2020-03-17 (Tue)✎
廃線鉄道 第9回 芦屋線 〔福岡県〕
歴史民俗資料館『芦屋歴史の里』で
国鉄・芦屋線の企画展を開催
していた時のパンフレットより
※『芦屋の鉄路』より
芦屋線(あしやせん)は、かつて福岡県遠賀郡遠賀村(現・遠賀町)の鹿児島本線遠賀川駅より分岐し、同郡芦屋町の筑前芦屋駅までの間を結んでいた国鉄の鉄道路線である。 1961年6月1日に廃止された。
その複雑な経緯から「国鉄の営業路線であるが国鉄線ではない」と呼ばれたり、営業期間が短かった為「幻の路線」と呼ばれる事もあるとの事。 営業時の写真もきわめて少ない。
芦屋町にあった旧日本陸軍の芦屋飛行場を、終戦後に進駐軍が接収して米空軍芦屋基地としたのであるが、この芦屋基地へ建築資材・燃料・ジープ・トラックなどの物資を輸送する為に、『進駐軍専用側線』として建設された路線が芦屋線である。
その建設目的から、建設費用は大蔵省の終戦処理費により拠出された。 路盤は旧芦屋鉄道(1915年開業、1931年廃止)の廃線跡の多くが利用された。 その後、1950年から大蔵省の所有路線となり、駅業務を国鉄へ委託する事で一般旅客輸送も行われるようになった。 また、同年に起きた朝鮮戦争では、芦屋基地が輸送基地となって物資の輸送量が増加していた。
しかし、大蔵省からの委託路線という事もあって、正式な国鉄路線とは認知されていなかった面があり、九州地方版の『時刻表』には掲載されていたが、全国版の『時刻表』の中には芦屋線が掲載されていないものもあった。 しかも、時刻表によっては『筑前芦屋』と『芦屋乗降場』の2つの時刻が掲載されているなど謎が多い。 なぜ両者の時刻が記されていたのか諸説あるが、定かな事は判っていない。
遠賀川駅では芦屋線専用ホームはなく、室木線ホームより列車が発着していた。 芦屋線について記載のある文献では、遠賀川~筑前芦屋間5.5km、遠賀川~乗降場間6.2kmである。 筑前芦屋は基地外にあった運転室を意味し、乗降場は基地内の駅本屋を指すといわれる。 即ち、筑前芦屋駅全体は芦屋基地の内外にまたがっていた。 また、乗車券も九州内各線相互間の間でしか販売されておらず、その他の地域から乗車する場合は遠賀川駅で距離計算が打ち切られ、芦屋線内だけ別立ての運賃を払うようになっていた。
路線末期は遠賀川及び折尾から、芦屋行きのバスが何本も運転されていた為に乗客は少なく、列車は蒸気機関車1両に旅客輸送用の客車1両と物資輸送用の貨車(燃料輸送用のタンク車など)を連結した混合列車として運転されていた。
1961年、米軍芦屋基地が返還されると同時に廃止された。 廃止日は鹿児島本線の電化開業日と同じだった。 営業係数が800と経営成績は悪かったが、路線廃止の理由が不採算ではなく米軍よりの基地の返還だった事が特筆される。
国鉄・芦屋線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
営業キロ(路線距離):遠賀川~筑前芦屋(芦屋乗降場)6.2km・軌間:1067mm
駅数:2駅(起点駅を含む)〔遠賀川〕・筑前芦屋・芦屋乗降場
複線区間:なし(全線単線)・電化区間:なし(全線非電化)・営業係数:800
廃止時の運転本数:下り5本、上り6本
芦屋線最盛期(1956年頃)の時刻表
※ 日本交通公社の時刻表より
国鉄・芦屋線 年表
1947年(昭和22年)3月 2日 旧日本陸軍芦屋飛行場を接取した米進駐軍・芦屋基地への建築資材、
燃料、ジープ、トラックなどの軍用物資を輸送するために建設された
進駐軍専用側線として、大蔵省の終戦処理費用により建設・開業する。
開業時は『進駐軍専用側線』として米軍基地関係者のみ利用可能だった。
1950年(昭和25年)2月10日 路線が大蔵省の所有管轄となり、大蔵省が業務を国鉄に委託した為
一般乗客の営業が開始される。
1961年(昭和36年)6月 1日 米軍芦屋基地が返還されると同時に路線廃止となる。
芦屋乗降場にあったと思われる
筑前芦屋駅舎と芦屋線の貨客混合列車
※ 芦屋町制100周年記念誌より
廃線跡
線路は遠賀川駅から一旦西に進み、北東方向へカーブし、もう一度カーブして北へ進んでいた。遠賀川駅付近のカーブ部分は完全に区画整理され、カーブ部分から北側は県道285号となり、芦屋町南側の浜口交差点から北は国道495号となっている。
筑前芦屋駅跡の道路向かいに相当する高浜町児童公園は、筑前芦屋駅の駅長や助役の宿舎跡であり、公園内には芦屋町による記念碑が建てられている。 この碑文によれば、開通日は1948年3月10日、遠賀川~筑前芦屋間は6.2kmとなっている。 また、実在しない「C28型蒸気機関車が使用されていた」とあるが、複数の8620形が芦屋線で運用されていた事が確認されている。
また、記念碑のそばにD60形の61号機が静態保存されているが、これも芦屋線で使用されたものではなく、筑豊本線で使用された機関車である。 また、公園に隣接するアパート群は、駅構内の貨車操車場の跡地を利用している。
芦屋乗降場は筑前芦屋駅構内唯一の旅客乗降用ホームである。 国土地理院の『地図・空中写真閲覧サービス』では、米軍撮影による芦屋基地周辺の空中写真が閲覧できる。 うち1つは1947年3月の撮影、また1つは1948年1月の撮影であり、開通直後とその後ある程度整備が進んだ時点での筑前芦屋駅構内がわずかながら確認できる。 より鮮明なものは国土地理院の本院情報サービス館、または関東地方測量部閲覧室・国立国会図書館地図室でも閲覧できる。
筑前芦屋駅跡の道路向かいにある
児童公園に静態保存された機関車
だがこの機関車は筑豊本線で使用された
もので芦屋線では使用されなかったとの事
※ ウィキペディア画像を拝借
筑前芦屋駅(ちくぜんあしやえき)は、かつて福岡県遠賀郡芦屋町にあった国鉄・芦屋線の駅である。
芦屋線の廃止に伴い、1961年6月1日に廃駅となった。
1947年3月に、筑前芦屋進駐軍用停車場として開業する。 開業当初は進駐軍関係者専用とされ、一般乗客の乗車は不可能だった。 その後の1950年2月 に、所有者の大蔵省から国鉄に業務が委託された事から、筑前芦屋駅に改称され一般旅客の利用が可能となった経緯を持つ。 1961年6月に、 米軍芦屋基地が返還されると同時に路線廃止となった。
芦屋線について書かれた文献を考察すると
この駅名標は筑前芦屋駅構内で唯一旅客扱いを
行っていた芦屋乗降場に置かれていたっぽいですねぇ
※ 芦屋町制100周年記念誌より
芦屋乗降場(あしやじょうこうじょう)は、かつて福岡県遠賀郡芦屋町正門町にあった国鉄・芦屋線の駅である。 芦屋線の廃止に伴い、1961年(昭和36年)6月1日に廃駅となった。
この乗降場は筑前芦屋駅構内に所属し、筑前芦屋駅に駅機能を持たせた駅母屋と鉄道官舎が設けられ、この乗降場は筑前芦屋駅から枝分かれする数本の側線の最も基地から離れた側線上に設けられた。
一般の乗客はこの最も外側に設けられた側線上のホームのみが立ち入りを許可され、その他の側線は軍用側線として立入禁止となっていた。
なお、筑前芦屋駅は米進駐軍収用時の芦屋基地の敷地の外側にあり、この芦屋乗降場は基地の敷地の中に所在した。 それ故に、基地敷地の外側の筑前芦屋駅は運転所で一般乗客の取り扱いはしておらず、芦屋乗降場のみが旅客扱いをしていたとの説もあるが、詳細は不明である。
このように謎が多く、ワテもこの『廃線鉄道』の企画を上げるまで知らなかった「幻の国鉄路線」・・、それがこの国鉄・芦屋線なのである。
何かワテ・・煽ったみたいで
『山・高原』の上位3匹の奴らが
こぞって自押しを始めたよ
まぁトップは2週間も記事上げないのに
毎日自押しでポイント加算する
アフィリエイト臭いクズブログだけど
他のは記事を上げているだけマシかな
ワテは『山・高原』カテゴリに
集客力がないと見切ったので
どうでもよくなったけど→4位に落ちた
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No Subject * by 鳳山
芦屋線ってあったんですね。勉強になりました。
Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんばんは。
> 芦屋線ってあったんですね。勉強になりました。
私もこのカテゴリの企画を立ち上げるまでは知りませんでした。 ついでに言えば、ボートレースの芦屋競艇場がこんな所にあった事も・・(爆)
でも、戦後処理費で敷設されたアメリカ進駐軍の御用達路線だったので、一般旅客を扱った駅がどちらなのか?とかの謎多き路線でもあったみたいですね。 廃止理由も赤字が嵩んで・・でなくて基地返還に伴い・・なので、勘ぐれば基地情報の流出阻止の面があったのでは?と思いますね。
> 芦屋線ってあったんですね。勉強になりました。
私もこのカテゴリの企画を立ち上げるまでは知りませんでした。 ついでに言えば、ボートレースの芦屋競艇場がこんな所にあった事も・・(爆)
でも、戦後処理費で敷設されたアメリカ進駐軍の御用達路線だったので、一般旅客を扱った駅がどちらなのか?とかの謎多き路線でもあったみたいですね。 廃止理由も赤字が嵩んで・・でなくて基地返還に伴い・・なので、勘ぐれば基地情報の流出阻止の面があったのでは?と思いますね。