2020-03-14 (Sat)✎
路線の思い出 第370回 岩泉線・押角駅 〔岩手県〕
まだ春浅い不毛の峠を越えて
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’13) / 営業係数(’09)
茂市~岩泉 38.4km 23 / 758
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
2014年3月31日 東日本交通バス 茂市~岩泉 3往復
茂市~岩手和井内 1往復
板張りのみで待合所すらない
仮乗降場より格下設備の駅だった押角駅
※ ウィキペディア画像を拝借
押角駅(おしかどえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあったJR東日本・岩泉線の駅である。
岩泉線の廃線により、2014年3月31日限りで廃止となった。 だが、2010年7月の法面土砂崩落が原因の脱線事故によって岩泉線が以降不通となって、その後は復旧運行しなかった事から、この事故の発生した2010年7月31日より当駅は休止処置となり、実質はこの時から駅廃止と同様の状態であった。
駅廃止は2014年の路線廃止に伴って・・だけど
実質は土砂崩れで不通となった
2010年・夏からずっと廃駅同然だった
※ グーグル画像を拝借
傾いた木製の単式ホーム1面1線を有する駅で、茂市駅管理の無人駅であった。 駅にはベンチや待合室は存在せず、駅舎・屋根もなかった。 開業時はスイッチバック駅で、かつては横取線のある方に駅舎とホームがあった。 通過不能型の配線で、単式1面および島式1面の3線と引き上げ線1線を有した。
駅本屋があった場所は、現在は川を利用した養魚場となっている。
駅の所在地は峠近くの山深い場所で、かつては駅附近に押角の集落があったが全て離村して、現在は養鱒場と自然で育てた鶏の卵を販売する養鶏場の2軒があるのみである。 国道340号に隣接しており、廃止後も駅がある事を示す小さな標識が残っている。
雑草に埋もれた駅前広場の奥に仮設にしか見えない橋と階段があるが、その橋を渡り階段を上って左折し線路脇を50mほど歩くとようやく駅のホームにたどり着くありさまだった。
行き違い困難な峠・押角峠周辺
の山深い所に駅はある
※ ウィキペディア画像を拝借
前述の通り、橋を渡った先には国道340号があるが、この駅の周辺は押角峠と呼ばれる難所であり、道幅が狭く交通量も少ない。 この為、国道と接続している駅とは思えないほどであり、これらのような事情から当駅は一部の鉄道ファンからは『全国屈指の秘境駅』として扱われていた。
この橋が人里へ向かう国道と
秘境駅とをつなぐ橋だった
※ ウィキペディア画像を拝借
橋で駅と国道が結ばれている形だが、この橋は片側(駅側から見て左側)にしか柵がなく、渡る時は注意を要した。 なお、岩泉線の廃線以降は、この橋はロープで封鎖されて国道側からホームのあった場所への進入が禁じられていたが、2016年9月に襲来した台風10号による豪雨でこの橋が流された為、ホームがあった場所までたどり着く事は不可能となってしまった。
駅は岩泉線のサミット(一番標高が高いところ)に近かった。 駅跡から約1.3km北には、同線最長の押角トンネル(2987メートル)があり、ほぼ全線にわたり勾配やカーブが連続する路線中で、この区間に限って列車は時速70kmを超える速度を出していた。
また、周りは山で囲まれているが、NTTドコモのFOMAが使えた。 これはNTTドコモ東北が、管内のJR東日本の全駅でFOMAを使えるようにした為である。
地名の表記は当駅にも使われていた『押角』が一般的であるが、同じ読みで『雄鹿戸』の表記も使われる事があり、併走する国道340号側の雄鹿戸トンネルにはこの名前が残っている。
峠を越えるトンネルは
『雄鹿戸トンネル』と旧来で
使われていた表記が掲げられている
※ ウィキペディア画像を拝借
岩泉線廃止前の鉄道代替バスは当駅入口付近の国道で乗降を行っていたが、東日本交通が運行する岩泉線廃止代替バスは当駅付近にバス停を設けていない。 またフリー乗降区間でもない為、岩泉線廃止後は付近への公共交通によるアクセス手段は消滅した。 路線廃止後に、鉄道駅に対応するバス停が設けられなかったのは当駅のみとの事。
「最後まで残った廃止ローカル線」
として岩泉線が脚光を浴びた要因が
岩泉線の『秘境駅』押角だった
『秘境駅』として、廃線間際から特に名が知れ渡るようになったのが、この押角駅であろう。
だが、ワテがこの駅に降りた「ローカル線を追いかけていた頃」は、直近の廃止路線として挙げられている訳でもなく、また運行本数が1日に数本しかないなど、岩泉線のような『目当て』の乏しいローカル線を撮る奇特な『撮り鉄』は、ほとんど見る事はなかったのである。
雪で周囲が閉ざされた道路を歩き周ったので
駅の位置を示すこの看板は大変役に立った
:
と思われるが・・コレも記憶にない
※ ウィキペディア画像を拝借
だから、『撮り鉄』をするべく国道に出て、撮影場所を探して国道を両方向に歩き周った事と、その際に1~2軒の民家があったのを見たような記憶と、この民家の庭先で鶏がバタついていた(この民家が、駅説明の項目にあった養鶏場なのかも)記憶が微かにあるだけである。
この頃は1往復多い4往復だったので
取り敢えずの『適当撮り』が
できる余裕があった
そして、この時は廃線末期の3往復より1往復多い4往復だったとはいえ、残雪が残る東北の山深い峠の駅に朝の列車でやってきて、乗ってきた列車の岩泉からの折り返しである上り1番列車と、上下2番列車の往復と、下りの岩泉行の3番列車『撮り鉄』をし終えて、上りの3番列車で茂市方面に抜けるまで延々9時間をこの何もない峠で過ごす根性が、『ローカル線・命』のタワケ小僧にはあったみたいである。
この秘境駅で出来た事は
延々9時間に渡って
1番列車から3番列車までの
僅か4本の『撮り鉄』のみだった
でも、この根性を別の方面で活かせば、ワテ・・もっとビックになっていたかも。 だが、この過酷!?な『撮り鉄』の列車待ちの長い時間潰しを国道をひたすら歩き周る事で紛らわしていた為が、当時の押角駅の周囲の情景は、川の対岸の土手を通る岩泉線の線路の見通しが良く『撮影場所』としてチェックした河原を除いて、ほとんど憶えていないのである。
川の対岸の土手は
雑木が多く撮影アングルとしては
期待外れだったみたい
そう、この駅が元はスイッチバック駅である事も訪れたこの時は全く知らず、この駅がスイッチバック駅だった事は、これより十数年後の再び岩泉線を訪れたこの旅の後に旅行記を書くべくウィキペディアを調べた時まで知らずにいたのである。
そして『トドメ』は、この駅がスイッチバック駅であった事を確認したのは、スイッチバック後の引き込み線が雪に埋もれているこの写真をこの記事に掲載している最中・・、即ち『今現在』なのである。
コリは、真面目に『鉄』をしてる方から張り倒されそうだな。
雪に埋もれた側線跡が写るコノ写真を見て
「この駅がスイッチバックだった
のは本当だったんだ」と理解したよ
そんな「追っている獲物(撮りたいと思うローカル線)以外は何も見えない」小僧だったから、微かな記憶にウィキペディアなどの事実を照らし合わせてみると、当然更に張り倒したくなるような事が明るみに出るのである。
だって『ローカル線』の撮り鉄以外に
何も見えてなかったから・・
それは、この駅を『秘境駅』として全国的に名を知らしめた駅に架かるあの橋の事を全く憶えていないのである。 そう・・、橋を渡った記憶さえも欠落しているのである。 最初にウィキペディアのこの橋の画像を見た時は、「え~っ、こんなやったかなぁ」と口に出た位だから。
そう・・、今にこんな『美味しい』橋が目の前に出くわしたなら、間違いなく餌を与えられた犬の如くフンフンとまとわり着くだろうしィ。 下手すりゃ駅訪問そっちのけで、この橋の調査!?にとりかかるだろうね。
今・・雪の乗る時期にこんな橋を渡れば
『オチャメ』必至だな
※ グーグル画像を拝借
まぁ、今は橋が流失してしまったので駅跡に行ける術は無くなってしまったけど、今にこの橋があったなら、間違いなく『立禁』看板とロープをかいくぐって橋を渡り、橋から落ちかける『オチャメ』をしでかしていただろうし・・ね。 まぁ、ヤマでも岬でも「行っちゃぁいけません!」という所は好んで突破するロクデナシだしね・・、ワテは。
台風による川の氾濫で橋は押し流されて
駅跡に行ける術は失われてしまった
:
でも渡渉靴を履けば
コレ位の沢なら渡れるよ
でも、この橋を渡った30年前の若き日に「渡って何も感じなかった」って事は、30年前のあの時の橋はまだ老朽化しておらずしっかりしていて、気も留めずに難なく渡れたのかな? もしかして、かつては橋の両側に柵があったりして。
まぁ、『奇跡の体力』を失って「ヤマをやってるのに俊敏さは人並み以下」という現在のワテならば、こんな片側柵の橋を渡るのは「おっかなビックリ」で、『オチャメ』の期待が否応にでも高まっているハズなのだし。
雪の残る冷たい沢で
「未だ春まで遠く」は表現で来たけど
線路側の土手には雑木林が
立ちはばかって
アングルとしては今イチ
さて、話は変わって『撮り鉄』の記憶だが、歩き周って見つけた河原からの撮影は、対岸の線路がある土手側には雑木が多くて、あまりいいのが撮れなかったなぁ。
写真は今イチだけど
タラコ色+白帯の塗装はプレミアモノだよ
でも、この稀少なタラコ色&白帯(この塗装の期間が1年足らずとの事なので稀少価値大デス)のキハ52は、もしかすると閲覧者を呼べるかもよ。 それにワテ個人的には、この塗装がJRで最も秀逸だと思うしィ。
雄大な峠を背景に
この峠を越えてやってきたボロキハ
:
ワテの『撮り鉄』の中でも
評価の高い『一番星』写真だ
逆に手応えがあったのは、押角駅の板張りホームに立っての『駅撮り』!?である。 背後の山が峠を思わせて、3月の雪が残る不毛の峠を表せて、そしてその峠をボロキハが喘ぎながらやってくる姿が絵になって、今のワテの評価もかなり高いですな。 でも、他の真剣にやってる『撮り鉄』さん達と比べたらダメたよ。 そんな事したら、30年前の『ローカル線撮り鉄』に燃えていた若き日のワテが不憫過ぎるしィ。
今こうしてみると背後の木々が
半分を埋めるいい感じに・・
『適当撮り』が上手くいったかな
・・で、またいつか、『我が青春のローカル線』の撮影場所だったこの地を訪ねてみようかと。
その時は渡渉靴を履いて、沢を渡って駅跡や廃線跡まで行っちゃうかも・・ね。
前の記事のこの欄で予測した通り
記事を2~3アップしただけで
『駅ホーム』からのリターンが100Pを超えたよ
でもこの欄の毒舌&言いたい放題が
敬遠されたのかinボイントは僅か20P止まり
コレってブログ村の運営側にとっては
ブログ村に入ってきた閲覧者を取るのに
ブログ村に閲覧者を連れてこない
煙たがられる存在なんだろうね
でもブログ運営上は
願ったり叶ったりだったりして
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんはも
> 岩泉線には若い頃(当然国鉄乗り潰しの一環として)と2009年に乗っています。
> 押角駅は本当は降りて探索してみたかった駅なのですが、あまりに本数が少なすぎて当然断念。車窓から橋の鉄パイプは見えました。
> 当時茂市~岩泉まで私は鉄道で、連れは車で。でも鉄道の方が早く着きました。それ程までに道路事情が悪かったのでしょう。
> https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-660.html
私も30年前のこの時と、『銀河鉄道の夜紀行』と題打った15年ほど前の2回訪れました。 訪れた最初のこの時は岩手刈屋駅で駅寝、『銀河』の時は岩手和井内で駅寝です。
駅寝&撮り鉄で、9時間秘境駅で待ち続ける根性は、我ながら大した体力でした。 そしてこの頃は、ローカル線を追う為なら何でもできた気がしました・・ね。
> 岩泉線には若い頃(当然国鉄乗り潰しの一環として)と2009年に乗っています。
> 押角駅は本当は降りて探索してみたかった駅なのですが、あまりに本数が少なすぎて当然断念。車窓から橋の鉄パイプは見えました。
> 当時茂市~岩泉まで私は鉄道で、連れは車で。でも鉄道の方が早く着きました。それ程までに道路事情が悪かったのでしょう。
> https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-660.html
私も30年前のこの時と、『銀河鉄道の夜紀行』と題打った15年ほど前の2回訪れました。 訪れた最初のこの時は岩手刈屋駅で駅寝、『銀河』の時は岩手和井内で駅寝です。
駅寝&撮り鉄で、9時間秘境駅で待ち続ける根性は、我ながら大した体力でした。 そしてこの頃は、ローカル線を追う為なら何でもできた気がしました・・ね。
押角駅は本当は降りて探索してみたかった駅なのですが、あまりに本数が少なすぎて当然断念。車窓から橋の鉄パイプは見えました。
当時茂市~岩泉まで私は鉄道で、連れは車で。でも鉄道の方が早く着きました。それ程までに道路事情が悪かったのでしょう。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-660.html