2020-03-31 (Tue)✎
おととい3/29の昼の時点では982で、1000拍手のカウントダウン状態に入っていたワテのブログ。
それで、その夜に拍手の確認すると、何とイッキに1000を突破して1003になってたよ。
有難い事に、どなたかが過去記事も見て頂いて拍手を押してくれたみたいですね。
ムリクリ立ち上げようか
過去記事の評価を頂くって、ブログをやってて一番嬉しい事なんですよね。 まぁ、FC2はYahoo!ブログと違って拍手の履歴が出ないので、どなたが押してくれたかは大まかに予想するだけでハッキリとは判らないけど、とにかく今までの拍手も含めて有難うございます。
電車寝台特急【なは】 大阪駅にて
晩年は間改造されて
『食パン』となっていた奴が
輝いていた時
:
1000拍手突破のお祝いに
『消防』の時に撮った写真で
コテコテに濃い企画をば・・
Yahoo!ブログではあった拍手の履歴だけれど、拍手を頂いた方の先に訪問する際は重宝するけど、『お返し』だけで済ませばいいものを自身のブログの集客の為に記事も見ずに押しまくる奴がいて、相手方が「ナイス禁止だ!」と怒り出すケースもあったなぁ。 まぁ、下心満々で押す方もそうだけど、仮にも称賛されて怒り出す奴も「なんだかなぁ」って思ったよ。
他にも、「素通り禁止!」やら「挨拶しろ!」、「コメント入れないでナイスだけ入れるな!」、「お気に入り登録はコメント交流が無ければ拒否する」などと、Yahoo!ブログには偏固な考えの変なのがいたよ。
寝台特急【つるぎ】or【日本海】 大阪駅にて
ヘッドマークないからどっちかわかんない
大阪のブルートレインは
当初はヘッドマーク無しだった
:
これは大阪の『撮り鉄小僧』を
大いに憤慨させたモノだった
Yahoo!ブログ時代のワテは、いい写真を掲載していたブログにはナイスを入れていたけど、さすがに初見のブログにコメントを入れるのは躊躇するし・・ね。 でも、Yahoo!ブログでは、コメントは『評価』とカウントされても、『ナイス』は自分のブログの客引き行為で、怒り出すブログ主にとっては迷惑なモノだったらしい。
それで、怒り出した奴のブログにコメントを入れずに『ナイス』を入れていたワテも、「集客の為にナイスを押すな!」と巻き添えを食らった事があるしィ。 例え一部の奴が集客目的で『ナイス』を入れていたとしても、何で全体をひっくるめて「ナイスを入れた奴は集客目的の下種な奴だ」と怒る必要があるのか理解できなかったよ。
それに『お気に入り登録』って、即ち『ブックマーク』でしょ? 『ブックマーク』するのに相手の承諾を必要とするなんて変な話だし、『ブックマーク』をしてもらうって事は常連さんが増えるって事でしょ? だから、そんな事を『マイルール』として高々と掲げているブログは即効退出して二度と行かないようにしてたなぁ。 まぁ、『ブックマーク』を拒否る理由として、エロサイトを展開しているなどの例外はあるだろうけど。
貨物を牽引するかつての花形 EF65-500番台 三島駅にて
ワテの一世代前は
非貫通型のEF65-500番台が
ブルートレイン牽引の花形だった
:
小僧の頃のワテは貫通扉のついた
1000番台の方が好きだったなぁ
だから大まかに言えば、FC2の誰が拍手をしたかの履歴が出ない方が、いざこざ防止の観点でいいのかもしれないね。 相手のブログを称賛した事が、その相手に「テメエの集客の事しか考えない迷惑行為」と詰られるなら、そんな奴の所には二度と行きたくなくなるしィ。
あらら・・、話が「マジばな」となっちゃったけど、1000拍手を目標の移転1年以内に達成できました。 まぁ、人気のあるブログさんなら1記事で100~200の拍手を得るので、人気のブログさんが10記事・・、1日1記事として10日で達成する数値に11ヶ月とちょっとの時間を要する不人気ブログだけど、一つの勲章ができましたね。
でも、この記事を上げた目的に拍手の到達を使ったのは「こじつけ」で、本当は何らかのこじつけを見つけ次第に、ベタベタに濃い写真を掲載して集客しようとする『下心』満開が成せる業だったりするのですね。 それでは、下心満開ワールドをごろうじろ。
寝台特急【富士】 広島駅にて
かつては東京から、日豊本線経由で西鹿児島(現在は鹿児島中央)まで1595.2kmと日本一の走行距離の列車で、所要時間もまる1日の24時間を超える名称通りの『日本を代表する列車』であったが、所要時間でシンカンセンや飛行機に・・、快適さでフェリーに後れを取り、晩年は大分止りになった上、2009年に運行廃止となった。
寝台特急【あさかぜ】 三島駅にて
東海道・山陽シンカンセンと全くの同じ区間の在来線をゆく寝台特急列車。 シンカンセンの博多延伸までは花形列車だった。 値段がもうちょっと安ければ・・、寝台の代わりに夜行バスで使われているレガートシート使用の指定席車の導入があれば・・、ワテは今でもシンカンセンではなく、この【あさかぜ】を利用していただろうね。 朝起きて車窓を見ながら食堂車で朝食なんて、魅力的な旅ができたのに・・なぁ。
EF58牽引の寝台特急【あさかぜ52号】 三島駅にて
今やワテのブログの『ドル箱写真』となっているEF58牽引の【あさかぜ】。 でも、小僧の頃のワテはこのEF58が来たら「ハズレ」の感覚を持っていて、結構コイツが来たら無視していたなぁ。
今思えば、何と勿体ない事を・・。
その【あさかぜ52号】は、これまた『ドル箱写真』の20系寝台車だった。 ボロくて乗り心地も今イチ・寝台も狭くて利用する分には「しんどい列車」だったけど、古ぼけ具合が夜行列車っぽくっていいね。
撮ってて良かった! 『ナイス』だ! 小僧の頃のワテ。
電車寝台特急【明星】 山崎のサントリーカーブにて
これは山崎のサントリーカーブ(サントリーカーブで撮ったのコレ1回コッキリ)で撮った大阪着の上り特急【明星】の向日町の検車区までの回送列車であるが、583系は割と好きだったので撮っていたなぁ。
でも、特急運用から外れると、食パンに『魔改造』を受けるとは露ほども想像できなかったよ。
寝台特急【出雲】 京都にて
関西に住む小僧の撮り鉄では、まず目にする事ができなかった寝台特急【出雲】。 ブルートレインに熱中していた消防の頃は、あの赤いヘッドマークは特別なモノだった。 それで、撮りたいが一心で、親の目を盗んで深夜の京都駅へ出張って撮ったこの一枚。 小学生が深夜に駅をブラついたのが先公にバレたら吊し上げ必死だったので、仲間にこの戦利品を2Lサイズに延ばして渡して、口封じの隠匿工作する幼き頃のワテ。
寝台特急【瀬戸】 京都にて
三島では通過時間が早すぎて、広島では運行区間でないので撮れなかった寝台特急【瀬戸】。
これも先出の【出雲】同様に深夜に小僧が出張った目的の一つであったが、瀬戸は京都は通過だったようで、ホームのない中線を通過したのである。 もう一つの中線は貨物列車が対比しており、駅前のこの場面しか撮りようがなく、焦って少しブレちまったよ。
寝台特急【はやぶさ】 広島駅にて
やはり【はやぶさ】はコレだよね。 末期に貨物牽引だったEF66に牽引が変わったり、ましてや運行が統合されて【富士ぶさ】のブサイクなヘッドマークに付け替えられてしまって、かつて大好きだったモノの格落ちの様に心底ガッカリしたのを憶えている。 ブルートレインなんか全く撮らなくなったけど、好きだったモノが魅力を削ぎ落とされていく様は悲しかったなぁ。
寝台特急【みずほ】 三島駅にて
5大寝台特急で最も目立たなかった寝台特急【みずほ】 消えるのも早く1994年に先駆けて運行廃止となっている。 なぜなら、この【みずほ】はシンカンセン全通前のブルートレイン最盛期に、熊本・西鹿児島行の【はやぶさ】と長崎行の【さくら】を補完する臨時列車が最初だったからである。
そして今、先代の寝台特急【みずほ】を運行廃止に追いやったシンカンセンの・・、更に延伸となった九州の西鹿児島(現在は鹿児島中央)までを運行するブサイクなカモノハシがこの名を名乗っている。
電車寝台特急【金星】 広島駅にて
名古屋から九州を結ぶ稀有な寝台特急列車だったが、1982年と「いつのまにか」に臨時化されて、その翌年に運行廃止となってる。 だから、コリはワテの中でもお宝写真の『ヴィーナス(星の女神)』なのデス。
寝台特急【さくら】 広島駅にて
どういう振り分けかは知らないが、ピンク地に白花のサクラとその逆があった。
東京発の下りは寝台特急でもスターの称号を得る列車番号『1レ』列車だった。
上の写真とは逆バージョンの白地にピンクの花びらの【さくら】。 こちらの方がプレミア感があったような気がする。 そして、コレ撮ったのが宴会に誘われて千鳥足で撮ったモノ。 その宴会の真相はコチラですが、見ると恐らくドン引きします。
不人気ブログゆえに
こういった記念イベントが
なかなかやってこない
だってYahoo!ブログ時代は
3000コメ到達まで9年もかかったしィ
記念と称して使い回す予定の写真も
鉄道だけであと4イベント分あるしィ
:
さて・・次はどんな記念イベントを
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