2020-02-23 (Sun)✎
廃線鉄道 第5回 吾妻線・太子支線 〔群馬県〕
復元された太子駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
吾妻線・太子支線ありし頃に
時刻表乗っていた路線図
※ グーグル画像を拝借
吾妻線・太子支線(あがつません・おおししせん)は、かつて吾妻線が長野原までの路線で『長野原線』の名称であった当時に、長野原(現在は長野原草津口)より群馬県吾妻郡六合村(現在の中之条町)大字太子まで延びていた延長5.8kmの国鉄・吾妻線の支線である。
吾妻線・太子支線の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離(営業キロ):5.8km・軌間:1067mm・全線単線、全線非電化
閉塞方式:スタフ閉塞式・駅数:起点の長野原(現在は長野原草津口)と終点の太子の2駅
在りし日の太子駅と太子支線の定期列車
※ ウィキペディア画像を拝借
太子支線の運行形態
1967年(昭和42年)6月10日の長野原線渋川~長野原(現在は長野原草津口)電化後も非電化のまま取り残され、ディーゼルカーが長野原駅と当駅の間を1日5往復するのみであった。 電化区間は急行列車も合わせて定期で15往復の運行があり、接続は概ね良かった。
駅舎も復元され鉄道遺構公園として
完全な観光地となった太子駅跡
※ 旅行紹介のウェブサイトより
廃止後の代替交通
廃止後は並行していた国鉄バス花敷線の本数が若干増やされ代替とされたが、2009年に廃止され、沿線自治体の六合村へ路線が移管された。 現在は市町村合併により中之条町営バスとして運行されている。
吾妻線・太子支線は群馬鉄山より
褐鉄鉱を輸送する貨物船として建設された
※ ウィキペディア画像を拝借
路線史
日本鋼管群馬鉄山の専用線として1945年に開業した。 終点の太子駅は1面2線の旅客用ホームの他、側線と鉱石積み出し用のホッパーを持つ駅であった。 京浜地区に向けて鉱石を発送していたが、鉱石輸送の廃止と吾妻線の大前方面への延伸により1970年(昭和45年)に休止、翌年廃止された。
廃止時の所属路線は吾妻線だが、長野原線から吾妻線に路線名称が変更されてから列車が運転された事はなかった。
路線敷設の目的であった群馬鉄山の跡
:
現在はチャツボミゴケ公園となっている
写真はウィキペディア画像より『穴地獄』
吾妻線・太子支線 年表
1945年(昭和20年) 1月 2日 日本鋼管群馬鉄山専用線として、長野原~太子が開業。
同時に運輸通信省長野原線・渋川~長野原間も開業。
1952年(昭和27年)10月 1日 日本鋼管専用線が国鉄に移管され、長野原~太子間は長野原線の貨物支線
として編入・開業し、車扱貨物の営業を開始する。
1954年(昭和29年) 6月21日 長野原~太子間の営業キロ程を5.8 kmへ改正する。
1961年(昭和36年) 9月 1日 営業範囲を旅客・手荷物・小荷物及び車扱貨物へ改める。
1961年(昭和36年)10月 1日 手荷物及び小荷物の配達の取扱を廃止する。
1966年(昭和41年)10月 1日 長野原~太子間の貨物営業を廃止する。
1967年(昭和42年)11月 1日 営業範囲を旅客へ改正する。
1970年(昭和45年)11月 1日 長野原~太子間の営業を1971年(昭和46年)4月30日まで休止する。
1971年(昭和46年) 3月 7日 長野原線の線路名称を吾妻線へ改正。
5月 1日 長野原~太子間の旅客営業が廃止され、休止のまま路線廃止となる。
鉄道遺構公園として整備された太子駅跡
※ ウィキペディア画像を拝借
現在の状況
太子駅跡は車止めや鉱石積み出しのホッパーなどが遺構として残っており、また当時を偲ばせる駅名標等が2013年に設置されている。 また当地は中之条町や地域の住民により公園として整備され、子供用遊具・花壇・公衆トイレなどが設置されていた。 なお、観光向けの鉄道遺構として整備されるまでの公衆トイレは、太子駅で使用されていたトイレであった。
鉱石搬出に使われたポッパー跡
※ ウィキペディア画像を拝借
これらの整備を行った際に遺構が多数残されている事から、2014年4月に中之条町が太子駅を本格的に復元する事を決め、埋まっている遺構を掘り出してホッパー跡を修復する事になった。
2016年度にクラウドファンディングにて寄付を募り、約215メートル分のレール敷設や約71メートルのホームの復元を実施した。
大井川鉄道より譲り受けた
鉄鉱石運搬用貨車
※ ウィキペディア画像を拝借
木造平屋建ての復元駅舎は2018年に完成し、鉄鉱石を積んだバケットなども展示された。
同年4月から一般公開され、5月には大井川鐵道井川線で使用されていたワフ2・ワフ3が中之条町に譲渡され、当駅跡に搬入された。 また、復元に合わせて、長野原線で使用されていた蒸気機関車と同形の車両を展示する予定で、車両を保有しているJR東日本と交渉が行われているとの事。
最も状態よく残っている
太子支線・砂子川橋梁
※ ウィキペディア画像を拝借
長野原草津口~太子までの廃線跡は、長野原草津口駅を出てすぐにある上路プレートガーダー橋、山間部を抜ける隧道等がそのまま残されている。 上述の橋梁から国道292号と合流するまでの区間の隧道は内部崩落のため通行止めとなっている。 国道292号と合流し再度分岐してから先の北側は、太子までの区間が地元の裏道として活用されている。 該当区間に2箇所ある隧道は単線規格の為、隧道内部での自動車の離合はできない。
現在は観光地化されて
鉄道遺構公園となった太子駅跡のポッパー群
※ ウィキペディア画像を拝借
正直言うと、この記事を書くべく調べるまで、この廃止路線は存在すら知りませんでした。
でも、かなり魅力的な鉄道遺構ですねぇ。 それも、ポッパー跡が完全に残っているようだし。
北海道の築別炭鉱の『羽幌炭礦鉄道』と共に、ワテの中では重点訪問鉄道遺構ですね。
鉄道遺構という『撮り鉄』
の新たなジャンルとなるね
※ ウィキペディア画像を拝借
この記事書いてたら
鉄道遺構めぐりの芽が出てきたよ
でも今までに鉄道遺構めぐりしたのは
興浜線跡・士幌線のタウシュベツ・
白糠線跡・宮原線の眼鏡橋群など
鉄道遺構を訪ねたというより
往時に好きで好きで
たまらなかった路線の再訪だったよ
だからこれらの路線に訪れる時は
鉄道遺構の記事が書けるように
キチンとツボを押さえようかと
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