風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第412回  冬の花輪線と岩手山

『日本百景』 冬 第412回  冬の花輪線と岩手山 〔岩手県・秋田県〕

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この年の年末年始も雪がなく
通常では雪原となる田圃も土が見えていた

年末年始の『東北・岬めぐり』の旅の写真が現像から上ってくるのは来週・・。 なぜ、そんなに日数がかかるかというと、1週間単位でフイルム現像を依頼する少ない顧客を集めて、まとめて処理するからである。

でも、フイルムというユーザーが消費してくれるモノがあるから、写真業界が商売できたのにね。
今では、消費してもらうべく買ってもらえるモノがなくて、カメラ業界自体が傾いているけど・・ね。
とどのつまり、カメラ業界に先を見通す『眼』が無かったって言う事だぁね。

さて、下らぬカメラ業界事情は置いといて、来週に掲載する(したいなぁ・・、でも写真が今イチならどうしよう)『東北・岬めぐり』の景勝地へのつなぎとして持ってきたのが、今回の『花輪線と岩手山』である。

この記事の選定には、少なからずの思惑が錯綜しているのである。 それは、当初は冬山の記事を載せようとしたけど、冬山の記事ってあまり見てもらえないのよね~。 それは、一般の閲覧者にとって冬山は、「遠く縁のない世界」だからねぇ~。 1月のトップページの宝剣岳は結構凄ましい写真だけど、ほとんど見向きされなかったしィ。

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単行運転で事足りる花輪線の如く
「消えかけのローソク」なこのブログ維持の秘策は
『旧国鉄車両』の写真掲載だったりする

逆に、「あけおめ」記事の『撮り鉄』写真は、この『消えかけのローソク』ブログではトップクラスの閲覧者数だったみたいだし。 でも、ブログ村で低次元のデットヒートをしている『山・高原』部門での1位はキープしたいしィ・・という事で、人気の稼げる『撮り鉄』写真と冬山写真をコラボする事にしますた。
あぁ、何て下種な下心なんでしょう。 それもこれも、全て「消えかけのローソクの灯」を絶やさぬ為の事と理解くださいませ~。

・・という事で、今回は国鉄時代の車両が走っていた花輪線と、美しい雪の峰のシルエットを魅せる岩手山とのコラボ記事おば・・。 なお、さすがに今のヘタレでは冬はムリなので、岩手山はこの夏の記事を当てはめようかと。

・・さて、年末がやってきた。 しかし、かつての根性はなく、真冬の山へ繰り出す元気もない。 
まぁ、脳内妄想的には大いにあるのだが。 という訳で、今年も『○鉄』に染まったベタベタの旅を敢行しようと思う。

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ワテの旅は行程は何の下調べもせずに
いつもドタバタでオチャメなものの
写真撮影ではそれなりなモノが撮れる不思議

旅の始まりは今回もドタバタであった。 この年は、出発日である12/30まで仕事だったのだ。 
仕事後の“打ち上げ”がなかったので少し早く帰ってきたものの、帰宅してからパソコンを前にボーッとしていたら、出発リミットの30分前となっていた。 実は、この30分で風呂に入って、旅の衣(ダウンジャケットとか・・ですね)に着替えて、登山靴(真冬はコレに限る)を履いて出発。 

その時は出発リミットの19:50を3分ばかり過ぎていた。 これではマスいので、ザックを担いで登山靴を履いたまま自転車で最寄り駅へ。 これで、3分のタイムオーバーを取り戻した訳である。
ちなみに、この時のタイムリミットは、大阪駅20:30発の新快速に乗車する事だったのである。
これに乗れなければ、大垣で〔ムーンライトながら〕に乗り継げないからである。

だが、このように慌てふためいたお陰で、いきなり携帯時計を失ってしまったよ(液晶画面が割れた)。 『撮り鉄』旅に出かけて、いきなり必需品の時計を損失する所に、この旅の波乱の前兆が示されているのだろうか。 僅か2分の接続で新快速に乗り込み、何とかこの件はクリアできたのだが。 

“リミット”を無事クリアして余裕ができた所で、車窓を覗いてみる。 しかし、全く雪がない。 
例年は、米原~関ヶ原は白く染まっているのに。 そうこうしている内に大垣着。 予定通り、臨時快速【ムーンライトながら91号】に乗り継いで東京へ。 去年と違う事は、今回の目標が超ローカル線の岩泉線ではなく、割と運行本数のある花輪線なので、盛岡着の時間に縛られない・・という事である。

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定期の〔ムーンライトながら〕は
1ヶ月前の指定席販売の瞬間に満席となり
辛うじて臨時便の席が取れるのみ
※ ウィキペディア画像を拝借

かつての特急車輌(485系だと思う)の“あまり倒れない”リクライニングなれど、時間の“課せ”がないとよく眠れる。 目覚めたのは、品川を出た直後であった。 大垣を19分も先に出て、東京到着は本列車の5分後という陰険な設定の臨時列車は何事もなく東京着。 山手線ホームで12~13分待たされて上野へ。

でも予想外に、上野5:10発(去年の旅では乗車必須の列車)の東北本線の普通列車に乗れたよ。
という事で、前年の5分稼ぐ為の「沼津での本列車への乗り換えの苦労」は何だったのかという新たなる疑問が、この列車の乗車中に発生したのではあるが。

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岩泉線を訪れた前回は5分早く着く
定期列車に沼津で乗り換えねば
シンカンセン料金の出費が増えた
※ ウィキペディア画像を拝借

後は、宇都宮・黒磯・郡山・福島・仙台・一ノ関と乗り継いで、盛岡16:56着。
前回はこの盛岡に16:30までに着かねばならなかった故に郡山~福島で新幹線に乗らされるハメとなったが、今年は余裕である。 一ノ関では銭湯にも入れた位だから。 盛岡17:46発の花輪線列車で今日の“寝床”に向かうのだが、もう花輪線は完全にJRから独立しているが如く、移管された『いわて銀河鉄道』のホームから発車する。

乗車する花輪線の列車は、久しぶりに“お会い”する名車・キハ58である。 だがJR東日本では、かなり酷い扱いをされているみたいだ。 冷房装置は撤去され、クーラーのあった所は扇風機の取りつけた鉄板で埋めてあった。 

そして、何より酷く感じたのは車窓周りだ。 何と、コーナンで売っているような透明ビニールテープで目張りしているのである。 全ての窓という窓を・・である。 しかも、その張り方がぞんざいで、エアーを咬んでるわ、シワついてるわ・・と、目にする度に“ものの哀れ”を感じるものであった。
キハ22とかが在籍したなら、あの車輌たちもこのような目にあったのだろうかと思うと気が重くなる。

そして、定刻通りに発車したものの、いきなりトラブル。 次の駅の《青山》でエンジンを噴かすものの発進できない。 つまり、液体変速機かブレーキ、はたまたドア閉め信号系統の故障である。
異邦人(旅人)であるワテは、平静を装いながらも心の中では焦りを抱いたが、周囲の乗客は平然そのもの。 向いの席の高校生などは、ケーキやお菓子をバリバリ食っとる。 まるで、これらのトラブルは日常茶飯事だとでもいうが如く。 

車掌氏と運転士が懐中電灯を手にワタワタと床下機器の点検をしていたが、トラブル原因は発見できなかったようである。 仕方なしに“エンジン噴かし”のリトライを続けると、4回目に“引っ掛かった”ようで、車掌氏より「お待たせ致しました。 当列車は車輌故障の為、青山駅20分遅れで発車致します。 お急ぎの所、真に申し訳ありません」とのアナウンスが流れ、列車は動き出した。

まぁ、ワテは、キハ58という車輌が好きな『○鉄』だから気にも止めないが、列車目的でなければこの車輌に限りない不安を抱くのだろうな。 列車はその後何のトラブルもなく、そのまま20分遅れで目的地の北森駅に到着。 

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今の北森駅は市役所庁舎の隣と
駅寝ができない駅となってしまった
※ ウィキペディア画像を拝借

さて、話を変えて、なぜこの北森駅に下車したかというと、この駅は岩手山と八幡平を望む最も適した位置にある駅だからである。 花輪線は、昔々に自身の一番お気に入りの写真を撮った事のある路線なのだが、その後が続かず密かに“一発”を狙っていたのであった。

取り敢えず、前回の岩泉線で味をしめた手法で、飯を炊きながら夜間のバルブ撮影。
でも、過疎地帯の岩手和井内とは違って、ここにそびえる山々の山麓は観光地であり、リゾート地なのである。 夜でも、山麓のスキー場のゲレンデと思しき所が、煌々とライトアップされているのである。

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前回の岩泉線で味をしめて
「2匹目のドジョウ」を狙ったのですが
もっと絞り込むべきでした

そして、周囲を見渡せば、雪どころか田圃に霜の一つも降りていない始末。 これでは、夜の情感が出し辛い事この上ないのである。 ・・で、結果がコレです。 もう少し絞り込むべきでしたね。
星がライトアップの光で飛んでいますよ、困ったもんだ。

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山がテールの帯に隠れちまった

北森駅は待合室が駅ホームより一段下にあり、また土間が縦にテント2張り分位の細長い造りで、駅舎内テント設営が可能な“育ちのいい”駅だった。 扉も“生きている”ので締め切る事もでき、何よりもトイレが障害者用のトイレもある建て直し版公衆トイレだったので、すごぶる快適な『STB』(ステーション・ベット・・つまり駅寝)ライフが過せるのであった。 

それと、これ程までに雪がなければ暖かく、湯タンポなしでも十分であった。 温度計付時計を行きがけに壊してしまったので気温は判らないが、たぶん+3℃~4℃位はあっただろう。

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駅移転前の北森駅
中テント可能に駅前広場に高機能トイレ
背後は美しきシルエットを魅せる岩手山と
『撮り鉄』『駅寝』に絶好の駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借

翌朝起きたのが5時前。 快適すぎて寝過ごしちまったよ。 始発が6:27なので、6時までにテントを撤収すればいいだろう。 朝の『おせち料理』(カツオ・シャケ・五目・チャーハンとバラエティに富んだコンビニおにぎりと具ナシカップスープ)を頂いて、取りあえず「明けましておめでとうございます」。
これを食って、もとい食してテントを撤収して行動開始。

最初のターゲットである6:27の列車であるが、まだ日の出には早く薄暗いので昨日の夜と同じくバルブ撮影を試みた。 だが、空が明るくなるのが異様に早く、このままバルブを続けていると真っ白に飛んでしまうので、途中で諦めて結局は狙えず終い。 出来上がった写真も、見事に白飛びしていた。
日の出は7:00前のようだ。 「北に位置する程に夜明けが早い」というのを忘れていたよ。

気を取り直して、6:47の列車は手持ちで横から撮る事にした。 だが、手持ちとなると光量不足で1/8位までしかシャッター速度が稼げない。 仕方がないので、駅のライトを利用して1/15まで引き上げて撮る事にする。 このように窮屈に撮ったので、当然ながらアングル的には今イチなものであった。
せっかく、旧国鉄色だったのに。

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始めはボツのお蔵入りだった6:47の列車は
現像してみると案外いいデキだったよ
失敗したと思ったモノが後に昇華する
これがフイルム写真の醍醐味だ

上下始発の2本は戦果が今イチであったが、御来光が出てすぐさまの7:26の列車は、周囲がほのかなオレンジ色に照らされた中だったので、かなり手応えがあった。 この写真を撮るに当って考えた事は、岩手山を入れつつ駅ホームを入れないで、広めの視界を持って撮るという事である。 なぜなら、位置的に岩手山が北森駅ホームとカブっている事と、この撮影地が見た目程に横に広くない為である。
広く見えても実際に線路は、駅から田圃2反ほどで民家の影に隠れてしまうのである。

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雪はなかったが
朝の光が周囲をほのかに染めてくれた

次の列車は、7:44の下り(大館行)だ。 8時前ともなるとさすがに朝の雰囲気も薄らいでいくので、同じアングルではしっくりとはいかない。 それ故に、僅か18分で撮影地点探しだ。 18分では到底時間が足りないものなのだが、ここは先程にも記した様に手狭な所なので、撮影可能地点の左端から右端へ行くのに5分とかからない。 

そして、田圃の他にあるのは民家の軒先にある葉の落ちた立ち木のみなので、消去法を使うまでもなく撮影地点が決まるのである。 岩手山を入れつつ駅ホームを入れないで先程と変えたモノを撮るには、国道から立ち木をかざして撮る以外にないのである。

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朝日の輝きも一段落ついたので
今度は葉の落ちた立ち木を入れてみた

幸いこの立ち木にはまだ朝の光が残っており、岩手山のに掛かる雲のアクセントも効いて、思い描く通りの構図が得れたのである。 真ん中のショットと木に半分隠れたショットを撮ってみたのだが。

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手巻き式のカメラで撮ると
意図せずとも2枚目は
車両の半分が枯木に隠れます

だが、この撮影地点も、時が経つにつれて完全な逆光となって、次が使えないのである。
ちなみにこれは、次もこの地点で撮った筆者が見事自爆した体験に基づくものである。 アーメン。

日が上がるにつれて岩手山はドンドン白く飛んでゆき、10時の列車の頃には完全逆光となっていた。 
これは使えないので、背景を岩手山から八幡平に代えて構図を探してみる。 まぁ、ありきたりだが、刈り田を広角でアオリながら撮るのがいいかな・・と。

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今度は刈り田と八幡平の構図で
狙ってみる

でも、この日は『超』がつく程の小春日和で、田圃の霜は見る見る内に解けてぬかるみと化すのである。 畦は泥土化して、足を踏み込むとズブズブと埋まっていく。 左端の画像と右端の画像を見たら解る事と思うが、東北の正月とは思えぬ程に見る見る内に霜が消えていくのである。

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2時間経っただけで
こんなに雪が解けるとは

まぁ、何だかんだいっても、絶好の小春日和の下での楽しい半日であった。 小春日和に誘われて付近をブラブラ散策するなど、鉄道撮影だけに熱中しなかったのが羽根を伸ばせて良かったのかな。
でも、二十歳の頃に撮ったあのお気に入り画像には遠く及ばないな。 歳を経る毎にウデが退化しているという事は、もはや変えようがない事実となっていた。

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北森駅は「駅寝の神様の宿る駅」でした

12:46通過の快速〔八幡平〕で撮影を切り上げ、13:35発の大館行に乗り込む。 列車は、旧国鉄色のキハ58だったよ。 列車が動き出すとかつての記憶を取り戻すべく、眠たい目を擦りつつ車窓を眺める。
特に眺めたかったのは、ワテの『一番のお気に入り』を撮った湯瀬渓谷のあの橋だ。

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一面に白い綿帽子を被ると
旅気分が大きくなる
昔の方が『撮り鉄』に情熱を
傾けていただけに上手かったね

「記憶は曖昧となると都合よく美化される」との習し通り、自分の記憶が美化されている事に愕然とした。 湯瀬の駅前が限りなく貧相に見えたり、記憶にないデカイ高速道路の下を鉄路が潜ったりして、正直言ってガッカリしたのである。 でも、ワテが二十歳の頃も、高速道路はあったはずなのである。
そして、あの鉄橋を目にしても、かつての情感は湧かなかった。 雪が全くなかったせいもあるが、その前に見た高速道路の高い柱が情感を呼び起こす邪魔をするのだ。

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アレから鉄道から離れて
渓谷めぐりに夢中になったよな

そうこうしている内に大館の平野部に入り、単調な風景に眠さがピークになりかけた頃、大館の駅に着いた。 大館の駅に着く前、花輪線のレールは大きく迂回して駅西端のホームに入る。 大館の街は、地方の小都市を絵に描いたようなもので、砂漠のオアシスの如く田圃が広がる原野の中に駅ビルがポツ然とそびえ立っていた。 

これは花輪線の列車が大きく迂回したから見えたのであるが、列車が大きく迂回したこのただっ広い荒涼とした空地はかつての鉄道の栄光の跡だったのである。 それは、鉱山から鉱物資源を運んできた貨物列車たちの『ヤード跡』であったのだ。 相次ぐ閉山やモータリーゼーション化で行き場をなくした『鉄道の栄光』の象徴は、何時しかレールを剥ぎ取られて再利用もままならぬ荒涼とした空地と成り果ててしまったのだろうね。



全くのノーマークだった
ブログ村の『山・高原』が
風雲急を告げてきたよ

1ヶ月もロクに記事を上げないのに
自らのinバナーを必死にコンボ押しする
コスい奴が1位を死守し始めたから




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