2020-07-06 (Mon)✎
路線の思い出 第389回 片町線・長尾駅 〔大阪府〕
かつてこの駅が電化・非電化区間の境だった頃
大都市圏の路線ではお目に
かかれない光景が繰り広げられた
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
木津~京橋 44.8km 85966 / 98
廃止区間 廃止年月日 転換処置
京橋~片町 0.5km 1997年 3月 8日 JR東西線新規開業による
重複区間の廃止
片町駅に相当する東西線の駅は
大阪城北詰駅
運行本数(’20)
快速(木津・同志社前~東西線経由宝塚方面行)
上下とも日中は木津と同志社前を交互に始発着する運行で毎時4本
ラッシュ時は毎時5~6本
普通(四条畷・松井山手など~西明石方面行)
上下とも日中は四条畷と松井山手を交互に始発着する運行て毎時4本
ラッシュ時は毎時6~8本
非電化区間が存在した頃の長尾駅
駅らしい佇まいだった
:
「一筆書き」乗車では降りれないけど
※ ウィキペディア画像を拝借
長尾駅(ながおえき)は、大阪府枚方市長尾元町五丁目にあるJR西日本・片町線の駅である。
大阪府の最東端に位置する駅で、これより東へ1kmほど進むと京都府となる。 駅長が配置された直営駅であり、管理駅として片町線の祝園駅~河内磐船駅間の各駅を管理している。 なお、ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象カードも利用可能。
島式ホーム1面2線を持つ駅で駅舎とは地下通路で結ばれていたが、2013年2月10日に木津寄りに新たに建設された橋上駅舎の使用が開始され、従来の駅舎は閉鎖されて後に撤去された。 1番のりばは京橋方面・木津方面への折り返し、2番のりばは京橋方面への折り返しが可能となっている。 木津方面への折り返しは、異常時のダイヤ乱れ発生時に行われる。 2018年の1日平均の乗車人員は11547人との事。
便利・キレイ以外に何の感慨も浮かばない
建て替えられた現在の長尾駅
※ ウィキペディア画像を拝借
2013年に使用が開始された橋上駅舎は、延べ床面積1,080平方メートルで、茶系の外観に木目調の天井を備え、周囲の自然を表現している。アルミ製の側壁に穴を設けて自然光を取り入れる構造となっており、また照明により模様が浮かび上がるようになっている。
1989年3月11日に当駅と木津駅間が電化される前は、当駅を境に電化区間と非電化区間に分かれており、当駅から木津方面へはキハ35系などの気動車が運用されていた。 運賃制度においては、電化後も当駅が電車特定区間の終端となっている。
開業当初は相対式2面2線で駅舎は上りホーム側にあり、下りホームへはホーム中央の構内踏切を渡る構造になっていたことから、列車停車中は通行できず不便であった。 1950年(昭和25年)にこの駅まで電化された時に構内踏切をホームの東端に移し、上りホームを折り返し電車が、下りホームを折り返し気動車が使うようになっていた。
駅舎寄りの1番線が
非電化区間列車のホームだった
※ グーグル画像を拝借
1979年(昭和54年)に当駅と四条畷駅間が複線化され、駅舎・ホームの改築が行われた。
なお、その当時は現在使用されているホームは片町方面専用で、駅本屋側に木津方面の短いホームが別にあってこれが1番線だったが、1989年の全線電化時にこの1番線の使用が停止され、2016年に現在の姿となった。
1997年8月31日までは始発・最終は当駅発着で、2006年3月17日までは当駅止まりの列車があった。
また、2010年3月12日までは松井山手駅発着で当駅との間の回送運用があり、この列車は1番のりばの西側にあった留置線で夜間滞泊していた。 なお、2010年10月に留置線は撤去されている。
今もコレが見れたら
間違いなく通うだろうね・・この駅に
※ ウィキペディア画像を拝借
この駅の『思い出』は、遠く40年前までに遡る。 もちろん、この長尾駅から先が非電化区間で、キハ35を中心とした気動車が行き交っていた「古き良き時代」の『思い出』で、駅舎も今のガラスとコンクリートの味気ない駅舎ではなく、地方の町の駅のような駅員さんの顔が見える暖か味が感じられる駅だった。
単行列車を始めて見たのは
ローカル線区ではなく地元の大阪府だった
※ グーグル画像を拝借
その駅での「40年前の思い出」とは、初めて単行運転の列車を目にして乗ったのが「たぶん・・」であるが、この長尾駅での非電化区間への乗り換え列車であったのである。
この頃は小僧らしく
ヘッドマーク付のブルートレインと
:
始めての夜更かしで
「ロクデナシ道」にハマったよ
近鉄特急がターゲットだった
:
流れてるけど小3が撮った写真
だから許してネ
その時は確か年は小学5年の時で、当時の鉄道大好き小僧のターゲットは「ヘッドマークの付いた東京発の寝台特急」・・即ちブルートレインだった。 その次のターゲットとして近鉄特急だったが、その「2大ターゲット」の他にもキハ58の急行や気動車にも気を惹かれていたようである。 でも、その反動からか、気動車・電車を問わず特急車両にはあまり食指を延ばしていなかったようである。
だが電車特急はあまり撮らずに
誰も撮らない急行のキハ58を
撮っていた小僧のワテ
要するに、辛うじて『ブルートレイン』で同世代と同じ方向を見ていたものの、そろそろに「アウトロー」の香りが漂う「ロクデナシ予備軍」の道を模索し始めていたようである。 でも、この頃の小僧のワテが『人生=オチォメ』の今のワテを見たら、その「ロクデナシ」ぶりに絶句して泣き叫ぶかも・・ね。
また、この頃の『鉄』の間では、「近郊区間はどのルートを伝っても、乗車駅の隣駅で下車したなら、最短区間の運賃が適用される」という「近郊区間の一筆書きルール」が『鉄小僧』達の密かなブームとなっていたのである。 まぁ、これは、大阪に住む者よりも東京に住む者の方が、この制度の『悪用』・・もとい『運用』を謳歌しまくっていたと思うけど。
小僧でも人一倍コスく、なぜか計算だけは早かった「ロクデナシ予備軍」が、この制度に飛びつかない訳がなかったのである。 ・・という訳で、京都とかに用事がある時や京都方面に気動車を見に行く時などは、敢えて『近郊区間の一筆書き』を『悪用』・・もとい『運用』していたのである。
木津まで乗って片町線の完乗達成!
:
でもこの頃はそんな事に
全く興味はなかったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、今でもこの制度はあるだろうけど、歳食った今は列車に乗るだけの為に時間を大いに浪費するこんな事はしないだろうし・・ね。 歳食ったら、どうしても「メンドクサイ」という感情が頭にもたげるしィ。
それで、京都に行く時には、京橋(当時は京阪沿線に住んでいたので京橋が一筆書きの出発点となる)で買った120円か160円区間の切符を握りしめ、ワザと関西線や桜井線を周って奈良まで行って、奈良から奈良線で京都まで北上していたのである。
その一環で、ついにこの片町線を制覇する時がやってきたのである。 でも、何故に片町線が後回しになったのかというと、非電化区間の列車本数が当時で1~2時間に1本と、大回りすると乗り継ぎができずにタイムオーバーとなったり、駅ホームで接続列車を長時間待たされる懸念があるからだ。
上にも記したけど
駅の改札を出れない乗り鉄は邪道だね
※ グーグル画像を拝借
なぜなら、「一筆書き」切符は途中下車できないのである。 つまり、接続列車を待つ全ての時間を駅ホームのベンチで待たなければならないのだ。 そういった事もあり、「片町線の長尾から先は滝となって落ちている」と揶揄される『近郊区間』中の難関だったのである。
そして、当時は通しの乗客もほとんどいなかったからか、長尾での接続はかなり悪かったみたいだ。
まぁ、今の様に同志社大のキャンパスがあったり、京田辺市が奈良や京都のベットタウンとして住宅地開発される前の田圃だけの所だったからねぇ。
当時の片町線非電化区間の車窓情景は
九州の廃止路線・上山田線のような情景だった
※ 上山田線の画像より
確か、この時は接続列車を40分位待ったと思うよ。 幸い、列車は早めに長尾駅に到着して折り返しの発車時間まで長時間停車していたようで、到着した列車に乗り込んで待つ事ができて、駅ホームのベンチで40分待たずに済んだよ。 運用としては、非電化区間の列車は30分に1本の四条畷方面からの電車を2本まとめて待つダイヤだったようだ。
長尾駅では接続が悪かったが
木津駅では接続が良かったみたい
※ グーグル画像を拝借
そして、この接続列車はもう一つの「サプライズ」があった。 それは、大阪府や京都府という大都市圏でありながら、非電化区間の折り返し列車はキハ40の単行だったのである。 そう・・、もうピカピカの一言の新車で、こんな閑散区間を走らせるのは「もったいない」と言われかねない車両投入だったのである。
初めて乗った単行は数年後に
夢中となった九州・宮原線と同じく
キハ40の2000番台だった
※ 宮原線の画像より
コレは小僧ながら思ったね。 「この車両カックイイわ」と。 それから、朱色ボディのキハ40の両運転台車は、大好きな車両の一つとなったよ。 たぶん、この時の単行気動車との出合いが、後々のローカル線を追っかける事につながったのかも・・ね。
忍者ファクトリーもビルダーのカスタマーも
ロクに対応してくれないし
忍者カウンターも来年3月で廃止になると
更なる被害に遭うのでカウンターを
FC2のモノに変えたが
その際にミスって
このブログのカウンターと
混同して被害を拡大させちまったよ
なので最後の手段で
公開ページをコピペして
開かないファイルに上書きしたら
indexページを開く事ができたよ
だから治ったご祝儀で
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