風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第10回 美祢線・大嶺支線

廃線鉄道  第10回  美祢線・大嶺支線 〔山口県〕

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通勤用ロングシート車でありながら
運用されるのは閑散線の単行という
キハ30の活躍の場となった大嶺支線
※ ウィキペディア画像を拝借

美祢線・大嶺支線(みねせん・おおみねしせん)は、かつて全線が山口県美祢市に所在した美祢線の支線で、美祢線の南大嶺駅より分岐し、同市大嶺町奥分にあった大峰駅までの間を結んでいた路線である。
大嶺炭田の主要炭鉱である美祢斜坑の閉山による沿線の過疎化の為1997年4月1日に廃止された。

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「夏草や兵どもが夢の跡」の如く
かつての側線跡は
草が生えるに任せた荒地となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

炭鉱が栄えていた頃は出炭の為の側線が多数敷設されていたが、閉山と共に側線は全て撤去されて支線そのものが線路一本のみの棒線化されて、廃止を控えた晩年は南大嶺駅構内も含めて大嶺支線内での列車の交換は不可能で、全列車支線内折り返し運行だった。

路線の敷設目的は我が国最大の無煙炭(炭田が形成された年代が古く、炭化が進んで最も炭化度の進んだ石炭の事で、炭素含有量90%以上の石炭)の炭田である大嶺炭田からの石炭輸送である。

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大嶺炭田の主要炭鉱・坑口の位置図
※ ウィキペディア画像を拝借

無煙炭は石炭化度が高く燃焼すると高温を発し、他の石炭類と比較し燃焼時の煤煙や臭いが非常に少ない利点があるが、着火に難点(火が点きにくい)があり、煙が出にくい=隠密性を重要視する海軍艦艇の蒸気機関燃料として重宝された。 その為、大峰炭田は旧日本海軍御用達の炭田として海軍省が買収・運営していた。

その他の用途として、鉄鉱石を塊状に焼結する焼結炉の炉石や、カーバイト・家庭用練炭、磁石の電極などに用いられる。 その為、海軍の無煙化(動力の蒸気機関からディーゼル機関への変更で燃料が重油となった)後も工業用石炭として重宝され、戦後も活発に出炭作業は行われたが、資源の枯渇と家庭用燃料のプロパン・都市ガス化により需要が減って1970年11月末に閉山となった。

この閉山で大嶺支線は路線の存在意義を失い、閉山後の過疎化とも相俟って運ぶべき貨客をほとんど失った。 閉山後は側線を全て剥がされ、支線自体が列車交換不可の棒線化されて、1997年3月末をもって、ひっそりと路線廃止となった。

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美祢線・大嶺支線の予想路線図
及び路線廃止後の用地転用詳細
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
営業キロ(路線距離):南大嶺~大嶺 2.8km・軌間:1067mm
駅数:2駅(起点駅を含む)〔南大嶺〕・大嶺
複線区間:なし(全線単線)・電化区間:なし(全線非電化)・
廃止時の運転本数:全運行列車が支線内折り返し運行で、1日6往復の運行があった

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路線敷設の目的である大嶺炭田が
旧海軍御用達の炭鉱であった事から
駅舎も立派だった大嶺駅
※ ウィキペディア画像を拝借

  美祢線・大嶺支線 年表
1905年(明治38年)  9月13日:山陽鉄道により、厚狭~大嶺 19.6km が開業。 厚保駅・四郎ケ原駅・
                伊佐駅(現在の南大嶺駅)・大嶺駅が路線開業と共に設置される。
1906年(明治39年)12月  1日:山陽鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称が制定され、厚狭駅~大嶺駅間は大嶺線となる。
1924年(大正13年)  3月23日:美祢線の現存区間が全通する。大嶺線が新規開業区間を編入し美禰線
                に改称となる。
1949年(昭和24年)  1月  1日:伊佐駅が南大嶺駅に改称となる。
1963年(昭和38年)10月  1日:美祢線に改称。吉則駅が美祢駅に改称。
1970年(昭和45年)11月27日:大嶺炭田の閉山に伴い、同炭田の主要炭鉱である美祢斜坑も
                閉山となる。
1977年(昭和52年)  3月31日:大嶺炭田の主要坑閉山後も細々と露天掘りを続けていた大明炭鉱
                猪ノ木坑が閉山となり、大嶺炭田の炭鉱はいったん全て閉山となる。
1979年(昭和54年) 11月 :吉部鉱業美祢炭鉱が露天掘りを開始し、大嶺炭田は復活する。
               その後、2002年まで炭鉱・露天掘りの休廃止を繰り返しながら
               操業していたとの事。 この露天掘りによる石炭輸送があった事が
               大峰支線が1997年まで存続した理由の一つである。
1984年(昭和59年)  2月 1日:南大嶺駅~大嶺駅間の貨物営業が廃止となる。
               なお、大嶺駅の貨物営業は、同年1月1日に廃止済みとなっていた。
1988年(昭和63年) 3月13日:南大嶺駅~大嶺駅間でワンマン運転開始。
1997年(平成  9年) 4月  1日:大嶺支線・南大嶺駅~大嶺駅間  2.8km の路線廃止。
               同支線の路線廃止に伴い、大嶺駅が廃止となる。

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郵便局の敷地脇に立てられた
大嶺駅跡の石碑
※ ウィキペディア画像を拝借

   廃線跡
線路跡の一部は、山口県道38号線などの道路拡幅の用地として転用されている。 また、路線に隣接していた日鉄住友金属工業(現 住友金属エレクトロデバイス)の駐車場に転用されている場所もある。
大峰駅跡の碑は、駅前にあった郵便局の脇に立てられている。

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全てを取っ払われた駅にて
哀愁漂う通勤客のいない
ボロボロの通勤車両キハ30

   乗車記
乗ったには乗ったのであるが、路線延長が2.8kmと短く、ほとんど車窓風景は記憶にないのである。
だが、大嶺駅折り返し時の数分で、大嶺駅舎と駅で佇むキハ30は撮っていたみたいである。

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炭鉱が栄えていた時を髣髴させる
立派な駅舎だった大嶺駅

大嶺駅(おおみねえき)は、かつて山口県美祢市大嶺町奥分に存在したJR西日本・美祢線の大嶺支線の駅である。 山陽鉄道によって厚狭~大嶺が開通した1905年9月13日に開設されるなど、当駅は美祢線では最古参の駅であるが、沿線の過疎化や大嶺炭田の炭鉱の閉山などで需要が減り、大嶺支線・南大嶺~大嶺間 2.8km の廃止に伴って1997年4月1日に廃駅になった。 駅名の由来は、駅のある地域が以前名乗っていた村の名前(美祢郡大嶺村)から。

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今にして思えば大嶺支線は
ローカル線の悲哀を感じさせる路線だったね
上の2枚だけでなく
もっと撮っておけばよかった
※ ウィキペディア画像を拝借

大嶺炭鉱が栄えていた当時は側線が何本もあったが、閉山後は次々と撤去されて、廃止前には大嶺支線自体が線路が一本のみの棒線化されていた。 ホームは線路の西側に一つあるだけだった。
駅舎はホームの西側にあったが、廃止前には既に無人化されていた。

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この支線も
炭鉱と命運を共にしたのだね
※ ウィキペディア画像を拝借

1992年の1日当たりの乗車人員は15人との事。 また、大嶺炭田の閉山年である1970年の貨物発送トン数は、1日当たり928トンあまりとの事。 炭鉱最盛期の1960年代は、1日当たりの貨物発送トン数は2450トンとの事である。

大嶺支線廃止後の代替交通機関であるが、廃止直後は船鉄バスの路線に代替されたが、その後は船鉄バスが撤退し、美祢市が船鉄バスに運行を受託の上でコミュニティバス〔あんもないと号〕に移行して運行している。

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この駅名板は味があるね
この頃は駅舎に興味はなかったが
この駅名板に絆されて1枚撮ってたみたい
もちろんこの時は「12マイル15チェーン」
は何の事だか判らんかったけど

プラットホームの礎石に「12M15CH」(「12マイル15チェーン」と読む。 メートルに換算すると19,613.88m)の文字が刻まれていた。 この距離は厚狭~大嶺間の距離(廃止当時の営業キロは19.7km)とほぼ等しく、山陽鉄道の路線として開業した際に記念に刻まれた事や、イギリスの技術を用いて日本の鉄道が建設された事を示している。 この礎石の示す地点は、廃止当時の停車場中心とも一致していた。

現在の駅の跡地は駅舎・ホーム等はすべて撤去され、道路改良工事が完了した後には現道に替わって、県道38号・美祢油谷線の道路用地となる予定である。

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大嶺支線の廃止の後に
駅ホーム版『魔改造』を受けて
変則ホームとなった南大嶺駅
※ ウィキペディア画像を拝借

南大嶺駅(みなみおおみねえき)は、山口県美祢市大嶺町西分字祖父ヶ瀬にあるJR西日本・美祢線の駅である。 単式・島式2面2線のホームを持ち、交換設備を有する駅で、長門鉄道部が管理している無人駅である。 駅手前の道路を挟んだ位置にある個人商店(小田酒店)で乗車券の発券を委託されていたが、2012年3月31日をもって販売を終了した。 駅舎は単式ホーム側にあり、互いのホームは跨線橋で連絡している。

かつては2面3線で、単式ホーム(1番線)が大嶺支線用、島式ホームの駅舎側(2番線)を下り用、反対側(3番線)を上り用としていたが、大嶺支線の廃止により1番線の線路が埋められて、単式ホームが2番線の線路に面した位置まで広げられた。

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その駅ホーム版『魔改造』の説明図
※ ウィキペディア画像を拝借

その為、1番線は欠番となり、2番線は両側のホームに挟まれた構造となっている。 現在は旧1番線側の単式ホームのみで2番線下り列車の乗降扱いを行い、島式ホームは3番線発着の上り列車専用となっている。

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駅ホームの『魔改造』が
ひと目でわかる画像おば・・
※ グーグル画像を拝借

大嶺支線の廃止後は1番線の号標はなくなっているが、信号反応灯の表記から番線番号は残されている。 2018年の1日当たりの乗車人員は11人との事。


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