2020-01-30 (Thu)✎
路線の思い出 第363回 只見線・会津桧原駅 〔福島県〕
冬でも駅寝に耐えうる環境なのに
「トイレがない」という残念な駅・会津桧原駅
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
会津若松~小出 135.2km 304 / 258
運行本数(’20)
会津若松~会津川口 6往復 ,会津若松~会津坂下 1往復
会津川口~只見 バス 下り6便・上り7便 、只見~小出 3往復 、小出~大白川 1往復
※ ’11年7月の豪雨災害により会津川口~只見の区間が不通となり、
この区間は現在バス代行輸送となっています。
会津桧原駅(あいづひのはらえき)は、福島県大沼郡三島町大字桧原にあるJR東日本・只見線の駅である。 単式ホーム1面1線を有する駅で、会津坂下駅管理の無人駅である。 ホーム上には待合室が存在する。 2004年度の乗車人員は、1日平均11人との事。
1941年に只見線が会津柳津~会津宮下を延伸開業した時に仮停車場扱いで開業し、翌年正規駅に昇格している。 開業時からの駅名は(会津)『檜原』と表記(読み方は同じ)していたが、1994年に『桧原』に改称している。
冬の第一只見川橋梁を渡る只見線列車
小出方面の列車は当駅から再び只見川に沿う。 会津西方駅との中間にある第一只見川橋梁は絶好の撮影ポイントとして有名である。
会津桧原駅は、今から30年も前に只見線に初めて乗車した時に駅寝&只見線初『撮り鉄』をした思い出の駅である。 その時は「今も・・」だが駅にトイレがなく、トイレを借りに近所の民家の戸を叩いた事が強く記憶に残っている。
同じトイレがないなら
雰囲気的にはコチラが上かな
※ グーグル画像を拝借
その時の駅舎は今のようなデザイン化されたモノでなく、掘っ立て小屋系の待合所であった。
その待合室内の長椅子の端に、その年の前年1年分の少年ジャンプ50冊が1号も欠ける事なく並べてあって、トイレ以外は快適な駅寝環境の駅だったよ。 もう、駅寝しながら「自宅でゴロ寝感覚」で過ごせた一夜だったよ。
この時は木に登って
枝を跨いで撮ったっけ
:
コレ・・傍から見れば凄いのでは!?
その時に撮った写真おば・・。 何も考えんと撮ってますなぁ。 この時は只見線に訪れる『撮り鉄』ならば誰もが知っている、絶好のスポット・第一只見川橋梁を知らずにいた『オチャメ』極まるタワケであった。
この橋の名称・・なんだろ?
この時のワテにはこれが『第一橋梁』だった!?
ちなみに、このあまりにも有名な『撮り鉄スポット』を知ったのはこれより約30年後の数年前である。
その知り得たキッカケは、ワテのホームページの撮影旅行記集『奥会津・大白川の四季』作成の際に下調べした時・・という『奇跡の人(タワケ)』ぶりだったのはヤブの中に。
第一橋梁は知らずに撮り逃したけど
それ以上にプレミアムな
急行【奥只見】は撮れますた
さて、その再訪は、前述の『奥会津・大白川の四季・冬』に載せる写真を撮るべく・・の事である。
この再訪した年も近年ずっと続く暖冬傾向で、奥会津一帯も同様に雪が少なく「今イチ」の感があった。 その状況で『冬の奥会津』を最も感じたのが、この会津檜原の一帯であった。
雪が少ないと言われたこの年でもこの豪雪
この会津檜原の一帯は、国道より離れて只見川の方へ下った狭い土地に寄り添う小集落だ。
この地の主幹道路の国道252号線が、三島町の町の中心である会津宮下よりトンネルで只見川の南側を直線的に抜けるのに対して、鉄道の只見線は只見川の周囲に点在する小集落に立ち寄るべく縫うように只見川を橋で渡っている。 その只見川に架かる橋々が、只見川の流れと調和した素晴らしい情景を魅せている。
静寂な時を魅せる冬の只見川
集落は駅前を通る県道沿いに軒を連ねていて、その民家はいずれも豪雪地帯の民家らしく、ほぼ全ての民家で玄関に雪囲いが設けられている。 この地に住む人の冬の日課は自宅前の除雪と、もはや生活必需品となった自家用車の屋根の雪下ろしや、車を発進できるように自宅前道路の除雪だろう。
除雪は大変な作業で、住民の方々が総出で除雪作業に取り掛かっていた。
今と30年前と変わらない事
それは1日に12回という
時がほんの少し動いたような気のする瞬間
その除雪作業がひと通り片付くと、再び静寂な時が流れ始める。 秋には収穫物が天日干しされるなど華やかな情景となる周囲の段々畑も、今は深い雪の中に埋もれて沈黙の時を迎えていた。
そんな中で1日に12回・・、上下6往復の列車が駅に到着する時間だけ、時がほんの少し動いたような気がする。 そして列車がゆき過ぎると、再び静寂な時となるのである。 冬の会津檜原は、そんな情景が繰り返されるのだろうか。
只見川に架かる橋の中でも、最も景観の優れた橋梁の《第一只見川橋梁》に最も近い駅・・、それにも関わらず始めて訪れてからその存在を知り得るまで延々30年もかかったのが、この会津桧原駅である。
第一只見川橋梁周辺位置図
この《第一只見川橋梁》の撮影の『お立ち台』は『道の駅・みしま宿』にあるが、前述の如くこの年は暖冬で雪が少なく、冬情景としては物足りないモノであった。 なので、この『お立ち台』から見えた川の畔から、第一橋梁の裏側を狙う事にした。
この年の『お立ち台』からの情景は
雪が少なく物足りないモノがあった
その川の畔への道は知らなかったが、携帯の地図を見て適当に見当を着けて行ってみる。
只見線は会津宮下から会津桧原まで、蛇行する只見川に沿っていくので大きく迂回しているが、前述の如く国道はトンネルで一直線に刳り貫いているので、《第一只見川橋梁》の撮影スポットのある『道の駅・みしま宿』から会津桧原駅まで、2km程の歩く事が可能な距離となっている。 但し、1km近くの車がかっ飛ばすトンネルを、カンテラかざして歩かねばならないが。
「トイレのない」残念なこの駅のお陰で
駅寝場所の選定基準が
『トイレの有無』となったよ
国道から只見川の方へ1km程下った県道と集落道の交点にデザイン駅舎に建て替えられた会津桧原駅がある。 スペース的には駅舎内にテント設営可能で締め切り可能な駅寝環境上々の駅だが、やっぱりトイレがなかった。 なので、夜飯の自炊だけに留める事にする。 ちなみに、この日の宿泊場所は、駅前道路を跨いだ先にウォシュレットトイレ設置の『道の駅・かなやま』がある会津中川にしたけど。
翌日は会津中川からここまで
この列車に乗ってきた
:
第一橋梁シクジリの保険の為に
一枚撮る小市民なワテ
それでも雪が少ないのは
30年前の冬のこの写真を見れば解るだろう
さて、この会津桧原駅から集落道を会津宮下方向に歩いていくと、集落の端を越えて川の畔にある農地や砂利捨て場へ続く農道があり、只見線を警報機ナシの踏切で渡ると、川の畔へ向かって急坂で下る。
もちろん、今の冬は踏切の500m手前で雪の噴き溜まりとなって、川面まではラッセルとなるけど。
この道は通年あまり使われていないようで、春に訪れた時も雪の中に埋まっていた松の落ち葉や枝が道を埋め尽くしていたよ。 この坂を下ると川の畔へ一直線に続いていて、川の畔まで出ると、第一橋梁の裏側からの川面をクローズアップできる絶景が広がっていた。
第一橋梁の裏側は
川面がクローズアップできる絶景だった
川の畔に着いて程なくにが降ってきて、程なく風も吹きつけて小吹雪状態となった。
吹きっさらしの所で小吹雪は身体的にはキツいけれど、『撮り鉄』としては待ちに待った状況であった。 それでは、その小吹雪の中で心がホットとなった写真をごろうじろ。
着いて程なく吹雪きだして
待ちに待った情景となった
吹雪く中で手持ちで撮ったから
少しピン甘・・かな!?
吹雪く情景を最も
感じさせるのがこの1枚
ブログ村内の自押しブログの特徴
関わると危険な目に遭いかねないので
数回に分けて羅列しよう
毎日同じ数のinポイント数が下がり
下がった分だけ継ぎ足される
恐らく1週間前に自押しした
ポイントが削除されて
その分を自押しで補うからだろう
in数値とout数値がほぼ同じ
inを自押しした後に自ブログのoutを
押して戻るからだろう
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