2020-07-06 (Mon)✎
廃線鉄道 第24回 旭川電気軌道・東旭川線 〔北海道〕
旭川電気軌道・東旭川線(あさひかわでんききどう・ひがしあさひかわせん)は、旭川電気軌道が同社の東川線と共に運営していた軌道路線である。 旅客のみの軌道運輸事業を行っていた。
時代の先端をゆく
新造車両も投入されていた
同軌道線の本線格である東川線の旭川追分駅より分岐して、旭山公園までの路線で1929年に旭川追分~東旭川市街(後の二丁目停留所)までの一部が開通し、翌年の1930年に旭山公園まで全通している。
東旭川線の全列車が
旭川四条まで乗り入れていた
なお、当路線も旭川追分より同社路線の始発駅である旭川四条まで、全運行列車が乗り入れしていた。
旭川電気軌道・東旭川線の予想路線図
:
地図上の妥当な位置に駅を配置して
路面軌道という事で道路上を
つなげて作成しただけの路線図なので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:6.7km(旭川追分~旭山公園)
軌間:1067mm・電化区間:全線(直流600V)
駅数 18 旭川追分・ 南端通*・龍谷学園前・南中通*・墓地前・西一条*・愛宕・永山通*・一丁目・
二丁目・徳巌寺前*・役場前・東番外地*・四丁目・豊田*・五丁目・六丁目*・旭山公園
※ *のついた 南端通・南中通・西一条・永山通・徳巌寺前・東番外地・豊田・六丁目は路線廃止以前
に駅(停留所)廃止
交換可能駅:2 旭川追分・愛宕
変電所(水銀整流器式):旭川追分・車庫:旭川追分
軌道路線にも拘らず
大型・ボギー台車の車両が投入された
:
それが増え続ける車の往来妨害として
廃止に追い込まれる理由ともなった
旭川電気軌道・東旭川線 年表(旭川電気軌道全体の年表は前回の東山線を参照)
1929年(昭和 4年)12月30日 旭川追分~東旭川市街(後の二丁目)開通
1930年(昭和 5年)12月26日 東旭川市街~旭山公園 開通
1973年(昭和48年) 1月 1日 廃止
旭川電気鉄道・東川線の運行時刻表
※ 日本交通公社(JTB)時刻表より
運行形態
旭川追分~竜谷学園前付近と終点の旭山公園付近が専用軌道で、路線の中間部分が併用軌道だった。
併用軌道は道端を走る専用軌道然とした区間と、道路の中央を走る路面電車然とした区間の両方があった。
道路併用区間では車の流れを阻害するモノとして
旭川市民より廃止要求された経緯があった
使用車両が高床式の郊外電車形の為に、専用軌道・道路上の併用軌道を問わず、駅・停留場にはプラットホームが設置されていた。
軌道区間でも郊外電車型車両を投入していたので
路線の全停留所がプラットホーム式であった
※ ウィキペディア画像を拝借
旭川追分6:30始発、21:30終発。 ラッシュ時は30分間隔、愛宕で列車交換していた。 昼間時は1時間間隔の運行であった。 旭川追分駅で東川線に乗り入れて旭川四条駅まで直通し、東川線と30分毎の交互運行のダイヤであった。
差し替え不要の
2路線全区間表示の行先表示板
旭川追分から旭山公園まで、所要時間は約25分。 貨物輸送は東川線のみで、東旭川線では貨物輸送は行っておらず、旅客のみの取り扱いだった。
我がメインサイト『日本百景』の
ファイルを開く事ができずに
更新できない理由が判ったよ
それはホームページビルダーの不具合ではなく
6/1の忍びツールの提供廃止によって
取り消されたツールソースを
読み込めなくなった不具合のようである
まぁ忍びファクトリーも運営がシンドイのか
アンケートやバリアー機能ツールなど
いきなり8つも廃止したみたいだからね
ワテはバリアとアンケートで被害に遭ったけど
後にカウンターも廃止になるようだから
使ってる方は動いてる今のうちに
ソースを消しておかないとワテと同じ目に遭うよ
忍びファクトリーには抗議をしておいたけど
これ絶対に責任取ってもらわねばならないね
このホームページはワテの人生の記録だしィ
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No Subject * by 根室大喜
アタイの故郷には京阪電車が走っていました。いまはどうなってるのかわかりませんが、ボロくって古臭かったです。今思えばレトロやったなぁ(”;)懐かしい
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
ぢ・つ・わ・・、私も京阪沿線に住んでました。 京阪電車はボロいというより車両がブサイク(デメ金のような前照灯)
でした。 今は、他の鉄道に比べて、恐るべく速度が遅いですね。 JRの各駅停車より京阪の特急の方が遅いしィ。
ぢ・つ・わ・・、私も京阪沿線に住んでました。 京阪電車はボロいというより車両がブサイク(デメ金のような前照灯)
でした。 今は、他の鉄道に比べて、恐るべく速度が遅いですね。 JRの各駅停車より京阪の特急の方が遅いしィ。