風来梨のブログ

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廃線鉄道 第20回 名鉄平坂支線

廃線鉄道  第20回  名鉄平坂支線 〔愛知県〕

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在りし日の
名鉄平坂支線・湊町駅
※ 名古屋鉄道・名鉄資料館ウェブサイトより

平坂支線(へいさかしせん)は、かつて愛知県西尾市の西尾駅から港前駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。 すでに西尾~岡崎新間(初代西尾線)を営業していた西尾鉄道によって1914年に開業した。 第二次大戦中は沿線にある軍需工場への輸送があり運行休止を免れたが、古い設備の更新がままならず、1960年に西尾駅で接続する現在の西尾線が1500Vに昇圧されたのを機に廃止となった。
廃止の期日は1960年3月27日である。

路線廃止後の西尾~港前間はバス路線に転換されたが、利用客の減少から1時間に1本程度の運行となっていた。 路線跡用地はほとんど収用され、道路拡張整備を受けて愛知県の主要県道43号線となっている。 港前駅は、駅跡と同じ位置にバスの停留所が立っている。

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平坂支線の終点・港町駅跡は
バス停となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

なお、当路線の代替バスである名鉄東部交通によるバス運行は2020年3月31日で終了し、翌4月1日からは六万石くるりんバス(西尾市によるコミュニティバス)による運行となっている。

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名鉄・平坂支線の予想路線図
及び路線廃止後の駅跡詳細
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線距離(営業キロ):全長4.5km・軌間:1067mm
駅数:5駅(起終点駅含む)〔西尾〕・住崎・羽塚・平坂口・港前
複線区間:なし(全線単線)・電化区間:全線(直流600V)

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名鉄三河線(こちらも2004年に廃線)と
立体交差する平坂支線
※ 名古屋鉄道・名鉄資料館ウェブサイトより

   名鉄平坂支線 年表
1914年(大正  3年)10月30日  西尾鉄道平坂線として、西尾〜平坂臨港間が開業。
1916年(大正  5年)       平坂臨港駅廃止。 港前駅に統合。
1926年(大正15年)12月  1日  愛知電気鉄道が西尾鉄道を合併し、当該路線を西尾線とする。
1928年(昭和  3年)10月  1日  軌間を762mmから1067mmに改軌し、電化。
1929年(昭和  4年)  2月  7日  住崎駅開業。
1935年(昭和10年)  8月  1日  愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し名古屋鉄道が発足。
               当路線は平坂線となる。
1941年(昭和16年)  2月10日  平坂駅を平坂口駅に、港前駅を平坂駅に改称。
1944年(昭和19年)      羽塚駅休止。
1948年(昭和23年)  5月16日  平坂支線に改称。
1949年(昭和24年)12月  1日  平坂駅を港前駅に改称。
1952年(昭和27年)10月  1日  羽塚駅営業再開。
1960年(昭和35年)  3月27日  平坂支線・西尾~港前が路線廃止となる。

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廃線跡はほぼ全て
県道43号線用地に収用されている
この『矢曽根町』の交差点付近で
左に旋回して名鉄西尾線に合流していた
※ ウィキペディア画像を拝借

   廃止後と廃線跡
平坂支線廃止後の路線跡はほぼ全てが土地収用されて、道路拡張整備を受けた上で愛知県道43号・岡崎碧南線となっている。 路線廃止後は名鉄バスが代替バスとして運行したが、その後子会社の名鉄東部交通の受け持ちとなったが、利用客減少の歯止めがかからず撤退し、西尾市のコミュニティバスである『六万石くるりんバス』の運行となっている。



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住崎駅跡があった場所
前後に延びる道が
路線跡の愛知県道43号線
路線跡は県道43号線に収容されて
鉄道があった痕跡は全くない
※ ウィキペディア画像を拝借

住崎駅(すみざきえき)は、かつて愛知県西尾市にあった名古屋鉄道・平坂支線の駅である。
1960年3月27日に、名鉄・平坂支線の廃止に伴って当駅も駅廃止となっている。

1929年2月7日に、西尾鉄道を合併吸収した愛知電気鉄道によって設置された駅である。
戦時中の1944年頃に軍需工場の工員輸送の為に平坂側に約400m移転しているが、戦後の1950年頃には元の位置に戻っている。 運賃を据え置くため、営業キロの変更は行われなかったとの事。

当駅の1日の平均乗車人員は140人程との事である。 駅の跡地は県道43号『住崎南』交差点付近で、路線跡は整備されて愛知県道43号・岡崎碧南線となっており、当駅跡地も道路の一部となって痕跡はない。



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西尾鉄道が敷設した
路線創生期の羽塚駅
※ ウィキペディア画像を拝借

羽塚駅(はつかえき)は、かつて愛知県西尾市にあった名古屋鉄道・平坂支線の駅である。 
1960年3月27日に、名鉄・平坂支線の廃止に伴って当駅も駅廃止となっている。

1914年に、西尾鉄道によって平坂支線が開業した時点で設置された駅であるが、戦争激化の1944年に隣駅の住崎駅が軍需工場への工員輸送の為に当駅寄りに400m移転した事を受けて、「距離が近く駅を統合すべき」として休止となる。 その後の1952年に営業を再開したが、名鉄・平坂支線の廃止と共に当駅も駅廃止となっている。

路線跡は整備されて愛知県道43号・岡崎碧南線となっており、当駅跡地も道路の一部となり痕跡はない。 駅のおおよその位置は、県道43号『羽塚本郷』交差点付近とされる。



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軌条が撤去された平坂支線跡地を
オーバーパスする三河線電車
※ ウィキペディア画像を拝借
なお、この画像は
米国著作権の保護期間にある著作物との事

平坂口駅(へいさかぐちえき)は、かつて愛知県西尾市にあった名古屋鉄道・平坂支線の駅・である。 1960年3月27日に、名鉄・平坂支線の廃止に伴って当駅も駅廃止となっている。

当駅も、平坂支線開業時からの駅である。 戦後の1949年の1日当たりの平均乗降客数は530人程との事である。 三河線三河平坂駅が北東に約450m(徒歩約7分)離れた位置にあり、徒歩連絡を行っていた。

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平坂口駅近くにあった
三河線とのアンダークロス
県道43号線の道幅拡張の為に
撤去工事が進められている
※ ウィキペディア画像を拝借

平坂支線の路線跡は整備されて、愛知県道43号・岡崎碧南線となっている。 平坂口駅跡地は県道43号ではないが道路の一部となっていて、駅跡の痕跡を示すものは現存しない。



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バス停となった終点の港前駅跡
背後のバス転回場が
駅構内跡である
※ 名鉄東部交通バスの停留所案内より

港前駅(みなとまええき)は、かつて愛知県西尾市にあった名古屋鉄道・平坂支線の駅である。
1914年10月30日に、西尾鉄道によって西尾~平坂臨港間が開業した際に、港前(みなとさき)駅として開業している。 平坂臨港駅は貨物駅であった為、当駅が旅客扱いの起終点であった。

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当時の港前駅の構内配線図
広い駅構内の奥に貨物ホームもあった
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構造は1面1線のホームで、側線や駅舎も存在した。  戦後の1949年の1日当たりの平均乗降客数は270人程との事である。 また、港からの輸送貨物は、当駅発送貨物で年間4913トン、到着貨物が年間10625トンとそれなりの貨物輸送量があった。

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駅跡から150m程で
江戸時代に西尾藩の藩港として
栄えた平坂港がある
※ ウィキペディア画像を拝借

当駅は旧・幡豆郡平坂町(現・西尾市)の中心駅で、駅名の由来となった平坂港は江戸時代に西尾藩によって開かれた港であり、かつては西三河地域における物流拠点であった。

港前駅の跡地の大部分は、そのままバス停に転用されている。 平坂支線の代替バスが運行されていたが、利用者の減少もあって幾度となく運行路線の見直しが行われ、停留所東側にあった転回場が廃止となるなど規模が縮小された。

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利用客の減少に歯止めがかからず
名鉄東部交通バスも撤退し
今は西尾市のコミュニティバスの
運行となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

また、代替バスも、廃止時の名鉄バスより子会社の名鉄東部交通への譲渡(下げ渡し)となり、つい最近の2020年3月末に名鉄東部交通も利用客減少に歯止めがかからず撤退し、西尾市のコミュニティバス『六万石くるりんバス』に引き継いでいる。


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武漢ウイルス災禍を終わらせる為に
せねばならない事

それはこの災禍を引き起こした
シナ共産党を完膚無きまでに叩き潰して
解体する事である

少なくともシナ共産党の解体後の
モンゴルなどの虐げられた国の開放と
幹部全ての処罰(処刑)は必須だろう

そうでないと全世界が
チョンの背乗り天皇ヒロヒトを
処罰しなかった為に日本が受けたツケを
全世界が蒙る事となるよ


米大統領のトランプ大統領が
シナの傀儡と化したWHOを脱退するという
安倍さんにもトランプさんの半分でいいから
時を読む決断力があればなぁ



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