2020-06-18 (Thu)✎
廃線鉄道 第22回 山形交通・尾花沢線 〔山形県〕
洋風の香り漂うハイカラな造りの駅舎と
ウェスタン単端型のような機関車と
※『山形交通・尾花沢線』より
尾花沢線(おばなざわせん)は、かつて山形県北村山郡大石田町の奥羽本線大石田駅から分岐して、尾花沢市の尾花沢駅までを結んでいた山形交通の鉄道路線である。 地元では『花列車』として親しまれていた。
癒される鉄道風景を魅せていた
山形交通・尾花沢線
※ 『地方私鉄60年代の回想 katsumi kazama 著』より
当路線の前身は尾花沢鉄道で、この鉄道路線は徳良湖(尾花沢市街地の約3kmほど東方にある農業灌漑用の溜め池)の灌漑用水を用いて、増産が図られた米の輸送を目的に敷設されたものである。 その後は、沿線にあった亜炭鉱山からの亜炭輸送も担うようになった。 だが、1960年代に入ると、モータリゼーションの発達と道路の整備によって衰退をみる事となる。
貨客混合列車が列車運行の基本だった
※ 『地方私鉄60年代の回想 katsumi kazama 著』より
まずは、貨物輸送が輸送コストのかかる鉄道より陸送(トラック輸送)に切り替えられて減少し、それに加えて車両の老朽化と、我が国有数の豪雪地帯ゆえの雪対策での負担が増して経営が傾き、1967年には路線経営元の山形交通より路線廃止の提案がなされる。
時代が変わるにつれ長閑な鉄道風景は
持ちこたえる事が敵わなくなった
※ 『地方私鉄60年代の回想 katsumi kazama 著』より
この時の廃止提案は沿線住民の反対運動により撤回されたものの、年を追う毎に経営状況は悪化の一途をたどり、ついに1969年の冬季に列車の運行を取りやめて、翌年3月末まで廃止バス転換を前提にしたバス代行運転が実施される。
翌年4月から列車の運行は再開したものの、冬季の代行バスでの結果が大いに経営コストの削減がなった上に、鉄道運行再開後もバス輸送でも対応できる利用状況であった事から、「バス転換を行っても輸送に差し障りなし」として1970年9月9日をもって路線廃止となり、翌9月10日より同社の運行でのバス転換となった。
路線末期の主力機関車だったDB152型機関車
※ ウィキペディア画像を拝借
ロッド式機関車の動輪部分
尾花沢線では特殊な
ロッド式機関車が使用されていた
:
路線廃止時までガソリンカー投入などの経費削減策を
取らなかった事も経営が傾く要因となったようだ
※ ウィキペディア画像を拝借
それなりの貨物輸送があったとはいえ
客車の入れ替えの為の機関車の転線や
連結作業などの手間とコストのかかる手法が
廃止時まで用いられた
※ 『地方私鉄60年代の回想 katsumi kazama 著』より
なお、この尾花沢線は、路線の廃止時までガソリンカーなどの気動車は一切投入されず、全てロッド式の機関車による牽引運行であった。 この事は、運営コスト増の要因の一つとされている。
山形交通・尾花沢線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:大石田駅~尾花沢駅間2.6km・軌間:1067mm・
駅数:2 〔大石田〕・尾花沢
電化区間:なし・複線区間:なし・運行本数 日に15往復(概ね毎時1往復で、通勤時間帯は毎時2本)
鉄道敷設の目的だった米の輸送を始め
周囲の亜炭鉱山からの亜炭輸送などの
貨物輸送も活発に行われていた
※『山形交通・尾花沢線』より
輸送実績: 輸送人員(1日平均) 貨物輸送量(1日平均)
1927年(路線創生期) 152000人 (416人) 14340トン(39.3トン)
1943年(山形交通の運営初年) 502500人(1377人) 30628トン(83.9トン)
1958年(鉄道の最盛期) 756000人(2071人) 19256トン(52.8トン)
1970年(路線廃止時)※4/1~9/9 297000人(1833人) 9989トン(61.7トン)
ハイカラな洋風建築だった
当時の大石田駅
※ 『地方私鉄60年代の回想 katsumi kazama 著』より
山形交通・尾花沢線 年表
1924年(大正13年)11月18日 尾花沢鉄道に対し鉄道免許状下付(北村山郡大石田町~同郡尾花沢町)
1925年(大正14年) 8月25日 尾花沢鉄道株式会社設立。
1926年(大正15年) 8月16日 大石田駅~尾花沢駅間開通。
1943年(昭和18年)10月 1日 三山電気鉄道・高畠鉄道と合併して山形交通の運営となる。
1969年(昭和44年)12月17日 列車を運休し、翌年の3月末までバス代行運転を実施。
1970年(昭和45年) 9月10日 路線廃止。 当初の廃止予定日は9月1日であった。
9月14日 閉業式を実施。 記念列車を運転する。
映画のワンシーンのような鉄道風景
※『山形交通・尾花沢線』より
廃線後の状況
廃線跡は居住者の利便に即した歩道として舗装されたり、未舗装のまま砂利道として残っている。
概ね、線路跡敷地として視認できる。 また、尾花沢駅の跡地は、山形交通バスのバス待合所となっている。
廃線後1999年まで静態保存されていた
DB152型機関車
※ ウィキペディア画像を拝借
また、大石田駅には、かつて同路線を行き交ったディーゼル機関車の動輪と、同車両がつけていたナンバープレートと山形交通の社紋が展示されている。
尾花沢駅の跡地の現在は
山形交通バスの待合所と商業施設となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
山交バス尾花沢待合所(やまこうバスおばなさわまちあいじょ)は、山形県尾花沢市上町にあるバスターミナルである。 市中心部に鉄道が走っていない尾花沢市にとっては交通の拠点となる施設であり、東京・浜松町バスターミナル行、仙台行の長距離バスの停留所となる他、山交バス、尾花沢市営バスのターミナルでもある。
かつての山形交通尾花沢線尾花沢駅の跡地にあり、尾花沢待合所を基点に商店街が広がっている。
かつてはダイエー尾花沢店を核テナントとするテナント街を形成していたが、ダイエーが経営不振に陥りイオングループに合併吸収されて、その際の不採算店舗の統合により2002年に撤退している。
現在は、ダイエー撤退後も残ったテナントのみとなったショッピングセンター前の転回所に、仮設の待合所のみ設置されている。
チョンによる売春婦像に次ぐタカリ・難癖の
タカリ工のデタラメ判決による
日本企業の資産差押えと現金化
安倍政権は今回も報復する事なく
済ませそうな雰囲気を
感じるのはワテだけかな?
また何度も何度も同じ事の繰り返し・・
それは背乗りチョンの天皇ヒロヒトを
キチンと処刑・処罰しなかったツケなのだ
それでも周りの政治屋は野党を中心に
シナ・チョンに媚びを売る売国奴や
ミンスのチン・チョルラン(福山哲郎)を
始めとする日本人成り済ましのチョンだしィ
だから安倍政権が「泣き寝入り」という
日本国民への裏切り行為をしたとしても
「よりマシ」で擁護しなくちゃならないのかなぁ
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No Subject * by 根室大喜
アタイも廃線・廃駅の写真撮ってきました^^)v
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
別海の西春別鉄道記念館ですね。 記事を拝見しました。
廃止になって、もう30年が経ってしまいました。
願わくば、私の大好きだったキハ22型気動車(タラコ色の車両)で、もう1度標津線に乗りたいなぁ。
別海の西春別鉄道記念館ですね。 記事を拝見しました。
廃止になって、もう30年が経ってしまいました。
願わくば、私の大好きだったキハ22型気動車(タラコ色の車両)で、もう1度標津線に乗りたいなぁ。