2020-03-07 (Sat)✎
廃線鉄道 第7回 相生線 〔北海道〕
雪を蹴ってラストスパート!
北見相生駅付近をゆく相生線列車
相生線(あいおいせん)は、かつて国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。
北海道網走郡美幌町の美幌駅で石北本線から分岐し、同郡津別町の北見相生駅までを結んでいた。
1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により、翌年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1985年4月1日に全線が廃止となった。
国鉄・相生線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離:美幌~北見相生 36.8km・軌間:1067mm・複線区間:なし(全線単線)・
駅数:14駅(起終点駅含む 駅8、仮乗降場6)
〔石北本線・美幌〕・旭通(仮)・上美幌・豊幌(仮)・活汲・達美(仮)・津別・高校前(仮)・恩根・本岐・
大昭(仮)・開拓(仮)・布川・北見相生
電化方式:全線非電化・閉塞方式:票券閉塞式・交換可能駅:津別駅のみ・
運行本数:美幌~北見相生 6往復
路線廃止までの相生線の時刻表
釧路~美幌間を結ぶ『釧美線』(せんびせん)として計画された路線で、1922年の改正鉄道敷設法別表第148号で「釧路國釧路ヨリ北見國相生ニ至ル鐵道」と規定された。 満州などで臨戦体制となり苦しくなった国の財政事情により、路線建設工事が中断されて部分開通したもので、1924年に美幌から津別まで、翌年に北見相生までが開業した。
美幌から釧路までの区間は1912年に実地測量まで完了していたものの、1931年に本路線にほぼ並行する釧網線が全線開通した為に路線建設の意義が薄れた事もあり、釧路までの区間の着工が放棄された。
観光地の阿寒湖畔以外は完全なる無人地帯の
途方もない延伸計画だった
1968年頃には、北見相生駅から阿寒湖を経由し白糠線までを結ぶ『阿寒線』の建設運動が、地元自治体を中心に行われたが、足寄から北見・釧路国境の釧北峠付近に至っては観光地の阿寒湖畔を除いて完全な無人秘境地帯で、貨客の需要を見込めない途方もない計画で実現には至らなかった。 1980年に国鉄再建法が成立すると、第1次特定地方交通線に指定されて1985年4月に廃止された。
釧路側では1923年に北海炭礦鉄道(後の雄別炭礦鉄道)が雄別炭山まで開通させていたが、炭鉱の閉山にともない1970年に廃止されている。
なお、代替バスは、鉄道と同じ美幌向けの路線(北見~美幌~津別は北海道北見バス)と、人の流れに沿って北見向けの路線(北見~津別〜相生は津別町営バス)が運行されていたが、津別町営バス事業終了により津別〜相生間の代替バスは廃止された。 また、かつては、阿寒バスが釧路~美幌間のバスを運行していた事がある。
広大なヤード跡が雪の下に眠る
冬の北見相生駅と相生線列車
国鉄・相生線 年表
1924年(大正13年)11月17日 相生線美幌~津別間 16.6kmが開業。
上美幌駅・活汲駅・津別駅を新設。
1925年(大正14年)11月15日 津別〜北見相生間 20.2km)延伸開業し全通する。
本岐駅・北見相生駅を新設。
相生線全通と共に開業した北見相生駅
:
今は『道の駅・あいおい』内の
鉄道資料館となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
1947年(昭和22年) 9月20日 布川仮乗降場を新設。
1955年(昭和30年) 8月20日 旭通仮乗降場・豊幌仮乗降場・高校前仮乗降場を新設。
1956年(昭和31年) 5月 1日 達美仮乗降場・大昭仮乗降場・開拓仮乗降場を新設。
1956年(昭和31年) 9月20日 恩根駅・布川駅を新設
(仮乗降場から昇格。 恩根仮乗降場の設置日は不明)
1975年(昭和50年)5月 蒸気機関車の運転を廃止する。
1979年(昭和54年)12月11日 貨物営業廃止。
1981年(昭和56年) 9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認。
1985年(昭和60年) 4月 1日 美幌~北見相生の全線 36.8km)を廃止し、北海道北見バスと
津別町営バスの各バス路線に転換。
終着の北見相生に向けて
雪を蹴ってスパートをかける
沿線の森林資源輸送を目的として建設された、典型的な北海道開拓路線の一つである。
開拓に携わる路線という事で、全通年も開拓全盛時代である大正14年と古い。 また、建設計画では『釧美線』として、釧北峠や阿寒湖畔を経て釧路まで延伸する構想もあった。
壮大な路線延伸構想があった事は
駅スタンプの図柄で知るのみである
それは、北見相生より峠を越えて阿寒の山奥にある雄別鉱山まで延伸させて、既に建設されている運炭鉄道とをつなげて釧路を目指す・・というものである。 だが、釧路側を担っていた雄別炭礦鉄道は1970年の鉱山閉山と同時に廃止され、無謀とも思える同計画も文字通り頓挫した。 また、1931年の釧網本線の全通に伴って、同計画が無意味化していたのも事実であろう。
『道の駅・あいおい』の旧北見相生駅構内に
静態保存されてる旧国鉄の雪かき貨車・キ700型
※ ウィキペディア画像を拝借
典型的な開拓路線として建設された為、開拓の終わった現代では運ぶ貨客のほとんどない閑散線であったが地元の開拓路線としての鉄道への信奉は強く、1980年の国鉄再建法で第一次の廃止路線候補に指定されると、1979年の貨物営業廃止時に取り交わした「廃止は地元の意向を踏まえて」という覚書を盾に反対運動は激化した。
地元の鉄道信奉が強かった証が
廃止された後に整備された鉄道公園だろうね
※ ウィキペディア画像を拝借
そういった中で開催された第1回の転換問題協議会では、地元よりある程度利用の見込める線内中心駅の津別までを第三セクター、以奥はバス転換との案が出され、協議会は廃止合意直前まで暗礁に乗り上げていたそうである。 だが、支援の当てとしていた道庁が第三セクター案の正式断念を通告した為、第5回の協議会で廃止に合意し1985年3月末をもって廃止された。
ただでさえ山里の人口稀薄地帯をゆく閑散線であったが、やはりこの鉄道路線が人の流れに背いていたのが最大の要因であろう。 人の流れは美幌ではなく、北見であったのだ。 そして、地域の中心も庁舎のある網走ではなく北見なのである。
それを踏まえた上で、転換バスは美幌~津別の旧線区間と北見~津別~北見相生の2系統に分けられ、それぞれ北見バス・津別町営バス(現在は津別町のバス事業撤退により、津別〜北見相生の代替交通機関はナシとなっている)と振り分けられている。 とはいっても、津別~北見相生以外は従来から存在した路線であったとの事である。
綺麗にお色直しされて
鉄道資料館となった北見相生駅駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
廃止後の現況であるが、終点の北見相生駅跡は現在『道の駅・あいおい』となり、北見方面からの阿寒湖への観光拠点となっている。 また、駅舎は鉄道資料館として鉄道関係の資料などが展示されており、ホームに敷設された線路にはライダーハウスとして供される客車と、往時の相生線を行来したキハ22系気動車が、ツートンの旧国鉄色にお色直しされ静態保存されている。
駅務室内には往時に使用された
鉄道や駅の備品が展示されている
※ ウィキペディア画像を拝借
撮っててよかったB級写真
:
ぢ・つ・わ・・小僧の頃の最初北海道旅で
フイルムを間違えて室内用タングステンフイルムを
使ってしまってサブカメラで撮った
『B級写真』以外全ボツになった
↑
ある意味コレがワテを『リベンジの鬼』とさせて
人生が変わった(まともな学生生活を送れなくなった)よ
《乗車記》
相生線は、最後だけは華々しい時を迎えつつある廃止ローカル線の中でも目立たぬ存在であった。
それは、他の廃止線の車窓から眺める流氷や石炭産業の廃墟などの廃止を思わせるモノに乏しく、前面に出る機会が乏しかったからかもしれない。 廃止の時も同じ道内の渚滑線を始め全国11路線と同じ日となるなど、最後まで目立たぬ路線であった。
この駅スタンプの『♨マーク』のように
さりげない存在の廃止線であった相生線
だが、美しい原野林の中をゆく路線で、撮り様によれば在りし日の美しい姿を残せたかもしれない。
だから、あの時の幼さに一抹の悔いを抱くのである。 そう・・、あの時にもう少し追っかけていれば・・という悔いを。 それでは、その相生線を思い返してみよう。
この路線を思い返す度に
「もう一度コレを撮りたい」と思うワテがいる
:
ワテの珠玉の『一番星』写真だ
相生線は線路の延びる方向から、美幌駅の母屋寄りの1番線が充てがわれていた。 その1番線は今は線路が撤去されて花壇となっているとの事である。 美幌駅を出ると網走方向に向かって走り、すぐに石北本線と分かれて右へ反れていく。
線路が剥がされて久しい
相生線の「のりば」だった
美幌駅旧1番線ホーム
※ ウィキペディア画像を拝借
列車は美幌の市街地に入り、屈斜路湖に向かう国道243号の高架をくぐると旭通仮乗降場に着く。
駅のロケーションとしては美幌駅よりも市街地の中心に位置するが、僅か1日6往復では利用客も市内循環バスを利用してしまう事だろう。 なお、この乗降場では、近くの商店で簡易委託発行ながら硬券の乗車券が販売されていた。
旭通仮乗降場で売っていた
津別ゆき乗車硬券
旭通を出ると程なく市街地は終わり、閑散した田舎町の情景となる。 暫く阿寒国道の国道240号と併走して上美幌に着く。 この駅は正規駅だが駅舎は撤去されて棒線ホームのみであった。
駅の設備としては、待合室が設置されているなど先程の旭通乗降場の方が数段上の様であった。
上美幌を出ても国道240号と並走して豊幌仮乗降場に着く。 こちらは待合室もない板張りのホームのみの停留所で、周囲はジャガイモ畑が広がる中にこじんまりとした豊幌の集落が見えるのみである。
更に国道240号線と並走しながらゆくと活汲に着く。 この駅名はアイヌらしい呼び名の駅だ。
意味は『柄杓』を意味するアイヌ語の“カックム”から来ている。 何故『柄杓』が充てがわれたのか・・というと、柄杓の材料となる白樺が多く自生していたからだという。 この駅は’79年の貨物営業の廃止まで木材貨物の取扱いがあり、木材受け渡し用の専用ホームと側線があった。 また、廃止時まで委託ながらも駅員配置駅であった。
線路は国道240号と併走して、津別町の中心部に入っていく。 その市街地の入り際に達美仮乗降場が設けられていた。 こちらも豊幌と同じく待合室ナシの棒線板張りホームであった。
津別町の市街地に入ると、津別町市街地の中央をゆく国道240号と離れて市街地の東の端を伝っていく。 程なく津別着。 この駅は相生線最大の駅で、列車交換設備もある有人駅だ。 駅の裏手は貯木場となっていて、貯木場に沿うように側線が設けられていた。
津別を出ると、高校前仮乗降場に停車する。 この乗降場は、名称通り津別高校のすぐそばにある。
利用者はほぼ全てが津別高校の通学生で、相生線の停車場の中では一定の乗降客がある成績の良い駅であった。
路線の中心駅・津別以外は
総じてこんな車窓風景だった相生線
高校前を出ると再び閑散とした農村となり、一時離れていた国道240号が再び寄り添ってくる。
国道が寄り添うと、程なく恩根に着く。 この駅は当初乗降場設定だったものが駅に昇格したとの事で、『畑の中に待合室のない板張り棒線ホーム』と、設備は先出の乗降場と変わらない。
また、正規の駅にも拘わらず一部の列車が通過するなど、扱いも乗降場なみであった。
恩根を出ると、津別町の字集落である本岐に着く。 裏手は広い貯木場で、駅母屋に向けて頭端式の切込み側線が設けられるなど、この駅も貨物取扱時は木材の受渡しが行われていたようだ。
また、駅員も委託ながら配置されていたようで、駅母屋に向かって線路が湾曲するなど、かつては交換設備があった事も伺える。
本岐を出ると大昭・開拓と乗降場2つを過ぎる。 だがこれらの乗降場は基線農道に設けられた停留所に過ぎず、畑や牧草地の中の農道の交差する地点に掘っ立て小屋の待合室と板張りホームが設けられていたのみであった。 停車する列車も1日2本程度と、乗降場の中でも格下の扱いであった。
次の布川も、先出の恩根同様に乗降場からの昇格駅で、同じく駅舎もない棒線駅。 先出の大昭・開拓に比べてこじんまりとした集落があった分、正規駅として扱われたようだ。 この駅も、恩根同様に通過列車の設定があった。 即ち、乗降場と同じ扱いである。
北見相生駅入場券
布川を出ると、国道240号線と並走しながら更に山奥に入っていく。 やがて、山奥に開かれた小集落が見えてきて、雌阿寒岳が見えるなど展望が開けてくると終点の北見相生に着く。
相生線の終点だった北見相生駅は
機回し線のある広いヤートを持つ駅で
広大なヤードと貯木場跡は
『道の駅・あいおい』の駐車場となった
※ ウィキペディア画像を拝借
駅は有人駅で旅客扱いは1面1線の棒線駅たが、広いヤード状の貨物側線を有し、ターンテーブルや給水塔跡があるなど、機回し可能な構造となっていた。
現在の駅跡は『道の駅・あいおい』が
管理する鉄道公園となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
その広い駅構内は、廃止になった今は鉄道公園を兼ねた『道の駅・あいおい』となり、かつてこの原野を駆けたキハ22がツートンにお色直しを受けて静態保存され、客車の中を改造して寝泊りができるライダーハウスも設けられている。
エアコン付のライダーハウスとして利用される
旧駅構内で静態保存された旧型客車
※ ウィキペディア画像を拝借
鉄道在りし時は、観光地・阿寒への玄関口としての機能を全く果たせずにいたが、廃止になってから阿寒への主要な玄関口として整備されたのは皮肉な事である。
今回の『廃線鉄道』は
我が青春時代に駆けめぐった路線なので
記事作成に気合いが入ったよ
記述の元となるウィキペディアには
相生線の事はあまり詳しく書いておらず
記事構成に苦労したが
独自考察の路線史や乗車体験記など
記憶を掘り起こして記述したよ
だから多少文体はダブるけど
見応えのある記事になったよ
但し・・自分比であるけれど
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
> この路線は確か阿寒湖からのバスを相生で降りて乗ったと記憶しています。
> ただし風来梨さんが書かれているとおり、目立たない路線で自分の印象もかなり薄く、あまり記憶に残っておりません。
> ちょっと残念ではありますかねぇ。
阿寒湖からだとすると、普通の乗り鉄さんとは逆ですね。 確か、釧路方面から阿寒湖へのバスがあったので、釧路エリアの完乗後に訪問されたのでしょうか?
私は北見相生駅でオチャメな思い出を体験しましたので、その事で思い入れが大きくなりました。 また、相生線のキハ22を今より上手いデキで撮れたので、それも思い入れが大きくなった理由ですね。
それでは、その『オチャメ』な出来事の記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第95回 北見相生駅』https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-896.html
> この路線は確か阿寒湖からのバスを相生で降りて乗ったと記憶しています。
> ただし風来梨さんが書かれているとおり、目立たない路線で自分の印象もかなり薄く、あまり記憶に残っておりません。
> ちょっと残念ではありますかねぇ。
阿寒湖からだとすると、普通の乗り鉄さんとは逆ですね。 確か、釧路方面から阿寒湖へのバスがあったので、釧路エリアの完乗後に訪問されたのでしょうか?
私は北見相生駅でオチャメな思い出を体験しましたので、その事で思い入れが大きくなりました。 また、相生線のキハ22を今より上手いデキで撮れたので、それも思い入れが大きくなった理由ですね。
それでは、その『オチャメ』な出来事の記事です。 宜しければどうぞ。
『路線の思い出 第95回 北見相生駅』https://furai58.blog.fc2.com/blog-entry-896.html
No Subject * by 根室大喜
川湯温泉駅の写真を今日撮って来ました^^)v
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜さん、こんばんは。
> 川湯温泉駅の写真を今日撮って来ました^^)v
北海道はいい温泉が数多くあっていいですね。
川湯温泉の駅は、アメリカのウェスタンロッジに似せた洒落た駅舎ですね。
私も、裏にそびえる硫黄岳と釧網線列車の写真を撮りに行った事がありますよ。
温泉は、ちょっと先の隣駅・緑の札弦温泉で入りました。
もちろん、近くの名峰・斜里岳も登りましたよ。 もちろん、夏ですけど。
> 川湯温泉駅の写真を今日撮って来ました^^)v
北海道はいい温泉が数多くあっていいですね。
川湯温泉の駅は、アメリカのウェスタンロッジに似せた洒落た駅舎ですね。
私も、裏にそびえる硫黄岳と釧網線列車の写真を撮りに行った事がありますよ。
温泉は、ちょっと先の隣駅・緑の札弦温泉で入りました。
もちろん、近くの名峰・斜里岳も登りましたよ。 もちろん、夏ですけど。
ただし風来梨さんが書かれているとおり、目立たない路線で自分の印象もかなり薄く、あまり記憶に残っておりません。
ちょっと残念ではありますかねぇ。