2020-06-06 (Sat)✎
廃線鉄道 第21回 茨城交通・茨城線 〔茨城県〕
石塚駅に進入する列車
※ 水戸市立博物館主催
『茨城鉄道展』のウェブサイトより
茨城交通・茨城線(いばらぎこうつう・いばらきせん)は、かつて茨城県水戸市の赤塚駅と茨城県東茨城郡桂村(現在の城里町)の御前山(ごぜんやま)駅を結んでいた、茨城交通の鉄道路線である。
終着駅の名から御前山線の別称もあった。 1971年2月11日に全線が廃止された。
御前山駅付近に残る橋台と前後の路盤
(写真奥が御前山駅方)
※ ウィキペディア画像を拝借
終点は御前山駅を名乗っているが、これは御前山の麓という立地と、御前山という地名が城里町(鉄道建設当時は東茨城郡沢山村)に存在するからである。 那珂川対岸に東茨城郡御前山村(現在の常陸大宮市)があった為に誤解される事があるが、那珂川対岸の御前山村は昭和の大合併でできた自治体名であり、御前山の山頂と御前山の地名が桂村に存在するにもかかわらず命名されたものとの事である。 当路線の駅名である御前山は、那珂川対岸の自治体が名乗った『御前山村』より古い。
茨城交通・茨城線の予想路線図
及び路線廃止後の駅跡詳細 その1(赤塚〜藤井)
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:25.2km・軌間:1,067mm・複線区間:なし(全線単線)・
駅数:16駅(起点駅および終点駅を含む)
〔赤塚〕・東石川・西原町・上水戸・曙町・大学前・掘・田野・飯富・藤井・那珂西・石塚・常陸岩船・
阿波山・阿野沢・御前山
電化区間:赤塚駅~大学前駅間(1965年の茨城交通・水浜線の廃止に並行して、電車運行は廃止されて
いる)
茨城線廃止後にひたちなか海浜鉄道・湊線
(茨城交通から第三セクターに移管した路線)へ移った
ディーゼル機関車ケキ102形
:
貨物輸送もそれなりにあったようだ
※ ウィキペディア画像を拝借
輸送実績: 輸送人員(1日平均) 貨物輸送量(1日平均)
1929年(全線にガソリンカー投入時) 415566人(1139人) 52573トン (144トン)
1945年(路線の最盛期) 2,472,263人(6773人) 49056トン(134.4トン)
1966年(石塚~御殿山の廃止時) 709千人 (1943人) 61027トン(167.2トン)
1970年(路線全廃時) 497千人 (1362人) 28694トン(78.6トン)
有田鉄道と同一のケハ401
廃業した九州の山鹿温泉鉄道から
のお流れ車両との事
※『茨城交通・茨城線』より
茨城交通・茨城線 年表
1921年(大正10年) 2月21日 茨城鉄道に鉄道敷設免許状下付(東茨城郡河和田村〜同郡澤山村間)。
1923年(大正12年) 3月23日 鉄道敷設の区間変更の認可(水戸市~東茨城郡澤山村間)。
8月16日 茨城鉄道設立。 本社は東京市京橋区銀座に設置。
茨城交通・茨城線があった頃の赤塚駅
茨城交通・茨城線は駅の裏口より出ていた
※ ウィキペディア画像を拝借
1926年(大正15年) 3月22日 起点を赤塚駅に変更。
10月24日 赤塚~石塚間開業。
1927年(昭和 2年) 2月23日 石塚~阿波山間開業。
2月24日 鉄道敷設免許状下付(東茨城郡澤山村~那珂郡玉川村と
那珂郡野口村~同郡長倉村の2区間)。
3月26日 阿波山~御前山間開業。
茨城交通・茨城線の予想路線図
及び路線廃止後の駅跡詳細 その2(藤井〜御前山)
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
1928年(昭和 3年) 5月10日 赤塚~上水戸でガソリンカー投入 。
7月 6日 上水戸-石塚でガソリンカー投入。
茨城鉄道本社を茨城県東茨城郡常磐村(現・水戸市)に移転。
1929年(昭和 4年) 9月25日 石塚~御前山でガソリンカー投入により、全線でガソリンカー投入。
1931年(昭和 6年)10月14日 那珂郡野口村~同郡玉川村鉄道免許失効。
(指定の期限まで工事施行認可申請を為さざる為)。
1935年(昭和10年) 7月17日 御前山~長倉間鉄道免許取消(指定の期限まで工事竣工せさる為)。
国鉄型のキハ07の機械式ディーゼル車が
茨城交通・茨城線の主力だった
※ 水戸市立博物館主催
『茨城鉄道展』のウェブサイトより
1944年(昭和19年) 8月 1日 県内交通統合で水浜電車・茨城鉄道・湊鉄道などが合併し、茨城交通
発足。 同日、水浜線の谷中〜上水戸開業。
11月18日 赤塚~上水戸間電化。
1945年(昭和20年) 6月 1日 上水戸~大学前(当時は南袴塚)電化。
1954年(昭和29年) 水浜線の茨城線への乗り入れ運転認可。
1956年(昭和31年) 1月20日 水浜線、上水戸〜大学前間の乗り入れ開始。
1957年(昭和32年)11月20日 全線無煙化(気動車化)。
路線の性格としては県庁所在地・水戸と
地方町村を結ぶ都市近郊路線だったので
路面電車に合わせて電化したり
国鉄型の大型車両を導入していた茨城交通・茨城線
※ 水戸市立博物館主催
『茨城鉄道展』のウェブサイトより
1965年(昭和40年) 4月25日 水浜線、上水戸〜水戸駅前の営業廃止(6月11日)を控え、赤塚〜
大学前間の電車運転を廃止。
1966年(昭和41年) 6月 1日 石塚~御前山間の営業廃止。
1968年(昭和43年) 6月16日 大学前~石塚間の営業廃止。
1971年(昭和46年) 2月11日 赤塚~大学前間廃止により全線廃止。
旧常北町(現在は町村合併により城里町)の中心で
現在も城里町の役場のある路線の中心駅・石塚
※ 水戸市立博物館主催
『茨城鉄道展』のウェブサイトより
1968年の石塚・大学前間廃止時と1971年の全線廃止時の2度に亘って謝恩優待乗車券を発行したが、1966年の石塚・御前山間廃止時は同日に廃止された茨城交通・水浜線とは対照的に、記念乗車券の発行も記念イベントの開催も無かった。
那珂西駅のホーム跡と
地主によって設置された
駅名標のモニュメント
※ ウィキペディア画像を拝借
廃線後の状況
現在、かつての茨城線の全線に渡って同じルートを行き交うバス路線は存在しない。 但し、上水戸~御前山の区間は、茨城交通バスの〔45系統線〕が御前山〜飯富~栄町〜水戸駅がほぼ同じルートを走る。
赤塚駅に進入するケハ401
※ 水戸市立博物館主催
『茨城鉄道展』のウェブサイトより
また、〔81系統〕の 赤塚駅~東赤塚〜自由が丘~水戸駅のうち、飯綱神社~西原二丁目間は、廃線跡を転用した道路上を走っている。 このバス路線の東赤塚アパート入口バス停が、かつての東石川駅の場所と完全に一致する。 その他、同路線の西原二丁目バス停が国道50号線との踏切脇にあった西原町駅に近接している。
御前山駅近くの小川にある橋台
※ ウィキペディア画像を拝借
廃線後に路線のほとんどが道路用地への収用や宅地化された為、はっきりとした路線跡は判りにくいが、那珂西駅のホーム跡と御前山駅近くの小川にある橋台が残っている。
何でもウイルス感染者が増え続けた都会で
日本政府の言う通りに
部屋に籠って自粛していた者が
鬱病による出社不能や
体力低下によってその他の病気に罹ったり
最悪は抵抗力を無くして
武漢ウイルスに感染してるという
やっぱりね・・ ワテの言う通りになったよ
人間ってのはお日さんに当たらないと
自律神経がやられて心身ともに脆弱となるのですよ
それはインドアの奴らに奇行や重大犯罪者が
多い事でも証明されてる事だよ
昨日のボーガン殺人も
バリバリのインドア野郎だしィ
制限するべきものは移動ではなく
クラスター要因たるアミューズメント
つまり芸能界や映画館・ライブハウス・ハチンコなど
アミューズメント関連への出入りだと言ったでしょ
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