2020-04-21 (Tue)✎
廃線鉄道 第14回 五日市線・岩井支線 〔東京都〕
1000万人都市・東京都にも廃止路線があった
:
在りし日の武蔵岩井駅に到着する
五日市線・岩井支線の単行電車
※ ウィキペディア画像を拝借
五日市線・岩井支線(いつかいちせん・いわいしせん)は、かつて武蔵五日市駅から武蔵岩井駅への貨物輸送が主の支線である。 主に武蔵岩井駅の傍に立地する日本セメント(現在は太平洋セメント)の西多摩工場からのセメント輸送に携わっていた。
岩井支線はセメントの
貨物輸送が主の路線だった
※『在りし日の五日市線・岩井支線』より
この支線であるが、通称が『支線』というだけで正式には本線の末端区間の位置づけにあった。
それは五日市線が浅野財閥の私鉄・五日市鉄道によって敷設された路線で、1925年に立川駅~拝島駅~武蔵五日市駅~武蔵岩井駅が全通した経緯からである。
終点の武蔵岩井駅は
日本セメント(現 太平洋セメント)
の駐輪場と駐車場となっている
※武蔵岩井駅跡』より
社内駐車場の隅にある駐輪場が
駅ホームのあった位置のようである
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、通称『岩井支線』と呼ばれる末端区間が貨物(セメント)輸送を主として建設された為、貨物列車が市街地に設けられた旅客専用の駅である武蔵五日市を経由せずに拝島方面へ抜けれるように、武蔵五日市駅の手前の信号所(三内信号扱所)で分岐する形で武蔵岩井方面へ線路が敷設されたのである。
従って、線形から見ると、終点の武蔵五日市駅よりスイッチバックで分岐する支線の様相を呈していたのである。
また、貨物輸送の傍らで朝夕のみであるが、武蔵五日市~武蔵岩井に旅客列車が運行され、その旅客列車は先出の《三内信号扱所》でスイッチバックして向きを変えて武蔵岩井方面に向かっていた。
五日市線・岩井支線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
営業キロ(路線距離):武蔵五日市~武蔵岩井 2.7km・軌間:1067mm
駅数:3駅・駅構内信号扱所1ヶ所(現存駅を含む)
〔武蔵五日市〕・三内信号扱所(武蔵五日市駅構内扱い)・大久野・武蔵岩井
大久野~武蔵岩井は1971年廃止、また武蔵五日市~武蔵岩井の旅客営業もこの年に廃止となる
武蔵五日市~大久野の貨物営業及び全区間廃止は1982年
複線区間:なし(全線単線)・交換可能駅:大久野駅は貨物操車用の側線があったが旅客列車
は1面1線のホームの使用であった
電化区間:全線・廃止時の運転本数:朝夕のみ6往復で、単行の旧型電車が往復するのみの閑散路線
であった
貨物輸送量:1953年 発送貨物285217トン 到着貨物181507トン
1975年 発送貨物 14861トン 到着貨物 56295トン
五日市線・岩井支線関連 年表
1925年(大正14年) 9月20日 五日市鉄道の武蔵五日市~武蔵岩井の延伸により全通。
1940年(昭和15年)10月 3日 五日市鉄道が南武鉄道と合併し、同社五日市線の駅となる。
1944年(昭和19年) 4月 1日 南武鉄道が戦時買収で国有化され、国鉄の駅となる。
1952年(昭和27年) 3月20日 手荷物、小荷物及び貨物の取扱廃止。併せて旅客取扱を制限 (五日市線及び青梅線内各駅に発着するものに限る)。
現在は西東京バスの武蔵五日市駅~松尾・つるつる温泉間の路線バスで代替している。 武蔵五日市駅が高架化・改築されたため、廃線跡は同駅手前に一部が残る程度となっている。 武蔵岩井駅の跡地は、同地にある太平洋セメントの従業員の駐輪場として転用されている。
太平洋セメント社内にある武蔵岩井駅跡地に
建てられた社員用駐輪場の上屋
※『廃線跡を歩く』より
日本セメント社員通勤用の
停留所であった武蔵岩井駅
※ ウィキペディア画像を拝借
武蔵岩井駅(むさしいわいえき)は、かつて東京都西多摩郡日の出町大字大久野字岩井にあった国鉄・五日市線(岩井支線)の駅である。 単式ホーム1面1線の駅で、木造の駅舎があった。 1971年2月1日に、五日市線(岩井支線)の大久野~当駅間の旅客輸送廃止に伴い廃駅となったが、セメント輸送を主とする貨物輸送用の工場引き込み線は1982年の岩井支線・全線廃止まであった。
ホーム上に上屋があるだけの停留所であった
:
木造駅舎があったとの事だが
その現物写真は見当たらなかった
※ ウィキペディア画像を拝借
当駅は開業当初からセメント輸送の送出駅として機能し、貨物列車は武蔵五日市駅を経由せずに、三内信号扱所(同駅の構内扱い)より拝島駅を経て京浜工業地帯に直行していた。 一方、旅客列車は、市街地にある武蔵五日市駅から三内信号扱所で方向を転換(スイッチバック)して武蔵岩井駅に向かう線形だったが、運行本数は少なく廃止直前は単行(1両)の電車が朝夕のみ1日6往復運行される過疎路線だった。
1971年に国鉄の経営再建問題に伴う合理化の一環として、五日市線への列車集中制御装置(CTC)導入に合わせて廃止された。 旅客輸送は西東京バスに引き継がれたが、武蔵岩井にある日本セメント(現 太平洋セメント)西多摩工場への燃料の搬入やセメントの積み出しがある為、路線は専用線として貨物列車の運行は続けられた。 1982年に五日市線の貨物運行が休止となり、武蔵五日市~大久野間が廃止され、岩井支線は全線廃止となった。
武蔵岩井駅ホームのあった所には
太平洋セメントの社員用駐輪場となっている
※『廃線跡を歩く』より
武蔵岩井駅の跡地は、同地にある太平洋セメントの従業員駐輪場として転用されている。
駅舎のあった位置には駐輪場の上屋があり、この上屋の老朽化具合から旧駅舎からの転用と混同されがちだが、太平洋セメントの門前にある駅跡の説明書きの看板に、当時の駅舎は取り壊され、プラットホームも2016年に撤去された旨が記されている。
この駐輪場の上屋は駅舎の転用っぽいが
会社門前の駅跡の説明書きによると
駅舎・プラットホーム共に撤去・解体されたとの事
旅客営業当時の大久野駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
大久野駅(おおぐのえき)は、かつて東京都西多摩郡日の出町大字大久野にあった国鉄・五日市線貨物支線(通称・岩井支線)の貨物駅である。 木造駅舎を有する片面ホーム1面1線の貨客取り扱い駅であった。 岩井支線の旅客営業が廃止となる1971年2月1日までは、旅客駅としても活動していた。
古き良き時代の駅の
たたずまいを魅せていた大久野駅
※『大久野駅』より
旅客営業が廃止となってからは貨物駅となり、当駅~武蔵岩井駅跡に隣接する荷主の日本セメント(現 太平洋セメント)へは、廃線となった岩井支線の線路が同社への貨物専用線として引き続き使用され、セメントを輸送を主とする貨物列車が、1982年11月15日の五日市線の貨物運行の廃止による岩井支線の全線廃止まで運行されていた。
武漢ウイルスの緊急支援対策しての
国民全て一律の10万円給付
ワテはこれがベストではないけど
かなりベターな方策だと思うよ
なぜなら前の給付先を線引きしての
30万給付は混乱や争い必至の
クソ過ぎる程の悪手だったから
でも外国人にも一律というのが
どうも引っ掛かって
『ベター』判定としますた
なぜならワテは外国人は日本の国民が払った
税を享受する資格はないと考えるので
今回の武漢ウイルス災禍で
日本での生活に困窮したなら
母国に帰還すべきと思うからである
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