風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第8回 弥彦線・東線

廃線鉄道  第8回  弥彦線・東線 〔新潟県〕

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弥彦・東線のさよなら列車
ローカル線一斉廃止日に廃止となり
追いかける事が叶わなかった
悔しい路線の一つだ
※ 鉄道ジャーナル'03年12月号の掲載写真より

弥彦線で路線廃止となった東三条~越後長沢間は、通称『弥彦線・東線』(やひこせん・とうせん)と呼ばれていた。 弥彦線は越後線と共に、私鉄の越後鉄道により建設された鉄道路線である。
まず、弥彦駅~西吉田駅(現在の吉田駅)間が、越後一の宮である彌彦神社への参詣鉄道として1916年に開業し、続いて西吉田駅~一ノ木戸駅(現在の東三条駅)間が、現在の越後線と信越本線を連絡する目的で1922年から1925年にかけて延伸された。

さらに1927年夏には、南東の南蒲原郡長沢村の越後長沢駅までの区間が開業した。 これが通称『弥彦・東線』と言われる今回取り上げる『廃線鉄道』路線である。 この路線は、いずれは鹿峠村と森町村(前掲3村はいずれものちの下田村から平成の大合併を経て現在は三条市となっている)を経て、福島県只見町まで路線を延伸する計画の下で建設が進められたが、越後長沢駅まで開業した同年の秋に国有化され計画は消滅した。

なお、この只見線の只見までの路線延長計画だが、現在も未開通で『登山道国道』として一部の『酷道マニア』の間で名を馳せる国道289号線・『八十里越』の難路に鉄道を通して、冬季は雪で完全に閉鎖となる会津・越後の国境を結ぶ計画であるが、同時に現在の技術をもってもなおも克服できないでいる、会越国境の数メートルの積雪となる雪の壁を貫く途方もない計画でもあった。

このうち、通称「弥彦東線(やひことうせん)」と呼ばれていた東三条駅~越後長沢駅間は、沿線の人口密度が低かった上に、終点の越後長沢駅も当時の長沢村の中心地から若干離れていた事もあり、太平洋戦争以前の段階から利用者数は低迷していた。

長沢より以東の区間は越後鉄道が森町村大字八木前まで免許を取得していたが、国有化された1927年に失効し、また太平洋戦争中の1944年10月には不要不急線として営業休止に追い込まれ、金属類回収令により軌道は撤去の上で供出された。

この間、東三条駅~越後長沢駅~八木前間の貨物輸送は国営自動車(のちの国鉄バスの貨物部門)が代行する方式で実施された。 東三条駅~越後長沢駅間は戦後に営業を再開したが、通学客以外は乗客も少なく赤字運営が慢性化した。

長沢と只見の間については、戦後に新潟・福島両県と沿線自治体が中心となって、国に対して八十里越の道路整備と国鉄バスの路線開設を求める請願を提出するなどしたものの、実現には至らなかった・・というか、道路そのものも未開通の実現困難極まる延伸計画で、計画前から頓挫必至であった。

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北海道の廃止線優先で追えなかったけど
とっても魅惑的な路線だったんだね
※ 鉄道ジャーナル'03年12月号の掲載写真より

また東線の区間にあたる三条市中心部と下田村との間には、並行する県道(のちの国道289号)を経由する中越自動車(のちの越後交通の前身の一つ)の路線バスが運行されており、更に公共交通として鉄道を敷設する事は無意味と化していた。

さらにその後はモータリゼーションが急速に進行したこともあって利用者数は減少の一途をたどり、この区間は1968年にいわゆる赤字83線に指定された。弥彦線のうち弥彦駅から東三条駅までの区間(弥彦西線)は1984年に電化されたものの、東線は廃線が決まっていた事から電化されず、西線の電化後は新潟運転所から気動車を毎日回送して運行が継続され、翌1985年に廃止された。

弥彦東線の廃線跡は市道および国道289号のバイパス道路として整備され、下田村内で五十嵐川左岸沿いの旧道を経由していた越後交通の路線バスの運行経路も、このバイパスに変更された。 2015年12月現在の越後交通三条営業所は、旧東線に並行する形で下記の路線バス『八木ヶ鼻温泉線』を運行している。

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国鉄・弥彦線の通称『弥彦・東線』予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線距離:東三条~越後長沢 7.9km・軌間:1067mm・複線区間:なし(全線単線)・
駅数:4駅(起終点駅含む)〔東三条〕・越後大崎・大浦・越後長沢
電化方式:全線非電化・閉塞方式:票券閉塞式・交換可能駅:なし(全区間で1閉塞路線)
運行本数:東三条~越後長沢 5往復(土曜は6往復)

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側線が撤去された広い構内で
閑散としていた越後長沢駅舎
※ 鉄道ジャーナル'03年12月号の掲載写真より

  国鉄・弥彦東線 年表
1927年(昭和  2年)  7月31日  弥彦線の東三条の先、東三条~越後長沢 7.9km)が延伸開業される。
                 開業に当たり、越後大崎、大浦、越後長沢の3駅が新設される。

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越後鉄道という私鉄の手で
設けられた越後長沢駅
※ 友人からのもらい請け写真より
くそ~アイツは乗った事あるんだよなぁ

            10月 1日  弥彦線 弥彦~越後長沢 25.3km の全区間が、越後鉄道より国鉄に
               買収され国有化される。
1944年(昭和19年)10月16日  東三条~越後長沢 7.9km が、戦時不急不要路線として休止となる。
1946年(昭和21年)10月  1日  東三条~越後長沢 7.9km の運行が再開となる。
1960年(昭和35年)12月15日  東三条~越後長沢 7.9km の貨物営業が廃止となる。
1984年(昭和59年)  4月  8日 【電化】弥彦~東三条 17.4km が低コストの直接吊架式架線を採用上で
               電化されるが、廃止諮問を受けた弥彦東線区間の東三条~越後長沢 
               7.9kmの電化は見送られる。
1985年(昭和60年)  4月  1日 東三条~越後長沢 7.9km が廃止され、越後交通の路線バスに転換
                となる。

三条市東部の下田地区(当時の南蒲原郡下田村)に至る、通称「弥彦東線」と呼ばれた東三条駅~越後長沢駅間は1985年4月1日に廃止されたが、廃止直前は1日あたり朝夕のみ5往復(土曜日は1往復増の6往復)と運行本数は僅かであった。

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撮りたかったなぁ・・
こういう絵を
※ 鉄道ジャーナル'03年12月号の掲載写真より

なお、この弥彦・東線が廃止された1985年の4月1日は、北海道の渚滑線・相生線・万字線の3線や九州の添田線などの6線など、全国で10路線が廃止・2路線が第三セクターへ移管されるなど廃線ラッシュ日で、廃止線を追っかける行動に出てもこの路線まで訪れて乗車するのは困難を極め、残念ながら未乗車廃止区間となってしまった。

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廃止間近の越後長沢駅
※ ウィキペディア画像を拝借

越後長沢駅(えちごながさわえき)は、かつて新潟県南蒲原郡下田村(現在の三条市荻堀)に存在した国鉄・弥彦線の駅である。同線の終着駅であった。 単式ホーム1面1線と複数の側線を持つ駅で、越後鉄道時代からの木造平屋建ての駅舎であった。 廃止前年まで新聞などの荷物取扱があり、駅員が常駐していた。 1981年度の1日平均乗車人員は390人との事である。

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逃した魚ほど記憶の底で大魚となる
行けなかった悔しさが今も募る越後長沢駅
※ ウィキペディア画像を拝借

駅周辺は三条市下田地区の中心地である荻堀の集落となっており、旧駅舎はその北西側の端に位置していた。 下田地区内の廃線後の軌道敷は、駅舎跡南側までの間が国道289号のバイパス道路の整備に充てられ、駅舎跡には越後交通のバス待合所とバス車庫が設けられた。

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広かった駅構内の隅の位置に
プレハブのバス待合所が建てられている
※ ウィキペディア画像を拝借

なお廃線に際してバス停留所は「長沢駅前」から「長沢駅跡」に改称され、現在に至るまでこの名称を使用している。 また下田交番横には「弥彦線 越後長沢駅跡」の石碑が建立されている。

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駅跡に建つ交番の脇に置かれた
越後長沢駅跡の石碑
※ ウィキペディア画像を拝借

かつての越後交通のバス路線は長沢駅跡バス停を下田地区内各路線の結節点としていたが、地区内の路線は2011年3月末までに大部分が廃止の上で三条市運営のデマンド交通に転換されるなどしており、2015年12月現在で越後交通が下田地区で運行している路線は、東三条駅から長沢駅跡を経由して南東部の森町方面に至る『八木ヶ鼻温泉線』の1路線のみとなっている。

  越後交通『八木ヶ鼻温泉線』の現在の設置されているバス停
地場産センター前~燕三条駅三条口~東三条駅前~西大崎(越後大崎駅跡付近)〜高岡(大浦駅跡)〜長沢駅跡~下田庁舎前~笹岡中央~八木前~八木ヶ鼻温泉

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もう感動的なたたずまいだった大浦駅
※ 鉄道ジャーナル'03年12月号の掲載写真より

大浦駅(おおうらえき)は、かつて新潟県南蒲原郡下田村(現在の三条市下大浦)に存在した国鉄・弥彦線の駅である。 単式ホーム1面1線を持つ駅で、木造平屋建ての駅舎があった。 無人駅だった。
1981年度の1日平均乗車人員は42人との事である。

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大浦駅駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

旧駅前の南側には下大浦の集落、駅裏側の北側には五十嵐川左岸沿いの高岡の集落がある。 
駅舎跡は両集落のほぼ中間に位置しており、高岡側を縦貫する五十嵐川左岸の堤防上は国道289号の旧道区間にあたる新潟県道331号三条下田線の経路となっている。

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駅跡に建てられた
休憩施設『ひめさゆりパーク』

廃線後の軌道敷は国道289号のバイパス道路の整備に充てられ、駅舎跡には当時の下田村が整備した休憩施設『ひめさゆりパーク』が所在し、『弥彦線大浦駅跡』の石碑が建立されているほか、トイレなどが設けられている。

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『ひめさゆりパーク』の庭園に
置かれた大浦駅跡の石碑
※ ウィキペディア画像を拝借

国道沿いには、廃止以前から前掲の旧道経由で運行されていた越後交通の『高岡』バス停留所がバイパス開通後に移設されており、下り(長沢・八木ヶ鼻温泉方面)・上り(東三条駅方面)とも自転車歩行者道沿いにバスベイ(バス乗り場)が整備されている。

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雪国の古き良き時代の
魅惑的な駅舎だった越後大崎駅

越後大崎駅(えちごおおさきえき)は、かつて新潟県三条市東大崎二丁目に存在した国鉄・弥彦線の駅である。 1面1線の単式ホームを持つ駅で、越後鉄道時代からそのままの木造平屋建ての駅舎があった。
廃止前年まで新聞などの荷物取扱があり、駅員が常駐していた。 1981年度の1日平均乗車人員は105人との事である。

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越後大崎駅名標
駅跡は住宅地と道路交差点となっている

駅舎跡は三条市中心部から比較的近く、周辺は古くから住宅地となっている。 廃線後の軌道敷は国道289号のバイパス道路の整備に充てられ、駅舎跡にはのちに三条警察署大崎駐在所が建設された。
大浦駅と越後長沢駅には廃線後に駅跡を示す石碑が建立されたが、当駅跡には石碑等は建立されていない。

駅舎跡西側には、国道289号の旧道区間にあたる新潟県道331号三条下田線が通っており、周辺は旧弥彦線に並行する越後交通の路線バス『八木ヶ鼻温泉線』と、三条市が同社に運行業務を委託しているコミュニティバス『ぐるっとさん』南コースの運行経路となっている。


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