2020-05-31 (Sun)✎
路線の思い出 第383回 岩泉線・岩手大川駅跡 〔岩手県〕
山峡の駅だった岩手大川駅の駅跡は
荒れるに任せた荒地となっていた
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’13) / 営業係数(’09)
茂市~岩泉 38.4km 23 / 758
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
2014年3月31日 東日本交通バス 茂市~岩泉 3往復
茂市~岩手和井内 1往復
在りし日の岩手大川駅
※ ウィキペディア画像を拝借
岩手大川駅(いわておおかわえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町大川字舞の子にあった、JR東日本・岩泉線の駅である。 2010年7月末の法面が崩落した土砂に列車が乗り上げる事故災害で不通となり、それ以降復旧されないままに岩泉線の路線廃止が決定となり、2014年3月31日の同線の廃線に伴って当駅も廃止となった。
単式ホーム1面1線を有する駅で、駅舎の跡が残る。 かつては島式ホーム1面2線であったが、駅舎側の線路を撤去し現行の配線となった。 ホーム上に待合所が二棟設置されていた。 茂市駅管理の無人駅である。
水量豊かな清流の河床瀑・大川七滝
周辺には大川字のこじんまりとした集落がある。 また、字名の由来となった大川七滝が駅の奥3キロの地点にあり、当駅と平行している道路(岩手県道171号・大川松草線)は、約45km先で山田線の松草付近の国道106号線と接続する県都・盛岡への最短道路となっている。
やっぱり国鉄型の
駅名標の方が断然にいいね
駅所在地も記してあるし
※ ウィキペディア画像を拝借
この春に、岩泉線の駅跡をめぐってみた。 岩泉線が通った線路跡を眺めると、真っ先に頭に過った事は「ヨモギトッピングの気動車だからと敬遠しないで、法面土砂崩壊災害で岩泉線が不通となる前に撮りに訪れていれば良かった」という後悔だった。
このアーチ橋を列車が行き交うシーン
撮りたかったなぁ
それはもう、周囲の自然と調和した美しい造形美を魅せるコンクリートアーチ橋や、清流の川を渡る橋梁風景・押角峠の俯瞰など、『風景鉄道』として撮りたい情景の場所が目白押しだったのである。
春の桜から5月の新緑、そして周囲が燃える秋、やがて周囲を白く染める冬景色と、日本の四季を心ゆくまで味わえる路線だったのである。
ともすれば交通の便の整った
北海道に渡るより
訪れるのが困難な岩手の奥地・岩泉
だが、岩手の県都・盛岡よりも更に奥で、ワテの住む関西圏からだと訪れるのに実質で3日がかりなのだ。 それを詳しくいうと初日に夜行で東京に出て、東京から2日目の早朝より例えシンカンセンに乗ったとしても、山田線・岩泉線の列車本数が極少で2日目の夜に着くのが精一杯なのである。
そんな訳で岩泉線の
『撮り鉄』は2回のみ
そう・・、この魅惑的な鉄道があった地は、ともすれば北海道よりも遠い場所だったのである。
「ヨモギトッピングはパス」という
しょうもない理由でまた
大いに後悔する事となったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、そんな「言い訳」が思い浮かぶのは理由はどうであれ、やはり訪れる事ができなかった事実、「ヨモギトッピングはパス!」というしょうもない理由付けで、訪れる事を躊躇った後悔があるからだろうね。
でも「ヨモギだからパス」だとか
「遠すぎて訪れる事が困難だった」ってのは
行けなかった事を
言い訳する口実でしかない訳で
・・で、路線が廃止となって7年(実質は2010年7月の不通からだから10年)も経ってから、ようやく訪れる事ができたよ。 でも、「ターゲットとなる鉄道が行き交わない」線路跡を撮るというのは、「何をどう撮っていいのか」戸惑ったよ。
鉄道というターゲットのない
写真で表現するのって難しい
そこには、写真撮りとして思う事がタブーというか、ワテの考えとして「あってはならない」事の、「こんな廃墟を撮るのはフイルムが勿体ない」という負の感情さえもたげてきていたよ。
河床を段暴となって流れる
河床滝・大川七滝
でも、そんな負の感情を取り除いてくれる自然が、この岩手大川の先にあったのだ。 それは、字名の由来となる『大川ノ滝』、そして更に奥に控える高原の春の使者・ミズバショウ花咲く『櫃取(ひっとり)湿原』という神秘の湿原の存在だった。
ミズバショウが咲き競う
神秘の湿原・櫃取湿原も
この岩手大川が最寄り駅!?だった
まぁ、この『櫃取湿原』は岩手大川駅跡からは約38kmと、首都圏で言えば新宿から八王子までの距離、関西圏で言えば大阪から隣の京都府の向日町までの距離にほぼ匹敵するのだけれど。
沢に架かる橋が川の氾濫時に流されて
たどり着けない秘境駅となった押角駅跡
:
でも渡渉靴があれば
この位の流れなら渡れるよ
その他にも、押角峠を越える岩泉線の『代替道路』の国道340号線とか、川向こうの駅へ渡る橋が流されて駅跡に訪れるのが不能となった押角駅など、廃線跡めぐりの見どころ満載だったよ。 なお、駅舎が残存する浅内駅と岩泉駅に関しては、またいつかの機会に『路線の思い出』で語る事にしようか。
ちなみに国道340号線は、思ったほどに劣悪な道ではなかったよ。 狭隘道路ではあるが、結構すれ違いができるような空地があったし、崖が迫るグネグネ区間もあんまりなかったしィ。 レベルとしては『酷道』というには酷なレベルだったよ。 言うなれば、『King of 酷道』の『ヨサク酷道』こと国道439号に比べれば一級酷道だったよ。
『雄鹿戸(押角)トンネル』は
※ ウィキペディア画像を拝借
また、峠のサミットを越える『雄鹿戸(押角)トンネル』は、鉄道跡のトンネルを拡幅して道路トンネルとして使用する『国道340号バイパス路工事』がこのほど(2020年度中)に完成するらしく、開通して供用されると峠の狭隘区間は解消されるという事である。
岩泉線のトンネルを拡幅した
バイパス道が完成間近となっている
それに押角峠を越えて和井内に下ると、高規格舗装が成された広く快適な道となり、行き交う車は100km/hで飛ばしていたしィ。 また、岩手和井内と中里の間には、NPO法人による『観光レールバイク』が運営されているので、使用されている線路が光っていたよ。 でも、一番残って欲しかった「旧木造駅舎での駅寝体験」のある岩手刈谷駅は、撤去されて公衆トイレがポツンと建つ更地となっていたが。
もう10年以上放置されたのでは?
と思えるほどに荒れ果てた岩手大川駅跡
・・で、この項目に挙げた岩手大川駅跡だが、最も「荒れ果てていた」よ。 もう、「10年以上経ったのでは?」と思えるほどに荒れ果てて草ぼうぼう・・、ともすれば雑木の林化していたよ。 そして、駅前にあった広めの空地は草むしる荒地で、舗装された集落への道に面したほんの一部が砂利が敷かれてコミュニティバスの転回場となっていたよ。
そして、駅に沿う集落道上には『岩泉町民バス(コミュニティバス)』のバス停があるようで、下を直線的につけられた県道171号沿いより、この集落道の方が集落があったみたいである。 なお、岩泉線の代替バスは、下の県道沿いに『伏屋』というバス停が設けられている。
大好きだったけど思うように
訪ねる事ができなかった岩泉線
これからはその遺構を
訪ねる旅で取り戻す事にしよう
これからはこの地を訪れたら、この岩泉線の遺構めぐりを旅行程に加えたいな・・と思っているのである。 それは、岩泉線の遺構めぐりをしたから、『大川ノ滝』や『櫃取湿原』にめぐり合えたのだから。 自然豊かな地を行き交った鉄道の遺構めぐりには、旅の新たなアイテムが宝の様に埋もれていて、新発見の楽しみが満載で旅も豊かになるのだから。
ブログ村では記事も上げずに
トップを狙う奴とか
ワテにとってはつまらん限りの
家族向け内容のブログだらけの
人気のないカテゴリーで
トップを取っても『リターン』は
ほとんどないねぇ
逆にキチンとブログ記事をアップしている
ブログが数多く展開しているカテゴリーなら
10位以内のキープで人気のないカテゴリーの
5倍の『リターン』があるね
まぁどの世界でもそれなりに受けるには
メジャーな所で上位に掲載される
必要があると悟ったワテ
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
岩泉線は2003年に訪れたのが最後でした。 その前のJRに変わった直後もそうですが、いずれも『乗り鉄&撮り鉄』だったので、駅付近での撮影ばかりで、岩手大川駅跡などはほぼ処女地でしたね。
岩泉線はhanagonさんの記事にもあるように、「乗れるもんなら、撮れるもんなら、してみやがれ!」という路線でしたけど、車両が新型に変わったのを理由付けに訪れなかったのを今では後悔していますね。
岩泉線は2003年に訪れたのが最後でした。 その前のJRに変わった直後もそうですが、いずれも『乗り鉄&撮り鉄』だったので、駅付近での撮影ばかりで、岩手大川駅跡などはほぼ処女地でしたね。
岩泉線はhanagonさんの記事にもあるように、「乗れるもんなら、撮れるもんなら、してみやがれ!」という路線でしたけど、車両が新型に変わったのを理由付けに訪れなかったのを今では後悔していますね。
岩手大川駅はこんな感じの駅だったんですねぇ。2009年に30年ぶりに乗ったのですが、列車内から大川駅出口方面を撮影した一枚しかありません。自分の場合は基本乗り鉄なのでそうなってしまいがちです。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-665.html