風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第417回  田子倉湖・冬情景

『日本百景』 冬 第417回  田子倉湖・冬情景 〔福島県〕

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雪で鎖された駅・田子倉駅から望む
神秘の蒼に魅せられて

   田子倉湖・冬情景         
豪雪地帯の奥会津は雪が積り始める初冬になると、多くの道が積雪で埋まり通行止となる。 
この地域の主幹道路である国道252号線でさえも、冬季は会越の国境を越える事ができずに閉鎖されるのだ。 そして、この豪雪地帯の『奥会津』という地域の営みを維持できるように、会津地方の中心である会津若松への道の除雪のみに尽力を注ぎ、通年通行を維持してきた歴史を持つ。

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除雪が適う程に雪が解けるまで
国道252号線は約半年近く閉鎖となる

そう・・、この『奥会津』がかつて”秘境”とか”陸の孤島”と呼ばれていたのは、豪雪地帯ゆえに冬季の交通路の確保が困難で、除雪に尽力を尽くしてもなお会津若松への道が鎖された時など、しばしば孤立していた歴史があるのだ。

近年の除雪機の技術・性能の向上・発展でこの地域が孤立する事は無くなったが、それでも冬季になれば積雪2mを越える雪との闘いが課せられる地域なのである。 それ故に、「除雪の手が回らない」会越国境への道の確保は放棄され、自然の摂理に従って「雪が解けて通れるようになるまで立ち入らない」という事を、この地域に住む人々は選択したのである。 その「雪が降り始めたら立ち入らない」と定めた果ての地が、会越国境手前の《田子倉》である。

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「雪が解けるまで立ち入らない」と
決めた所に建設された
我が国最大の出力を誇る巨大ダム・田子倉ダム
※ 電源開発のウェブサイトより 

この地域に居住する人々は、「人が立ち入る事のできない冬」であっても自然の持つ巨大なエネルギーを人々の生活に供するべく、その山間で只見川を堰き止めて発電総量が我が国最大のダム《田子倉ダム》を建設したのである。

そう・・、雪と闘ってきた人々が、雪の持つ力を「生活に供するエネルギー」に転換して利用し始めたのである。 その巨大なダムを建設する為に、建設資材やダム建設に従事する作業員を運ぶべく敷設されたのが、この只見線なのである。

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 この雪の国境を越える事のできる唯一の存在が
この只見線という『鉄道』なのだ

だが建設が竣工した時点で、ダム湖の底に沈む居住地域からの移転を余儀なくされた僅かながらの住民は元より、ダム建設に従事した作業員も引き払って元の無人の秘境地帯となった会越国境に、只見線の線路だけが取り残されたのである。

だが逆に言えば、「雪が解けて通れるようになるまで立ち入らない」という会越国境を、冬の積雪時でも越える事のできる唯一の交通手段となったのである。 そんな「この地の歴史」を紐解きながら、田子倉ダムや只見線を訪れるのもいいかもしれない。

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若き日の『奇跡の体力』にかまけて
『究極のアホ』をやってますた・・ハイ

・・で、筆者のワテであるが、かつては冬季であっても営業して列車も停車した《田子倉駅》より、長大な時間潰しの目的を果たすべく、”ラッセル”して田子倉ダムまで行った経験があるのだ。

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田子倉湖へのラッセル行の途中で
唯一撮ったと思われる雪の鬼ヶ面山

まぁ、それは30年も前の事で、若さと登山の部活で培った『奇跡の体力』を保持した現役の頃だったから成し得た事なのであるが。 その時は《田子倉駅》からダム堰堤上までの4kmを2時間半程かかったが、行程の半分近くがトンネルやスノージェートで覆われてラッセルの必要がなく、思ったより早く行けたよ。

でも、「今はムリ!」っていうか、《田子倉駅》が’01年の冬季閉鎖となってからは冬にこの地に降り立つ事ができなくなったし、その《田子倉駅》自体が’13年春のダイヤ改正で廃駅(’11年7月に発生した『新潟・福島豪雨災害』によって只見線が不通になった際に閉鎖され、路線が復旧した’12年10月以降も列車は通過の処置が取られ、実質は’11年7月以降は駅閉鎖状態であった)となってしまったしィ。

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でも現代の力を持ってして
「ムリ」ではなくなったのだな
それは只見町の『観光まちづくり協会』で
『冬の田子倉ダム見学ツァー』なるモノが催され
参加者は苦も無くダムサイトに上れるから
※ 只見町・観光まちづくり協会のウェブより

・・半分「命懸け」のラッセル行だったので、ダムまでの途中では写真など撮る余裕もなく、田子倉ダム(もちろん冬は閉鎖中)に着いてから撮った田子倉湖の写真以外はほとんど撮ってないので悪しからず。
でも、ダム堰堤に着いた途端に、神秘的な濃い蒼を魅せる田子倉湖へ雪中を駆けていった熱き感情の高揚は憶えているよ。

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閉鎖国道をラッセルして
たどり着いて目にしたモノ
それは澱みのない深い蒼だった

それでは、その時の感動を・・、そして二度と撮る事が敵わぬ『奇跡の映像』を・・。 ラッセルという苦難の末に辿り着いたダム堰堤から魅せられた思い入れのある写真を・・、田子倉湖の「吸い込まれるが如くの深い蒼」をごろうじろ。

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その魅せられた『蒼』は
吸い込まれるような深い『蒼』だった

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その神掛かった神秘の深い蒼に
呆然と立ち尽くしたのを今でも憶えている

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ヘタった今では絶対に魅る事が不可能な
秘めたる冬の湖の情景だ

この時に魅せられた湖水の「吸い込まれるような濃い蒼」の虜になって、しばらくダム湖めぐりに夢中になったしィ。 それに、この年のゴールデンウィークも、《田子倉駅》から開通直後で除雪したての国道252号を歩いて《田子倉ダム》を再訪したし・・ね。 その時は、所要1時間足らずだったよ。

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国道252号線が開通となったその日に
田子倉ダムまで行った時は

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歩いて一時間足らずだったよ
でも雪が解けて迫力も乏しく
あの時の感動は無かったよ

でも、苦も無く行けたこの時に、全身からほどばしるような熱き感動は無かったなぁ。
そして心なしか、空模様も湖の色もくすんでいたっけ・・なぁ。


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No Subject * by 鳳山
奥会津、田子倉湖、実際に現地に行けない私はゴーグルマップを見て現地を想像するだけです。新潟県境に近い山の中にあるんですね。

Re: No Subject * by  風来梨
鳳山さん、こんばんは。

> 奥会津、田子倉湖、実際に現地に行けない私はゴーグルマップを見て現地を想像するだけです。新潟県境に近い山の中にあるんですね。

この田子倉湖の下流が奥会津の只見で、幕末の長岡藩士・河井之介終焉の地ですね。 日本の国で1~2を争う豪雪地帯で、田子倉湖を通る国境越えの国道は11月末~4月末の約半年近くが閉鎖となり閉ざされます。

だから、この峠越えの道は、実際の距離の10倍の距離を示す程の困難があると、六十里越・八十里越の名がついている所です。

冬は1日三往復の只見線列車だけが会越国旗ょを越える唯一の交通手段となりますね。

近代日本の技術をもっても、自然は制覇できないのですね。

コメント






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No Subject

奥会津、田子倉湖、実際に現地に行けない私はゴーグルマップを見て現地を想像するだけです。新潟県境に近い山の中にあるんですね。
2020-02-13 * 鳳山 [ 編集 ]

Re: No Subject

鳳山さん、こんばんは。

> 奥会津、田子倉湖、実際に現地に行けない私はゴーグルマップを見て現地を想像するだけです。新潟県境に近い山の中にあるんですね。

この田子倉湖の下流が奥会津の只見で、幕末の長岡藩士・河井之介終焉の地ですね。 日本の国で1~2を争う豪雪地帯で、田子倉湖を通る国境越えの国道は11月末~4月末の約半年近くが閉鎖となり閉ざされます。

だから、この峠越えの道は、実際の距離の10倍の距離を示す程の困難があると、六十里越・八十里越の名がついている所です。

冬は1日三往復の只見線列車だけが会越国旗ょを越える唯一の交通手段となりますね。

近代日本の技術をもっても、自然は制覇できないのですね。
2020-02-14 *  風来梨 [ 編集 ]