2020-06-16 (Tue)✎
『日本百景』 夏 第435回 高妻山 〔長野県〕
スラリとした鋭角の三角錐を魅せる高妻山に
標高以上の高さを感じて
戸隠連峰 とがくしれんぽう (上信越高原国立公園)
鬼女伝説の里・鬼無里 きなさ の村里より、鬼女の鎌が如く鋭く尖った岩峰群を連ねた連峰を望む事ができるだろう。 この峰々の連なりが、我が【名峰百選】に選した『戸隠連峰』である。 この山なみを眺めるなら、やはり厳冬期だ。 鋭い峰々に雪がまとって、白刃のような輝きを魅せてくれる。
だが、“登山”となれば別である。 厳冬期にこの荒々しい峰々を越えるのは、無謀以外の何ものでもない。 完全装備をもってしても、なお難関なのである。
これらのことから、“登山”となればやはり夏、それも初夏の頃だろう。 残雪眩しい尖峰を越えて、連峰の盟主・戸隠山 1904メートル へ。 そして、稜線に咲く花々を愛でながら、遙か高くにそびえる高妻山 2353メートル へ渡っていく雲上のプロムナード。 この道を伝った者は、素晴らしい体験の連続に感動で体が打ち震える事だろう。
戸隠連峰周遊ルート・行程図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 長野市街より車(0:40)→戸隠・奥社登山口駐車場(0:20)→森林植物園
(0:30)→戸隠奥社(2:00)→八方睨(0:10)→戸隠山(0:45)→九頭龍山
(0:50)→一不動避難小屋・水場は下山路方向へ下り15分
《2日目》 一不動避難小屋(1:30)→八丁タルミ(1:00)→高妻山(2:00)→一不動避難小屋
(1:30)→戸隠キャンプ場(0:45)→森林植物園(0:20)→戸隠・奥社登山口より車
(0:40)→長野市街
※ 前回の『第434回 戸隠山』からの続きです
後立山の不帰ノ嶮と五竜岳を望む
とっておきの朝景
《2日目》 高妻山を往復して下山
眼前にそびえる高妻山まで、往復4時間半。 如何に空身とはいえ、結構なオーダーである。
従って、夜明けと共に出発するのがいいだろう。 小屋を出ると北に進路を取り、五地蔵岳の山肌を斜めに切って登っていく。 登るごとに《二釈迦》・《三文殊》と、仏の言葉にちなんだ合目の祠が鎮座している。
高妻山発 夜明けの絶景
日の出の直前・・
茫洋とした姿の飯綱山を望む
茫洋な姿の飯綱山を目にしてすぐ・・
並び立つ黒姫山の右肩から御来光が昇る
手前の葉に当たる日の光に魅せられて
広角気味に戻してみた
夜明けと共に避難小屋を出ると、この辺りで朝の絶景を迎える事になろう。 朝日は飯綱山の対峙する長野盆地側から登り、戸隠高原全体を朝の光でつつむ。
御来光シーンを終えると
下界を覆っていた雲海が切れて
ライトグリーンの戸隠高原が現れる
また、反対の後立山連峰がそびえる西側は空がほのかなピンク色に染まり、雲海に浮かぶ後立山が天海に浮かぶ軍艦の如く並列している。 それでは、朝の絶景をごろうじろ。
後立山の山なみが
黄金色の空にそびえ立ち
後立山の山々を一望する情景に
後立山の完全縦走の思いがもたげてくる
ズームアップしてヤマを望むのは
「あのヤマの上に立ちたい」という心の現れ
《三文殊》辺りで五地蔵岳の尾根上に出て、右側が切れ落ちた片側痩せ尾根を伝っていく。
やかで、切れ落ちた右側も樹林で覆われるようになり、その中をひと登りで五地蔵岳 1998メートル の頂上だ。 頂上は狭く簡素なものだが、これより仰ぎ見る高妻山のスラリとした“高さ”は力強さを感じ取れる絶景だ。
スラリと整った三角錐の
美しい姿を魅せる高妻山
ひときわ目立つ黒兜の頂をもたげる
盟主・妙高山率いる妙高連山
さて、ルートは尾根上を忠実に伝うのであるが、尾根上にはコブが3つあって、いずれも頂点を通らねばならない。 つまり、アップダウンが3発あるという事だ。 それも御丁寧に、そのコブの頂上ごとに《七観音》・《八薬師》・《九勢士》とあるから、当然その祠目当ての登高となる。 人間というもの・・、邪心を抱くと帰って不幸を招くというが、“早く着け”と念じれば念ずる程になかなか着かないものである。
キツいアップダウンに
気持ちが萎えてきたなら
路傍に咲く清楚な花々で癒すといい
このアップダウンを経て《九勢士》のコブ峰に立つと、ようやく高妻山本峰に取り付く事ができる。
《八丁タルミ》で一度たわんでから、高妻山に向けての300m直登だ。 これまでに3つのアップダウンを経た後だけに、さすがにキツイ。 これを乗りきると高妻山の頂稜に這い上がり、《十阿弥陀》の御鏡と阿弥陀如来が祀られた南端峰を経て、ほんの一投足で北側最奥にある高妻山 2353メートル の頂上に着く。
高妻山の頂からは
後立山の全ての峰々が一望で見渡せる
高妻山の頂にて・・
:
自信のある時は
シャキッっとしてますね
頂上は雪のような白亜の岩が積み重なっていて、その岩の上に立てば360°遮るもののない絶景が雲海の中に広がる。 白馬・五竜・鹿島槍・・と並ぶ後立山連峰、そしてその背後に《八ッ峰》を延ばす剱岳、最奥には北アのシンボル・槍の穂先も雲海より突き出している。 また、上信越国境の妙高山や火打山・雨飾山なども、美しいシルエットを魅せている。 しばし、この絶景に山の喜びをかみしめよう。
白馬三山揃い踏み
不帰ノ嶮から五竜に続く山なみ
振り返ると、湧き立つ雲海が一層嶮しさを引き立てる戸隠連峰が望める。 これを目にすると、「あの緑に覆われたギザギザの刃渡りを、いつか越えてみたい」という思いがもたげてくるだろう。
高妻山より遥か低い位置にあるのに
ギザギサの稜線が存在感を示す戸隠連峰
威圧的な稜線を魅せる戸隠の山なみを
呑み込むような雲海が現れて
更に嶮しさを指し示す
この時は『若さ』という希望があった
:
この嶮しさ極まる稜線を望んで
踏破の心がもたげてきた
そして、今回は時間の事を考えて自重した乙妻山 2318m が、神秘のベールをまとってそびえ立つ。 こういう魅惑的な情景を撮った写真で眺めると、「若き『奇跡の体力』のある時に、多少無理してでも行っていればよかった」と後悔の念がもたげるのである。 それは、「歳食ってヘタリきった今では、乙妻山への往復は叶わない事だろう」との察しがつくからである。
距離以上に遥か遠い乙妻山
:
行ける時に行っておかないと
「手の届かない所にいってしまう」
って事なのだろうね
帰りは、小屋まで往路を忠実に戻るが、帰りも3発のアップダウンの登り返しがあるので、それなりに体力と時間を要するのである。 さて、行程ガイドは、荷物を回収して《一不動》の避難小屋を出る所から再開しよう。
ハクサンチドリのお花畑の中に
切られた道を下っていこう
小屋から高妻山方向へ10mほど行くと、下山道が右手に分かれてある。 たぶん、昨日の内に《一杯清水》まで水を汲みにいく為に通っている事だと思うので、すぐに判るであろう。 道はすぐに涸れ沢状を成し、岩コロが転がる中を急下降していく。 やがて、《大洞沢》の源頭沢が合流してくる。
この合流地点には、清水も湧き出している。 これが、《一杯清水》である。
水場のある所は
瑞々しい実り形の花が咲き競う
ここから、時折沢床を直接歩く事を交えながら、沢の右岸を下っていく。 やがて、沢は《不動滝》となって100m超の岩盤を落とすようになる。
一杯清水の流れはほどなく
不動滝となって崖下へ落ちる
道は鎖を使って《不動滝》の右脇を下り、滝に沿って湾曲している《帯岩》の岩盤をトラバースして伝っていく。 この《帯岩》は取っ掛かりの足場が狭く、また常時濡れているので通過には注意が必要だ。
これを通過すると、草付きを経て再び沢筋に出る。
一枚岩盤をトラバースで
通過する難所の『帯岩』
沢を飛び石伝いに渡り左岸を伝っていくと、ナメ滝を形成するスラブの岩盤が現れる。 ここには鎖が付いていて、これを使って下っていく。
通った感じだと『帯岩』より
このスラブを下降する方が厄介だったよ
足場はよく掘られていて決めやすいが、スラブゆえによく滑り、上りはともかく下りでは《帯岩》を凌ぐ難所ではないか・・と思うのだが。 これを越えると、川床の中を緩やかに下ったり渡り返したりしながら進み、やがて《戸隠牧場》最奥の草原に出る。
牧場まで下ってくると
ニッコウキスゲの咲く穏やかな情景となる
後は、牧場につけられた道を放牧馬などを見ながら歩いていくといい。 20分も歩けば、牧場入口に出る事ができるだろう。 残りは、車を回収するべく《戸隠奥社》の登山口に向かうだけだ。
ルートは、山麓遊歩道を取っても車道を取っても大差はない。 そして、もう歩きたくなければ、200円を払ってバスに乗るという手もある。
この花のようにハツラツとしていたあの頃・・
よもや「ナシナシビバーク」だの「下り三倍満」に
なるとは夢にも思わなんだよ
ちなみに、ワテはちょうどバスが停まっていた事もあって、バスに乗っちゃいました。 この事を振り返ってみると、「コレって、これから15年後に大ヘタレとなる自身を暗示しているのだな」と思えるよ。
なお、山旅後の温泉は、最近《戸隠高原》にクアハウスができた・・という事なので、行ってみるといいだろう。 また、《妙高》の温泉郷も案外近く、行動範囲内である。
武漢ウイルスの為にこの夏の
山小屋の営業状況がハッキリせず
予定を立てるのに苦労しますね
ワテの場合はテントなので
最悪の場合でも
多少の『オチャメ』で何とかなるけど
山小屋利用形態の山行なら
状況によっては今年は
ヤマを断念せねばならないかも・・ね
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Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
戸隠忍者を調べてみると、そのまま「戸隠流」忍術と呼ばれていたようです。 木曽義仲の懐刀としてひそかに生まれた忍術流派との事で、その後は伊賀忍術に近づいていったようです。 また、マンガの『ナルト』のモデルだそうです。
高妻山の三角錐も、忍術訓練の為に用立てたのかなぁ。
戸隠忍者を調べてみると、そのまま「戸隠流」忍術と呼ばれていたようです。 木曽義仲の懐刀としてひそかに生まれた忍術流派との事で、その後は伊賀忍術に近づいていったようです。 また、マンガの『ナルト』のモデルだそうです。
高妻山の三角錐も、忍術訓練の為に用立てたのかなぁ。
三角錐の高妻山、凄いですね。