風来梨のブログ

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廃線鉄道 第12回 名鉄三河線・山線区間

廃線鉄道  第12回  名鉄三河線・山線区間 〔愛知県〕

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三河広瀬駅跡のホームと紅葉
当時所属していたカメラの会の定例撮影会で
足助の香嵐渓に紅葉を訪ねた時に撮った
この記事で唯一の自分で撮った写真だったりする

三河線(みかわせん)は、愛知県豊田市の猿投駅から愛知県碧南市の碧南駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線であるが、かつては現在の北側の終着駅である猿投駅の先が西中金駅まで、反対の南側の終着駅である碧南駅の先は吉良吉田駅まで路線が延びており、吉良吉田駅で同じ名鉄線の蒲郡線・西尾線と接続して、名古屋本線の知立駅・新安城駅を介して環状でつながっていた。

この三河線は名古屋本線の知立駅から南北に分岐する支線で、名鉄路線の中では名古屋本線に次ぐ路線距離を持っている。 路線の前身は三河鉄道で、当初は全線が一体となって運行されていたが、1950年代に知立駅の配線がスイッチバック形状に変更されてからは同駅を境に運用が分断され、以来猿投方面の山地へ向かう北側を山線(やません)、碧南方面の海に近い南側を海線(うみせん)と通称するようになった。

この三河線であるが、2004年4月1日に『山線』・『海線』の両端区間(西中金~猿投、碧南~吉良吉田)が廃止された。 これらの区間は末端区間ゆえの閑散区間で、西中金~猿投は1985年から、碧南~吉良吉田は1990年から合理化のため電車運転を廃止し、小型のディーゼルカーであるレールバスによる運転に切り替えていた。

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廃止となった路線の南北両末端区間は
経費削減の為に殿下運行を廃止して
レールバス型気動車の運行に
切り替えられていた
※ ウィキペディア画像を拝借

しかし両区間の乗客の減少は続き、名鉄は1998年11月24日に鉄道事業の合理化策として赤字路線6線区(この末端の両区間と揖斐線・黒野~本揖斐、谷汲線・黒野〜谷汲、八百津線・明智~八百津、竹鼻線・江吉良~大須のいずれも輸送密度が2,000人/日未満の過疎路線)を廃止する方針を決め、2000年3月に末端区間など赤字6線区の廃止届を、同年9月末までに提出する方針を決定した。

また、同月中(2000年3月)には、翌2001年10月までに廃線とする事を沿線自治体に通知した。
本来の廃止予定だった同年9月末から、沿線自治体による年間最大1億円の『山線区間』への赤字補填で鉄道の存続が図られたものの、このまま赤字補填を続けても近い将来に三河旭~中畑間の矢作川橋梁の架け替えに莫大な費用(150~160億円と概算)を要するとの懸念が持ち上がった。

その事で、西尾市が先立って存続を断念する表明をした事で、周囲の他の海線沿線自治体も西尾市に追随して海線側の廃止及び代行バス転換が決まり、山線沿線自治体(豊田市・足助町など)も海線側の路線廃止に追随する結果となった。 そして2003年3月27日には『海線区間』、8月6日には『山線区間』の廃止届が、それぞれ名鉄から中部運輸局を通じて国土交通省に提出された。

廃止前の運行本数は一部時間帯を除いて毎時1本程度の設定で、全列車ワンマン運転であった。
多客期には増結が行われ、最大で3両(キハ10形の場合。キハ20形・キハ30形では2両)での運転も見られた。

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廃止後に放置されて荒れ放題の
光景を魅せる駅跡もあった
※ ウィキペディア画像を拝借

廃止後、山線廃止区間(西中金~猿投)には豊田市から委託された名鉄東部交通・豊栄交通による『さなげ足助バス』(現・とよたおいでんバス・さなげ足助線)が運行を始めた。 この路線代替バスは、四郷駅~猿投駅~西中金~香嵐渓~足助~百年草を結んでいる。 一方、海線廃止区間(碧南~吉良吉田)ついての概要は、次回に記載する事にしてここでは割愛したい。

なお、この『山線区間』では、路線建設時に三河鉄道が廃止時の終着駅であった西中金より先、足助までの延伸計画を立てていた。 しかし、世界恐慌の影響や用地買収の難航などが足助付近の建設に支障し、路盤のほとんどの完成を見た時に太平洋戦争の開戦に見舞われた。

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紅葉の名所・香嵐渓の通り道にあった
名鉄三河線・山線の廃止区間
※ ウィキペディア画像を拝借

敷設されるはずだったレールは南方戦線に供出されてしまい、ついに電車が走る事のなかったかつての路盤は、現在は細い市道となっている。 足助には紅葉の名所として知られる香嵐渓があり、毎年秋のシーズンになると三河線に並行する国道153号(飯田街道)が激しい渋滞を起こす為に未成線になってしまった事が悔やまれているが、既存路線が猿投から廃止されるようでは通年の利用需要は期待できず、採算性の面から実現は乏しかったとする見方もある。

また、三河鉄道の子会社である新三河鉄道が取得していた八事(名古屋市)~挙母間の鉄道敷設免許は、会社の合併によって三河鉄道から名鉄へと引き継がれ、紆余曲折を経て名鉄豊田線として開業している。

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名鉄三河線・山線の廃止区間の予想路線図
及び路線廃止後の駅跡詳細
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
営業キロ(路線距離):西中金~猿投 8.6km・軌間:1067mm
駅数:5駅(現存駅を含む)西中金・三河広瀬・枝下・三河御船・〔猿投〕
複線区間:なし(全線単線)・交換可能駅:廃止区間は無(廃止区間は全線1閉塞)
電化区間:全線電化路線であったが、閑散区間での経費削減の為に1985年より電化運行を取り止め、
     それ以来廃止時までレールバス型の気動車で運行していた
閉塞方式:スタフ閉塞式
廃止時の運転本数:上下とも概ね毎時1本、ラッシュ時毎時2本の運行有

   名鉄三河線・山線廃止区間関連 年表
1912年(明治45年)5月30日 三河鉄道設立。
1914年(大正  3年)9月  4日   鉄道免許状下付(西加茂郡挙母町~同郡猿投村 間)。
1927年(昭和  2年)8月26日   猿投~枝下 開業。
           9月17日   枝下~三河広瀬 開業。
1928年(昭和  3年)1月22日 三河広瀬~西中金 開業。
1941年(昭和16年)6月  1日   名古屋鉄道が三河鉄道を合併し、西中金~蒲郡 間を『三河線』
                と改称する。
1958年(昭和33年)6月27日   足助~西中金 間の免許が失効し、延伸計画を断念。
1985年(昭和60年)3月14日   西中金~猿投の電気運転を廃止し、レールバスを投入する。
                同区間でワンマン運転開始。
2003年(平成15年)8月  6日  『山線区間』西中金~猿投の廃止届を国土交通省に提出。
2004年(平成16年)4月  1日   西中金~猿投の路線廃止。

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バラストが風化して線路が埋もれてしまって
廃止を印象付ける眺めとなっている所もあるが
※ ウィキペディア画像を拝借

   廃止後と廃線跡
山線廃止区間は、山間部ゆえに放置されたレールが落ち葉に埋もれるなど自然に還りつつある部分もあるが、地元自治体の活動により枝下駅や三河広瀬駅が広場として一部整備された他は、駅舎・ホーム・レール・鉄橋(矢作川橋梁など)は、踏切部分以外はほとんど撤去されずに廃線当時のままの姿で残されている。

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おおむね線路跡は状態よく残り
今でも列車が来るような錯覚を覚える
※ ウィキペディア画像を拝借

同区間では廃止後、地元では廃線跡と未成区間の用地を活用し、遊歩道兼サイクリングロードとして猿投から足助までを結ぶ『でんしゃみち』構想が計画され、計画の一環として自治会による廃線跡の整備やボランティアによる路盤の手入れが行われている。

地元の構想に対し当初は豊田市も計画実現への意欲を示していたが、リーマン・ショックに伴う市財政の悪化によって計画の見直しが迫られる事になり、結局は2008年度からの都市計画に『でんしゃみち』構想は盛り込まれなかった。



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西中金駅舎
国の登録有形文化財にも登録され
駅ナカ喫茶店もオープンしている
ちょっとした観光名所だ
※ ウィキペディア画像を拝借

西中金駅(にしなかがねえき)は、かつて愛知県豊田市中金町にあった名古屋鉄道・三河線の駅である。 名鉄三河線の末端区間(猿投~西中金)の廃止に伴い、2004年4月1日に廃駅となった。
駅構造はホーム1本のみの棒線駅で、1928年の開業から後2年の1930年に木造平屋の駅舎が建てられた。
当駅の2003年度の1日平均乗車人員は、207人であったとの事。

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路線延長を見越して
途中駅然とした構造だった西中金駅
※ ウィキペディア画像を拝借

片面ホームのみの棒線駅という終着駅らしくない構造は、本来足助方面への延長までの暫定的な終着駅とされていた為との事である。 また、駅名標には足助方面への延長を予定していた為か、名鉄バスによる先行措置により『足助方面自動車連絡』と書かれていた。 廃止後の2007年に、駅舎とホームが国の登録有形文化財に登録されている。 駅・ホームの所有者は、名鉄ままとなっている。

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西中金の駅名標には
自社バスへの乗換案内が記されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

三河鉄道時代には、紅葉で有名な香嵐渓のある足助町(現在は豊田市)まで延伸する予定であった。
しかし、世界恐慌による資金不足や戦争などの影響で当駅以降は延伸が進まず、名古屋鉄道合併後も事業免許は得ていたものの、最終的には断念して事業免許を返却した。 足助方面への延伸の為に用地買収されたその先の土地は、道路として残っている。

西中金駅の旧駅舎の待合室を豊田市が改装し、住民組織「西中金駅愛護会」が運営する喫茶店『西中金ふれあいステーション』が、2015年(平成27年)11月14日にオープンした。



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西中金駅と共に国の登録有形文化財に
指定された三河広瀬駅駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

三河広瀬駅(みかわひろせえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道・三河線の駅である。
名鉄三河線の末端区間(猿投~西中金)の廃止に伴い、2004年4月1日に廃駅となった。
廃止区間の駅の中では、数少ない駅舎の現存している駅である。 ホームは1面1線だが、有効長は長く取られていた。 当駅の2003年度の1日平均乗車人員は、162人であったとの事。

これは、かつて当駅が1面2線の島式ホームを有する交換設備を持つ駅で、また貨物取扱があって、当駅から陶器などが輸送されていた為である。 開業当時は起点駅だったが、西中金駅まで開通した事により中間駅となった。

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駅ナカは御当地名品・『五平餅』の
試食・販売コーナーとなっている
※ ウィキペディア画像を拝借

2007年には起点駅の西中金駅と共に、駅舎とホームが国の登録有形文化財に登録された。
なお、所有者は西中金駅と同じく名鉄のままである。 駅舎内は五平餅やお茶などの販売店に改装され、駅外では朝市などが開かれている。

駅前は『とよたおいでんバス』のバスターミナルとなっており、三河線の廃止代替バスであるさなげ・足助線と旭・豊田線の2系統が発着している。 2系統が相互に接続するようにダイヤが組まれている。



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往時のまま残された枝下駅跡
※ ウィキペディア画像を拝借

枝下駅(しだれえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道・三河線の駅である。 
名鉄三河線の末端区間(猿投~西中金)の廃止に伴い、2004年4月1日に廃駅となった。
廃止時点で片面ホーム1面1線の無人駅で、かつては1面2線の島式ホームと貨物側線1線で構成されていた。 当駅の2003年度の1日平均乗車人員は、61人であったとの事。

廃駅となった現在も、ホームやレールは撤去されずに残っている。 駅前広場は『わくわく広場』という愛称がつけられ、駅名標も復元された(但し表記は現役時と異なる)。 駅前には『とよたおいでんバス・さなげ・足助線』の停留所が設けられている。



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路線廃止直前の三河御船駅
※ ウィキペディア画像を拝借

三河御船駅(みかわみふねえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線の駅である。
名鉄三河線の末端区間(猿投~西中金)の廃止に伴い、2004年4月1日に廃駅となった。
片面ホーム1面1線の無人駅で、三河線全線中で最も早く無人化された駅である。 当駅の2003年度の1日平均乗車人員は、65人であったとの事。

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現在は『ふれあい広場』という
小公園となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

かつては豊田市運動公園の最寄り駅で、豊田マラソンなどのイベント開催時には賑わいを見せる事もあった。 その際は駅員が臨時に出張し、出札業務を行っていた。 但し、駅舎はないので机を持ち込んでの出札業務であった。 現在は駅前が広場となっている。 ホームは立入禁止となっている。


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予定通り旅立つ事にしたよ



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No Subject * by hanagon60
写真を拝見して山線現役時代を思い出しました。
三河線は全線名古屋時代に乗った事がありますが、ほとんど写真を撮っていないのが残念です。
西中金駅は廃線後も訪れています。未成線も同時に行きました。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-227.html

Re: No Subject * by  風来梨
hanagon60さん、こんばんは。

私は写真のクラブ(アクの強い発言をしてクビになりましたが・・)の定例撮影会で香嵐渓に行った後に、三河広瀬駅にちょこっと立ち寄ったのみですね。

この頃は、鉄道は意識的に遠ざけていたせいか、駅ホームからの紅葉風景1枚撮ったのみですね。 なので、ほぼ全ての掲載写真がウィキペディアの借り物です。 でも、最近はブログネタに挙げている事もあって、ローカル鉄道に回帰してますね。 機会があれば、西中金にも訪れようと思っています。


コメント






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No Subject

写真を拝見して山線現役時代を思い出しました。
三河線は全線名古屋時代に乗った事がありますが、ほとんど写真を撮っていないのが残念です。
西中金駅は廃線後も訪れています。未成線も同時に行きました。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-227.html
2020-04-16 * hanagon60 [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagon60さん、こんばんは。

私は写真のクラブ(アクの強い発言をしてクビになりましたが・・)の定例撮影会で香嵐渓に行った後に、三河広瀬駅にちょこっと立ち寄ったのみですね。

この頃は、鉄道は意識的に遠ざけていたせいか、駅ホームからの紅葉風景1枚撮ったのみですね。 なので、ほぼ全ての掲載写真がウィキペディアの借り物です。 でも、最近はブログネタに挙げている事もあって、ローカル鉄道に回帰してますね。 機会があれば、西中金にも訪れようと思っています。

2020-04-16 *  風来梨 [ 編集 ]