2011-07-12 (Tue)✎
『私の訪ねた路線』 第39回 伊東線 〔静岡県〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15) 運行本数
熱海~伊東 16.9km 16816 / 90 時刻表を見てください
《路線史》
元々は熱海~下田を複線で結ぶ幹線鉄道規格の建設計画路線であったが、時の政府の緊縮財政政策によって、熱海~伊東のみが単線で建設される事となった。 建設工事は伊豆半島の断崖地形に難を要したが、1935年には網代まで、1938年には熱海~伊東の全線が電化開通した。
開業当初から観光路線として位置付けをされ、全通と同時に東京からの直通列車が運行されたとの事である。 また、1961年に伊東~伊豆急下田を結ぶ伊豆急行線が開通すると、相互乗り入れも開始する。
国鉄時代に複線化計画があった為、この実現を要請する声は高かったとの事で、実際に熱海~来宮の複線化やトンネル拡張工事を手掛けるが、『国鉄再建法』施行により工事は凍結され、現在もそのままに至っている。
以前は伊豆急下田行の特急は【あまぎ】と呼称されていたが、現在は【踊り子】となっている。
開業当初から観光路線として位置付けをされ、全通と同時に東京からの直通列車が運行されたとの事である。 また、1961年に伊東~伊豆急下田を結ぶ伊豆急行線が開通すると、相互乗り入れも開始する。
国鉄時代に複線化計画があった為、この実現を要請する声は高かったとの事で、実際に熱海~来宮の複線化やトンネル拡張工事を手掛けるが、『国鉄再建法』施行により工事は凍結され、現在もそのままに至っている。
以前は伊豆急下田行の特急は【あまぎ】と呼称されていたが、現在は【踊り子】となっている。
また、急行の運行が盛んだった頃は、修善寺行を併結する多層立て急行【伊豆】も運行されていた。
《乗車記》
全線通して乗った記憶はあるのだが、ただそれだけである。 申し訳ないが、全く憶えていない。
何せ、小学生の小僧の時の乗車記憶なので・・。 確かこれは、家族旅行で熱海に出かけた時、家族の者全てが買い物じゃ~、温泉じゃ~と、『this is 観光客』をしていた時、1人だけ「鉄道写真を撮る」とゴネて駅に残って『アウトロー』になった時のものだろう。
憶えているのは、伊豆急の列車が私鉄なのにグリーン車を連結していて、グリーン車だけが冷房付であった事位か。 まぁ、今度訪れる機会があるとしたなら、温泉めぐりで・・という事になるだろうから、まだ山に登れる体力がある内は御縁はないだろうね・・とふと思ったのである。
あらら・・、全く乗車記になってないね、コリャぁ。
- 関連記事
スポンサーサイト