2020-07-12 (Sun)✎
廃線鉄道 第25回 臼ノ浦線 〔長崎県〕
運短路線として活況を呈していた
以来の晴れ姿は路線廃止の当日だった
※ 九州の運炭鉄道史より
臼ノ浦線(うすのうらせん)は、かつて長崎県北松浦郡佐々町の佐々駅から同県北松浦郡小佐々町(現・佐世保市)の臼ノ浦駅までを結んでいた、旧国鉄の保有していた鉄道路線である。 1971年に廃止された。 1968年9月に『赤字83線』として廃止諮問された、廃止路線11線の中の1線である。
元々は、臼ノ浦港から積み出す石炭の輸送の為に佐世保鉄道が開業した軌間762mmの軽便鉄道で、1931年に開業した路線である。 1936年には国策により買収・国有化され、鉄道省(国有鉄道)松浦線の名無し支線となった。 その後、1944年に松浦線の改軌・線路付替えが行われた事に伴って、本線格である松浦線との分岐を四ツ井樋駅から佐々駅に変更している。
末期は北海道の開拓路線だった
廃止対象線と同じく
1軸のレールバスが導入されていた
※ ウィキペディア画像を拝借
1945年、松浦線の改軌工事完成に伴って、松浦線から分離して独立路線の『臼ノ浦線』となったが、沿線の炭鉱が閉山すると路線の敷設目的が石炭を輸送する運炭であったが為に衰退し、末期はレールバスのキハ02が細々と走る程度になってしまった。
1968年には、鉄道としての使命を終えたものとして、同じく松浦線の支線であった世知原線とともに赤字83線にリストアップされ、1971年に廃止された。
国鉄・臼ノ浦線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:佐々~臼ノ浦 3.8km・軌間:1,067mm・
電化区間:なし(全線非電化)・複線区間:なし(全線単線)・閉塞方式:1路線1閉塞
駅数:4駅(起終点駅含む)
〔佐々〕・肥前黒石(1944年に駅廃止)・大悲観(1944年に駅廃止)・臼ノ浦
晩年は運炭の広いヤードをもった駅に
単行気動車が朝夕発着するのみだった
臼ノ浦線 年表
1931年(昭和 6年) 8月29日 佐世保鉄道が実盛谷〜四ツ指(いずれも佐世保鉄道時代に開設された
駅で、1945年の松浦線の路線付け替えで駅廃止となった)
〜臼ノ浦間 (2.9km) を開業し、四ツ指・臼ノ浦の各駅および黒石
・大悲観の各停留場を新設
12月27日 四ツ指〜佐々間 (1.7km) を延伸開業し佐々駅を新設
1936年(昭和11年) 10月 1日 佐世保鉄道を買収し国有化、松浦線の一部とする。
四ツ指駅を四ツ井樋駅に、黒石駅を肥前黒石駅にそれぞれ改称
1944年(昭和19年) 4月13日 肥前黒石・大悲観の各駅を廃止、四ツ井樋駅を移転
1945年(昭和20年) 3月 1日 佐々~臼ノ浦間 (3.8km) を臼ノ浦線として区間分離し、四ツ井樋
駅を廃止
1971年(昭和46年) 4月 1日 全線 (3.8km) の貨物営業を廃止
1971年(昭和46年) 12月26日 全線 (3.8km) 廃止
長崎県の旧運炭路線
世知原線と臼ノ浦線の時刻表
※ 日本交通公社時刻表より
運行形態
沿線にあった炭鉱が閉山となると貨物の取り扱いが廃止となり、以降はレールバスが朝夕のみの日に4往復行き交うのみとなっていた。
駅舎は取り壊されて公民館となったが
駅土台の階段はそのまま利用され
駅があった面影を残している
※ ウィキペディア画像を拝借
廃線後の状況
廃線跡のほとんどが道路や住宅に転用されたが、佐々駅以西の松浦線との併走区間や佐々川を渡っていた橋の橋台が遺構として残っている。 臼ノ浦駅舎は取り壊されて港町公民館となったが、駅舎の建っていた土台をそのまま利用して建築されたので、土台の部分は残っている。
肥前黒石駅(ひぜんくろいしえき)は、かつて長崎県北松浦郡小佐々村黒石免にあった運輸通信省・松浦線の駅である。 駅は、松浦線と分岐する直前の佐々川側に存在した。 現在は松浦線の線路脇に雑草が生い茂り、駅跡の判別は不能となっている。
1931年8月29日に佐世保鉄道によって黒石停留場として開業し、1936年の松浦線国有化と同時に駅へ昇格して、肥前黒石駅に改称されている。 1944年4月13日に、松浦線の線路付け替えと改軌が完成する直前に駅廃止となった。
駅跡所在地近くにある
大悲観公園のシンボル『大悲観岩』
※ 佐世保市役所の観光ウェブサイトより
大悲観駅(だいひかんえき)は、かつて長崎県北松浦郡小佐々村黒石免にあった運輸通信省・松浦線の駅である。 現在は道路に転用されて、駅跡の遺構は全く残っていない。
1931年8月29日に佐世保鉄道によって、大悲観停留場として開業し、1936年の松浦線国有化と同時に駅に昇格して、大悲観駅に改称されている。 1944年4月13日に、松浦線の線路付け替えと改軌が完成する直前に駅廃止となるなど、この駅も肥前黒石駅同様の経過を辿っている。
在りし日の臼ノ浦駅舎
※ 同志社大学鉄道同好会OB会より
臼ノ浦駅(うすのうらえき)は、かつて長崎県北松浦郡小佐々町臼ノ浦免(現・佐世保市小佐々町臼ノ浦)にあった日本国有鉄道(国鉄)臼ノ浦線の駅(廃駅)である。 同線の終着駅であった。
廃止時は、単式ホーム1つの棒線駅であった。
1931年8月29日に佐世保鉄道の駅として開業し、1936年に佐世保鉄道の国有化に伴い、国鉄松浦線の駅となる。 その後、1945年3月1日の松浦線の論路付け替え及び改軌工事の完成により、起点を佐々駅に変更の上で独立路線・臼ノ浦線と線路名称が変更されて、それに伴って臼ノ浦線の駅となる。
1971年12月26日に、『赤字83線』による臼ノ浦線廃止によって廃駅となった。
臼ノ浦駅の先にも線路は延びていて
線路ヤードから港に停泊する船に
石炭を直接積み替えていた
※ 九州の運炭鉄道史より
臼ノ浦線は佐世保鉄道が沿線で産出される石炭を臼ノ浦港より運び出すために敷設された路線で、主に世知原線と柚木線の沿線にある炭田から石炭が当駅まで輸送されていた。 しかし、沿線炭鉱が尽く閉山となった為に、1962年に臼ノ浦線の貨物輸送が廃止されると当駅も斜陽化し、同線が赤字83線に指定されて廃線になった事で当駅も廃止された。
駅跡に建てられた公民館の前にある駅跡碑
:
駅名標と「さよぅなら臼浦線」の
モニュメントがいずれも誤表記
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎はしばらく残っていたが、後に取り壊されて跡地は港町公民館となった。 だが、駅舎の土台部分をそのまま利用して公民館が建てられた為に、公民館に至る階段に駅の面影が残っている。 2008年6月に、駅名標を模した記念モニュメントが地元企業により公民館前に設置された。 しかし、モニュメントに記された路線名と駅名は正式名称の『臼ノ浦』ではなく、誤表記の『臼浦線』及び『臼の浦』となっている。
東京都の感染状況が
またぶり返しているようですねぇ
それに伴って近隣他府県や
大阪・神戸といった関西の大都市にも
影響を及ぼし始めているようで・・
でもその原因は『移動』ではなく
『密』にならなきゃ成し得ない
エンターテイメント関連業種を
制限する事なく放置してるからだよ
夜の接客業・パチンコなどの遊戯や
ライブ活動や収録などの公開芸能活動
コレって完全に禁止にした所で
日常生活の上で特に必要ないモノでしょ
それを何故に制限しないのか?
それはコレらの大元全てに
在日チョンが入り込んでるからだよ
これは前にも記したが如く
チョンの背乗り・天皇ヒロヒトをキチンと処罰して
在日チョンを追い払う事を怠ったツケの
『Kの法則』の一つなんだよね
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