み切ったのは
シナに傾倒した経団連の支持を得て
政権基盤を安定させる為
経団連参入企業のような大企業にとっては
消費税が高いほど『輸出戻し税』という
還付金が増えるのである
つまり消費税分のネコババができるのだ
その経団連のトップはチョンの帰化で
チョンが企業内部に入ってしまった事で
日本の経済はおろか政権さえも
チョンに操られ始めたのである
正しくこれもヒロヒトの処罰を
怠った事によるツケの
『Kの法則』なのである
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagon さん、こんばんは。
国鉄時代は1980年代に入って、廃止ローカル線問題が噴き上がって、列車本数などが減便されましたからねぇ。 でも、今の方が減便の度合いがすざましいですけど。
山彦ノ滝は、初出だと思ってましたが、訪れてた方いたのですねぇ。 今はライトアップまでされてるらしいですけど、昔の滝観は、北海道なら羽衣ノ滝と層雲峡の滝とオシンコシンの滝以外は、観光客も無視状態でしたから。
国鉄時代は1980年代に入って、廃止ローカル線問題が噴き上がって、列車本数などが減便されましたからねぇ。 でも、今の方が減便の度合いがすざましいですけど。
山彦ノ滝は、初出だと思ってましたが、訪れてた方いたのですねぇ。 今はライトアップまでされてるらしいですけど、昔の滝観は、北海道なら羽衣ノ滝と層雲峡の滝とオシンコシンの滝以外は、観光客も無視状態でしたから。
丸瀬布で下りて何と山彦ノ滝にも行っております。まぁこれは丸瀬布林鉄の動態保存を見ることがメインで、余った時間に立ち寄ったというのが本当のところですが。
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