2020-07-13 (Mon)✎
『日本百景』 夏 第440回 大日三山 その2 (夜明け) 〔富山県〕
夜明けの光を浴びる大日三山
大日三山 だいにちさんざん (中部山岳国立公園)
北アルプスの山で最も魅力的な岩の“殿堂”・剱岳。 この剱岳の絶好の展望台が、傍らに鎮座するこの大日三山である。 山の雑誌でよく見る剱岳の写真も、この大日三山の稜線から撮られたものが多い。
お薦めはは山が染まる夕暮れ時。 岩の殿堂が雲海と伴に輝くのだ。
また、豊富なお花畑もこの山域の魅力の一つだ。 雲海に浮かぶ岩の殿堂を望み、お花端の庭園で遊ぶ山旅は、バスやロープウェイの車窓からは決して味わえない感動を体感できるだろう。
大日三山・山遊ルート 行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR富山駅より鉄道利用(1:05)→立山駅よりケーブルとバス利用(1:00)→室堂
(0:30)→雷鳥沢(0:50)→新室堂乗越(2:00)→奥大日岳(2:10)→大日小屋
大日小屋から大日岳へは往復20分
《2日目》 大日小屋(2:20)→奥大日岳(1:50)
※ 今回は奥大日岳より1.5km地点で幕営・夜間歩行〔非合法〕
奥大日岳(1:50)→新室堂乗越(0:50)→雷鳥沢(0:40)→室堂よりバスとケーブル
(1:00)→立山駅より鉄道利用(1:05)→JR富山駅
※ 前回の『第439回 大日三山 その1』からの続き
夜明けの剱の絶景を望む為に
《2日目》 奥大日岳で御来光を見て下山
テント設営可能地点である中大日岳の頂上台地の端より、対峙してそびえる奥大日岳の頂上までは、大きなアップダウンを含めて約1時間の道程だ。 これを経て奥大日岳の頂上で御来光を拝むとなると、未だ空の開けやらぬ3時半頃には出発しないと間に合わないかもしれない。 岩がゴロゴロ転がる急下降は、昼間の明るい時でも厄介である。
それを真っ暗な夜空の下、カンテラ一つで下る事は“厄介”を通り越して“恐怖”ですらあるのだ。
無事下りきってホッとしたなら、顔といわず体といわず汗が噴き出る汗に気づく事だろう。
夜明け直前の立山・室堂
:
夜明けの光を「今か・・今か・・」と
待ちかねているような情景だ
汗を拭いてひと息着いたなら、立山や《室堂》の方向を眺めてみよう。 うっすらと開け始めた空の下、縞模様の残雪を載せた立山や薬師岳、そして未だ“安眠の世界”から抜け出せない“観光基地”・《室堂》の灯が得もいえぬ情景をかもし出している。
振り返ると大日岳に一筋の
夜明けの光が射しこんで
山肌を美しく染めていた
奥大日岳への登り返しに入って崩壊地に架かるハシゴを昇る頃には、空も完全に白くなってカンテラの必要もなくなる事だろう。 しかし、明るくなればなる程に、御来光に間に合うか気が気でなくなるのだ。
最後の登りは岩ガレ場なので、焦って足など挫かぬように。
頂上に登り着く直前に
立山が御来光の瞬間を迎えていた
岩ガレ場に雪田が乗るようになると、もう頂上は目の前だ。 稜線上に上がると、地の底から鋭い二等辺三角形を突き上げる剱岳が正面にド迫力をもって威圧してくる。 そして、剱岳の右側、一服剱の辺りから御来光が・・。 武骨に黒光りする剱と御来光、その迫力には只々呆然とするばかりである。
御来光の瞬間
周囲がいっとき夜に戻ったように暗くなり
その反動で一気に
光で情景が開けていく
ちなみにワテ自身の事であるが、幕営地点を3:45出発で、到着は4:45、御来光時刻は5:10頃であった。 このように、北アきっての剱岳展望台であるこの場所で“剱と御来光”を拝む事は、今回の行程以外では恐らく設定不可能なのである。
これに魅せられたいが為に
夜にヤマを歩くという身の危険を賭してまで
この地にやってきたのだ
食事付山荘に宿泊して山荘前で楽に御来光を眺めたとしても、これほどの感動はない。 呆然と立ち尽くす事もないだろう。 シャッターを押す手が震える事も・・。 それは、苦労を回避したからに他ならない。 “感動”や“憧れ”は、困難を乗り越えた先にある。 これはワテの山での持論であるが、あながち間違ってはいないと思う。
立山も夜明けの光を受けて
生気を取り戻していく
ワテ自身の事であるが、厳しい条件で撮った山岳写真には、一晩を明かしてでも語れるほどの思い入れがある。 そこに“撮影技術”云々といった野暮ったい事は必要ない。 あるのは、山での体験や思い出だけである。
この時はまだ未知の山・毛勝山が
夜明けの光に輝いて
「一枚の写真」で望む山々に
かつて登ったヤマの記憶が甦る
“一枚の写真にどれだけの思い入れがあるか”、それがワテの写真の評価方法である。 “撮影技術”だけで思い入れの乏しい“頭でっかち”の写真には、ワテはその良さを見出す事ができない。 完璧な写真であったとしても、その写真を語る術が“撮影機材”や“撮影テクニック”だけだなんて、あまりにも寂しいではないか。
「一枚の写真にどれくらいの思い入れがあるか?」
それが写真を撮る者にとって
最も大切な・・問い続けねばならぬ心だと思う
だから、撮った後でその場で得た感動と体験のつまった原版を・・、捨て去るかのように改変するデジタルを、ワテは絶対に自分の写真として認めたくはない。 その場で得た体験を改変するって事は、その場での感動・・、自分の行った行為を「改変せねばならないほどの陳腐なモノ」として認めてしまう事になるからだ。
「確かに自分はここに来て」
「この情景に心動かされ」
「シャッターを切ったのだ!」
と言えぬ改変画像に何の意味があるのか?
そんな事をする位なら、シンどい思いしてヤマに登る必要などないのだ。 それこそ、家に籠ってパソコンの4Kグラフィックで、自身の抱く完璧な理想を作製すれば済む事なのだから・・。
次回は花と絶景づくし・・でっす
さて、ワテ自身でプロデュースした“ワテだけの”剱と御来光に感動したなら、今度は“ワテだけの”お花畑で山旅を満喫しよう。
※ 掲載写真枚数が多くなりすぎたので、苦肉の策で記事を分割しまっす。
奥大日岳からの下山行程は、次回の『第441回 大日三山 その3(朝景)』にて・・
令和に入ってから起こる災害・厄災の数々を
チョンの背乗りを罰しなかった事による
ツケの『Kの法則』だと言った理由
令和元年の台風19号災害や
今回の熊本豪雨災害の原因は
大気温暖化や海水温の異常上昇による
台風の巨大化や局地豪雨の多発・・
これは火力発電オンリーとなって
大気に温室ガスが充満した事と
シナの排出するPM2.5ガスによる要因が大きい
その原発の稼働を難癖をつけて妨害してるのが
在日チョンの成り済ましのパヨク
そして自然災害の備えであるダムの建設を
妨害してるのも在日チョンの成り済ましのパヨク
その在日チョンがなぜ日本に存在するのか?
それは終戦時にヒロヒトをキチンと処罰して
あの戦争をキチンと終わらせて
「日王ヒロヒトガ~」と喚くチョンを
一斉追放する事を怠ったから・・
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