風来梨のブログ

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私の訪ねた路線  第41回  樽見線

『私の訪ねた路線』  第41回  樽見線  〔岐阜県〕
 

“さよなら樽見線”スタンプ
 
《路線データ》
   営業区間と営業キロ     輸送密度 / 営業係数(’83)  移管年月日     転換処置
 大垣~美濃神海 24.0km      654  /   391      ’84/10/ 6        樽見鉄道
 
移管時運行本数
        大  垣~美濃神海  下り9本・上り10本《土曜1往復増》
        美濃本巣~美濃神海  下り1本
        大  垣~東大垣   1往復《土曜2往復》
 
   〔路線史〕
大垣より福井県の越前大野を経て、金沢へと向かう計画で建設された路線。 建設着手は戦前だったが、戦時中の工事中断と戦後の工事再開を経て、1956年までに美濃神海まで開通した。 しかし、この先は徳山ダムの竣工で無人廃村となった『徳山村』の近辺をゆく無人の原野地帯で、計画そのものに無理があるルートである。

当然、国鉄再建法が施行されると延伸工事は凍結され、逆に既存線自身も廃止転換対象の一次候補となってしまう。 だが、この線区は他のローカル線が抱く存続に厳しい状況とは異なり、住友セメントの運営する『本巣セメント工場(岐阜工場)』があって、そのセメント輸送の任を担っていたのである。

そのような訳で、住友セメントと生産されたセメントの荷を受け持っていた西濃鉄道が主要株主となって、地元本巣町の出資も受けて1984年10月に第三セクター方式の『樽見鉄道』に経営移管された。

転換当所の運営は、収益の4割を占めるセメント輸送と積極的な増発が功を奏して順調な滑り出しであった。 これを受けて完成間近で凍結された樽見までの延伸工事を再開し、転換から5年後の1989年には、線区の名の通り樽見までの延伸開業を成し遂げた。

だが、バブル経済が崩壊し『コストの削減』が叫ばれるようになると、荷主であり筆頭株主でもある前述の両社が輸送コスト削減の為に、セメント輸送の鉄道輸送からトラック輸送への転換を表明した。
これに伴って、2006年3月末をもってセメント貨物輸送が廃止され、途端に存廃問題が浮上してきた経緯がある。

元々、人的な交流は大垣ではなく県都・岐阜に向かっており、その事で利用状況が悪く旧国鉄の廃止転換候補となったのに、また同じ問題で存廃問題を突きつけられるとは皮肉なものである。

観光名所としては、樽見のしだれ桜の大木『淡墨桜』や西国三十三番札所の『谷汲寺』、そして清流・揖斐川の鮎漁などがある。 だが、今一歩利用の促進にはつながっていないようである(ちなみに、名鉄揖斐線が谷汲まで運行していたが、こちらは2001年に早々と廃止されている)。 また、2006年に本巣にオープンした巨大ショッピングセンターへの利便も、この鉄道の存廃を握る鍵となるであろう。
 

 

廃屋と見まがうような
谷汲口駅
 
  〔乗車記〕
大垣駅の中ほどのホームより、樽見線列車は発車する。 普通のローカル線は本線とは離された離れ小島の位置に発着ホームが置かれるのであるが、ここは次の東大垣駅までの大半の区間が東海道本線と併走するので、東海道本線の支線である美濃赤坂線と共に、中ほどのホームが『ローカル線ホーム』となっていたようだ。 だが、今は第三セクターに経営移管された事もあって、樽見鉄道は6・7番線が発着ホームとなっているようだ。
 
大垣を出ると、次の東大垣までの2.7kmの全区間に等しい程に東海道線と併走する。 この駅の近くには大垣商業高校があり、転換以前も朝に下り、夕方には上りのこの1区間のみの通学列車が運行されていた。 また、この通学列車は、多くの学生が集中して利用する為、DLに牽かれた客車列車が充当されていた。
 
東大垣を出ると、揖斐川を渡って程なく横屋駅に着く。 棒線駅で待合室のみの質素な駅だ。 駅の裏には立派な一戸建て民家が立ち並んでいる。 次の十九条に至っては待合室すらなく、庇があるだけの設備最下級の棒線駅だ。 次の美江寺は元々は交換駅だったようだが、ものの見事に十九条と同じく棒線駅化と庇のみの待合室の『設備最下級』に格下げられている。
 
次の本巣北方(現在は北方真桑)は、現在も使用されてる列車交換駅だ。 近くに高校が2校あり、通学利用も多い。 以前はこの本巣北方の前で名鉄揖斐線と交差していたが、肝心の名鉄駅は1km強離れた美濃北方までなかったようだ。 まぁ、この揖斐線は、2005年に路線廃止されているのであるが。
 
次の糸貫との間に、平成になってから大型ショッピングモールの『モレラ岐阜』の開業で、この施設の目の前にモレラ岐阜駅が設けられた。 親会社であった西濃運輸よりセメント輸送の任を解かれてからは、この商業施設への利用客がこの路線の命運を握っているといえよう。
 

 
本巣駅入場券
(樽見鉄道転換後)
 
そして、次の糸貫は、またもや畑に囲まれた『設備最下級』の棒線駅に戻る。 糸貫の次は、線内の中心駅でセメント輸送の取次駅であった美濃本巣である。 かつては、住友大阪セメントの岐阜工場からの専用線を伝ってセメント輸送が行われていたが、親会社の西濃運輸自体が鉄道輸送のコスト高に見切りをつけ、2006年の春にトラック輸送に切り替えてしまったのである。
 
もし、『モレラ岐阜』の利用需要がなければ転換資金も底を着き、同じような資源輸送路線であった神岡鉄道のように廃止も取りざたされていた事だと思う。 美濃本巣を出ると、そろそろに濃尾平野と離れて周囲も緑濃くなってくる。
 

樽見線は雨の風景が良く似合う
美濃本巣~木知原
 
次の木知原で清流となった根尾川が寄り添ってくる。 また、この川沿いは桜の名所として知られ、春のシーズンともなると、鄙びた待合室だけの棒線駅に観光客が大勢訪れるという。 鉄道撮影をするのも、この辺りは清流の川があり、良さそうな雰囲気だ。
 
次の谷汲口は、谷汲山・華厳寺への入口である。 以前は名鉄谷汲線が行来していたが、今はこの駅からバス接続となっているようだ。 この谷汲口の手前でまだ大河の様相を残す根尾川を渡る。
ここも、鉄道撮影にはいい場所に感じて下車してみたのだが、雨という事もあり今ひとつ冴えないデキとなってしまった。
 

揖斐川を渡る樽見線列車
木知原~谷汲口
 
次は、国鉄時代の終点・美濃神海だ。 国鉄当時は山中にある小集落の為の無人終着駅であったが、今は周辺にマンションが建っていて、駅に喫茶店が入るなと様変わりしている。 だが、駅にあった大きな木は残念ながら撤去されたようである。 この樹と木の駅名標の組み合わせは、ローカル駅の悲哀を感じさせるいい情景だったのだが。
 

ホームの樹と古びた駅名標が
終着駅の哀愁を感じさせる
いい情景だっだ
 
今は樽見鉄道となり、その路線名の如く樽見まで延伸しているが。この項目はあくまでも『国鉄樽見線』を訪ねての紀行文であり乗車記なので、この駅を終着駅とし筆を終える事にしよう。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『樽見線』を御覧下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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