風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第43回  石北本線

『私の訪ねた路線』  第43回  石北本線  〔北海道〕
 

白滝の沢と特急オホーツク
こんなの撮ってたのね
 
《路線データ》
     営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’15) 
    新旭川~網走 234.0km             1142  /  389
運行本数(’18)
 旭川~網走 特急4往復(内 2往復は札幌直通)
 旭川~北見 特別快速〔きたみ〕 1往復
 旭川~上川 下り8本、上り7本(旭川~東旭川・当麻・伊香牛に区間運行3~4本あり)
 上川~遠軽 1往復、白滝~遠軽 1往復
 遠軽~北見 上下各4本(遠軽~生田原、留辺蘂~北見など区間運行 上下とも2~3本あり)
 網走~北見 上下各9本
 
   《路線史》
北見・網走を目指して建設された複数の路線をつなぎ合わせて全通した経歴をもつ路線である。
名寄から興部・遠軽を経て北見に至る旧名寄本線の『湧別線』ルートの遠軽~北見と、池田から北見・網走・札弦へ向かう旧池北線の『網走本線』ルートの北見~網走、そして旭川から北見峠を越えて遠軽へ短絡する『石北線』ルートの旭川~遠軽である。

『湧別線』ルートが開通した当時(1915年頃)は軽便鉄道法により鉄道が開拓に供した時代で、都市間輸送よりもオホーツク沿岸の開拓に全てが注がれた時代であった。 また、旭川よりオホーツク沿岸の中心都市・網走へは当時の鉄道建設技術からしても難所の石北峠を避け、遠回りであるが比較的緩やかな名寄・北見峠経由のこのルートが取られる事となった。 
 
なお、1921年に名寄~北見が全通している。 その際に名寄線(1923年には渚滑線の開業を受け名寄本線に昇格している)と改称されている。 1912年に、いよいよ網走までの延伸となる。 池田からの『網走本線』ルートが全通したのである。 これによって網走へは旧池北線の『網走本線』が幹線ルートとなり、札幌~帯広~網走の鉄道網が完成した。 また、北見へは遠回りながら旧名寄本線の『湧別線』ルートがその任を担った。

だが、1932年に難所であった石北峠を克服した事により路線の命運は劇的に変化する事となる。
札幌・旭川といった道央の都市とオホーツク沿岸の網走を結ぶ役目は、最短距離のこの『石北線』ルートが担う事となったのである。 これによって『網走本線』は幹線の任を解かれ、支線扱いへと転落していく。 路線名称も後(1961年)に池北線に改称されている。

また、『名寄本線』ルートも遠軽~北見を『石北線』ルートに編入された上に、地方線として完全なローカル輸送の任につく事となった。 そして周知の通り、この2つのルートは後に国鉄再建法の施行により廃止対象路線として指定され、名寄本線は1989年に全線廃止、池北線は第三セクターの『ちほく高原鉄道』に移管の後に2006年に廃止となる悲劇的な命運をたどっている。 今はスイッチバック形式の遠軽駅構内だけが、複雑な生い立ちによってつながれたこの路線の素性を語るのみとなっている。

輸送量や運行に関してだが、最短距離であるが山奥の原野や峠を切り開いて建設した路線である為、道央の都市と網走を結ぶ都市間輸送以外に『幹線』たる役目はなく、線内は北見近郊などの一部を除いて、国鉄再建法によって廃止対象となった特定地方線顔負けの閑散線区となっている。

中でも上川~遠軽は無人地帯の山越えルートであり、普通列車が1日1往復のみという区間も存在する。 列車も特急列車と快速列車は白滝や丸瀬布を除いて全て通過となる。 
また、石北峠上にあった天幕・中越・上越(仮)・奥白滝は利用者が通年を通してゼロとなり、2001年に廃駅となっている。

また、エピソードとしては常紋トンネルの『タコ部屋労働』と呼ばれた虐待労働が挙げられる。
トンネルの建設無事完成を祈願して人柱が建てられたり、実際にトンネル内より人骨が発見されたという報告も少なからずあるそうである。 それを元にした怪談話も伝えられている。

この他、オホーツク沿岸の中心都市・網走の凋落と暗い話題ばかりのこの路線だが、一つだけ明るい話題がある。 それは、極寒・豪雪地帯の為に冬季の道路運送に限界があり、大量貨物輸送の任を担えるとして鉄道貨物輸送が見直されてきているという事である。 かつて、『タコ部屋労働』の悲劇があった常紋付近のカーブで、重連のディーゼル機関車が大編成の貨物列車を力強く牽引する迫力ある姿が見られる・・との事である。
 


 

山から下りてヒマだったので
撮った一品です
 
   《駅訪問記》
この路線は長大で、しかも途中の上川~白滝は普通列車が1日1本の超閑散路線である。 この状態で実際に昼間に乗車して《乗車記》を書くなら、もう完全無欠の『乗り鉄』と言っていいだろう。
 
正直言うと、ワテはナンチャッテの王道を行く『○鉄』なので、それほど鉄道乗車に関しての思い入れはないのだ。 そして駅の訪問も、『車で訪れてもOK』、『ホームに足のつま先が触れた時点で駅を訪問済とカウントする』という、真剣に鉄道趣味をしている人からすると『鉄道趣味人の風上にも置けないアウトロー』なのである。
 
そして付け加えるなら、石北本線の全区間乗車は、急行【大雪】が健在の頃の夜行列車で“通過しただけ”なのである。 あぁ・・、旭川~上川は今年も山に行く時に鈍行に乗ったなぁ。 まぁ、全区間寝てたけど。
 
と言う訳で、この路線に関しては《乗車記》を書き記す事が不能の状態なのだ。 ・・で、苦肉の策、ほぼ乗車不能の1往復区間にスポットを当てて、車で訪ねた駅訪問記と撮影記を書き連ねようと思う。
 
今年も大雪に登る為に降り立った上川駅だが、車のない広いロータリーが虚しい殺風景な駅だった。
ここから、普通列車1日1往復区間が始まる。 駅を出た国道はR39の『大雪国道』で、無人原野に向かう鉄道線とは離れて層雲峡という大観光地へ向かっていく。
 
短い夏のいっとき
奥白滝跡にて

その『大雪国道』から、上川町の街外れで分岐する道路がある。 R273の『オホーツク街道』である。
鉄道線は、このR273沿いに進んでいく。 この道は原野の中を切り開いた開拓道そのままで、20kmの間は完全な無人地帯である。 夜に通行しようものなら、野生の鹿と衝突でもしかねないような道である。 
 
現に、鹿と衝突する事故が頻発しているとの事で、これが元で作られた4駆のカンガルーバー装着車で、被害者を跳ね飛ばして殺傷する事故が都会で多発して問題となった事もあったようだ。 まぁ、話は脱線したが、野生の鹿は車のライトが目に入ると動かずに凍ってしまう性質があるので注意しよう。 
 
途中に廃駅となった天幕・中越・上越信号場とあったが、天幕は跡形もなく撤去され、中越と上越は駅舎家屋は残るものの、ホームは降りれないように削られているとの事だ。 まぁ、訪ねる者は鉄道撮影の者だけだというが。

ワテもかつて山をめぐるついでに、天幕と中越の駅舎訪問を『車で』した経験がある。 その時にあった駅の旅ノートにも記載した思い出があるが、その記述は今何処へ。 ちなみに駅舎内はがらんどうでだだっ広く、テントがあれば『STB』(ステーション・ベット=駅寝)が可能の駅でしたが。
 
さてR273は、北見峠下の原野の中に『壮大なる無駄』の代表格として存在する《上越白滝自動車道》の浮島ICの所で『遠軽国道』のR333を分けて、オホーツクへ向けて北上していく。 鉄道線は、このR333と共に北見峠を越えていく。
 
鉄道線と『壮大な無駄』は北見峠をトンネルで抜けていくが、R333はカーブと急勾配が連続する峠道で越えていく。 R333の北見峠頂上には、かつては『道の駅』を想定していたのか、飲食店舗跡と閉鎖されたトイレがあった。 今は車は止めれるが、トイレは使えないという“使えない”パーキングエリアとなっている。 訪れた当時の私も、さすがに車寝はし辛くて下に下りたのを憶えている。
 
峠を下ると、奥白滝。 立派な駅舎だが入口が板で封鎖されている。 じ・つ・わ・・、この駅で車寝したしりて。 そして、その駅前を走るR333のチェーン着脱場は、普通車なら500台は駐車できる程の広大なスペースが取られていた。 『広いなぁ、北海道』を実感する眺めである。
 
しかも、そのR333より鉄道線を跨いだ奥に走る『壮大な無駄』には『道の駅・しらたき』兼用のSAがあり、レストランまであるでやんの。 この存在を知った時点で、大雪登山から下山した時の車寝場所は大概このSAなったしィ。
 
・・で、ようやく鉄道の話題だが、この『自動販売機あり』、『レストランあり』、『洋式ウォシュレットトイレあり』、の最高の撮影場所である奥白滝で、1日1本の列車を狙う。 ワテの撮影様式は風景が主の『風景鉄道』なので、この撮影場所は『ストライク』である。
 

ルピナスの花が北海道の短い夏を飾る
旧 奥白滝にて
 
さて、この奥白滝を過ぎて峠を完全に下りきると、上白滝に着く。 この駅は、他の駅がすべて廃止された事を受けて、『1日1本区間』の唯一の現存駅である。 現存駅で日に1人の定期利用客が存在するらしく、駅舎内は綺麗に清掃されていて、駅ノートも数冊束ねてあった。
 
上白滝から少しゆくと、白滝村(現在は周辺町村と合併し遠軽町となっている)の中心・白滝。
特急の一部(というより、運行列車がまともに停車する)が停車する駅だが無人駅である。 まぁ、旧白滝村時代の人口が1000人強の村なら、合理化の流れは拒絶できないだろうね。
 

ロールを借りて
絵にしようと思ったけど
 
次の旧白滝は、周囲が牧草のロールが転がる酪農地帯で、稀少の『旧』を名乗った駅名以外はパッとしない。 でも、ライダーの駅寝の聖地らしく、ライダーによる駅寝体験記や訪問記を記した駅ノートが数冊束ねられている。
 

まじめな撮り鉄なら
DD51牽引の貨物を
根気よく狙うのでしょうが
不真面目な○鉄はこの後車に戻って
昼寝タイムとなっていた
 
そして、この訪問記の最後を飾るのが下白滝と白滝村の村名発祥の滝・白滝である。 滝はただの沢の早瀬で、写真に撮ってもパッとしない(撮り損ねた)ので載せてません。 悪しからず。 下白滝の駅は、その存在自体は秘境駅として通ずるものがあるが、天幕・中越・奥白滝に比べるとこの駅のレベルでさえ“平凡”に思えてしまう。 今は合併して遠軽町だが、元は町の中心駅でそれなりにまともな駅である丸瀬布へと向かっていく。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『石北本線』を御覧下さい。
 



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No title * by オータ
なるほど、奥白滝にこんな話があったのですね…
ワタシが取り上げたのは、当時北見側の最初の駅だったから…もっとも秘境駅の妖しさは、じゅうぶん感じていました。

No title * by 風来梨
オータ様、こんばんは。

オータ様の奥白滝のページ見ました。
今ではあり得ない、特急と客車列車の揃い踏み。
駅としての機能が生きていた証拠ですね。 でも、証拠という言葉になってしまったほどに、無人地帯となってしまいましたが。

今は、誰かの協力(車でお迎え)が無ければ、上白滝でさえ下車は不可能ですね。

コメント






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No title

なるほど、奥白滝にこんな話があったのですね…
ワタシが取り上げたのは、当時北見側の最初の駅だったから…もっとも秘境駅の妖しさは、じゅうぶん感じていました。
2011-09-18 * オータ [ 編集 ]

No title

オータ様、こんばんは。

オータ様の奥白滝のページ見ました。
今ではあり得ない、特急と客車列車の揃い踏み。
駅としての機能が生きていた証拠ですね。 でも、証拠という言葉になってしまったほどに、無人地帯となってしまいましたが。

今は、誰かの協力(車でお迎え)が無ければ、上白滝でさえ下車は不可能ですね。
2011-09-18 * 風来梨 [ 編集 ]