2020-02-18 (Tue)✎
路線の思い出 第366回 のと鉄道七尾線・輪島駅跡 〔石川県〕
在りし頃の輪島駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ ’19年・運行本数
七尾~穴水 33.1km 七尾~穴水 下り17本・上り17本
(うち下り3本・上り2本は〔のと里山里海〕で運転)
七尾~能登中島 1往復
営業区間と営業キロ 廃止年月日 廃止転換処置
穴水~輪島 20.4km ’01・ 4・ 1 北鉄奥能登バス
※JR七尾線からの移管路線
廃止時運行本数
詳細判らず
2面3線のホームがあった
往時の輪島駅構内
※ グーグル画像を拝借
輪島駅(わじまえき)は、かつて石川県輪島市河井町にあったのと鉄道・七尾線の駅である。
2001年に、のと鉄道・七尾線の穴水~輪島間の路線廃止に伴って廃駅となった。 廃止後の駅跡は整備され、道の駅・輪島『ふらっと訪夢』となっている。 のと鉄道への転換後も、自社線に乗り入れていた急行【能登路】や和倉温泉駅からの特急列車など、JRの指定券を取り扱う『みどりの窓口』が設置されていた。
晩年には駅舎側のホーム1面と線路1線のみ使用していて、夜間滞泊も設定されていなかった。
盛時にはホーム2面3線を有し、蒸気が運行されていた頃にはターンテーブルもあった。
駅廃止前年(2000年)における、1日平均乗車人員は304人との事。
遠く・・異国の地を指し示す
輪島駅の『シベリア』駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借
使用されなくなったホームに立っていた駅名標の次駅の欄には、日本海を指す方向に『シベリア』と書かれており、駅の名物になっていた。 現在は道の駅内に設置された小さなホームに、その駅名標のレプリカが置かれ、当時の駅を偲ぶモニュメントとなっている。
『のと鉄道・能登線と漁船とカモメ』
:
のと鉄道の能登線が廃止となる前に
『撮り鉄』しようと訪ねた旅の帰りに
輪島駅の思い出があった
この駅は、2005年3月末を持って『のと鉄道・能登線』が廃止されるのを受けて、奥能登・禄剛崎めぐりも兼ねて訪ねた帰り道で訪れたのであるが、この時は何と穴水~輪島がこの時に追っかけた能登線以前に廃止されているなんて、露とも知らなかったのである。
輪島駅の使用されないホームにあった
誰かが書いた『シベリア』の落書きの駅名標
※ グーグル画像を拝借
それは今回の旅で目にした
禄剛崎より日本海を指す
『ウラジオストック 772km』の道標に
相通じるモノを感じた
まぁ、廃止ローカル線のほぼ全てが廃止・淘汰されて以降は旅のターゲットをヤマに変えていたので、この頃の辺りまでずっと鉄道から離れていたものの、ここまで下調べしないで旅してるとは、我ながら『アッパレ』なナンチャってな『○鉄』ぶりである。
旅の目的が『鉄道』から
ヤマや岬なと『景勝地』に変わり
撮るのも『風景鉄道』から
『心象風景』に変わったからとはいえ
駅が廃止になった事さえ知らなかった
っていうのも天然記念物級だな
※ ウィキペディア画像を拝借
何故知ったのかというと、「駅前で飯でも食うか」、「ついでに輪島駅の入場券も買っていくか」って事で、レンタカーのカーナビで『輪島駅』を検索すると、『道の駅・輪島』か出てきて、初めて通称・輪島線である穴水~輪島が遠の昔に廃止されていた事を知ったのである。
カーナビで出てくる検索結果に
「輪島線って本線格だろ?」って驚いたよ
※ グーグル画像より往時の輪島駅を拝借
通称・輪島線の穴水~輪島の廃止に、「輪島線って本線格だろ?」と驚くタワケには、更に驚くべき事実が隠されていたのである。 それは、このタワケが鉄道をナメきっている事の証であるが、この通称・輪島線はJR西日本の路線だと思い込んでいたのである。 そう・・、駅が廃止となって整備された『道の駅・輪島』に着くまでは・・。
道の駅となった駅跡に着くまでは
この路線か廃止となってた事は元より
通称・輪島線がのと鉄道に
移管されていた事さえ知らなかったタワケ
※ ウィキペディア画像を拝借
要するに、通称・輪島線の廃止は元より、和倉温泉から先が全てJR西日本からのと鉄道に経営移管されていた事すら知らなかったのである。 コリはたぶん、熱烈な『鉄』なら石を投げたくなるだろうね。
こんな救いようのないタワケであるが、敢えてこのタワケを弁護するとしたら、この通称・輪島線に乗ったのは30年以上前の遥か昔の国鉄時代だったって事だろうね。 この方面の事は、一緒に訪ねた能登線共々、のと鉄道に移管された能登線が廃止となる報を聞いて訪ねたこの時まで、ずっと時が止まっていた・・って事である。
言い訳になるけど
こういうのを撮るのに熱中して
鉄道の事などすっかり
忘れていますた・・ハイ
だから、国鉄当時に訪ねた時は乗って折り返しただけ・・で、「輪島駅は廃止路線でないからパス」と駅舎も撮らず、金がない事を誤魔化す理由付けをして入場券さえ買わなかったよ。 だから・・か、この時に「ついでに(あの時買わなかった)入場券を買っていくか」って事になったんだと思う。
ワテの輪島駅の足跡は
スタンプマニアだった友人に
押してもらった駅スタンプのみ
こういう事があったので、この時は人の倍は驚いたよ。 まぁ、鉄道を真摯に追っかける『鉄』から言わせると、「(驚く以前に)それ位の知識は持っておけよ!」、「コイツは鉄道の旅をナメてるな!」って事なんだろうけど。
廃止路線の終着駅跡が『道の駅』
となる事は多々ある事だが
この『道の駅』には少し気落ちしたよ
:
それは「存在する」と思ってた駅が
無くなっていたから・・
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、駅が『道の駅』となった姿を見て、「入場券を買おう」という気は消し飛んだよっていうか、『道の駅』で駅の入場券は売ってないだろうけど。 そして、飯を食う気も消し飛んだのを憶えている。
あると思ってたモノが『墓(モニュメント)』と
なっていたのを目にして愕然としたよ
まぁ、この事も「あの時(国鉄時代に乗り鉄した時の事)に、キチンとやっておけば・・」という後悔が、20年近く経ったこの時に頭にもたげたのである。 廃止ローカル線に思い入れがあるなら・・、若き時にそれを追っかけていたなら・・、大なり小なりこういう後悔はあるモノだろうけど、今回の通称・輪島線の事は己のあまりもの無作為が原因だったので、少し自己嫌悪となったよ。
この時の奥能登は
海上に竜巻が立つ程の爆弾低気圧の通過で
岩にぶち当たる波が
横飛びする程の大シケだった
この時の旅では、奥能登は爆弾低気圧の通過で、訪ねた各地の情景に哀愁を漂わせていた。
でも、『道の駅』に変わって華やかとなって、『哀愁』という言葉が全く当てはまらない輪島駅跡の光景に、「自らの不作為を知って、その後悔でうなだれる」という別の『哀愁』が漂っていたのである。
沿岸の集落には今にも
呑み込まんばかりの波が押し寄せ
海鳥に休む暇も与えない
巨大な波涛が坂巻だっていた
今回、旅の帰り際で別の『哀愁』を見つけたのを思い出して、メインページの項目では記載していなかったもう一つの・・、自らの不作為が原因の『哀愁』をこのブログの『路線の思い出』というカテゴリに書き記したのである。
でもYahoo!ってGoogleが
顔パスな位に認知度があったのに
記事を上げるだけで何もしなくても
Googleの画像検索で
上位に検索される程の力があったのに
なぜにブログサービスを止める程に
儲からなかったのだろうと考えてみる
すると答えは一つ・・
ユーザーからの信頼がないなど
信用度が今イチで広告依頼が少ないという
Yahoo!自体の不作為が原因だったんだね
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