2020-01-13 (Mon)✎
路線の思い出 第360回 函館本線・函館駅 〔北海道〕
駅舎は新しくなったけど
旅客を思いやる心は失われて・・
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
函館~旭川・七重~大沼~森 465.7km 10649 / 105
廃止区間と営業キロ 廃止年月日 廃止時運行本数 転換処置
砂川~上砂川 7.3km ’94・ 5・16 6往復 北海道中央バス
’20年・運行本数
函館発着列車
特急【北斗】12往復 (函館~札幌)
快速〔はこだてライナー〕 8往復 (函館~新函館北斗)
普通〔はこだてライナー〕10往復 (函館~新函館北斗)
普通 12往復 (森・長万部方面行)
道南いさりび鉄道
普通 (函館~上磯) 下り11本・上り9本
普通 (函館~木古内) 9往復
函館駅(はこだてえき)は、北海道函館市若松町にあるJR北海道・函館本線の駅である。
函館本線の単独駅かつ起点駅であるが、隣駅の五稜郭駅から分岐する道南いさりび鉄道線の列車がすべて当駅発着で運転されており、事実上は乗り入れ路線は2路線となっている。
頭端式ホーム4面8線を有する駅で、ホームと駅舎は段差のないバリアフリー構造になっている。
1・2番線はホーム延長が短く電化されていない為(かつて旧3・4番線の頃は電化されていたが、新駅舎建設のため撤去された)、函館本線・道南いさりび鉄道線で気動車で運行される普通列車のみ入線可能である。
これぞ終着駅って感じの
駅構造だった函館駅
8番線は機回しができる構造となっており、快速〔海峡〕の青森折り返し列車が原則としてこのホームを使用していた。 函館運輸所から出区した列車は青森方面に機関車を連結し、推進運転で5~7番線に入線した。 寝台特急【日本海】も同様であった。 また、函館本線の特急列車と津軽海峡線の特急列車は、原則同一ホームでの乗り換えとなっていた。
直営駅であり管理駅でもあるが、当駅は自駅のみの単駅管理となっている。 自動改札は常時稼動、有人改札は列車到着の20分前から行う。 JR北海道が提携しているデンマーク国鉄との共同作業によってデザインされた5代目駅舎が、2003年6月21日より使用開始となった。 2016年度の1日平均乗車人員は3,370人との事。
玄関駅という「始まりの駅」を
シンカンセンの呪縛に憑りつかれて
自ら棄ててしまった
北海道新幹線の開業で本州方面のターミナル駅の役割は新函館北斗駅に移っているが、渡道客のほぼ全てと言っていい程に旅客機やカーフェリー便を利用しており、ほとんどターミナル駅としての体をなしていない。 本州方面のターミナル駅の役割は、本州方面との乗り換えが容易かつ通しで利用できる安価な切符(『青春18きっぷ』や『東日本・北海道パス』など)があった為に、シーズン中を中心に北海道新幹線開業以前の方が活発であった。
特急【白鳥】や夜行急行【はまなす】など、本州との連絡を担っていた在来線の列車は全て、北海道新幹線の開業に伴い運行廃止された。 この為に深夜帯の列車発着が皆無となり、0時15分~5時00分の間の駅舎は閉鎖処置が取られている。
駅舎1階にはみどりの窓口、ツインクルプラザ函館支店、JR線自動券売機、指定席券売機、いさりび鉄道線連絡乗車券用自動券売機、自動改札機(Kitaca非対応)、北海道キヨスク、セブン・イレブン、函館市観光案内所がある。
駅舎2階には飲食ゾーン、クロネコヤマト宅配受付コーナー、図書館『いるか文庫』がある。
以前は書店があったが2018年2月28日に閉店し、現在は1階のセブン・イレブンで一部の書籍を取り扱うのみである。
国鉄色の列車が走ってた頃は
美しい駅の思い出が数多くあった
函館駅で今でも時折思い返す情景は、ワテの若き日・・かつて函館駅が青函連絡船との接続駅だった頃に、深夜の連絡船便から乗り継ぎする特急【北斗】や【北海】の停車するホームへ駆けていく最中に、駅のカクテルライトに輝く夜明け前の雪灯りである。 もう、雪が舞っていれば、思わず急ぐ足を止めて傍観した事もあった。←そのせいで、7~8割が席が取れずデッキの立席だったよ。
この時は周遊券全盛時代で、特急の自由席でをゲットするべく急いでいて写真など撮る余裕はなかったが、今に思えは特急など1本くらい逃してでも、あの感動的な夜明け前の北海道上陸のシーンを撮っておくべきだったと悔やまれるよ。
でも、そんな美しい情景だった函館駅も、旅客やカーフェリーにほぼ全ての旅客シェアを牛耳られて「全く旅客の需要見込みのない」シンカンセンの開業によって全て失われてしまったのである。
まぁ、料金が早割の旅客機より高く、道都・札幌まで4倍の時間がかかるシンカンセンに需要が見込める訳がないのである。
また、レンタカーなどの車もシンカンセンを乗り継いでわざわざ函館で借りる必要などなく、旅客機で札幌に向かって借りれば済む事で、マイカーならカーフェリーが重宝するし、旅客単独ならばカーフェリーはとにかく安く北海道に渡れるのである。 こうして、得るものは全くと言っていい程になく失うものが数多と、北海道シンカンセンの開業は『ハイリスク・ノーリターン』状態となっているのである。
そして、その『ハイリスク・ノーリターン』のツケを在来線に転嫁して在来線を減便・廃止淘汰して、更に利用し辛く・・更に客離れを呼び起こしているのである。 現に去年廃止となった石勝線の夕張支線の年間の赤字額は北海道シンカンセンの産み出す赤字額の1~2日分で、JR北海道の赤字額の40%近くが北海道シンカンセンなのである。
そんな『ハイリスク・ノーリターン』なシンカンセンの開業を2年後に控えた頃の函館駅・・、JR北海道が赤字に首が回らなくなって久しくなった頃に、この函館駅での思い出があった。
函館に訪れたのは
路線廃止の決まったこの線を
『撮り鉄』する為である
それは、「北海道シンカンセンの開業の妨げとなる」との理由で廃止淘汰が決まっていた江差線の末端区間を訪れる為に函館に立ち寄ったのだが、この時はまだ夜行急行【はまなす】が健在で、シーズン中ならば「夜行列車での立席」が強いられたほどに混んでいたのである。 まぁ、平日は閑散だっただろうけど。
でも、今のシーズン中でも閑散のシンカンセンよりは、はるかにマシな状況であった。
そらそうであろう。 玄関口の青森・函館では同じホームで乗り換えができ、しかも自由席ならば車内で急行券を買えば済み、朝目覚めれば札幌に着いている夜行急行【はまなす】は、旅客シーズンに北海道へ訪れる旅人として費用も時間もムダがなかったのである。
江差線に初めて乗ったのは遅く
廃止の5年前だった
:
函館って乗り辛いんだよね~
江差線の末端区間の廃止の年の年末年始に、その夜行急行【はまなす】で函館駅を訪れた時のエピソードが今回の『路線の思い出・函館駅』なのである。 まぁ、札幌に向かうならばシーズン旅行者にとって極めつけに便利だった夜行急行【はまなす】も、途中駅の函館の通過は深夜の1~2時と厳しい時間帯であった。
だが、『乗り鉄&撮り鉄』のセオリーとして始発列車の乗車は必須条件だし、また函館駅で江差線の乗り継ぎの対応もあると踏んでいたのである。 その対応とは、深夜に急行【はまなす】で函館に着いて、江差線始発の6時まで駅の待合室で仮眠する事であったのだ。
廃止となった江差線の末端区間は
重苦しい情景を魅せる路線だったよ
それは何もワテのような江差線目当ての俄か乗客だけでなく、デカいトランクケースを従えた家族連れの帰省客も多くいたのである。 そう、やはり費用の事を考えると旅客機を敬遠して、鉄道を利用する帰省客も数多くいたのである。
だが、『北海道シンカンセンの開業』という自滅に向かって一直線であったJR北海道は、せっかく利用してくれた旅客に対しての心配りもハショりだしてきたのである。 ワテが着いた青森発の急行【はまなす】が函館に着いたのが午前1時前で、「深夜なのにこんなに下りるのか」と思う位に函館駅で下りたのである。 そのほとんどがワテのような江差線目当ての『鉄』ではなく、トランクケースを転がす帰省客だったのである。
その函館駅で下りた「ほとんとの乗客」は、家族でひとコロニーとなって、駅コンコースの待合フロアーの長い木椅子を占拠していた。 その数は駅コンコースに設置された長い木椅子は全て埋まり、ワテなどは座る事もできなかった位である。
約1時間半後の2時半過ぎに、今度は札幌からの急行【はまなす】が到着して、函館駅の待合フロアーにはそれなりの数の乗り換え目的の列車待ち客が追加された。 でも、見る限り、ワテと意を同じとした江差線目当ての『鉄』は見当たらなかった。 その訳は、次に起こる事をキッチリと『鉄』が把握してたからだろうね。
札幌からの急行【はまなす】が到着して、下車客が駅コンコースの待合フロアーの長い木椅子に転がって寝息を立て始めた3時に、いきなり「当駅は朝5時まで施錠・閉鎖致します」のアナウンスが入り、待合フロアーの長い木椅子を占拠していた全ての待合客が駅舎から追っ払われたのである。
青函連絡船のあったこの駅舎の頃は
もっと暖かみのある駅だったのに
※ ウィキペディア画像を拝借
コレには、さすがのワテも「ウソやろ~」と思ったよ。 それはワテはともかく、幼子連れの列車待ちの帰省客も問答無用に追っ払われたのだから。 年末年始の真冬の夜中に幼子連れをも追い払うJR北海道に、赤字とシンカンセンの呪縛に憑りつかれた姿を見たよ。 深夜に旅客のほとんどいないシーズンオフはまだしも、帰省シーズン位は配慮してもいいのに・・と思うけどねぇ。
さすがに翌日は
でバス停寝したよ
:
上ノ国駅も夜は締め出しだった
とにかく暖房の効いた暖かい駅待合フロアーを追い出されたワテは、仕方なしにバスのローターのプラスチック長椅子に腰掛け、バスロータリーのカクテルライトに灯される「落ちては積もる雪」を見つめていた。 そう・・、あの感動した函館駅での乗り換え時に目にした情景が、「ほんの少し」再現したのである。 でも、さすがに写真を撮る気にはならなかったけど・・。
カクテルライトに灯された雪がチラチラと舞う
寒くも心が熱くなる「駅の絶景」だった
※ グーグル画像を拝借
「これから2時間ここで耐えねば・・」と、道路を跨いだ側にあったコンビニでマンガ雑誌を買い、雪灯りで二宮金次郎の「ほたるの光」モドキをする。 言うまでもなく二宮金次郎との最大の違いは、奴の勉学書物に対してワテは『ビジネスジャンプ』であったかの違いである。
この時の気温は氷点下3℃・・。 恐らく、外で座って本を読む気温の限界だったろう。
これに1時間ちょっと耐えたが、さすがに辛抱たまらなくなって荷物をバス停の長椅子に放置して、カメラと『ビジネスジャンプ』を脇にかかえて夜の函館の街を徘徊する。
すると、駅前通りから1本裏に入った路地筋に、オールナイト営業の『場末のラーメン食堂』が一件赤提灯を灯していたのである。 それは、テレビドラマの『北の国から』で純クンが泣きながらラーメンをすすっていたあのシーンのラーメン屋の情景だったよ。
ワテ版『一杯のかけそば』ならぬ
『一杯のラーメン』だったよ
特に何も装飾もない『ラーメン』を頼んで、江差線始発の6時までストーブの灯ってテレビ画面に深夜放送が流れる居心地のいいラーメン屋でボ~っとたたずむ。 店内にぱ多くの漫画雑誌とかがあったが、今はとにかくラーメンをすすってボ~っと佇んでいるのが心地良かったよ。
でも、その店には駅を追い出された客はいなさそうで、同じく駅を追い出された家族連れとかはどうしたのかなぁと思ったりするのである。 やがて空は薄らと明るくなり始め、テレビも深夜放送から『朝のニュース』に切り替わった5時半過ぎ、駅に戻るべく店を出る。 店を出る時に、『美味かった! 御馳走さん!』との言葉がいつにも増して自然と出たよ。
この年末年始の東北岬めぐりの旅の
写真が現像から上るのが来週だから
『路線の思い出』の
東北バージョンも来週って事で
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Re: 風来梨様 こんにちは * by 風来梨
railway99さん、こんばんは。
> 大変ご無沙汰しております。
>
> 当時の貴重な思い出や作品、楽しく拝見させていただきました。
>
> 時代の流れとともに変わざるを得ない色々な物事
> 寂しくもありまた楽しみもあり・・・
> 悲喜交々ありますね
>
> 寒さを癒した一杯のラーメン、さぞ美味しかったことでしょうね(^^)
>
> ナイスです!!
お久しぶりです。 コメント頂き、有難うございます。
年末年始の帰省シーズン中の急行【はまなす】は、激混みでした。 到着が深夜にも関わらず、函館では駅の待合所にある椅子が全部埋まるほどで。 やはり、函館近郊に帰省する方は急行【はまなす】が安くて便利だったんでしょうね。
でも、幼子連れでも問答無用で締め出す函館駅のやり方は唖然としましたね。 これで鉄道に対する心証も悪くなったでしょうね。
あのラーメンは、あの時の私には「一杯のかけそば」のエピソードそのままでしたね。 美味かったです。
> 大変ご無沙汰しております。
>
> 当時の貴重な思い出や作品、楽しく拝見させていただきました。
>
> 時代の流れとともに変わざるを得ない色々な物事
> 寂しくもありまた楽しみもあり・・・
> 悲喜交々ありますね
>
> 寒さを癒した一杯のラーメン、さぞ美味しかったことでしょうね(^^)
>
> ナイスです!!
お久しぶりです。 コメント頂き、有難うございます。
年末年始の帰省シーズン中の急行【はまなす】は、激混みでした。 到着が深夜にも関わらず、函館では駅の待合所にある椅子が全部埋まるほどで。 やはり、函館近郊に帰省する方は急行【はまなす】が安くて便利だったんでしょうね。
でも、幼子連れでも問答無用で締め出す函館駅のやり方は唖然としましたね。 これで鉄道に対する心証も悪くなったでしょうね。
あのラーメンは、あの時の私には「一杯のかけそば」のエピソードそのままでしたね。 美味かったです。
No Subject * by hanagon
”真冬の夜中に幼子連れをも追い払う姿”はいたたまれないですねぇ。これでは北海道の鉄道は札幌周辺以外はなくなってしまうでしょう。情けなくなります。。
函館駅をよく利用していた青函連絡船時代が夢の世界であったかのようです。
函館駅をよく利用していた青函連絡船時代が夢の世界であったかのようです。
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんにちは。
> ”真冬の夜中に幼子連れをも追い払う姿”はいたたまれないですねぇ。これでは北海道の鉄道は札幌周辺以外はなくなってしまうでしょう。情けなくなります。。
> 函館駅をよく利用していた青函連絡船時代が夢の世界であったかのようです。
赤字と更に赤字を産み出すシンカンセンで、お客さんへの心配りがドライになっちやいましたね。 JR北海道は。 青函連絡船時代は、函館こそが北への旅立ちの玄関口だったのに。
経営再建するつもりなら見込みのないシンカンセンは捨てて、JR北海道の最大の強みである北の大地の観光資源と、わざわざお金を落としにくる鉄道マニアにターゲットを変更してもいいと思うんですけど。
シーズン中のみ普通列車を増便し、18切符や東日本・北海道パスに対応して、更に+10000円でレンタカー1泊2日を付けるだけで、かなりの『鉄』が飛行機から帰って来ますよ。
> ”真冬の夜中に幼子連れをも追い払う姿”はいたたまれないですねぇ。これでは北海道の鉄道は札幌周辺以外はなくなってしまうでしょう。情けなくなります。。
> 函館駅をよく利用していた青函連絡船時代が夢の世界であったかのようです。
赤字と更に赤字を産み出すシンカンセンで、お客さんへの心配りがドライになっちやいましたね。 JR北海道は。 青函連絡船時代は、函館こそが北への旅立ちの玄関口だったのに。
経営再建するつもりなら見込みのないシンカンセンは捨てて、JR北海道の最大の強みである北の大地の観光資源と、わざわざお金を落としにくる鉄道マニアにターゲットを変更してもいいと思うんですけど。
シーズン中のみ普通列車を増便し、18切符や東日本・北海道パスに対応して、更に+10000円でレンタカー1泊2日を付けるだけで、かなりの『鉄』が飛行機から帰って来ますよ。
当時の貴重な思い出や作品、楽しく拝見させていただきました。
時代の流れとともに変わざるを得ない色々な物事
寂しくもありまた楽しみもあり・・・
悲喜交々ありますね
寒さを癒した一杯のラーメン、さぞ美味しかったことでしょうね(^^)
ナイスです!!