風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第371回  大船渡線BRT・碁石海岸口駅

路線の思い出  第371回  大船渡線BRT・碁石海岸口駅 〔岩手県

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BRT・碁石海岸口駅
この駅は地元による請願駅なんだってねぇ
どうりで同じく請願で設置される
仮乗降場と同じような駅周囲状況な訳だ

《路線データ》
大船渡線〔鉄道区間〕
     営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’15
    一ノ関~気仙沼 62.0km               635  /  249
                        ※ BRT区間を含めた数値
一ノ関~気仙沼 運行本数(’20)
下り11本・上り10本

BRT区間
      営業区間と営業キロ             BRT運行本数
    気仙沼~大船渡   43.7km  BRT快速 8往復、BRT 下り7本・上り6本
    鹿折唐桑~上鹿折     5.3km  宮交バス代行で6往復  
    陸前高田~陸前矢作    5.9km  陸前高田折返し便を含めると上下とも概ね1時間毎

碁石海岸口駅(ごいしかいがんぐちえき)は、岩手県大船渡市にあるJR東日本・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)の駅である。 2018年度のBRTにおける1日平均乗車人員は24人との事。

BRT区間上に新設された駅であり、開業当初は『JR時刻表』および『JTB時刻表』の本文ページでは臨時駅との記載があったが、(臨)の表記はなかった。 また、開業当初から鉄道事業における駅ではない為、JR東日本の総駅数には計上されていない。

2013年9月28日の小友駅~大船渡駅間のBRT専用道開通に合わせて開業した停留所規格の駅で、もともと鉄道時代に当駅は設置されていなかったが、末崎地区の振興会等が大船渡市の市長に陳情書を提出してJRに要望した結果、当駅が設置される事となった。 当初は当駅に営業キロは設定されておらず、外方の隣接駅に基づく運賃が適用されていたが、2014年4月に営業キロが設定された。



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ここに来たのは碁石海岸の
探勝目的であって
決して『○鉄』じゃぁないからね!

このBRT駅に降り立ったのは、第一に我がホームページ『日本百景』の未掲載地である『碁石海岸』の探勝で、第二に未城線区のまま震災被害でBRT(バス高速輸送システム)に変わってしまった鉄道路線の大船渡線の既存区間を含めての完乗である。

要するに、あくまでも我がワイフワークである『日本百景』の未掲載地の訪問・探勝が主目的で、『○鉄』は二の次、三の次であるのだよ。 本当だよ! ウソじゃないよ! いい歳こいて、「末長ぁ~いJRの路線の90%の維持」を目論んだ為ではないよ。

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そのついでで未城線区を
完乗できたら『win・win』だしィ

だから、着いたのも19時前の到着のバスで、背中にテント一式と風景を撮る為のカメラとフイルムを入れたカメラバックを、セカンドバックとして肩に掛ける総勢25㎏超のいでたちだったんだから・・。

こんないで立ち、『○鉄』(『撮り鉄』するのに「重くて嵩ばるから」と時刻表も持たずに出たり、列車の上下を間違えて逆方向に行くなど、ナンチャってな『鉄』の事)目的だけではできないでしょ!←何を『○鉄』である自身の『黒歴史』を隠そうとしてるんだ? このタワケは。

さて、自身の恥ずかしい『黒歴史』の隠蔽は置いといて、着いたのはもう日も暮れてどっぷりの夜空となった19時前。 そして、先に語ったように25㎏以上はあろうかという壮大な荷物と、それに相容れないヘタレきったワテだけが、この何もないバス停に取り残されたのである。

だが、このタワケも敢えてこの『自爆』に等しいシチュエーションに足を踏み入れたのではないよ。
予定では、この駅前には観光地らしく店屋やコンビニがあり、タクシーの待ちスペースもあって、駅待合室の掲示板に掲げてあるタクシー会社にTELすれば、「タクシーで碁石海岸へGO!」っていう、脳ミソがバラ色に膿んだ妄想計画を立てていたのである。

そして、気仙沼からBRTに乗ってきたのだが、途中の陸前高田までは車窓から頻繁にコンビニが見られて、「これなら大丈夫!」と箍を括っていたのである。 駄菓子菓子・・、大船渡市に入ると状況は一変する。 車窓から人家が消えて、茂みの中を行くようになってきたのである。 それでも「駅前は民家や商店コンビニ(以前の商店が簡易コンビニに変わったモノ・・ヤマザキ・デイリーストアなど)くらいはあるだろう」と気楽に構えていたのだが・・。

そして、19時ちょっと前、『碁石海岸口』の駅に着いた。 どうやら、車窓が閑散としだしたのは、大船渡線の線路跡のBRT専用道に入ったからのようだ。 でも、見事に先程の予定が『バラ色に膿んだ脳ミソによる妄想』となってしまったのである。 駅前には踏切があるだけで、ジュースの自販機さえない。
そして、田舎特有の「空が暗くなると、未だ19時過ぎなのに丑三つ時の如くの様相となる」状況となるのである。

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帰りに撮ったから明るい雰囲気だけど
見事に何もない駅だったよ

妄想していたタクシーの待ちスペースの代わりに、自転車置場と化したフリースペースがあるだけで、待合室にタクシーの連絡先も掲示していなかったよ。 この状況ではタクシーも呼べそうにないし、「いっそ、ここで駅寝おば・・」も考えたが、それをすると碁石海岸の朝景を撮ってホームページに掲載するという、この駅に降りた『第一目的』がポシャるので、踏ん切りをつけてカンテラを取り出し、25㎏を担いで歩いていく事にする。

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今回の歩行ルート詳細図

取り敢えず碁石海岸のある海の方向は行き止まりっぽい(そう見えたのは、大きな邸宅の長い壁だった)ので、内陸側へ北上して取り敢えず県道に出る。 車は10分で4~5台は走り去るが、ワテが道の端を歩いているにも関わらず、全く減速せずにぶっ飛ばして行きやがる。 「これではヒッチハイクはムリだな・・、デカザック担いでカメラバックを肩に掛ける怪しさ満開のいでたちだしィ」という事で、諦めて歩いていく。

取り敢えず、下手すりゃ車に轢かれかねない県道から脱出すべく、海の方向へ向かう道を探す。
適当に見切りをつけて海の方向へ下っていく道に入って下りていく。 道が合っているかは定かでないが、とにかく「行き着くとこまで行け!」とばかりに歩いていく。 まぁ、この状況で元の県道に戻った所でしかたないしィ。

海の方向へと思しき道を10分ほど下っていくと、ロードバイク(競走用自転車)で訓練している地元の方と出会う。 ちなみに、これが駅に降りてからの初めての人との出会いだったりして。
それで、おもむろに『碁石海岸』への道を尋ねてみる。 この方は親切な方で、かなり詳しく道を教えてくれた上に、訓練でのいつもの道順を変えて途中まで付き添ってくれたのである。

その方が言うには、「この先で2股に分かれるところが3ヶ所あるが、いずれも海側(右側)を取るといいですよ」、「左を行っても碁石海岸には行けるけど、街灯とかない山の中で起伏も激しい」との事であった。 そして、「目印は震災での津波被害の後に築かれた堤体高12mの防潮堤の下をゆく」との事であった。

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偏に提高12mといっても
元ある防波堤を嵩上げしたモノから
※ ウィキペディア画像を拝借

道を下っていくと、白い巨塔のような堤体が見上げる高さまで延びてデンとたたずんでいる。
夜の真っ暗闇なのに、カンテラの光に反射しただけで白い堤体が真っ白に浮き出てくる。
実際に震災では、アレを超える津波がこの地を襲ったんだよなぁ・・と思うと、自然の力の凄さを思い知る。

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白い巨塔まで様々な種類があるが
夜に出向くと迫力あるのはコッチ
※ ウィキペディア画像を拝借

そういえばワテも、阪神淡路の震災では派遣の住み込み先で被災して、垂水から姫路まで歩いて避難したっけ・・なぁ。 もう、あれから25年も経つんだなぁ・・と思うとしんみりとしてくる。

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阪神・淡路の時は瓦礫+火災+社会党の村山
東日本大震災は津波+原発事故+
民主党による反日救援妨害・・
どちらもパヨクが政権に着いた事が
より被害を大きくしましたね
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、道順を丁寧に教わる傍らで「この道は遠回りで、しかもアップダウンがあるのでその荷物ではキツいてすよ」との道の概況も説明してくれて、その通り街灯はあってカンテラはほぼ不要だが、結構なアップダウンが計3発あったよ。 そして距離は5.3kmと、始めにネットで調べた「碁石海岸まで徒歩40分」を大いに凌駕していたよ。 「碁石海岸までアト2.2km」の看板があった所では20時前と1時間を経過していたしィ。

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この灯台が建つ所まで
歩いていかねばならない訳で

結局、ゴールの碁石海岸のレストハウス(インフォメーションセンター)は岬地形の岬近くにあるので、たどり着くには岬まで起伏する海岸線の道を延々と伝わねばならない、又は進路を左にとって岬地形の内陸部を越えていかねばならないって事であった。

・・で、着いたのは、20:30過ぎ。 1時間半かかっちまったよ。 そして、テントを張ろうとインフォメーションセンターに出向くが、年末年始のお休みだったよ。 なので、建物の裏の草の茂みの中にテントを張る。 夜飯は食ってなかったけど、25㎏担いで6km近く歩く・・という結構ハードな運動をこなしたので食欲もなく、即効シュラフを広げたよ。

今年の年末年始は暖かく、東北のこの地でも雪は全くなかったけど、さすがに冬だし、ハードな運動で汗をかいたから寒かったよ。 「このままでは『死亡フラグ』が立ちかねん」と、汗に濡れたTシャツを変えて寝る。 ちなみに、テント内の最低気温は+1℃ですた。

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訪れたの冬だけど春の陽気だったので
次回の『日本百景・春』の記事で・・

  ※ 翌朝の『碁石海岸』の散策は冬の年末年始だけど春の情景だったので、
    『日本百景 春 第423回』にて。


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やっとYahoo!より移転した
『路線の思い出』カテゴリ記事の
ミディアム文字化+リンク修正が完了したよ

でも進捗率としてはやっと
30%位が終わったばかりだろうね

まぁこの不人気ブログでは
最も閲覧者のある(と思う)『路線の思い出』
が終わったので取り敢えずはホッとひと息


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