2020-06-24 (Wed)✎
廃線鉄道 第23回 旭川電気軌道・東川線 〔北海道〕
東旭川農村環境改善センターで静態保存されている
旭川電気軌道の戦後の主力車両・モハ1001型
※ ウィキペディア画像を拝借
旭川電気軌道・東川線(あさひかわでんききどう・ひがしかわせん)は、同社の東旭川線と共に運営していた軌道路線である。 旅客と貨物の軌道運輸事業を行なっていた。
手書きの東川線の行先表示看板
:
この看板を車両側面に
終日掲示していたようだ
※ 『よみがえる北海道の鉄道・軌道』より
旭川市の旭川四条と東川町をむすぶ郊外路線である。 東川村(現在は東川町)の有志を中心に設立された東川軌道が1067mm軌間の蒸気軌道として軌道敷設特許を得たが、旭川市内の軌道敷設予定地沿線に人家が多く、将来も増加する見込みとの理由で動力を変更して、電気軌道として開業した路線である。
紆余曲折の路線史を経て
この駅が旅客営業の起点駅となった
※ 『よみがえる北海道の鉄道・軌道』より
当初の起点は4条20丁目の道路上に設けられた旭川四条駅であったが、農産物出荷と旅客利便のため鉄道省との連帯運輸を目論み、1926年に旭川四条駅と鉄道省(国鉄)の旭川駅とを結ぶ軌道敷設特許を申請した。
貨物支線と化した旭川駅方面へ向かう
:
この区間では乗客を降ろした電車が
機関車代わりに貨車を牽引していた
※ 有料鉄道写真サイトからの購入写真
しかし、旭川駅の構内事情を理由に旅客営業は許可されなかった為、いったん貨物線として軌道敷設特許を得た後に交通量の多い宮下通りとの交差箇所である宮下通18丁目付近から四条駅までの旅客営業許可を申請し、1927年に旭川一条駅と四条通駅(のちに四条駅を吸収し旭川四条と改称)を設けて旅客運輸営業を開始した。
旭川~旭川四条が貨物線となった事で
貨物集配施設を備えた旭川四条駅
※『よみがえる北海道の鉄道・軌道』より
ところが、当初の予測よりこの区間の旅客が少なく、10年後の1937年に旭川一条駅を廃止して旭川一条~旭川四条間の旅客営業を取り止め、旭川駅~旭川四条間は貨物輸送のみとなった。 短期間とはいえ旭川一条駅が旅客の起点となった事は当時の全国時刻表にも記されているが、従前の雑誌記事等ではほとんど触れられていない。
開業後、市街地中心部への路線延長を計画するが、他3事業者との競合出願で紛争状態になった為に果たせず、旭川市議会が調停に乗り出して、その内2社と旭川電気軌道の計3社で旭川市街電鉄を設立し、程なく旭川市街軌道と名称を変更した上で1929年に最初の路線を開通させている。
当路線の終点の東川は上川盆地の米作地帯として知られており、旭川電気軌道は旭川と東川を結ぶ農村鉄道として機能し、旅客・貨物ともに重要な地域交通機関となっていた。 貨物として輸送していたのは米作地帯の東川よりの穀物で、開通から廃止まで電気機関車を持たずに電車が貨車を牽引していた。
1929年には同社の東旭川線が開通して旅客運輸を開始し、翌年終点の旭山公園まで全通している。
この開通により同社軌道線の全線が完成し、旭川追分で東川線に接続して旭川四条まで乗り入れ運転を実施している。
車庫の火災による保有車両焼失での
廃線危機はバス代行とこの車両の
新造投入で乗り切った
※ 『よみがえる北海道の鉄道・軌道』より
1949年3月27日早朝に、車庫の風呂場から出火で車庫及び車両を焼失・破損する火災が発生した。
この火災の被害を免れて全くの無傷だった電車は東川終点に留置の20号1両のみで、路線の存廃も検討されるが、札幌市電より四輪単車2両を借り受け、地元バス会社からのバスをチャーターするなどして、従来より大型化した新造ボギー車100型の竣功までをしのいだ。
戦後の輸送は貨物が1960年(昭和35年)頃、旅客が1965年(昭和40年)頃をピークとして以降は減少し、1963年から1965年には赤字に転落している。 この経営悪化への対応として無人駅化や外注化の実施、1968年には旧旭川市街軌道の後身である旭川バスを吸収して競合路線の整理と事業の効率化をはかるなどしたが、施設の老朽化とそろそろに乗用車が増え始め、道路上を走行する軌道が増え始めた車の通行に支障をきたすようになってきていた。
戦後に入るとモータリーゼーションの
影響によっての経営状況の悪化に加え
「軌道は増え続ける車の通行の邪魔だ」と
沿線住民による廃止運動が起る状況となっていた
※『旭川電気軌道・東川線』より
この状況から、沿線住民による軌道廃止運動が高まり、毎年の株主総会では廃止・バス転換を推進する会社側と、国鉄連絡貨物輸送の存続を望む沿線農協等の株主側とで攻防が繰り広げられたそうである。
1970年代に入ると、国鉄宗谷本線の高架工事の進捗に合わせて旭川市も軌道廃止を要請するようになり、貨物のトラック輸送が可能となったのを受けて農協が廃止に合意し、1972年(昭和47年)の大晦日を運行最終日として運輸営業を終了した。
晩年はノーシル・ノーヘッダのスマートな車両で
ドアエンジン・ラジオ放送など鳴り物入りで導入した
自社発注車両もボロボロに・・
※『旭川電気軌道・東川線』より
東川線・東旭川線廃止後も、旭川電気軌道はバス会社として盛業中であり、長く一部のバス停留所の名称には電車時代の駅の名称がそのまま引き継がれてきたが、2010年代半ば頃以降、電車時代から名称が引き継がれてきたバス停の改称が進められている(例:旭川追分→豊岡3条2丁目、4号線→東郵便局前、観音→共栄営業所前など)。
社紋は軌道廃止後も「旭」の字をレールを組み合わせた丸で囲ったデザインが使われている。
なお、旭川市民は旭川電気軌道を「郊外電車」、旭川市街軌道を「市内電車」と呼んで区別していた。
旭川電気軌道・東川線の予想路線図
:
地図上の妥当な位置に駅を配置して
路面軌道という事で道路上を
つなげて作成しただけの路線図なので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:15.5km(旭川~東川)
※旭川~旭川四条は1937年に旅客営業を廃止し、貨物輸送のみとなる
軌間:1067mm・電化区間:全線(直流600V)
駅数:起点・終点を含めて19駅 ※旭川と旭川一条は貨物駅
旭川(貨)・旭川一条(貨)・旭川四条(旅客扱いの上での始発駅)・四条廿丁目・
牛朱別(路線廃止前に駅廃止)・旭川追分・二号線・千代田・四号線・観音・坂ノ上・旭正・
上旭正・上七号線・十号・九号・西川・西六号・東川学校前・東川
交換可能駅:7(旭川追分、千代田、観音、旭正、上旭正、十号、西川)
変電所(水銀整流器式):旭川追分・車庫:旭川追分
旭川電気軌道 年表
1925年(大正14年) 3月10日 東川軌道が軌道敷設特許申請(旭川市~東川村・1067mm・蒸気動力)
1925年(大正14年)11月30日 東川軌道に軌道敷設特許
1926年(大正15年) 1月28日 旭川軌道を設立し社名変更
10月 7日 起業目論見書記載事項変更認可(動力を電気に変更)
1927年(昭和2年) 1月15日 定款変更届(社名を旭川電気軌道に変更)
2月15日 追分(のちの旭川追分)〜十号 開業
3月 6日 十号~東川 開業
3月10日 四条(のちの旭川四条)〜旭川の軌道敷設特許(貨物線として)
4月12日 四条~追分 開業
10月15日 四条~旭川一条間旅客運輸営業許可
10月20日 四条~旭川間 開業(旭川一条~旭川間は貨物のみ)
1929年(昭和4年) 12月30日 同社の東旭川線が部分開通し、東川線の旭川追分から旭川四条までの
乗り入れ運転を開始
1930年(昭和5年) 12月26日 同社の東旭川線が旭山公園まで開通(軌道線の路線が全通)
1937年(昭和12年)11月11日 旭川四条~旭川一条間旅客営業廃止し、旭川四条~旭川は貨物営業
のみとなる
1949年(昭和24年) 3月27日 車庫火災が発生し、保有車両1両を残して全ての車両が焼失・破損する
1968年(昭和43年) 5月14日 旭川バスを吸収合併
1972年(昭和47年)10月31日 運輸営業廃止許可申請
12月22日 運輸営業廃止許可
12月31日 列車運行最終日
1973年(昭和48年) 1月 1日 運輸営業廃止実施
運行形態
線路は道路上に敷設されたが、旭川市と東川町の市街地部分をのぞいて路肩部分に敷設されており、郊外電車のような様相を呈していた。 また、車両も鉄道用の大型車両が使用されており、路面電車のようなステップも取り付けられていない為に、道路中央に設置された駅でもプラットホームがあった。
旭川電気鉄道・東川線の運行時刻表
※ 日本交通公社(JTB)時刻表より
東川線は旭川四条始発6:40・終発21:35で、おおむね1時間毎の運行であった(旭川追分までは東旭川線と30分毎の交互運行)。 ラッシュ時間帯は列車を2本、閑散時は1本使用していた。 旭正駅で列車の行き違いがあった。 全線の所要時間は約40分。
貨物列車は電車が牽引していた
※ 『よみがえる北海道の鉄道・軌道』より
貨物列車は貨車を電車が牽引していた。 貨物運行は不定期で、旅客列車のダイヤの隙間を運行した。
米の出荷時には、終夜運行を実施していた。
車庫の状況からパンタグラフとトロリーポールの
二つの集電装置を備えた車両もあった
※ 有料鉄道写真サイトからの購入写真
電車の集電装置については、1954年にトロリーポールからパンタグラフへと変更されているが、車庫内にクレーンがあるため架線高さが高く、パンタグラフが使用できない事から、一部車両については廃線までトロリーポールも存置されていた。
関西に住むワテには選挙権はないけど
来月の初旬に東京都知事選があるようですな
何でも史上最高の22名が立候補するらしい
それで少し興味があって
候補者の政策などを見てみたけど
現職の小池さんを始め売国思想の塊ばかりですな
1名を覗きシナ依存からの脱却を説く候補者は皆無で
そのマトモな主張をする候補も『幸福実現党』と
マトモな候補者とは思えないしィ
「ウィズコロナ」と言いながら
原発の廃止・憲法の改正反対など
全ての政策においての安倍政権との対峙など
シナ・チョンへの隷属化政策を主張して
日本の国を破滅に導く共産・反日棄損勢力が
全体の数十%の票を獲得する自体が
東京という都市が病んでいる証拠だね
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